★4★ 日々、それなりに。
採取休暇に向かった先で新たなる居候を拾ってきてから、早いもので一ヶ月。
連れ帰ったその日にアカネが自ら隅々まで洗った白い狼は、森で見たときよりもさらにその白さを増し、見ようによっては神々しいと言えなくもない姿になった。
性別が雌だったこともあり、自然とその夜からシュテンは俺の部屋で、新入りはアカネの部屋で眠るように部屋割りをした。最初の数日はシュテンが不貞腐れて手を焼いたものの、現在では新入りにじゃれつきに行って軽くあしらわれている。
身体の大きさでは逆に見えるが精神年齢的にあっちが歳上なのだろう。新入りは二日おきにシュテンと交代で俺と出かけ、アカネは二匹のうち空いている方と店を回している。その間も二度、採取休暇を挟んだ。
「今回の新作もとても美味しかったです。わたしの持ってきたあの材料がこうも化けるとは、流石はアカネさんだ」
ふと意識を散らしていた俺の耳にそんな言葉が届いて苦笑した。向かいに座る人物は、あれからさらなるアカネの改良の結果、餡の種類を増やした黄緑色の木の実で作った新メニューを口に運んでいた義弟だ。明らかに食用でなさそうな色味の赤と紫のまだら模様の包み揚げは、綺麗さっぱりと皿の上からなくなっていた。
コイツが何かの心臓のように蠢くどす黒い木の実(?)を持ってきたときは、ほんの一瞬だが出禁にしようかと思ったほどだ。主人共々アカネの“火を通せば大体食べられる”方針を信奉するのも大概にしろと言いたい。おかげでこっちはいつ食中りで国の最高権力者をなくすかと気が気じゃない。
「あのなウィルバート……最近ギルドで耳にする噂なんだが。冒険者から奇妙な動植物を買う奇人ってのは、あれ絶対オマエのことだろ。わざわざお忍びまでしてわけの分からんものを購入するな」
「そうは言いますが義兄上、食への好奇心には勝てませんよ。それにアカネさんならどんなものでも美味しく調理してくれますから。陛……アルもここでの食事を楽しみに日々の執……勉強を頑張っているくらいです」
全く悪びれずにアカネの新作を平らげたウィルバートは、閉店後で身内だけしかいないからか散々口を滑らせつつ、こちらに寄越していた視線を外の踊場にてお忍びを満喫中なアルに向ける。そこにはすでにアカネに出された新作を平らげ、真っ白な狼を前に瞳を輝かせているただの少年の姿があるだけだ。
アカネに“イワナガ”と命名された白い狼は、大人しくアルの伸ばしてくる手に撫でられている。ちなみに名前の由来はアカネの故郷に伝わる美しい女神と、醜いその姉女神の神話が元になっているそうで、美しい妹の名は“コノハナ”といい、イワナガは醜いとされる姉女神の名だそうだ。
何故そんな名前にしたのかと問えばアカネは、
『私の国でお酒を造る人は、彼女に首ったけですよ。白い色とも縁がありますし。何よりも美醜なんて人それぞれの好みです。現にこの子は仲間に異端視されましたが、綺麗でしょう?』
――と笑った。
何でも“ニホンシュ”という酒を造る際に使う作物を育てるのがとても上手い女神だという。
それにアカネいわく、
『美しい妹が妬ましいだなんて、人間らしいですよね。私にも少し覚えがあります。とはいっても、あれだけ良くしてもらっていたのにそう感じる私は、イワナガ姫よりずっと酷い姉ですけど』
とも言った。あれだけ普段暢気な奴の口から妬みという感情があると言われても何となくしっくりとはこなかったが、そう言った瞬間のアカネの表情はどこか寂しげで。病気で亡くした妹のことだろうと想像がつく。
言葉で示せない分は抱きしめてやれば良いと知ったのは収穫だったが、俺としては女神に人間らしさを求める理由がよく分からない。ただ当の白い狼も気に入っているようだし、シュテンの名前の由来も大概ろくでもなかったから、アカネの名付けの感性は独特なのだろうと納得した。
獣使いは何を従魔に据えてもいいとはいえ、一応そこには規定もある。それが“全長が満十二歳の平均男児よりも大型の従魔は、一都市につき一匹のみの持ち込みであること。もしくは最低でも翠玉クラスの冒険者でなければならない”という決まりだ。
冒険者家業の人間は心根の清い奴の方が少ない。おまけに冒険者の中でも特殊な他の職業と違って獣使いは鞘のない刃物をつれ歩いているようなものだ。心根のよくない持ち主が命令すれば人を襲うし、逆に持ち主が命令しないでも暴走することもある。
そういった点からも、獣使い達に対しての規定はどの国でも同じような文言で定められているのだが、その中でうちの連中の扱いはちょっと特殊だった。
――と、穏やかな視線でアカネ達を眺めていたウィルバートが、ふとこちらを見やり、コイツにしては珍しくニヤリと笑う。
「噂と言えば義兄上はあの白い魔獣が、ギルドとスラムでなんと呼ばれているかご存じですか?」
「いや、知らん。ギルドの連中とは必要なことしか話さないし、スラムの方には用がないからな。何かおかしな名前で呼ばれてるのか? もしそうなら勿体ぶらずにさっさと教えろ」
急に投げかけられた質問内容に思い当たる節がない俺が、こちらの出方を面白がるウィルバートに若干ムッとして尋ねれば、義弟はひょいと肩をすくめた。こういう砕けた仕草をする間柄になったのは、多少感慨深くはあるものの勿体をつける姿勢に苛立つこともままある。
「そんな怖い顔をしないでも、義兄上が思うような悪い呼び名ではないですよ。どちらかと言えば好意的です。わたしも初めて聞いたときは、言い得て妙だなと思ったぐらいですから」
「ウィルバート」
「はいはい、そう凄まないで下さい。短気な男は嫌われますよ?」
「……ウィルバート?」
「分かりましたよ。誰がそう呼び始めたのかは知りませんが、聖女の御遣いです」
勿体をつけた割にあっさりと白状したのはまぁ良い。弟のくせに兄をからかったことは許す。しかし一瞬その御大層な呼び名と、踊場でへらへらと暢気に遊んでいるアカネ達を並べる気にはなれない。
「一応聞くが、その聖女ってのは誰のことだ?」
「そこからですか義兄上。勿論聖女がアカネさんで、御遣いの方が白い従魔のことです。シュテンは確か聖女の護符でした。わたしが言うのもなんですが、義兄上はもう少し仕事とアカネさん以外のことにも興味を持った方が良いですよ?」
「いやいやいや、あの暢気な奴等を相手に仰々しすぎるだろ。あと言葉に変な含みを持たせるな。余計な世話だ」
思わず常よりやや早口になった俺に、ウィルバートがまたニヤリとする。座っていた椅子から腰を上げ、テーブルを挟んだ状況で生意気な義弟の眉間にデコピンを放つ。容易く避けられただろう攻撃を甘んじて受けるその姿に、幼い頃の翳りはもうない。
乱れた前髪を整えつつ「ですが、事実でしょう?」と笑うウィルバートに溜息をつき、踊場のアカネを視界に捉えながら「まぁな」と諦めて相槌を打つ。ぼんやりと暢気な光景を見ていると、自分が淡い夢の中にいる心地がする。
イワナガにはアカネと同様に変わった特性があり、その特性こそが拾ったアカネを喜ばせると同時に、周囲に法の例外を認めさせてしまった。それが俺にとって良かったのか悪かったのかは正直微妙なところだが、アカネと目の前に座る義弟と、この国の最高権力者にとっては良かったのだろう。
それというのも本来ならば肉食である狼のくせに、イワナガは群れに入れず狩りが教われなかったせいか雑食のきらいがある。そんなものだから森の中にある口にしても大丈夫な……この場合見た目は無視だが、そういった食材を探すことに長けていたのだ。
おかげでこちらは前よりも怪しげな試作品が並ぶ食卓につく羽目になった。しかし厄介なことに、相変わらずアカネの作る料理は俺の胃袋と心を満たす。
――と。
「義兄上、今なにか心の中で惚気たでしょう?」
「なっ……馬鹿か。してねぇよ」
「はいはい、ご馳走さまです」
「おいコラ、だからしてねぇって言ってるだろ」
ニヤニヤと笑うウィルバートにもう一発デコピンを見舞おうとした直後に、踊場の方から「ウルリックさん!」と弾んだ声でアカネに呼ばれて、心臓が跳ねる。
そんな俺の姿をおかしそうに見上げていたウィルバートが、これ以上余計なことを言い出さないうちに席を立つ。踊場に向かう俺の背後でウィルバートが笑う気配がしたものの、不思議と気分は悪くない。