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◆食いしん坊転生者が食卓の聖女と呼ばれるまで◆  作者: ナユタ
◆熟練度・後期◆

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76/86

*30* 空腹は虚無と同じ。


「そちらの女性に個人的な恨みはないが、すまない。君にはこの男の共犯者として死んでもらう」


 見知らぬ青年からのこういう場面でお約束な“死んでくれ”宣言を受け、室内が張り詰めた空気に包まれたそのときだ。私のお腹を住処にしている空腹虫が“ギュッギュッギュッギュ~~!!”とベートーベンの第九みたいなリズムで鳴いた。


 本当なら走って逃げ出したい。せめて手が自由なら顔を覆ってしまいたい。案の定その場にいた三人は穴を空ける気なのかというくらい、顔面に血の気が集中した私を見つめる。


 どこか現実味のない“殺す”発言よりも、身近な寒さと急な空腹感と羞恥心に思わず泣きそうになった。その間もお腹は第九の続きを奏でるし、皆の視線は痛いしで引き結んだ唇から呻き声が漏れた。もう居たたまれなさすぎる。


 するとそれまで棒立ちになっていたダークブラウンの髪の青年は、自分の上着ポケットをゴソゴソと探り始め、何か見つけたのかそれを持ったままこちらに近づいてきて、私の目の前に膝をつく。


 私の背後でウィルバートさんが猿ぐつわを噛んだまま、何か呻いている。たぶん“止めろ”とか“よせ”だと思うけど、青年は気にした様子もなく私の顔に手を伸ばしてきて――……猿ぐつわを外してくれた。

 

 ポカンとして青年を見つめると、彼は居心地悪そうに私の口に手にしていた何かを突っ込んだ。舌先に落ちてきたそれを反射的に転がすように舐めると、甘い。ちゃんと味がするということは、これが毒ではないということだ。


 そのことがさらに困惑を誘って眉間に皺を刻みつつ舐めていると、彼は「君はこの男に巻き込まれただけだからな。殺すにしても苦しまないようにしよう」と、痛みに堪えるようにそう言った。


 だけど私はそんなことよりも、飢餓状態を訴える身体に対して過保護すぎる脳が、強制終了へのカウントダウンを始めたことに戦慄する。それは死の間際の感覚に近い絶望感。


 転生初日に感じたあの恐怖が蘇る胸中で、何度もウルリックさんの名を呼んだもののその抵抗も虚しく、意識はプツリとそこで途切れた。


***


 ――ペチペチ、ペチペチ。


 頬に何かが当たっている。そう強くない力で一定のリズムを持って繰り返されるけど、身体が冷えて目蓋を持ち上げるのも億劫だ。


 いくら身体を毛布で包まれていても、内側から体温を上げられないのでは氷を毛布にくるんでいるのと変わりない。この新しい健康な身体は代謝が良すぎて燃費が悪いです、お爺ちゃん神様。


 すると私が起きないことで諦めたのか、頬に与えられ続けていた衝撃がなくなった。そのことに安心して再び意識が手放されそうになった耳許で、今度は「アカネ」と名前を呼ばれる。


 たちまち弱々しかった意識が覚醒して、重かったはずの目蓋がくわっと持ち上がった。いきなり目を開けた私に驚いたウルリックさんが「うおっ」と声を上げたけど、す巻きにされていることを忘れて手を伸ばそうともがいてしまう。


 不格好に蠢く毛布の芋虫を笑った彼は「びっくりさせんな」と言いつつも、私をぐるぐる巻きにしている毛布を解いて「ん」と両手を広げた。今度こそ勢いをつけてその胸に飛び込んだら、今まで全然何ともなかった涙腺が崩壊して、次から次へと涙が溢れる。


 何で、どうして、どうやってここに? 色んな疑問があるはずなのに、ウルリックさんがここにいるなら、もう全部どうでもよくなる。


 最初は噛み殺して我慢していた声が、ついに堪えられなくなってしゃくりあげて泣いた。こんな風に周囲を気にせず泣いたのは、前世で初めての手術前に家族に帰らないでとすがりついて以来だ。


 背中に回されたウルリックさんの掌がポンポンとあやすように撫で、空いた方の手で頭を抱え込まれ、クシャクシャと髪をかき混ぜられた。


 すぐ傍に不器用に微笑むウルリックさんの横顔がある。あんなに冷え切っていた身体は泣いたことですっかり温まり、それとは別にふと自分の大胆すぎる行動にさらに体温が上がった。


「あの……義兄上、そろそろ逃げませんか。奴の授業はもうそろそろ午前の部が終了する頃です。共犯のメイドも世話をするアカネさんがいないとなれば、いつ戻って来るとも限りません。はち合わせると面倒だ」


 気まずそうにかけられた声に、一瞬全身が強ばる。すいません、ごめんなさい、ウィルバートさん! 完全に存在を忘れてました! でも義兄上呼びをしていると言うことは、私が気絶している間に仲直りができたということですよね!!


 と、心の中で妙な興奮状態で誤魔化してはみたけれど……今の私を殺すのに刃物はいらない。恥の意識だけで死ねる。


 慌ててウルリックさんから離れようと、彼の背中に回していた腕を解こうとしたら、何故か逆にさっきまでよりも強く抱きしめられた。え、あの、嬉しいけど、心臓が無理です。このままだと止まる。


 そんなパニックを起こしている私の頭を抱え込んだまま、ウルリックさんは身体を少し後ろに逸らして「ハハッ、おかしなことを言うなウィルバートは。何で逃げる必要があるんだ? どうせどちらも殺すのに」と。


 聞き間違いでなければ、ウルリックさんはそう言った。不穏な発言に心臓がさっきまでとは違う風に跳ね、彼の表情を窺おうと見上げたものの、素早く大きな手で目を塞がれてしまう。


「義兄上、落ち着いて下さい。まずは城に戻って陛下に報告を……」


「必要ない。義弟のオマエがそんなボロボロの状態で、アカネが大泣きしてる。幸いここの場所はまだ誰にも気づかれていないんだろう? 好都合じゃねぇか」


「……っ、それだと、わたしとアカネさんが城に戻るときの言い訳が――、」


「ずっと城にいる連中は知らんだろうが、外に出れば人攫いなんていくらでもいる。家政ギルドで注目されてるアカネと、知己のオマエに誰かが目をつけたとしてもおかしくない。適当にゴロツキのアジトを教えてやるから、オマエはそこから隙をついてアカネを連れて逃げてきたと言えばいい」


 頭上で交わされる物騒きわまりない会話。けれどウルリックさんの声音だけはどこまでも優しく、それがかえって彼の本気さを窺わせる。ふわふわしていた意識が次第にはっきりしてきた。


 今のウルリックさんはきっと、ファルダンの町から出て私が初めて攫われそうになったときと同じだ。要するにとっても怒っている。


 でも本心から怖いと思えないのは、やっぱりこの人があのときから変わらず、絶対に私を“見つけて”くれるから。何て自分本位なのだろうとは思うけど、異世界で独りぼっちからスタートした私のこれが、偽らざる本心だ。


「ですが……それでは事件に無関係な犠牲を増やすことになりますし、何よりここに遺体が、残ります」


「ああ、そんなものはどうとでもなる。心配するな。それにどうせ吹き溜まりの連中はろくなことはしてねぇんだ。先に駆除するだけだろ。オマエの心配事はそれだけか? それだけならここで誘拐犯を待つぞ」


 私が思案している間にも会話が物騒な着地をしそうになったので、ひとまずあのときと同じ方法で止まってくれか分からないけど、目を塞がれて距離感の分からない状態で、ウルリックさんに聞こえるように「お腹が減りました」と囁いた。


 瞬間、ビクリとウルリックさんの身体がはねたと思ったら、ゆっくりと目を塞いでいた手が離れて。明るいとは言い難い照明に照らし出された彼の顔は、何とも複雑に歪んでいる。


 確かに変なことを口走っている自覚はあったので、今日は怒られるのかもと首をすくめたら、ウルリックさんはガシガシと頭を掻きながら「急に耳許で囁くな」と。一番見慣れている呆れた表情で私を見つめてそう言った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 語彙がなくなるほどやられます。 何これやばい(^^)にやけます。
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