*26* 傾くと、転がる。
四季の女神よ、懺悔します。私は三食しっかり食べさせてもらうだけの駄目な金糸雀です。毎日毒味をするものの頼りの毒はあの夜に仕込まれた以外、今のところ一度も私の舌に引っかかっていない。
アルフォンス陛下は重臣達に四六時中護衛を傍に置くようにと迫られ、執務室からあまり出てこられないのだ。食事もほぼ執務室の中で一人でとるので、こちらからは毒味をしたご飯以外は基本的に差し入れできない。
たまにウィルバートさんの授業時間中に呼びつけられて進捗を聞く……という名目で、私を相手に少しだけ愚痴を漏らす。
それとは別にごく一部の偉い人達は、ウィルバートさんの言っていたように毒が効かない私を便利なアイテムだと思っているようで、こちらを見てくる視線が何だか嫌な感じだ。
あの式典があった夜からすでに二週間、焦燥感ばかりが募っていく。
すでに新しい一年が始まっているものの、張り切った二週間前の気持ちとは裏腹に、毒物も関係者も未だに特定には至っていない。時間が経てば経つほど犯人捜しが遠退いてしまうのは、初動捜査のミスを物語っている。
正直に言えば、もっと簡単に黒幕に辿り着けると思っていた。あんなに目立つ場所を選んでの犯行だったから、てっきり不審者を目撃した人の一人や二人くらいいるものだと。
けれど蓋を開けてみれば隣国とは七年前に結んだ和平がまだ継続中で、わざわざ波風を立てるような案件も今のところない。
こういうときに一番お約束な貴族間の揉め事を疑ったけど、七年前に自国を危険にさらした貴族達のほとんどは、負け戦になった瞬間他国に散ってしまってその線も考えにくい。
ウィルバートさんいわく考えられるとすれば、カクタスの魔石採掘とポートベルの港に一度に寄港できる船の数や、交易商品の値動きの足並み合わせくらいだそうだけど、今のところ他国から不満を告げられたことはなく、確証は持てない。
ナイナイ尽くしの八方塞がりで、捜査はまだ思うように進んでいないのが現状だ。それでも気を抜くことはせず、毎日三食アルフォンス陛下と同じものを食べ、食べたものを記録して食材を書き出し、家政ギルドの仕事の方は二日おきにでも訪れ、毎日ウルリックさんにお弁当を作る。
もちろん最後の日課が一番楽しい。短いメモのような手紙が溜まっていくことが、このお城で現在唯一の楽しみだ。
事件のあと一番最初に疑われたのは、当然のことながら式典の夜に出された料理を作った料理人達。
あの直後は乱暴にも全員を牢屋に入れて取り調べるとの案も出た。ウィルバートさんと一緒に、さすがに理由が安直すぎるとアルフォンス陛下に進言したおかげか、料理長を含む他の料理人達と私の関係性は、以前よりも少しだけ軟化していた。
今は一日の明るい時間帯に料理人と給仕係を数組ずつ呼んで、当日の事情聴取を行っているところだと聞いている。お城の中で働く人は一つの職場でも結構な数の人達がいるから、思ったよりも時間がかかるようだ。
用意しておいた日誌に今朝のメニューと食材を書き込んでいると、部屋のドアをノックする音が響き「どうぞ」と声をかけると、ウィルバートさんが現れた。
「おはようございますアカネさん。今朝の食事も問題はなかったようですね」
「おはようございますウィルバートさん。今朝のご飯も美味しかったんですよ。このままだとただ摘み食いするだけの人ですよね、私の存在って」
「毒が入っていないことを証明して下さるだけでもありがたいことです。こちらはまた手がかりだと思っていた情報が空振りで収穫なしですから。貴女の行動範囲を狭めておきながら不甲斐ない報告ばかりで、申し訳ない」
そう微笑む彼の目の下には結構しっかりとした隈が見え、中性的な顔立ちに痛々しい印象を与える。疲れが顔に出やすいとかいう問題じゃない。
もともと家政ギルドで炊き出しのお手伝いをさせてもらっているだけの私と違い、彼は通常の仕事にプラスこの騒動の犯人捜しをしている。普通に考えても過労ラインに乗っているはずだ。
「私のことはいいんです。それよりウィルバートさん、日に日に顔色がひどいことになってますよ。ちゃんと夜に眠ってますか? 私が作った夜食も食べてます?」
「夜は翌日の授業の準備や書類整理など、少しやることが多くて。ついつい眠る時間は遅くなりますが、眠っていますよ。それにアカネさんの夜食のおかげで頭も働きます」
「そんな怪しいお薬みたいな作用はありませんってば。夜食を食べて無理をするなら、今夜からもう作りませんよ?」
誓って疲れた人の身体に鞭打って働く気を起こさせるような、そんな怪しい作用の夜食を作っている気はない。気合いを入れて不機嫌な表情をしてみるも、ウィルバートさんは「貴女の風貌だと泣き出しそうにしか見えませんよ」と笑った。
人好きのする笑顔もこの顔では台無しだ。アルはこんな状態のウィルバートさんをどう思っているのだろう?
軽口は言ってもそんな表情は分かるらしく、彼は「陛下もまだああ見えて十四歳ですからね。心細いときには気の置けない人間を傍に留めたいのでしょう。私にもその気持ちは分かります」と微笑んだ。
考えてみればここ数日はすれ違う生活が続いていて、あまり会話らしい会話も交わしていなかった気がする。
「少しここで休憩してお茶でも飲んで行きませんか? 甘いものでも食べて香りの良いお茶を飲めばちょっとは身体が休まりますよ」
声に出してから、まだ彼が椅子に座ってもいなかったことに気が付く。慌てて立ち上がって自分の対面にあった椅子を引くと、ウィルバートさんは喉の奥で笑いながら「女性にエスコートされるのは初めてです」と言う。
そこでこれが男性の役割だったことを思い出し、気まずい気分で「女性扱いしたんじゃないです」と言ったけど、彼は柔らかく口の端を持ち上げ、ゆっくりと首を横に振った。
「心引かれるお誘いですがまだ仕事中でして。午後からなら陛下の授業もないので、よろしければその頃にまたお伺いしてもよろしいですか?」
そう言われて日誌の日付を確認する。明日の午後は家政ギルドの炊き出しに、結婚式の準備で忙しくしているイドニアさん達が顔を出してくれる約束だけど、今日の午後は何もない。
だから目線がウルリックさんよりも少しだけ近い暗緑色の瞳に向かい、笑顔で「もちろんですよ。お待ちしてますね」と約束を交わしてその場は別れた。
それなのに。
その日、午後から夜になっても、ウィルバートさんは部屋を訪ねてこなかった。




