◆19★ 鏡合わせの義兄弟。
今回ちょっと鬱回です(´ω`;)<ごめんな。
ハッピーエンドの本作ですが、
ストレス展開がダメな方は完結してからの読書をお勧め。
前半がウィルバート、後半がウルリックの視点でお送りします。
自分でも気づかない間に疲れを溜めた日は、未だに悪夢にうなされる。そんな夜に現れるのが義兄の背中であることが、ひどく疎ましく、一瞬でも悪夢が終わることを安堵する自分の弱さが嫌だった。
私が恐れていることは、義兄への怒りと憎しみが薄れてしまいそうになることだ。母が殺される理由を作った無能を許してはならない。人に全部を押しつけて逃げ出しておきながら、のうのうと幸せになっている義兄を許したくなかった。
「アカネ、この卵料理は面白い形だな」
「これはグルグル巻いて作るから卵焼きって言うんだよ。味は普通の卵料理と変わらないけど、見た目が良いでしょう? スクランブルエッグと違ってばらけないから、こうやって箱に詰めて持ち運ぶのにも便利だしね」
「ああ、格好良い。それにこのオベントウというのは隙間がないのが良いな。余白のある食事は嫌いだ」
目の前で繰り広げられる暢気な会話に、ふと直前まで黒々と胸の中に渦巻いていた澱んだ感情が薄くなる。
彼女は自分の昼ご飯を隣から奪う使用人のお仕着せを着た子供が、この国の最高権力者だと知ったらどんな反応をするのだろうかと考えた。だが何故だろうか、考えたところで“え、そうなんですね”という反応くらいしか思いつかない。
「お皿に余白があるのが嫌なら、お母さんに頼んで小皿に盛りつけてもらえば良いんじゃないかな。少しの量でいっぱいあるように見えるよ」
「それはちょっと……侘しくないか?」
「侘しいとか、若いのに渋い言葉を知ってるねぇ」
彼女がこの城にきてから六日が経ったが、その間一度も彼女が考案して城の料理長に教えたはずの食事が食卓に上らないことに、ついに陛下が痺れを切らした。
そして本来なら使用人食堂で昼食をとっているはずの彼女が、二日前からここで食事をしていると、世話を任せていたメイド達から聞いたのだ。メイド達は彼女に悪い印象を抱いていないのに、職場を奪われると勝手に勘違いした一部の人間から嫌がらせを受けているとの報告もある。
肝心の彼女からは一度もそのような報告は上がってこなかったのにだ。そこで陛下の授業中にそのことを仄めかし、それに陛下が悪乗りをした結果がこの状況なのだが――。
「その方が偉そうに見えるだろう」
「十四歳が偉そうに見える必要ってあるのかなぁ。第一子供が大人に偉そうにしたら怒られるでしょう?」
「あ、ああ、そうか。それもそうだな」
「うん。程度にもよるけど、年長者は敬わないと。君はしっかり者なのに時々おかしなことを言うよねぇ」
子供らしい姿をほとんど見せない陛下が、その表情を昼休みの短時間でよく変える。彼女の存在は陳腐な言葉だが……まるで何かの奇跡のようだ。
間違いなく彼女の存在は国のためになり、彼女をこのまま義兄から引き離せばこの鬱々しい気分もいくらか晴れるだろう。そのために家政ギルドの本部には、彼女の身柄はすでに王家が押さえると通達も出した。
だというのに、どこかであの冒険者として一瞬でも義兄と行動した日々が忘れ難い。よくよく考えれば、屋敷に義兄がいる間に食事を共にとったこともなかったにもかかわらず、それがあの僅か五日間で全て叶えられた。
彼女がいれば、何もかもがうまくいくような、そんな楽観的な人間になれてしまう気がする。
……だからあんな馬鹿げた条件を出して、あの臆病風に吹かれやすい、お人好しで諦め癖のある義兄を煽ってしまったのだろうか。
理解できない。
理解できないでいい。
あの地獄のような七年間を赦そうかと、一瞬でも考える自分が。
赦せない。
赦さないでいい。
だが本当に、そうなのだろうか……?
『ウィルバートは好き好んでこの家にきたのではありません。それを人目につかない場所で折檻するなど……そんな恥ずべき行いはお止め下さい。母上が本当に憎いのは、自分の腹を痛めて産んだ無能力者のわたしのはずです』
『わたしは家を出る。お前と戸籍を入れ替えた。父上へはもう話をつけてある。母上はお前に当たれないよう、別宅を用意させるとも約束した』
――義兄上は自身の居場所を奪った私が、ほんの少しも憎くなかったのか?
再び仄暗い思考の渦にはまった私を「ウィルバートさんも、卵焼き食べませんか?」と、暢気な声と微笑みが掬い上げる。思わず反射で「いただきます」と答えた私を、陛下が意外なものを見るように見つめてきた。
確かに人前で食べ物を口にすることなど今までほぼなかったが、それほど珍しい行為だったと気づいたのが教え子の反応とは……居心地が悪い。
けれど、ズイッと目の前に差し出されたオベントウから、黄色い不思議な形に成形された卵料理を摘み上げて口に運べば、咀嚼して自然と「美味しいです」と口から零れる。その単純な言葉を聞いて嬉しそうに黒い垂れ目を細める彼女を、どうか義兄上……私のときのように、見捨ててくれるなと。
ようやく見つけた“居場所”を横から攫っておきながら思う愚弟を、貴男は、赦さなくていい。
***
いつの間に眠っていたのか、常が薄明るい程度の光しか持たないアーデの陽も翳り始め、消毒薬の匂いが充満した部屋の中。目の前には家を出るときに見た艶やかな面影の欠片もない、枯れ木のようにやせ細った母がベッドに横たわっている。
近年では血に含まれる魔力の低下が囁かれていたものの、それでも当時としては曲がりなりにもこの国で有数の魔導師の家系でありながら、無能力者の息子を産んだせいで夫には見向きもされず、愛人の産んだ子供を屋敷に招き入れられて。
挙げ句の果てが愛人に勧められて始めた薬の中毒になり、身体と精神を病んで実家から除名され、こんな真っ暗で造りだけはそれなりの別邸で独り死を待つのみとは……実母ながら何て愚かで哀れな女だろうかと思う。
数時間前に俺への恨み言を吐き散らかしていたときは、医者の言っていた余命が嘘なのではないかと本気で思ったが、こうしてみるとやはり残り時間は少ないようだ。ヒューヒューとひきつれた呼吸音が響くこの部屋は、酷く陰鬱で息苦しい。
これで部屋の外にシュテンを待たせていなかったらと考えると、ぞっとする。一日のほとんどの時間をこの部屋で椅子にかけて、母の恨み言を聞くのに費やすのは、紫玉級の魔獣を一人で狩りに行くより疲れるが、これを終えないことには仕方がない。
背を丸めすぎて軋む身体を伸ばし、肩を鳴らす。ギュッと一度強く目蓋を閉じれば、視界は完全に闇に閉ざされる。
『これって任意……ではなさそうですよね。ちなみに断ると何か罰則があったりするんでしょうか?』
あの日、急に宿屋で感じた不穏な空気にあてられて怯えていた顔を憶えている。その手を握って引き立たせたときには震えていたことも。
なのにいざウィルバートに向き直って口を開いたアカネはそう言った。王命だから一度目とは違い任意ではない。断れば仲間も処罰の対象になると脅されたのに。
『じゃあついて行きます。今回は特別急ぐ人生でもないですし』
オマエは俺といる限り、そんな物わかりの良いお人好しにならないはずだったのに、何故だ? 当の本人よりも『ウィルバート、お前という奴は』『恩を仇で返すお手本みたいな男ね』という発言と共に、蔑む視線を送るガーランド達の反応の方がよほどまともだった。
――……ああ、だが、そうか。
『あなた方の苦情はここで聞いて心に留めておきましょう。けれどこれもアクティア国民のためです。それよりも……義兄上は、この期に及んでも何も言わないでよろしいのですか?』
先に護衛にアカネを部屋から連れ出させてから、嘲るような、試すような、七年前の再現をしてみせたウィルバートに返す言葉を持たなかったのは、他でもない俺だった。
突然のウィルバートからの義兄上呼びに、ガーランドとイドニアが驚いた様子を見せたが、そんなことは些末なことだ。何よりも薄々予感はしていた事実の方が臆病者な俺には重くて。
ウィルバートが七年前の行動をとった俺を赦すはずがないと。俺が同じ立場に置かれたとしても、赦せるはずがないのに。
『そういえば義兄上、義母上がそろそろ死にます。父上の下らない家訓を長々と聞いて看取ってやったのですから、義母上の分まで恨み言を聞かされるのはごめんだ。そこでどうでしょう義兄上、アカネさんという縋る人間のいない中で恨み言を全部聞いて看取ってやっては』
ウィルバートのそんな風に挑発的な発言に不似合いな無表情を見るのも、七年前のあの夜以来だった。うなだれる俺を足許で見上げていたシュテンは、動物の勘として最初からウィルバートを俺の身内だと知っていたのだろう。
護衛達への反応とは違い、唸ることも牙を剥くこともなかった。暢気な飼い主とは違って利口な従魔だ。己の主人が攫われたという認識はあるのに、その主人が依存した俺の指示を仰いだのだから。
『もしも途中で逃げ出さずにそれができたら、アカネさんを返してもらえるように便宜をはかりましょう』
そう手許から奪われてみて、初めて分かった。
アカネ、本当に今更すぎて嗤えてくるくらいには。
「――俺は、オマエを、諦められない」




