*17* 氷砂糖が溶けるまで。
向こう側がいびつに歪んで見える、気泡だらけの分厚いガラス瓶。中には黒いコーヒー豆と透明な氷砂糖が交互に積まれ、ホワイトリカーの海に太古の地層のように沈んでいる。
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★使用する材料★
コーヒー豆 (※挽いてないもので深煎りが◎)
氷砂糖
ホワイトリカー (※ブランデーでも可)
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二つ前のアイゼンの町の名産品は吹きガラス。一つ前のロンジンは紅茶よりもコーヒー豆の消費量が高いせいで、リンベルンからの取引量が特に多い。
現在私達の一行はリンベルンまで二つ前の町、ベラドールまで迫っている。
ティータイム好きらしいロンジンの町では、ジャムとそれに合わせるヨーグルトを使ったパンケーキ擬きのレシピを置いてきた。コーヒー豆はそのお礼として格安にしてもらえたのだ。
手にした瓶をくるりと回せば、カシャリと音を立ててコーヒー豆と氷砂糖の地層が崩れ、ホワイトリカーの海に氷砂糖が溶け出し陽炎のような揺らめきを見せた。その念願の光景に思わず「んふふふふ」と抑えきれない笑いが漏れる。
ベッドの下で堅ーいベーコンをかじっていたシュテンが、不思議そうな顔をしてこちらを見上げ、私の膝の上に“これいる?”と言うように涎でべたべたのベーコンをくれた。可愛いけど……こいつめぇ。
“褒めて褒めて”と言うように「キューウ」とささ鳴く鼻面を、ベーコンを床に下ろしてから指先で引っかくように撫でる。
私達のそんな姿を見て、ベッドの傍に椅子を持ってきて座っていたウルリックさんは、呆れとも苦笑ともつかない表情で「嬉しいのは分かるがな、アカネ。変な笑い方は止めろ。あとシュテン、それはオマエのだ」と言った。
「だって念願の果実酒第一号なんですよ? にやけないのなんて無理です」
「果実酒なぁ……ま、確かにコーヒー豆も果物に数えると言えば数えるか」
「実際コーヒーになるのは種の部分で広域解釈なのはその通りなんですけど、収穫する地域では赤い果肉部分が甘いから果物扱いするそうですよ。だからこれはれっきとした果実酒です」
ズイッとガラス瓶をウルリックさんの顔の前に押し出すと、彼は「いや、それは屁理屈だろ」と中で揺れるコーヒー豆を視線で追って言った。
せっせと作り溜めていた氷砂糖はこれで全部使ってしまったけれど、前世でよくお菓子を入れていた中くらいの密閉瓶くらいの大きさがある瓶の中は全部お酒。それもちょっぴりお洒落なコーヒーリキュールになる予定だ。
「屁理屈じゃないですよ。おまけに果実酒としては飲めるようになるのが早くて、二週間から遅くても一ヶ月でできあがる優秀な子なんです。氷砂糖が溶けきったらコーヒー豆はあげて捨てちゃうんで少し勿体ないですけど、完成したら一緒に飲みましょうね」
二日前に漬けたばかりで、まだまだ氷砂糖の形がはっきりしている瓶の向こう側で、ウルリックさんが「もうリンベルンまでは目と鼻の先だ。一ヶ月待つのは難しそうだな」と笑う。
けれどいびつなガラス瓶越しに見える笑みは、どこか泣いているようにも見えた気がするのは、私がそうだからかもしれない。ちなみに鼻面を撫でられて満足したのか、シュテンは膝の上で舌をだらりとさせたままお休みモードだ。
暗に“目的地に着いたらそこまで一緒に居るつもりはない”と言いたいのだろうけど、落ち込むには早い。こっちには秘策があるのだ。
「ふふふ、まだ分からないですよ? 借金返済がありますからね。私が家政ギルドで働いてる間に飲み頃になっちゃうかもしれませんよ」
今までたくさんお世話になってきたのだから、きっと結構な借金が残っているに違いない。そんな私の予感は当たったようで、ウルリックさんは「ああ……そうだったな」と不器用に笑った。
お店を出すときの融資は、ガーランドさんとイドニアさんの言葉に甘えて頼んだけれど、ウルリックさんへの借金返済は自分で稼いだお金で返したい。二人もそれがいいと賛成してくれた。
ロンジンで会った家政ギルドの職員さんは、とても穏やかで優しそうな女性だったから、ギルドの人達が皆あんな風だといいなと思うのは甘いかな。でももしもそうでなかったとしても、絶対にウルリックさんにお金を返すんだ。
彼女は私達と話したその日にリンベルンの家政ギルドから迎えがきたので、一度そこで再会の約束をして別れた。
そこまで考えてからふと「そういえば、ガーランドさんと喧嘩したんですか?」と、気になっていたことを訊いてみる。急な私の質問に、ガラス瓶越しの彼が「いきなりだな」と笑った気配がしたので、ガラス瓶を翳すのを止めてその顔を直に見つめた。
とはいえ、ロンジンの町からウルリックさんとガーランドさんの会話が極端に減っていることは、イドニアさんと私の間ではちょっとした事件だ。歳上同士あまり反発しあうことがなかったのに“今更ここに来て?”という感じである。
椅子の背もたれを抱え込むように私と向かい合って座っていたウルリックさんは、一瞬だけ無表情になった……ような気がした。だけどそのことに言及する間もなく「喧嘩というか、意見の相違だな」と赤銅色の三つ編みを弄びながら言う。
うん、何となくだけど、隣の部屋でも今頃同じやり取りが繰り広げられている気がする。
ふてくされた子供のような仕草に「意見の相違なら仕方がないですね」と相槌を打てば、彼は「ん」と短く答えた。長閑な時間につい私まで眠気を感じて窓の外に視線を移すと、この町にも幻灯祭に向けて用意された青い火が灯るランタンが揺れている。
けれどぼんやりと眺めていたランタンの色が、さっきまでよりもくっきりしていることに気づき、朝からずっと降っていた雪が止んでいるのだと分かった。それに気づいたと同時に何だろう、宿の外が少し騒がしい気がするような?
ウルリックさんもそう思ったのだろう。膝に眠そうに半目を開けた状態のシュテンが乗っている私に代わり、椅子から立ち上がると窓の近くに寄って外を覗き込んだ――と、その表情が一気に曇った。
彼がここまであからさまに顔色を変えた姿は、出逢って七ヶ月以上経つけれどミスジとやり合う羽目になって以来初めてのことだ。部屋を覆う気配が変わったことに気づいたシュテンも、体毛を膨らませて戦闘前の狼の表情になった。
何が起こっているのか分からないものの、これが歓迎できる類の空気ではないのはさすがに分かる。
不安にかられる私に、窓辺から戻ってきたウルリックさんが「アカネ」と手を差し伸べてくれた。そんなことだけで少しホッとしてしまう自分に呆れつつ、彼の手を取って立ち上がったのとほぼ同時に、私達の部屋の前で複数人の足音が止まる。
ドアに向かって低く唸るシュテンに向かい、ウルリックさんが「いい子だシュテン。だが飛びかかってくれるなよ」と手を翳す。動くなという指示に戸惑うシュテン。こちらに“ダメ?”かと窺う視線に頷き返した直後、部屋のドアノブが回って顔を覗かせた人物に私が肩の力を抜いたのも束の間。
「この間ぶりですねアカネさん。我が主の命により、今から貴女の身柄はアクティア王家が客人としてお迎えすることになりました。今度こそご同行願えますか?」
そう別れたときと少しも変わらない人好きのする表情でにっこりと。屈強な護衛の人達を両側に佇んだウィルバートさんは、薄幸そうに微笑んだ。
氷砂糖とコーヒー豆は1対1だと甘さ控えめなので、
甘いのがお好きな方は氷砂糖をお好みで増やしてみてね(*´ω`*)<作者は甘め派。




