*4* 大切な日。【前編】
カクタスに滞在して一ヶ月と一週間。最近ではアーデの気候らしくダンジョンの中もだいぶ寒くなってきた。そのせいでベッドから起き出して朝食の支度をしに炊事場にやってくる冒険者達も、少しずつ時間が遅くなり始めている。
活気のない炊事場に毎朝代わらない時間帯に顔を出すのは私だけ……と、言いたいところだけれど、一週間前から突然ウルリックさんとシュテンがついてきてくれるようになった。
流石に衛生面からシュテンは食堂の方で待ってもらっているけど、ウルリックさんの方は炊事場で一緒に野菜を刻んだり、お皿の用意をしてくれたり、今夜の晩酌には何を食べたいかなどと他愛のない会話を交わしたりと、アーデの朝の寒さも忘れさせてくれる。
まるで二人と一匹になるよりも前、二人だけだった頃の旅路を思い出す。けれどそんな朝の炊事場に今朝は私達よりも早く、ガーランドさんの姿があった。並んで歩いていた私達は見慣れないその光景を前にふと足を止める。
しかしそんな私達に気付いた彼は足早にこちらにやってくると、すまなさそうに「今日のダンジョンへの探索を取り止めたいんだが、構わないだろうか?」と切り出してきた。
「別に構いませんが、何かあったんですか?」
「こっちはそっちの都合に合わせて動いてるだけだ。止めとくってなら寝て過ごすだけだからそれで構わねぇよ」
ほぼ内容は同じなのに多少皮肉が入ってしまうウルリックさんの答えに、ガーランドさんは苦笑しながらも「今日はイドニアの誕生日でな。一緒に出かけがてらプレゼントを買ってやりたい」と、サラッと教えてくれる。
こういってはなんだけれど恋人の鑑みたいな人だ。きっと横滑りして理想の旦那さんにまで昇格するに違いない。
「そんな素敵な理由があるなら勿論中止にしましょう。ダンジョンになんか明日でも潜れますから」
ガーランドさんは私の言葉に「ありがとう」と微笑み、隣にいるウルリックさんは彼に「酒が飲める歳になったからって羽目を外させすぎんなよ。明日に響かん程度にな」と釘を刺した。無自覚に面倒見の良いウルリックさんに向かって、ガーランドさんは「先人の忠告は憶えておこう」と珍しく茶目っ気を見せて。
肝心の彼女が朝食の席ですっかり自分の誕生日を忘れていたのはご愛嬌。二人は久々の恋人同士に戻れるお出かけへ。残された私達は一旦部屋に戻ってめいめいベッドへと身を投げ出す。
薄くてクッション性皆無なベッドから抗議の軋みが上がったので、二人でそっと身を起こして座り直し、もそもそと自分達の荷物を広げて整理を始める。自由時間ができたらこまめに鞄を整理するこの習慣も、だいぶ板についてきた。
シュテンはベッドの下で大きな身体をドーナツ状に丸めて欠伸を一つすると、朝ご飯あとの二度寝を決め込むことにしたようだ。鼻面を撫でてあげたら尻尾を二、三度振って寝息を立て始めた。
一通りの片付けが済んだら、いつもは寝る前に開く辞書のように分厚いレシピ本を開いてみる。もらったばかりの頃は持て余すばかりだった本の中も、だいぶ黒い文字に占拠された頁が増えて。それだけウルリックさんと一緒に旅をして、旨いと言ってもらった日々である。
レシピが記された頁だけを指で挟んでその厚さを確かめてニヤついていたら、それに気づいたウルリックさんが「オマエが生きてる間は、まだまだ増えるぞ」と言ってくれた。
当たり前なようでいて、まだほとんどが白い状態のレシピの頁が埋まりきるまで生きるのは、生きられるのは、私にとっては素晴らしいことだ。現在レシピは簡単な和え物やジャムのレシピを全部含めれば、人差し指の第一間接の半分くらいまである。
これからまだまだ増えるにしても、最後の頁までいったい何年かかるのかまったく想像がつかない。たぶんその頃には一人になっているだろうけれど、できることならシュテンは傍にいて欲しいなと思う。
「そういえば今日が誕生日ってことは、イドニアさんもお酒が飲めるようになったってことですよね? こうして一緒に行動できるうちに、メンバー全員が飲酒ができるようになるって何だか嬉しいなぁ」
つい一週間前に禁酒令が解禁になった身としては、彼女達と行動を共にする間に四人で一度飲みたかったから、今夜の夕食時に提案してみようかと頬が緩んだ。
でもその言葉を聞いていたウルリックさんは何を思ったのか、いきなり「そういや、オマエの誕生日っていつだ?」と訊いてきた。ここに至るまで全然気にしていなかったけれど、そう問われてみると急に気になるのは人の性。
前世の誕生日にこの世界に飛ばされたわけでもないので、細かいこだわりだとしても誕生日は前世と違う気がする。だとすると飛ばされてきた病没日がそうなるはずだ。
少しだけ抵抗はあったものの、これからの人生を前向きに生きようと思うなら、こちらに飛ばされた日を誕生日にした方がよさそうかなと感じて、あまり深く考えずに「私ですか。私の誕生日は……ウルリックさんと出逢った日ですかね」と答えておく。
本当の誕生日ではなくても悪意があって人を騙すつもりでないなら、これくらいの嘘は吐いてもいいだろう。前世の誕生日はきっと家族が祝ってくれるだろうし、私にとっても特別な日だから。
するとウルリックさんは「そうか」と口にしたまま何か考え事を始めたので、私はその邪魔にならないように鞄の中から、まだ一度も大きな塊が作れていない氷砂糖の瓶を取り出して錬成を始める。
広口瓶の上で右手を掲げて擦り合わせる指先に念を込めれば、少しずつ結晶化し始めた砂糖が氷柱のように伸びて、一定の長さになり始めたところで線香花火のように丸まりだす。
粘りの強い水飴状から、徐々に固化して濁っていた表面が透明になって渇けばできあがり。
小指の爪先ほどの大きさを錬成できるようになった氷砂糖は、まだそれでも果実酒を漬けられるほどの大きさではないので、ここ最近は毎日砂糖の錬成は氷砂糖に一点集中していた。白砂糖、グラニュー糖、黒糖を経てようやくの氷砂糖。
しかも綺麗な結晶体ではなく、いつも少し欠けた状態で錬成される。駄菓子屋さんにある欠けた氷砂糖を思い出して和めるのはいいけど、できれば早く親指の第一関節目までくらいの綺麗な結晶になってくれると嬉しい。
通常の果実酒なら早くても漬けて一ヶ月。長いと三ヶ月は漬けていないと飲めない。ウルリックさんとあとどれくらいいられるか分からないけど、一緒に旅をしたという記念に飲みたいからそろそろ漬けたいんだけどな……と。
三粒目の錬成を終えたところで、ふといつの間にかこちらの様子を観察していた彼が「それが終わったらちょっと出かけようぜ」と声をかけてくる。
特に断る理由もないし、精々まだ日に五個が限度である氷砂糖の錬成。他の錬成は氷砂糖と比べればすぐにできるものばかりなので「良いですよ」と応えた。ウルリックさんはそんな私に「普通どこにとか訊かないか?」と言うけれど、どこに行くのか訊いたところでどうせ教えてくれる気はないだろうにと、心の中で密かに苦笑する。
でも「いやだな、出かける前に訊いたら楽しみが半減するでしょう?」と口にすれば、彼も「それもそうだな」と応じてくれた。
この久し振りの二人と一匹だけの休日にすでに心が浮き足立っているだなんて知られたら、きっとウルリックさんのことだから“ガキかよ”と笑うつもりに違いない。私にだってそれくらいの学習能力はあるんだぞ。




