★13★ 兄弟。
いつ頃からだったか忘れたが、悪夢を見る前の予兆を感じるようになった。しかしそれはあくまで感じるだけであり、避ける術などない。それならせめて寝入り端だけでも心穏やかにしておいてくれればいいものを、封じた記憶は時折勝手に棺桶の蓋をずらして蘇る。
『お前のような無能者が長子とは、我が――――家も落ちぶれたものだ』
『旦那様が私を軽んじて愛人の子を引き取ったりしたのは、全部お前のせいよ。世間体の悪い忌々しい子。お前なんて産むのではなかったわ』
『義兄上、そんなに周囲に精霊がまとわりついているのに、どうして肝心の声が聞こえないのですか? これがアクティアで屈指の魔導師の血筋だとは……情けない』
どうするかなんて対処法は存在しない。ただただこの雑音が通り過ぎるのをじっと待てばいつか止む。そのとき見る空が明るいか暗いかは別にしても、死なない限りは目蓋は上がり、記憶は再び棺桶で眠りにつく。
そういう風にできていると。
そういう風に俺が決めてる。
魔獣討伐志願者として家を出ると言ったあの日。奴等に存在を感謝されたのはその一度きりだったが、どうでもよかった。いつ死んでもかまわないなら、外で干渉されない一番いい肩書きが魔獣討伐志願者だっただけで。巷の一般人と違い、内情を知るギルドの人間達からは同情と嘲笑を向けられるが、同じ肩書きを持つ人間となれ合うのもごめんだった。
かつていいように利用された精霊達の、魔導師達への怒りを体現した魔獣を殺し、無能力者というレッテルを張られたことへの劣等感を封じる。魔獣にしてみればただの八つ当たりだろう。
お上品な言葉も、仕草も、この身に重い出自も全部棄てて、代わりに不自由な自由を手に入れた。
『義兄上……貴男はいつも被害者面をして逃げるだけなのですね』
その言葉がいつでも悪夢の終わりを告げる合図。うんざりしながら重い目蓋を持ち上げた空には、まだ夜明けを告げるものは何一つなく。
けれど今までの息苦しい目覚めと違うことがあるとすれば、いつの間にか身体の横に寄り添っているデカい魔獣と、寝息と一緒に腹の虫をコロコロと鳴らす奴が傍にいることだろう。
俺が目を覚ましたことに気づいたシュテンが「クォン」と小さく鳴いて、顔面を舐める。その鼻面を撫でながら、シュテンを挟んで眠るアカネの横顔を眺めて、ふと。自分が誰かの“兄弟”を真面目に演じたことがあるのだろうかと考えて、すぐに馬鹿馬鹿しくなってもう一度目蓋を閉ざす。
暢気な寝息と腹の音が聞こえる。
眠ることは前より容易くなった。
***
翌夕方、予定通りの到着時刻にカクタスの大門の前に辿り着き、街に一歩踏み込んだ直後に隣のアカネがその場で声もなく立ち止まった。
確かに初めて目にする分にはこの街は一種異様な姿に映るだろうが、俺としては国内を渡り歩く中でも、この街は立ち寄らずに通り過ぎることがほとんどだ。観光客には幻想的と人気の高い街ではあるものの、それは全く魔力を持たずとも問題のない人種だけで。
少なくとも俺と同じような境遇の奴等は、地図上でこの街の名を見るだけでも気分が悪くなる。
「こんな街の入口で田舎者に見られたら、街中のどこで馬鹿にされるか分からん。あんまり大口開けて惚けるなよ」
「いやでも、これは驚かない方が無理ですよ。魔石鉱山の近くに街があるっていうよりも、魔石鉱山の中に街があるって感じじゃないですか!」
弾む声でアカネが指差す方角には、ポートベルで見た珊瑚の死骸と似たような色合いの岩肌が広がり、壁面にはめ込まれたように突き出た工房や、岩を削り出して作られた階段がポツポツと白亜の壁面に影を落とす。
アカネが言うようにカクタスの街はその全容を鉱山の中に持っていて、自然と城郭都市のような見た目になっている。
歩いている人間の身につけているものの多くは、使用者にもそれなり以上の魔力を必要とするものばかりで、それがまた魔導師連中の自尊心の高さを感じさせた。
戦争で何もかも引っ掻き回して壊しておきながら、自分達の働きのおかげで国が残ったのだと誇る連中の言い分は、傲慢だが半分は事実だろうと認めるほかない。
もうかれこれ四年は訪れていない街に、未だここまで苦手意識と苛立ちを感じられる自分の狭量さにもうんざりするが、それを何も知らないアカネにぶつけるのはお門違いだ。
「だから昨夜もちゃんとそう説明しただろ。あ……それともオマエあれか。ホットワインの飲みすぎで話半分に聞いてたんだろ?」
「いえいえ、ちゃんと聞いてましたよ。ただここまで大きな街がこんな風に鉱山の中にあるなんて思ってなくて。それにてっきり魔石は魔獣の中からしか取り出せないと思っていたので、鉱山があるのが意外で」
その発言に、そう言えばコイツがこの国の出身ではない可能性をすっかり失念していた。思わず「あー……そうか、そういうことな」と口をついて出るくらいには、すでにいることが常態化している事実に少なからず驚く。
「オマエのそれは勘違いじゃない。この街は全体が魔素を含んだ土壌で、ここに棲んでる魔獣が特に魔素を含んだ岩盤を食べて魔石をため込んでるってだけだ。基本的には魔獣の中から魔石を取り出すのに違いはない」
ひとまず分かりやすい説明をと意識したが、かえって混乱させたようで「それってつまり……どういうことです?」という問いが戻ってきた。こちらが当然知っていると思い込んでいる物事を、全く知らない人間に教えるのは難しいんだよな……。
「要するにここは巨大な狩場だ。魔獣のタイプも三種くらいしかいない。カクタスの街は玄関口にあたる、この俺達が見ている部分までしか一般人は入れない。奥は鉱山のダンジョンに通じてる。冒険者ギルドに行けば分かるが、ここは最小限の移動範囲で魔石を集めたい冒険者用の街だ」
アカネの表情の変化に注意しつつ説明を重ねれば、半分ほどは理解できたように見える。しかしもう半分はあまり理解というか、想像がつきにくいようだ。
昨夜俺が脅したせいもあるだろうが、気になる反面見に行きたいとも言い出しにくいのだろう。シュテンの鼻面を撫でてチラチラと街の奥に続く道を視線で追っている。そんな姿を見たら、こっちの長年拗らせた意地が少しだけ揺らぐ。
「気になるんなら、少しだけ冒険者ギルドに顔を出してみるか? 一般的な魔獣とは桁違いな強さの奴しかいないから、俺達の能力程度で請けられる仕事はないだろうが、うちにはシュテンがいるんだ。掲示板の見学くらいしても目を付けられたりしないだろ」
そう渋々俺が言った時の顔が、鏡を向けて見せてやりたいほどガキっぽくなっていたのを、コイツはきっと気付いてないんだろうな。




