二、死んでも死にきれぬ
鬱蒼と繁る広葉樹の森に、落ち葉を蹴立てる音がこだまする。太陽の光届かぬ薄暗がりで、湿った枯葉が舞い上がる。大樹の幹には苔がびっしりと生えていた。音に怯えた小鳥や小動物が、枝のまにまに逃げ惑う。濡れ固まった落ち葉を、焼きの入った杉下駄が抉る。濃紺の鼻緒に小枝や小石がくっついた。
密集した木々の隙間を巧みに縫って、コバルトブルーの巨鳥が飛ぶ。一切ぶつかることがなく、片翼だけでも大人の男の背丈ほどある身体を操っていた。時折急降下して、地を走るハヤセに襲いかかる。ハヤセは下駄がけの裸足を踏ん張って膝を曲げ、力強く跳び上がる。青い巨鳥の尖った嘴を辛くも逃れ、湿った幹に足をかけた。苔を削った二の字の跡が樹皮に残る。
生木の香りが暗い森に広がった。巨鳥の黄色い嘴は真っ直ぐに伸びて、ハヤセの喉元を狙う。ハヤセは斜めに空間を横切り、巨鳥の腹に銀針を投げた。キョエーという耳障りな叫び声が上がった。コバルトブルーの羽で風を起こしても、全ての銀針を叩き落とすことはできなかったのだ。針が刺さった青い腹から、どす黒い靄のようなものが漏れて来る。
ハヤセは指の間に挟んだ銀色の細い針を、鳥に向かって雨のように降らせた。針には糸が通っている。黒い糸と白い糸とがあるようだ。コバルトブルーの巨大な鳥は、慌てて離脱を試みた。遥か梢へと一直線に舞い上がる。キキーッと悲鳴を上げて、リスや猿が降ってくる。巨鳥の爪に引っ掛けられて、枝から落とされたのだ。
ハヤセが腕で顔を庇った隙に、鳥は青黒い靄となって消えてしまった。
「手強いな」
ハヤセは暗い木陰で懐手をして呟いた。
森を出ると、雑草の生えた道を辿って村に着く。丘の麓にある花の多い町だ。村の入り口には花壇があって、横書きの看板にフローレルと書いてあった。村の名前なのだろう。見渡せば、丘の上には石造りの城が見える。
「すみません、泊まれる所はないですか?それらしい看板が見当たらないですが」
ハヤセは道ゆく小父さんを捉まえて訊いた。目の粗い茶色のチュニックを来た髭面の小男だ。
「宿なんか無いよ。変なかっこして、あんた、何者だい?」
警戒心全開で、小父さんはハヤセを睨め回す。
「外から来たんで、服装は違いますけど、怪しいもんじゃないですよー」
ハヤセは懐から手を出した。
「ソト?訊いたことねぇな?まさか、暗澹の森を越えて来たのか?」
森の方から村へと続く道は二本ある。一本がハヤセの通って来た道とも言えない雑草の茂みで、森から直接伸びている。あと一本は町から続く田舎道だ。途中で森への道と合流する。ハヤセは合流地点から遠く町を眺めて、より近い村に行こうと決めたのだ。
「まあ、そんなとこです」
「おお、そりゃ大変だったな」
小父さんは案外すんなりと受け入れた。
「随分と泥だらけじゃないか。井戸で洗って行くといい。うちの村は井戸が多いのが自慢なんだ。遠慮しなさんなよ?」
「はぁ、それはどうも」
ハヤセは急に親しげになった小父さんに戸惑った。暗澹の森と呼ばれた真っ暗な場所には、道もなく人の気配もなかった。闘いになったコバルトブルーの巨大な鳥としか会っていない。そんな森を越えて来たという人を、簡単に信頼するものだろうか?不審なところがあるので、ハヤセは小父さんについて行くかどうか悩んだ。動かないでいると、ハヤセは半ば押されるようにして、井戸まで連れて行かれた。
着物を着たまま、ハヤセは水を浴びた。泥や枯れ葉が流れ落ちる。あらかた綺麗になったところに、女性がひとりやって来た。
「サム、ここにいたのね」
「キャス」
キャスはゴージャスな赤毛の女で、どうやら小男の妻のようだ。サムと呼ばれた小男と、腕を組んでどこかへ行ってしまった。
「ありゃせいぜい、ちょっといい暮らしがしたいって程度だな。見かけによらないもんだ」
カスリの袂を絞りながら、ハヤセは夫婦を見送った。キャスの赤い巻き毛には、一筋青いところがあった。
「しかし、あれしきの餌じゃ、アンラックがあそこまで育つってことはないはずだが」
水汲みに来たおかみさんが、ハヤセの言葉を聞き咎めた。
「なんだい、あんた?アンラック?何のことだい?」
ハヤセはおかみさんをさっと見る。青い毛は見えなかった。
「何でもないですよ。お気になさらず。汚れを落とさせて貰っただけです。すぐ出ていきますから」
ハヤセは袂を絞るのをやめて、ゆったりとした足取りで井戸の側を離れた。
「変な奴だね。余所者は気味が悪いよ」
おばさんが聞こえよがしに罵倒する。ハヤセは気にせず立ち去った。
ハヤセが丘の上に建つ城まで辿り着いた時、着物はすっかり乾いていた。見上げるほどの城門には鉄柵が嵌められている。門衛に声を掛けても無視された。
「おかしいなあ。認識させてるはずなんだがな」
ハヤセは鼻が擦れるほどに、顔を門衛に近づけた。門衛は瞬きもせずに立っている。
「排除するでもなく、無反応か」
言うなりハヤセは身軽に跳び上がる。衛兵が反応した。だが、遅かった。ハヤセの姿はもう見えない。鉄柵を蹴って門を飛び越え、門から正面扉へと続く道沿いの木立に紛れてしまったのだ。門衛は慌てて、門柱の脇にある小窓を叩く。
「門番!城内に急告!侵入者あり!」
門衛に応えて眼を覗かせた人物が、音を立てて小窓を閉めた。間を置かずに、けたたましい鐘の音が鳴り響く。道沿いに立つ警備兵たちは、ハヤセに気づいていなかった。突然の警報に色目きたち、一瞬顔を見合わせた。彼等は不安そうな表情で、手にした長槍を油断なく構えた。
一方ハヤセは、順調に建物までやって来た。城の上部にある見張通路に飛び降りて、すいすいと衛兵をやり過ごす。衛兵たちは怒声を上げて追い縋る。
「ちょっと面倒だ。眠ってな」
ハヤセが帯を叩くと、柄の中から一本の和蝋燭が浮かび出た。実体化した蝋燭に黒い炎が灯り、衛兵達の周りをぐるりと回った。ハヤセの帯に蝋燭が戻ると、衛兵たちはその場にバタバタと崩れ落ちた。見れば皆、目を瞑って寝息を立てていた。
ハヤセは屋内へと通じる木の扉を潜り、閉めた扉に寄りかかって一息ついた。
「はー、たかが田舎の領主館で、よくもまあこんなに厳重な守りを固めたもんだ」
足の下には、石の階段がある。壁には松明が点々と灯っているが、螺旋の先は暗闇に消えて見えなかった。ハヤセは身を起こして、軽快な足取りで階段を降り始めた。カラカラコロンと下駄の音が鳴る。時々立ち止まって気配を確認しながら、ハヤセは城の中を歩いて行った。毛足の揃った絨毯を踏み、一際立派な扉の前で立ち止まる。龍と森の金属レリーフが嵌め込まれた、観音開きの重厚な扉である。廊下の衛兵は、皆ハヤセの和蝋燭で眠っていた。
「おや、また会ったね」
ハヤセの背中に涼やかな声が掛けられた。首を捻って後ろを見れば、カナコが傘を抱えて立っていた。
「カナコも仕事か」
「なんだ、ハヤセ。今日は珍しく仕事かね?」
「まあな。いつでも暇ってワケじゃあねぇさ」
ハヤセはニッと歯を見せる。カナコはフッと笑うと、手を前に出して、音もなく扉を開いた。そこにいた衛兵や侍者たちはハヤセが眠らせる。何人かに、青い毛が見つかった。どの人も赤毛の女性とさほど変わらない量である。
「本命は領主か、側近か、乗っ取りを目指す妾かなんかか」
ハヤセは顎に手を当てて考え込んだ。
「どんな化け物だい?」
カナコの問いかけに、ハヤセは少し眼を開く。
「驚いたね。興味あんのかい」
「なんとなくね」
「ふうん?まあいいや。アンラックって言う青い鳥でね。人の貪欲な心を喰って育つ化け物さ。妬みの籠った強欲さが好物で、育ち切るとはち切れる。けっこう広い範囲を吹っ飛ばす厄介な奴だ」
「へえ」
カナコは特に驚く様子もなく、相槌を打った。
「うっかり取り逃しちまって、餌の気配を辿って巣を探してるとこだよ」
「ここだったのか?」
「十中八九」
カナコは白くたおやかな手をつと延べて、ハヤセを促す仕草をした。
「じゃ、お先にどうぞ。化け物に邪魔されちゃ敵わないから」
「はいよ。掃除が済んだら声をかけましょ?」
「頼む」
手筈が決まると、ハヤセが先に立って扉の中を進む。傘を抱えたカナコが、しゃなしゃなと後に続く。壁際に小さなテーブルがある外は、何もないホールだ。扉が三方に付いている。正面奥の白い扉を開いた。その先も幾つかに分かれていて、読書室や喫茶室などのようだった。行く手を阻む者は全て眠らせる。青い毛が見える者もいたが、そのままにして先を急いだ。
「ここだ」
「私もここみたいだ」
青く塗られた扉の中から、カリカリと羽ペンの音が聞こえていた。文字を書く音など、微かなものだ。城の中が静まり返っているとはいえ、閉じた扉の外まで響くような種類の音ではない。時折インクに浸すチャポンという音、紙を捲るカサリという音も聞こえていた。
閉じられた扉の前で、ハヤセとカナコは聞き耳を立て気配を探る。扉の脇で燃えていた松明の火が揺れた。風もないのに激しく揺れていた。ペンの音が次第に大きくなる。それにつれて、炎の揺れも激しくなった。
「じゃあ、お先に」
「ああ、よろしく」
二人は軽く挨拶を交わした。ハヤセは扉に手をかける。松明の火が大きく揺れて消える。窓のない部屋が暗くなる。天井にある小さな煙抜きの穴から、僅かに漏れる灯だけが頼りだ。扉を押し開くと、窓際の机で書き物をしている人物がいた。一心不乱に何かを書き付けている。カサカサ、カリカリ、と紙にペンを走らせる。羊皮紙だろうか。独特の摩擦音が薄闇の中でこだまする。
石の壁にくり抜かれた窓からは、まだ昇り切らない月が蒼白い顔を覗かせている。膨らみ始めた半月は、渡りきれない存在たちを不気味に照らし出す。デスクに向かう男の髪は、コバルトブルー一色だった。村でも城でも、そんな色の頭をした人間は一人として見かけなかった。机に燭台が置かれている。男の影は床を這い、壁で折れて窓の隣に立ち上がる。
鳥だった。
その影は人のものではない。ゆらゆらと翼を揺らす鳥の影である。男が青い羽ペンを投げつけて来るのと、ハヤセが糸のついた針を放つのは同時だった。ハヤセは横跳びにペンを避ける。男は天井に向かって跳び上がる。複数の羽ペンと羊皮紙の束がハヤセに向かって投げられた。部屋に踏み込んだカナコが、金魚が泳ぐ水色の絵傘を開く。バッと空を切る音がした。カナコがくるくると傘を回すと、紙も羽も水のように溶けて、傘に吸い込まれてゆく。
「助かる!カナコ!」
「礼はいらぬ!」
短い言葉を交わして、カナコとハヤセは背中合わせに立った。
「何だこりゃ。三重になってるね?」
「生きてる奴と、カナコのお客さんと、俺の獲物がくっついちまってらぁ」
「はあ、厄介だね」
「うん、面倒だな」
ハヤセが森で刺した糸付きの針が数本、青髪男の腹に刺さったままだ。小太りな怒り眉の男で、動きは素早かった。撒き散らされる紙とペンを躱しつつ、ハヤセは針を投げ続けた。そうこうするうちに、カナコとハヤセは扉の前まで後退した。男は歯をカチカチと鳴らして笑った。まるで鳥が嘴を鳴らして威嚇するかのように。
ハヤセの手には、糸の束があった。右手に黒糸、左手に白糸。カナコは傘の回転を止めてまっすぐに差した。部屋の真ん中で、青髪男が薄ぼんやりと輪郭を見せていた。
「へっ」
ハヤセが得意そうに口の片端を引き上げた。青髪男の腹に刺した針が光った。
「ギエエエ!」
男の口から怪鳥の叫び声が上がる。ハヤセの投げた針は、石造りの壁や天井に出来た隙間に刺さっていた。針に通した黒と白の糸が、複雑に張り巡らされていた。その真ん中に青髪男が立っている。腹に刺さった針から銀色の光が粒となって弾け散る。部屋中に突き立てられた針が光の粒を受けた。男の叫びが途切れなく上がる。針から銀色の光が糸を伝って、ハヤセの手元へと走って行った。
「見事な陣法だな」
「なに、簡単な拘束陣さ」
カナコが感嘆した。陣法自体は簡単なものである。だが、糸の張り具合、針を打つ手際、その効力。どれを取っても一流だった。最早芸術的とさえ言える手並みであった。
「ギエエエ!」
青髪男は、身動きが取れなくなって苛立ちを見せた。ハヤセは手元に光が集まると、糸を握った両手を振った。翻る白いカスリの袂に、銀の光が跳ね踊る。カナコは緊張を解かずに立っている。
「カナコ、とりあえずお客さん剥がせる?」
「やってみる」
怒りの声を上げている青髪の男に向けて、カナコは指輪を嵌めた指を向けた。ちりりんと澄んだ音がする。鈴の付いた指輪を包む月光のような銀色は、ハヤセの銀光よりも青白い。物言わぬ者たちの国へと導く小さな鈴は、立てる音さえ青褪めていた。
「お迎えにあがりました」
「キギッ」
「ん?反応したよ?」
男が落とす鳥の影から、人の形の影が分かれて現れた。
「ギ!なに、やつ、だ!」
男の口から、人間の言葉が飛び出した。鳥の叫びと重なっていて、奇妙な響きを作り出す。
「因果を辿って参りました」
カナコは指輪の鈴を鳴らして、天井に掌を向けた。動きに釣られて、男とハヤセが天井を見上げる。そこには、影が三つ蠢いていた。デスクに向かうがっしりとした男、その前に立つ若者が二人。一人は小太り、一人は貧相な青年のようだ。
「キール。この度の旱魃対策、実に見事であった」
「ありがとうございます。皆様のお力添えがあってこその成功でした」
貧相な若者が腰を折って感謝した。
「うむ。驕らぬ姿も好ましい」
小太りな若者が、不満そうに身じろぎをした。
「領主たるもの、そうでなくてはな」
「父上っ」
小太りの男が口を挟む。
「ジャック、発言を許したかな?」
「くっ」
場面が変わり、城の廊下で小太りが貧相を追いかけていた。走って追いつくと、乱暴に襟首を掴み、小太りは貧相を地面に引き倒した。
「わあっ、何をなさるのです、兄上」
「貴様っ!恥を知れ」
「恥?」
「病弱なくせに、出しゃばりおって」
小太りが、何か理不尽なことを言い出した。
「ギエエエ!どの口がイウカ!」
青髪男が憎しみの声を上げた。影の会話は続く。
「お前が病弱だから、従兄の私が養子に来たのだ!それなのに!」
「違います!火災で独り生き延びたから、本家で引き取っただけですよ!」
貧相な影が、床に倒れたまま反論した。だが小太りは譲らない。
「何だと!出鱈目を言うな。現に、後継内定に呼ばれただろう」
「それは結果であって、初めから後継者候補として迎えた訳ではないのですよ!」
「病人が!」
小太りが蹴飛ばすと、貧相な影は頭を打ってしまった。そこへ、物陰から出て来た数人のならず者が寄ってたかって殴る蹴るの暴行を働いた。
「動かなくなったな」
「はい」
「暗澹の森に捨てちまえ」
「はい」
貧相な影は運び去られた。青髪の男が雄叫びを上げた。
「ギギギィ!うおおおお!」
カナコがちりんと指輪を鳴らす。
「何しに来たんだ!」
青髪男が喚く。
「もう七百年も経ったのだ。いい加減、次の人生に進むがいい」
カナコの言葉は、相手の態度によって変化する。大人しい者には穏やかに、乱暴な相手には容赦なく。
「何だと?小娘が!」
ハヤセがもう一度糸を揺らす。銀の光が強まって、怪鳥はひとしきり苦痛の叫びを上げた。だが、訴えはやめなかった。
「悪党になぶりごろされたんだぞ?魂になって帰って来たが、とり殺すことも出来ず、ジャックの野郎が父上に毒を盛るのも止められず、悪党一族に本家を乗っ取られて七百年、七百年だぞ!」
「気持ちはわかるけどねぇ」
ハヤセが眉を下げる。
「お解りいただけますか!」
青髪男の顔が輝いた。
「けどもう旅立ちなさいよ」
「何故!父上の葬儀で、やっと取り憑く事に成功したんだ。ジャックの子孫はどいつもこいつも悪運が強くて、取り殺す事は出来ないが、取り憑いてさえいれば、いつかはチャンスが巡って来る筈だ!」
青髪男が捲し立てる。
「森から連れて来ちゃった化け物が、七百年の間にかなり育っちゃってるんで」
「化け物?」
男は、アンラックに気がついていないようだった。
「生きてる奴に取り憑いてる青い化け物だよ」
「何だって?」
男は困惑しているようだ。
「そいつが生き物に取り憑くなんて、聞いたことないんだが、幽霊のキールさんが、偶然糊の役割を果たしちゃってるみたいだね」
「憐れなキール。妄念を捨てて旅立ちなさい」
「嫌だね!悪党が栄えている限り、死んでも死にきれぬ!」
青髪男は頑として受け入れぬ。カナコの目付きが鋭くなった。
「キールが取り憑いて善政を敷く限り、ジャックの子孫は栄え続けるぞ」
「えっ」
キールがポカンと口を開けた。ハヤセはカナコを糸目でチラリと見てから、深く頷いた。
「そうだよなぁ。生きてる奴は、意識が表に出てない現状でも、髪が真っ青になるほど貪欲な奴だ。キールさんが居なくなれば、悪政であっという間に落ちぶれるだろうよ」
「なんと」
男は愕然とした。
「ま、その前に、アンラックが破裂して領地全部が消し飛ぶだろうけどな」
「ええっ?それは困る。領民に罪はない」
「このままだと確実にそうなるよ」
「分かった!分かりました!旅立ちます。お願いします」
立派な領主の本性を取り戻し、キールの影がカナコに頭を下げた。肉体はハヤセの拘束陣により動けないからだ。巨鳥は相変わらず叫んでいる。肉体は青髪男なので、キールの声と同時に鳴き声が出てくる。石造りの室内に反響して、非常に耳障りであった。
「では、お連れしましょう」
カナコは丁寧な言葉になって、すっと絵傘を閉じた。青髪の男から、貧相な体格の若者の魂が剥がれ落ちた。カナコが鈴を鳴らす。
「それじゃ私はこれで」
カナコはハヤセに声をかけた。ハヤセは微笑で応えた。
「ご迷惑をおかけしました」
キールの幽霊は頭を下げた。
「なんて事ないさ」
ハヤセはキールにも笑顔を見せながら、糸を引いた。そのまま針を一気に抜き、帯から和蝋燭を八本呼び出した。八本の蝋燭は四本ずつの円を作って、男の目の前に浮かぶ。ぐるぐる回ると、黒い炎の軌跡が残る。蝋燭の輪が二段になり、頭から縄のように嵌められた。男の腹に刺さったままの針には、蝋燭の黒い炎が燃え移る。
「ギエエエ!」
鳥が喚いて、とうとう男の肉体を離れた。人間の腹に針はない。人体から抜け出した鳥には針が刺さっている。針の炎が巨鳥を包む。
「ギャャャャ!」
断末魔の叫びを残し、鳥は灰銀色の煙と共に消えてしまった。床には、当代の領主が倒れている。髪の毛は麦藁色だ。
「やっと終わった」
ハヤセは、石壁に細長くくり抜かれた窓から、ひらりと外へ出て行った。




