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後編

 マチネはなかなかに盛況で、私たちは幕間をボックス席で楽しんでいた。


「もう、ユーカリったら。ロバートに劇団の名前を出すのだもの。あの後大変だったのよ?」


 隣で広げた扇の陰からひそひそと私を詰るのは、サルビア・イサリス伯爵夫人だ。今でこそ身分差はあるが、昔は同じ貧乏子爵家の娘同士で切磋琢磨し学んでいた。


 その昔ある派閥で、次期当主への不安を嘆く複数の家があった。それならば優秀な嫁を補佐に、と考えた当代達は、年頃の娘達の中から、見込みのある者を選別した。密かに集められた娘達は他に行き場のない境遇の子が多く、誰もが野心に燃えて必死に学んでいた。私とサルビアは当時からお互いが遠慮なく言い合う仲だ。


「あれは、申し訳なかったわ。私も頭に血がのぼっていたの。ごめんなさい」


 私も扇を広げ、口元を隠して潜めた声で答える。


「まあ、いいわ。誤魔化せたし」

「どうやって?」

「それほど観劇に行かせたくないなんて、そこに愛人でも囲っているのでしょう!って暴れてやったの」


 ふふふ、と笑う彼女はとても三児の母とは思えぬ艶やかさだった。


「呆れた。シレーネ・エルシャだって貴女がロバートに近づけたのに」

「あら、あれほどの女好きだもの。どこででも庶子をつくられたら、私が困るわ。シレーネみたいに美しくて頭の良い女性なら、ロバートを長く引き留めておけるでしょう。その分、シレーネにも劇団にもできるだけの恩恵を与えているわよ」

「そうね。貴女がここの最大のパトロンだもの」

「決して表沙汰にはしませんけどね」

「ボックス席で言われましてもね」

「あら、ここは私の権利で得た席ではなくてよ?」


 にんまりと笑うサルビアに私ははっとする。


「貴女、まさか」

「そう、ロバートのお金で買った席よ。泣きわめく私の嫉妬を収めるために、あの人ったら頑張ったわねえ。これで私が愛人を与えているとは思えないでしょうよ」

「……貴女、シレーネより女優だわ」

「うふふふ。私は、私の人生の主演女優ってことね」


 絶句する私を気にせず、サルビアはシャンパンを一口味わった。勝利の美酒はさぞ美味しかろう。ほうと溜め息をついた後、また扇の陰で声を潜める。


「貴女がシミンターレ家の嫁に選ばれたときは本当に悔しかったわ。当時、あの中ではアンドリューが一番の有望株だと思っていたし。けれど、私には退屈とは無縁のイサリス家とロバートが合っていたわ。これで、いいえ、私にはこれがよかった」


 かつて婚約者候補として争った女性はそう言って麗しく微笑んだ。


「……そうみたいね。私には理解できないけれど」


 私はそう答えながら、あの時『私は一生をともに生きるのなら君がいい』と言ってくれたアンドリューを思い出していた。頷いた瞬間、私の人生は確実に良いほうへ変わったのだ。アンドリュー以外で私にあった縁談は、二十才以上年上の男の妾だった。それまで闇の中にいた私に、光ある人生を見せてくれたのはアンドリューだ。



「貴女は? あの後どう始末をつけたのかしら」

「ああ、それがねえ……、私ではないのよ」


 私はため息をついて、その後の顛末を語りだした。



 部屋に戻り、夫に今回のことは何が原因だったのかを一つずつを説明しているときだった。


「お父様、お母様、開けてくださいませ。大切なお話がございます」


 返事を待たず、部屋に飛び込んできたのは私たちの九才の長女だった。


「何ですか。お行儀が悪すぎますよ」

「それどころではありません」


 私の注意も聞かず、長女は夫をじっと見つめて言った。


「お父様、何故私が頼んだ隣国の帽子図録ではなく、植物図鑑を買ってこられたのですか?」


 夫は長女の剣幕に驚いて答える。


「帽子図録は売り切れていてね。お土産がないのも悲しいだろう? だから、植物図鑑にしたのだよ」

「私は、帽子と、お願いしたのです。植物ではありません」

「でも植物でもいいじゃないか。花だって同じくらい可愛いだろう」


 夫がそう言った瞬間、娘の目からぶわっと涙が吹き出した。今まさに娘の逆鱗に触れたのだ。


「私は、帽子だと言ってるではありませんか! 

何故聞いて下さらないの? 何故、私にもお兄様にもお母様にもそうなの? 帽子と花が同じだと思っているのならば、明日から帽子の代わりに花冠を被って外出なさいませ! レナ、今からお父様の帽子を捨てます。ついてきて」

「待ちなさい!」


 泣きながら侍女と出ていこうとする長女を引き留めると、振り向いた長女は涙目で叫んだ。


「お父様なんかだいっきらい!」


 最愛の娘の言葉に、夫はその場で崩れ落ちた。


 しばらくそのままの夫を眺めてから、私は声をかけた。

「あなた、申し訳ないけれど、私、庇えませんわ」

「……」

「今日の間違いと同じことを、あの子にしていますもの」

「……大嫌いと、言われた」

「でしょうね」


 私の言葉に、夫は涙目でこちらを見上げて睨んだ。


「こちらが嫌だと拒否しているものを認めずに押し付けていたら、そうなるのも道理かと」


 諦めたように言う私に、夫ははっと顔色を変えた。


「お一人でゆっくりと考えたほうがよろしいわ」


 部屋を出ていく前に見た夫は、呆然と立っていた。



「というわけでね。情けないことに、私は子供に決着を着けさせてしまったの」


 隣を見ると、サルビアが扇に顔を隠してプルプルと震えていた。


「……花冠っ……帽子、花っ……も、笑いっ止められっ……」


 花冠のアンドリューを想像したらしい。他人事はさぞ面白かろうて。


「翌朝、朝食の席で夫が娘に『すまなかった』と謝ったのよ。それに長男が『やっとですか。妹にもですが、最も謝るべきはお母様では?』とさらっと言ったものだから、ね」


 夫はそのまま魂の抜けたような状態で、仕事に出掛けた。


 サルビアはしばらく爆笑の発作に耐え、はあはあと肩で息をしてやっと治まったようだ。


「さすが、貴女の子供ね。舌鋒が鋭いわ」

「もう、母親として不甲斐なくて」


 眉を下げる私をサルビアは楽しそうに笑った。


「少し気の毒だけど、アンドリューにはいい薬じゃないかしら。

そうそう。あの詐欺師がどうなったかご存じ?

そもそもあの男は魔道具師見習いだったそうよ。足りない知識で組み上げたがらくたを、最新型と偽って売っていたのですって」

「それは重大な事故を起こす可能性も……」

「ええ、幸運にも今までは魔道具が動かなくなる事例だけだったわ」


 あの時、警備隊が間に合わなければ最悪の事態もあり得た。今更、私は沸々と怒りが込み上げる。


「貴女の夫をもっと締め上げておけばよかったわ」

「ふふふ、それでこそユーカリよ」


 サルビアに言われて私は苦笑した。


 幸いにも、新しい回路を使った魔道具はその日に届き、以降は順調に稼働している。花も例年どおりに育っていて問題ない。


 夫は二、三日落ち込んで、娘が『大嫌いなんて言ってごめんなさい』と謝ってから少し回復していた。


「私は、何もできなかった」

 

 力なく笑う私に、サルビアは片眉を上げた。


「ねえ、もしもよ、私達が自分の親にそのような振る舞いをしたらどうなったと思う?」

「殴られた、と思うわ」

「でしょう? うちもよ。貴女の子供たちは両親に意見を言っても安全だと思っているのよ。それって信頼関係ができていると思わなくて?」


 その言葉に、胸を衝かれた。溢れそうになる涙をぐっと堪えていると、サルビアは尚も話し続ける。


「私達、そこそこやれていると思うわよ。今までみたいに一つずつ確かめながら行きましょうよ」

「そうね。それしかないものね」

「まあ、私は貴女の夫のような手応えのない男は無理だけど」

「奇遇ね。私も貴女の夫のような浮気者は無理だわ」


 二人で顔を見合わせて、ふふふと笑いあった。


 私達はこう生きていくと決めた。自分が大切に思うものに愛情を注ぎ、それが滑稽でも無様でも報われなくても、過去の私がそうしたかったように、せいぜい涼しく笑っていよう。間違いを教えてくれる家族もできたのだから。


 悪戯っぽい表情をしたサルビアが、私の耳にそっと顔を寄せた。


「楽しい話のお礼に、いいことを教えてあげましょう。

貴女の夫は買い物が壊滅的に下手だけれど、一つだけ大成功した買い物をいつも自慢しているの。それが、貴女。貧乏子爵家から貴女を買い上げて娶ったのが、子爵家史上一番の賢い買い物だったそうよ。『だから、この先全ての買い物を外してもかまわない、自分には妻がいるから』で会話をしめるの。もう聞き飽きたわ」

「えっ」

「ほら、始まるわ」


 客席の明かりが消え、幕が上がる。


 この胸の高鳴りは芝居への期待か、それとも再び燃え上がった愛情だろうか。ああ、せっかくの観劇なのに集中できない。長く連れ添った夫に、またこんな気持ちになるなんて。


 なんて幸せなことだろう。


 私は胸が締め付けられる思いで、シレーネの第一声を待っていた。

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