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第10話:異常なる特定作業・前編

 都内地下のサーバー・ルーム。

 青白い光が照らす暗室の中、田井中詩音の指先が狂気を帯びた速度でキーボードを叩き続けている。

 六つの巨大なモニターには、無数の動画データと解析プログラムのソースコードが滝のように流れていた。


「天狼聖の過去三年分の配信アーカイブ、合計四千八百時間……全件ダウンロード完了。これより、ターゲットのトラッキングを開始する」


 詩音が構築した自作の探索AIは、政府の治安維持用顔認識システムすら凌駕する代物だ。

 彼女は、先ほどの配信映像から取得した九朗の顔の骨格データ、歩行時の身体の傾き(歩容認証)、そしてあの無骨で汚れた『オレンジ色の科学耐性スーツのRGB値』をAIに学習させた。

 天狼は自己顕示欲の塊だ。ダンジョン内だけでなく、地上に戻ってからの打ち上げや、街を歩いている姿すらも頻繁に配信していた。その背景のどこかに、必ず「荷物持ち(ポーター)」として九朗が映り込んでいるはずだ。


『マッチング……1件検出』

『マッチング……14件検出』

『マッチング……258件検出』


 数秒後。

 AIが数千時間の動画をスクリーニングし、背景の片隅や人混みの奥に僅かに見切れていた九朗の姿を次々と抽出していく。

 重い荷物を背負わされ、下を向いて歩くオレンジ色の青年。天狼たちが高級レストランで豪遊するのを外で待たされている姿。理不尽な暴言を吐かれながらも、無表情で頭を下げる姿。


「……私の九朗様に、なんて扱いをしてるの。このゴミどもは」


 天狼の傲慢な姿が映るたび、詩音の漆黒の瞳にドス黒い殺意がよぎる。

 だが、今はこいつらを殺す(社会的に抹殺する)のは後回しだ。最優先すべきは、九朗の現在地を突き止めること。

 詩音は抽出された数百件のクリップの中から、「ダンジョン探索が終わり、天狼たちがパーティを解散して、九朗が一人で帰路につく瞬間」の映像だけをさらに絞り込んだ。

 だが、当然ながら天狼の配信カメラは天狼自身を追うため、去っていく九朗の姿はすぐにフレームアウトしてしまう。


「映像に映っているのは、いつも駅の近くで別れるところまで。……直接的な帰宅ルートは映っていない」


 普通なら、ここで諦めるか、探偵でも雇って物理的な尾行をさせるしかないだろう。

 しかし、詩音の口角は妖しく吊り上がっていた。


「なら、映像の『裏側』から探るまで」


 詩音が一つの動画をピックアップした。

 それは約二年前の冬。天狼たちが酒場へと向かい、九朗が裏路地へと一人で消えていく数秒間のクリップだ。

 詩音は映像の処理を捨て、音声データのみを抽出した。そして、ノイズキャンセリングと特定周波数の増幅フィルターを幾重にも重ねていく。


「天狼たちの馬鹿騒ぎの音声はカット。街の喧騒もカット……欲しいのは、遠くで鳴っている『環境音』」


 スピーカーから、サーッというホワイトノイズと共に、微かな音が拾い上げられた。


『カン、カン、カン、カン……』


「踏切の警報音。モーターの駆動ピッチと、スピーカーの音響特性……これは、京成線で使われている旧型の電磁式警報機」


 詩音の脳内データベースが、瞬時に音の正体を割り出す。

 しかし、京成線の踏切などごまんとある。これだけでは場所の特定には至らない。


「もう一つ。何か、特徴的な音……」


 詩音はさらにフィルターを調整し、低音域をブーストした。

 すると、踏切の音の奥底で、風に流されるようにして微かに鳴っている重低音が浮かび上がった。


『ウゥゥゥゥーーー……』


「夕方五時のサイレン……いや、音の波形が違う。これは工場地帯の終業サイレン。海風に乗って響く、千葉港周辺の工業エリア特有の重低音」


 詩音の瞳の奥で、無数の計算式が高速で組み上がっていく。

 彼女はマップソフトを立ち上げると、キーボードを滑らせた。


「マイクが拾った踏切の警報音と、工場のサイレンの音。音速は秒速約340メートル。二つの音がカメラのマイクに到達した『ミリ秒単位の時差』と、それぞれの『音の減衰率』から距離を逆算……」


 マップ上に、コンパスで円を描くように二つの波紋が広がり、そして特定のエリアでピタリと交差した。


「……出た。千葉県、海浜エリア周辺の数キロ圏内。この範囲のどこかに、九朗様のアパートがある」


 日本全国から千葉県の特定の区画へと、あっという間にエリアを絞り込んだ詩音。

 しかし、数キロ圏内にはまだ数万世帯がひしめいている。これでは「特定」とは呼べない。

 詩音はすぐさま次の行動に移った。環境音の次は、別のクリップ映像だ。


「さあ、もっと解像度を上げてあげる」


 詩音が開いたのは、九朗が天狼の荷物持ちとして、街の片隅で待機させられている昼間の映像だった。

 九朗は退屈そうに、コンクリートの電柱に寄りかかっている。

 詩音はその映像を一時停止し、ある「一点」を最高倍率で拡大した。

 彼女が見つめているのは、九朗でも天狼でもない。

 九朗が寄りかかっている電柱が、アスファルトの上に落としている『影』だった。


「クロノロケーション(影の長さと時間による位置特定)。……始めようか」


 詩音は映像のメタデータから、この配信が行われた「正確な年月日」と「秒単位のタイムスタンプ」を抽出した。


「配信日時は一年前の10月14日、14時23分41秒」


 次に、画面上の電柱の太さと、影の先端までの長さをピクセル単位で精密に計測する。

 日本の一般的なコンクリート製電柱(JIS規格)の長さと直径は規定されている。詩音はそれを基準に、画像内の遠近法パースを補正し、影の実際の長さをセンチメートル単位で弾き出した。


「日付と時刻が分かれば、太陽の軌道データから、その瞬間の日本上空の太陽の『方位角』と『仰角』が完全に導き出せる。そして、この影の長さを作り出せる太陽の角度と地表が交わる特異点は——」


 詩音の指先が、流れるようなタイピングで複雑な三角関数の計算式を弾き出していく。

 影の長さ、太陽の角度、そして先ほど環境音で絞り込んだ千葉県海浜エリアの緯度・経度データ。これらを全て照合し、マップ上の範囲を恐ろしい速度で削り落としていく。


 数キロ圏内だった赤い円が、みるみるうちに縮小していく。

 半径1キロ。半径500メートル。

 そして——最終的に、赤い円は特定の「三つの古びたアパート群」の上で停止した。


「……見つけた」


 詩音の口から、甘ったるい吐息が漏れた。

 冷房の効いたサーバー・ルームのはずなのに、彼女の体温は異常なほど上昇し、色白の肌が紅潮している。


「あの九朗様は、この三つの建物のどれかに住んでる。……でも、まだ足りない。私が欲しいのはエリアじゃない。『部屋番号ピンポイント』」


 あと一息。あと少しで、あの狂おしいほどに美しい生への執着を見せた「九朗様」のプライベートに完全に到達できる。

 詩音は恍惚とした表情を浮かべながら、モニターに顔を近づけた。

 デジタル空間から物理世界への境界線を越えるため、彼女の異常なストーキングは、さらなる狂気ディテールへと潜っていく。


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