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第1話:オレンジスーツの荷物持ち

 迷宮の薄暗い闇を切り裂くように、派手な雷光が弾けた。

 紫電が周囲の岩壁を照らし出し、空気を焦がす匂いが充満する。眩いエフェクトの中央で、身の丈ほどもある大剣を肩に担ぎ、カメラに向かって爽やかなポーズを決める青年——彼こそが、大人気パーティ『白銀の天剣』のリーダー、天狼聖てんろう ひじりだ。


「——ふぅ。みんな、見てくれたかな? これが俺のスキル【雷光ライトニング】だ。今日も危なげなくクリアだぜ!」


 天狼がカメラに向かってウインクを投げかけると、彼の視界に埋め込まれたARコンタクトレンズには、色とりどりのコメントと多額の投げスーパーチャットを示すエフェクトが滝のように流れ落ちた。


『天狼カッコいい!』

『聖きゅん最強! 今日のエフェクトも神すぎる!』

『さすがBランク! あんな巨大なオークを一撃とかヤバすぎ!』

『スパチャ10,000ゼニー:結婚してください!』


 天狼のスキルは、視覚的なエフェクトが極めて派手で動画映えする反面、エネルギー消費が激しく持続力がない。実のところ、自分より遥かに格下のモンスターを相手にした「安全な狩り」でしか使い物にならないハリボテの能力だ。

 だが、画面越しの素人視聴者を騙し、熱狂させるには十分すぎる代物だった。彼の身を包む一級品の素材で造られた白銀のブランド鎧の周りを、ギルド支給の最新型浮遊ドローンカメラが舐め回すように旋回し、彼のヒロイックな姿を全世界へ生配信している。


 ダンジョン探索は、今や世界最大のエンターテインメントだ。

 未知のバケモノとの命のやり取りすらも、高度なテクノロジーによってゲームめいたUIに変換され、安全な画面の向こう側にいる大衆の娯楽として消費される。危険と隣り合わせの「冒険」は、いつしか数字と再生数を稼ぐための「ショービジネス」へと成り下がっていた。それがこの世界の、狂った常識だった。


 ——だが、どれほど華やかなスポットライトの当たる舞台であろうと、そこには必ず、その光を支えるための薄汚れた「裏側」が存在する。


「……ッ、重ぇ……」


 光の届かない、カメラの絶対の死角となる岩陰。

 井藤九朗いとう くろうは、配信のフレームに絶対に入らないよう、息を殺して冷たい岩壁に張り付いていた。

 彼が身にまとっているのは、天狼のような眩しい鎧ではない。血と体液の汚れで赤黒く変色し、所々に継ぎ接ぎのある、分厚く不格好なオレンジ色の科学耐性スーツだ。密閉性の高いヘルメットの中は汗と自身の荒い呼吸で蒸れかえり、息をするだけで喉が焼けつくように痛む。


 彼の背中には、先ほど天狼たちが「見映えのために」無駄に派手な魔法で黒焦げにした、巨大なオークの死骸が幾重にも縛り付けられている。重量は優に百キロを超えていただろう。

 肩に食い込む分厚い荷縄が皮膚を擦りむき、腐臭を放つオークの体液がスーツの表面を滑り落ちて、九朗の重い安全ブーツを嫌な音を立てて濡らしていた。


(……この肉塊が、世界を狂わせているんだ)


 九朗は、背中の重みに耐えながらギリッと奥歯を噛み締めた。

 異界の生物であるモンスターの肉体は、現代の科学力を凌駕する万能素材『メタマテリアル』の塊だ。硬い骨は超合金となり、皮や臓器は新薬の材料として、現代社会において莫大な価値を持つ。


 ポーター(荷物持ち)。

 それが九朗の職業だった。冒険者ギルドという巨大な産業廃棄物処理場において、彼らのような底辺の人間は、決して「冒険者」とは呼ばれない。彼らは人間ではなく、ただの「動く台車」、あるいは「汚物処理班」として扱われる。


 九朗の網膜に張り付いた安物のARコンタクトレンズ。そこに表示されているのは、上位冒険者たちのような華やかなコメント欄でも、派手なスキル名でもない。


『所有スキル:なし』

『状態:疲労蓄積』


 ただそれだけの、無機質で冷たい初期ステータス画面だ。

 過去に行われた、ギルドのパッチテスト。そこで重度の『不適合アレルギー』と診断され、ドラゴンの血を受け入れるスペックがないとシステムから烙印を押された九朗には、永遠に埋まることのない残酷な空白だった。適合する体質を持たない者は、一生泥水を啜って生きるしかない。それがダンジョン社会の絶対のルールだ。


「——はい、一旦配信ストップ! お疲れ様でしたー!」


 取り巻きの一人が声を上げ、宙を飛んでいたドローンカメラの赤いランプが消灯した。

 その瞬間だった。

 先ほどまでカメラに向かって「みんなを守る正義の勇者」の笑顔を振りまいていた天狼の顔から、スッと表情が消え失せた。


「……チッ。クソ暑いんだよ、この鎧。おい、タオル」


 不機嫌極まりない冷たい声。取り巻きの魔法使いが慌てて冷えたタオルを差し出すと、天狼はそれを乱暴に奪い取り、汗を拭いながら岩陰の方へと歩いてきた。

 そして、百キロの死骸を背負って泥だらけになっている九朗を一瞥する。

 その目には、路傍の石や這い回る虫を見るような、純粋な見下しと嫌悪だけがあった。彼の目には、九朗は同じ人間としてすら映っていない。ただの不快な障害物モノなのだ。


「おい、ゴミ」

「……はい。天狼さん、お疲れ様でした。素晴らしい【雷光】でした」


 九朗は、ヘルメットのバイザー越しに深く頭を下げ、極めて丁寧な敬語で答えた。


「お前さぁ。さっき俺がオークにトドメ刺す瞬間、奥の岩陰で動いただろ。あやうく画角にその薄汚いオレンジ色が映り込むところだったぞ」

「申し訳ありません。オークの血が足元に流れてきて、体勢を崩してしまい——」


 ——ドスッ!!


 弁明の言葉は、腹部への強烈な蹴りによって遮られた。

 「がはッ……!」

 鈍い音と共に、重い死骸を背負った九朗の身体はバランスを崩し、無様に泥の地面へと転がり落ちる。嫌な音を立てて泥水を跳ね上げ、オレンジ色のスーツがさらに黒く汚れた。百キロの重しに押し潰され、肺から空気が強制的に絞り出される。


「言い訳すんなよ、不適合者の不良品が」


 天狼は、這いつくばって咳き込む九朗の頭を、硬い特注のブランドブーツで無造作に踏みつけた。

 ミシリ、とヘルメットの強化ガラスが嫌な音を立てる。


「お前らみたいな器のねぇゴミはな、俺たちみたいな『特別な血に選ばれた才能ある人間』を引き立てるための背景なんだよ。背景が自己主張すんじゃねえよ。絵面が汚れるだろ」

「……ぐっ、申し訳、ありません……天狼さん……」

「だいたいなんだそのオークの死骸の縛り方は。血が垂れて俺のブーツに跳ねただろ。このブーツ、海外の職人にオーダーメイドで作らせた数千万の特注品なんだぞ。どうすんだよこれ」

「……すぐ、拭きます……」


 九朗は反論一つせず、頭を踏みつけられた体勢のまま這いずり、自身の泥だらけの袖で上位冒険者のブーツの汚れを必死に拭った。

 周囲を取り囲む取り巻きたちが、「あははっ、マジで滑稽っすね」「犬以下のゴミっすわ」と下劣な笑い声を上げる。


 もしここで逆らえば、即座にギルドに報告され、このわずかな日銭を稼ぐ仕事すら失うことになる。

 屈辱で奥歯が砕けそうになる。ギリッと顎に力が入る。オレンジスーツの分厚いバイザーの奥で、九朗の瞳には、暗く、底知れないほど冷たい炎が宿っていた。


(……今は耐えろ。耐えるしかない。こいつらを殺すまでは)


 九朗の脳裏に浮かぶのは、薄暗い安アパートの壁に貼られた、一枚の古い新聞記事だ。

 数年前、ダンジョンからのモンスターが地上へと漏洩した凄惨な事件——『第十三地区・中規模魔群氾濫』。

 逃げ惑う人々の悲鳴。瓦礫の下敷きになった見慣れた家。そして、理不尽な異界の暴力によって引き裂かれた、家族の姿。

 あの日から、九朗の時間は止まっている。

 どれだけ泥水を啜ろうと、どれだけゴミのように足蹴にされようと、復讐を果たすまでは絶対に死ぬわけにはいかないのだ。


「おえっ、マジで臭ぇ。さっさと次の階層に行くぞ。おいノロマ、お前は俺たちの荷物と、そこの肉塊を全部持ってついてこい。少しでも遅れたら今日の報酬は全額カットだからな」


 天狼は、九朗の頭をもう一度軽く蹴り飛ばすと、ブーツの汚れを気にするように舌打ちをして歩き出した。

 取り巻きたちと下劣に笑い合いながら、再びカメラの前で「爽やかな勇者」の顔を作る天狼たちの背中を、九朗はただ無言で、泥だらけのまま見送る。


 彼の網膜の片隅で、空欄のステータス画面が虚しく明滅していた。まるで、システムそのものが九朗の存在価値を否定しているかのように。


「……承知いたしました。すぐに向かいます」


 深く、重い息を吐き出し、九朗は誰にも聞こえないほど静かな声でそう呟くと。

 再び百キロの肉塊を背負い直して、暗い迷宮の奥へと足を踏み出した。

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