第1話(5/19大幅改稿)
痛いほど眩しい紫電のエフェクトに、思わず目を細めた。
空気を焦がす匂いが鼻を突き、胃酸がせり上がってくる。光の中心で、身の丈ほどもある大剣を担ぎ、カメラに向かってわざとらしくキメ顔を作っている薄っぺらい男——俺の雇い主である、大人気Bランク冒険者パーティ『白銀の天剣』のリーダー、天狼聖だ。
「——ふぅ。みんな、見てくれたかな? これが俺のスキル【雷光】だ。今日も危なげなくクリアだぜ!」
天狼がウインクを投げかけると、ギルド支給の最新型浮遊ドローンカメラが媚びるように彼を旋回する。俺の網膜(AR)の端で同期している配信画面には、素人視聴者からの黄色い声援と、馬鹿みたいな額の投げ銭が滝のように流れ落ちていた。
無駄に派手でエネルギー消費だけが激しい、持続力ゼロのスキル。自分より遥かに弱いモンスター相手にしか使い物にならない「ハリボテ」だが、安全な画面の向こう側にいる連中を騙すには十分らしい。
命懸けの冒険? くだらない。今やダンジョン探索なんて、数字と小銭を稼ぐためのただの「ショービジネス」だ。
「……ッ、重ぇ……」
配信の画角に絶対に入らない死角の岩陰で、俺は息を殺して冷たい岩壁に張り付いていた。
俺が着ている分厚いオレンジの科学耐性スーツは、モンスターの返り血で赤黒く染まり、最悪な腐臭を放っている。密閉されたヘルメットの中は自分の汗と荒い呼吸で蒸れかえり、息をするだけで喉が焼けそうだった。
背中には、天狼たちが「見映えのために」無駄な魔法で黒焦げにした、巨大なオークの死骸が縛り付けられている。優に百キロはあるその肉塊のせいで、肩に食い込む荷縄が皮膚を擦り剥いていた。オークの体液が背中を滑り落ちていく感触が、たまらなく気持ち悪い。
(……この肉塊が、世界を狂わせてるんだ)
重みに耐えかねて、ギリッと奥歯を噛み締める。
こいつらの肉や骨が、万能素材『メタマテリアル』として馬鹿みたいな高値で売れるせいで、こんなふざけたショーが成り立っている。
俺の職業はポーター(荷物持ち)。この巨大な産業廃棄物処理場みたいな迷宮で、俺たち底辺は人間じゃなく「動く台車」として扱われる。
ARコンタクトの端に、俺自身の初期ステータス画面が虚しく表示されていた。
『所有スキル:ERROR』
『状態:疲労蓄積』
あの日、理不尽にダンジョンに家族を奪われた俺は、復讐のために力を求めた。莫大な借金を背負ってギルドの「ドラゴンの血の適合テスト(パッチテスト)」を受けた結果がこれだ。
何の能力も発現せず、出た結果は前代未聞のスキル『ERROR』。
適合する器を持たない不良品の烙印を押された俺は、何千万という負債だけを抱え、上位冒険者の奴隷として泥水を啜って生きるしかなくなった。
「——はい、一旦配信ストップ! お疲れ様でしたー!」
取り巻きの声と共に、ドローンの赤いランプが消灯した。
その瞬間、カメラに向かって「正義の勇者」の笑顔を振りまいていた天狼の顔から、スッと表情が抜け落ちた。
「……チッ。クソ暑いんだよ、この鎧。おい、タオル」
ひどく不機嫌な冷たい声。取り巻きの魔法使いからひったくるようにタオルを奪い、汗を拭いながら天狼が岩陰へと歩いてくる。
そして、死骸を背負って泥だらけになっている俺を、汚物でも見るかのような目で見下ろした。
「おい、ゴミ」
「……はい。天狼さん、お疲れ様でした」
俺はヘルメットのバイザー越しに深く頭を下げ、感情を殺して答えた。
「お前さぁ。さっき俺がオークにトドメ刺す瞬間、奥で動いただろ。あやうく画角にその薄汚いオレンジ色が映り込むところだったぞ」
「申し訳ありません。オークの血が足元に流れてきて、体勢を崩してしまい——」
——ドスッ!!
弁明の言葉を言い終わる前に、肺の空気が全部弾け飛んだ。
「がはッ……!」
腹部への強烈な蹴り。百キロの肉塊の重みごと泥水に叩きつけられ、無様に泥水をすする。スーツの中に冷たい泥が入り込み、屈辱で目の前が真っ白になった。
「言い訳すんなよ、不適合者の不良品が」
這いつくばって咳き込む俺の頭を、天狼の硬いブーツが無造作に踏みつけた。ミシリ、とヘルメットの強化ガラスが嫌な音を立てる。
「お前らみたいな器のねぇゴミはな、俺たちみたいな『特別な血に選ばれた才能ある人間』を引き立てるための背景なんだよ。背景が自己主張すんじゃねえ。絵面が汚れるだろ」
「……ぐっ、申し訳、ありません……」
「だいたい何だ、その死骸の縛り方は。血が垂れて俺のブーツに跳ねただろ。数千万の特注品だぞ。どうすんだよ、これ」
「……すぐ、拭きます……」
逆らえば、このわずかな日銭すら失う。
俺は頭を踏みつけられたまま這いずり、自分の泥だらけの袖で、天狼のブーツを必死に拭った。取り巻きたちの下劣な笑い声が、耳の奥でガンガンと響く。
ギリッと顎に力が入る。奥歯が砕けそうだ。俺はバイザーの奥で視線を床に落としたまま、どす黒い殺意を静かに煮詰めていた。
(……今は耐えろ。こいつら(モンスター)を殺し尽くすまでは)
「おえっ、マジで臭ぇ。さっさと帰るぞ。おいゴミ、遅れたら今日の報酬は全額カットだからな」
天狼が俺の頭を軽く蹴り飛ばし、取り巻きと共に踵を返した、その時だった。
——ドゴォォォォォォォンッ!!!
「……っ!?」
鼓膜が破れるほどの轟音が響き、迷宮の天井が爆発したかのように吹き飛んだ。
大量の瓦礫と土煙が頭上から降り注ぐ。その真っ只中、岩盤をぶち破って「それ」は降ってきた。
四本の鎌のような鋭い巨大な脚。漆黒の甲殻。大型バスほどもある、蜘蛛とカマキリを混ぜ合わせたような異形のバケモノ。
「なんだ、あれは……!?」
「ギチ……ギチギチギチィッ!!」
全身の毛穴が一気に開いた。こんな浅い階層に出るバケモノじゃない。法則を完全に無視した突然変異……『イレギュラー』かよ!
「な、なんだこいつ!? この階層に出るはずねえだろ!?」
天狼が声を裏返らせて後ずさる。パニックになりながらも大剣を構え、自慢の【雷光】を力任せに放った。
だが、俺の目を焼いたあの眩い紫電が直撃しても、バケモノの漆黒の甲殻には焦げ目一つ付かない。
「ウソだろ……俺の最大火力が、全く効かねぇ……!? ひ、ヒィィッ!?」
バケモノが巨大な鎌を無造作に振り下ろした。
岩壁が豆腐のように両断され、さっきまで俺を笑っていた取り巻きの魔法使いが、一瞬にして真っ二つに裂かれる。
生暖かい血の雨と内臓が降り注ぎ、天狼のオーダーメイドの白銀の鎧を赤黒く汚した。
「あ、あああ……嫌だ、死にたくない、死にたくないッ!!」
先ほどまでの「正義の勇者」の面影など見る影もない。天狼は股間を濡らしながら、みっともなく鼻水を垂らしてへたり込んだ。
勝てない。あんな見掛け倒しの力で勝てる相手じゃない。
恐怖で醜く歪んだ天狼の目が、泥水に這いつくばっている俺を捉えた。
「……おいゴミ!!」
「——なっ!?」
天狼が俺の胸ぐらを掴んだ。恐るべき腕力で、俺の身体をバケモノの真正面へと力任せに投げ飛ばす。
宙を舞う視界の端で、天狼がドローンカメラすら見捨てて、一目散に出口へと逃げていくのが見えた。
「ギシャァァァァッ!!」
ドスッ!!
腹部に、焼け火箸を突っ込まれたような激痛が走った。
バケモノの巨大な脚が、俺の腹を完全に貫通していた。
「ガハッ……! あ……っ」
ごぼっ、と口から鉄の味がする血が溢れ出す。視界が真っ赤に明滅し、ARコンタクトから『生命活動低下』の無機質な警告音が脳内に響き渡る。
痛い。熱い。息ができない。
死ぬ。確実に死ぬ。あんなクズの肉の盾にされて、こんな理不尽な暗闇の中で。
だが——。
(……ふざけるな)
薄れゆく意識の中で、俺の心臓の奥底にあった「冷たい炎」が、爆発的な熱を帯びた。
俺の家族を奪った、このクソみたいな迷宮。
俺を虫ケラのように見下し、盾にして逃げた天狼。
俺に『バグ』の烙印を押した世界そのものに。
(俺は……こんなところで、死んでたまるかァァァァァッ!!)
腹を貫かれたまま、俺はバケモノの硬い脚に両手でしがみついた。
薄れゆく意識の中、パッチテストを担当したギルドの白衣の言葉が脳裏を過る。
『——いいか、能力がないからって、未加工のモンスターの肉を直に喰らって因子を取り込もうなんて馬鹿な真似はするなよ? 適合できずに、たちまち水風船みたいに破裂して終わりだ。まぁ、死ぬ直前の数分間だけは一時的な超強化がかかるかもしれないがな』
……上等だ。
どうせ死ぬなら、せめて一時的なバフでこいつの喉笛くらいは食いちぎってやる。
俺は狂気に染まった目で目の前にある漆黒の装甲を睨みつけると、そのわずかな隙間に向けて、自らの牙を力任せに突き立てた。
「——喰ってやるッ!!」
ブチィッ!! という生々しい音と共に、バケモノの生肉を直接食いちぎる。
ドブのような臭いと強烈な鉄の味が口いっぱいに広がり、高濃度の血肉が俺の食道を通って胃の腑へと落ちた。
「ガァ、アァァァッ!?」
その瞬間、全身の血管が爆発するかのような激痛が走った。
口から、鼻から、そして腹の傷口から、致死量を超えるおびただしい量の血が噴き出す。視界がグニャリと歪み、全身の細胞が「拒絶反応」で悲鳴を上げた。
(ああ……終わる。やっぱり、因子に耐えきれずに破裂する……)
そう覚悟して、完全に意識を手放しかけた、まさにその時だった。
『——警告。想定外の高濃度因子を検出』
『システムに致命的なエラーが発生しました』
『——【ERROR】の深層のロジックを強制起動します』
俺の網膜で、無数のバグ文字が激しく暴れ回り、やがて一つのクリアな文字列へと変貌を遂げた。
『【捕食】および【細胞の再構築(メタマテリアル化)】を開始』
ドクンッ……!!
俺の心臓が、まるで別次元のエンジンのような異音を立てて脈打った。
直後、腹に開いた致命傷の穴が、凄まじい熱を持って肉芽を膨らませ、瞬時に塞がっていくのが分かった。それだけじゃない。喰らったバケモノの『因子』が俺の細胞と同化し、全身の筋繊維が鋼鉄のように高密度なものへと作り変えられていく。力が、底なしに湧き上がってくる。
「ギチ……!? ギィァァァッ!?」
俺から立ち上る異質なプレッシャーに本能的な恐怖を感じたのか、バケモノが俺を引き剥がそうと暴れ始めた。
だが、遅い。
俺は貫かれていたバケモノの脚を片手で掴むと、そのまま「メキィッ!」という音と共に、素手で力任せにへし折った。
ドスリ、と泥水の中に着地する。
「な、なんだ……俺の身体、どうなってる……!?」
破裂するはずだった肉体は完全に再生し、逆に、バケモノの脚を素手で叩き折るほどの異常な力がみなぎっている。頭の中が混乱で真っ白になる。
ただの無能力だったはずの『ERROR』。【捕食】?【細胞の再構築】?
——ギシャァァァァッ!!
戸惑う俺に向けて、脚を折られたバケモノが残りの鎌を怒り狂って振り下ろしてくる。
だが、その致命の一撃が、今の俺にはまるで「止まって」見えた。
血まみれの顔を上げた俺の視界は、今までにないほどクリアだった。理解が追いつかなくても構わない。この身体の内底から湧き上がる、圧倒的な暴力の衝動にだけは逆らえなかった。
「……理由は分からねえが……一つだけ確かなことがある」
俺は自然と口角を吊り上げた。
「——今度は俺の番だ」
絶望の底で力を得た俺は、狂ったような笑みを浮かべ、巨大な怪物の懐へと音速で踏み込んだ。
天狼が起動・放置していった『サブチャンネル用』のドローンカメラが、俺のこの異常な覚醒と圧倒的な蹂躙劇を、世界中のネットワークへと静かに「生配信」し続けていたことを。




