笛音
「どうだ?」
「まぁ、臭うっちゃあ臭うな」
「マジか。消臭剤かけとこ」
宿屋の一室にてハンガーに掛けた戦闘服に消臭剤を掛ける。
帰ったらちゃんと洗濯しないと。
「しっかし、町の近くに家畜の死骸か。魔物が近くにいるなら出番があるかもな」
「要請があればな。支部にもメンツがあるし、たぶんないけど」
「つまんねぇ! 退屈で死にそうだ!」
二つあるベッドの片方にダイブしてフォンが跳ねる。
その気持ちも理解できた。
「シオンはこれに数ヶ月耐えたんだろ? 信じらんねぇ」
「最初は俺も耐えかねたよ。山のようにあった書類仕事で暇を潰してた。あと暇が出来るたびにユキと会ってたな」
「ふーん、それであんなに距離が近いのか」
「まぁな。お互いに話が合う唯一の相手だったし」
今はもう違うけど。
「二人ともー、お茶会よー」
扉がノックされてイリーナの声が聞こえてくる。
「お茶会だとさ」
「礼服に着替えたほうがいいかな」
「あんたの礼服はいま異臭を放ってるぞ」
「じゃあ止めとこ」
部屋を出て隣りの扉をノックする。
「お入り―」
ノブを捻って扉を開くと、戦闘服のイリーナと私服姿のユキに出迎えられる。
やはり戦闘服はすこし臭ったらしい。
ユキも俺の格好を見て同じことを思ったのか、くすりと笑っていた。
「女の花園へようこそ」
「お茶が入りましたよ」
「例の花か」
「例の花?」
「二人で摘んでたんだよ。その途中であれを見付けた」
「あー」
得心が言った様子で腰掛けた。
お茶請けも出してもらい、全員に紅茶カップが行き渡る。
「いただきます」
ユキの言っていた通り、花弁を混ぜた紅茶は格別の味がした。
§
夜に口笛を吹くと蛇が出る。
そんな故郷の諺が思い浮かび、目を覚ました。
「笛の……音か?」
どこからか笛の音がする。
風の音かとも思ったが、どうやらそうではない。
はっきりとした音色が響いている。
室内からではなく、窓の外から届いているようだった。
「こんな夜更けに……」
携帯端末を確認すると、時刻は深夜三時ほど。
近所迷惑甚だしい。
どんな奴が深夜に笛の練習をしているのかと窓へと近づいて覗いてみる。
すると、窓越しに大勢の人を見た。
まるで夢遊病かなにかのように多くの人が肌して道を歩いている。
その奇妙な光景にぞっとしつつ、町に何か異変が起こっていることを確信した。
「おい、フォン。起きろ」
窓に張り付いたままフォンに声を掛けて起こす。
ベッドが軋む音がして立ち上がるのがわかった。
「外の様子が変なんだ。フォンも――」
空気を斬り裂くような鋭い音が耳に届き、反射的に身を躱す。
目と鼻を掠めて行ったのは、握り締められた拳。
硬質化して鋼と化したそれが窓を打ち破り、けたたましい音と共にガラス片が散る。
「おいおいおい、どうしたんだ。いったい」
声を掛けても返事はない。
聞こえるのは窓が割れてより鮮明になった笛の音だけ。
フォンはまるで別人になったかのようにふらりと揺れ、拳を握り締めた。
その表情はうつろで、なにを考えているのかわからない。
「正気か? フォン!」
名を呼ぶが効果はなく、また殴りかかられる。
直線的なそれをまた躱し、今度は拳が扉を貫いた。
「正気じゃなさそうだな。ってことは原因は――」
言うまでもなくこの笛の音だ。
「掻き消せば元に戻るか?」
音は逆位相の音をぶつければ掻き消える。
鳴り響いている笛の音のパターンは一定で繰り返し。
その逆位相の音を魔法で鳴らし、笛の音を掻き消した。
「どうだ?」
一瞬、フォンの動きが止まったように見える。
しかし、次の瞬間また動き出した。
「くそッ」
振り抜かれる拳を躱して壊れた扉へと向かい、廊下に出る。
「防げはするけど解けはしないか」
笛の音で可笑しくなっているのはたぶん間違いない。
俺が正気でいられているのは音魔法の使い手だからだろう。
「ってことは」
隣りの部屋から銃声が鳴り、扉にいくつか風穴が空く。
銃口を向けられたのはユキだ。
「ユキ!」
すぐに穴の空いた扉を開くと、拳銃を構えたイリーナと、その正面に立つユキがいた。
「くそッ」
すぐに拳銃を弾こうと刀に手を掛けるが、ユキに手で制される。
「大丈夫ですよ。正気に戻しましたから」
「戻した?」
「んんー……あれ? あたしいつの間に起き……え? なんでユキちゃんに突きつけてんの? こわっ」
イリーナはすぐに拳銃を下ろす。
たしかに正気に戻っていた。
「どうやったんだ?」
「ふふーん。私は魔女ですので」
「あぁ、そういう魔法があるのか」
人の正気を戻す魔法か。
「やっぱり原因は笛の音か」
「そうですね。先ほどからずっと――」
「シオン、後ろ!」
その言葉を聞いて、反射的に身を屈む。
その直後、頭上を鋼の拳が過ぎていく。
「――いっけね、忘れてた」
前方に転がるようにして距離を取る。
「ユキ、フォンも頼む。正気に戻してやってくれ」
「はい。すこし響きますよ」
拳を掲げて迫るフォンに手の平を向け、波動のようなものが飛ぶ。
それにに飲まれたフォンはその場で立ち止まり、掲げていた拳も下に落ちる。
「んあ? あれ、俺なにして? んん?」
そしてフォンも無事に正気に戻った。




