釣鐘草の灯
〈トト〉は“幻人”の集落に向かった。
先程出会った青年、ミリオン=ワンに於いての報告をする為にだ。
大地に根付く植物と気象との調和を代々に保つことが“幻人”の使命だと〈トト〉は物心がつく前から教えられていた。
ミリオン=ワンへの第一印象は、風変わりな性質。しかし、言葉を交わして直感したのは、誠実性。
“幻人”の《長》はわかってくれる、と〈トト〉は胸を弾ませていた。
***
集落の中心に《長》の住まいはあった。
東西南北に物見櫓がそびえ立ち、高い塀が集落を囲っていた。
《長》と接見が赦される者は、限られていた。
“幻人”は時代を見て平等にする為に『称号』を奉っていた。
《長》は『称号』の姿を視ること、声を聴くことが出来ると“幻人”の間では讃えられていた。
しかし、一方で《長》は長蛇の列をして『称号』へ伝えて欲しいという“幻人”との接見に疲労困憊状態となってしまった。
《長》に仕える役人は“幻人”に御触れを公布した。
《長》は次期『称号』を選抜する。立候補は自由だが『称号』の適性を見極めるーー。
そして、次期『称号』候補として選ばれたのは〈トト〉とノームという“幻人”の青年だった。
〈トト〉は塀が聳える門前で立ち往生していた。
門番が言うことには、次期『称号』候補が《長》と接見するのは月に一度一名限定、しかもたった今取り次ぐをした。
〈トト〉がどんなに《長》との接見を求めても門番は頑くな態度を示していた。
次の月を待つなんて出来ない。火急な用件だと〈トト〉は門番に言い迫る。
「規則は規則です。お願いですから、お引き取りください」
門番のひとりが困惑した面持ちで〈トト〉に向けて両手を翳した。
〈トト〉は、目から溢れる涙を身に纏う衣装の袖口で拭う。
門番はお互いの顔を見ながら溜息を吐く。
「日暮れになるまで根比べをするつもりなの?」
ふたりの門番の背後で女性の声がした。
「ミカドさん、そのような訳ではないのです。ただ、我々はーー」
「これだけ〈トト〉が懸命になってるのに、しかも本当に緊急性がある話だったら、責任は追い返したあなたたちにかかっちゃうでしょうね。今の仕事を失ったら誰が困るのかなんて、考えたことあるの?」
ミカドと呼ばれた女性は、ふたりの門番を睨み付けた。
「……。ミカドさん、ありがとう」
「頭が硬い『おじさん』でこっちも困っているわ。案内するからついてらっしゃい」
ふたりの門番は青ざめた顔をして〈トト〉に《長》の住まいへと続く路を開けた。
〈トト〉はミカドに連れられてまだ先にある《長》の建屋を目指した。
途中で見る景色は低樹木に赤紫色の花が咲き誇り、鼻腔を擽らせるのは、食事の用意の真っ只中だろうと思われる美味しそうな匂いが風に乗って漂っていた。
建屋内で夕暮れに合わせるように灯籠に明かりを灯すのは、花びらを背負って翔ぶ〈ウッドブリンク族〉だった。
「ミカドさん、私が《長》に会いたい理由を訊かなくて良いのですか」
「『さん』はいらないと、いつも言ってるでしょう。私たちはそんな堅苦しい仲ではないの。と、いうのは《長》も知っている」
「ミカドはさっぱりとしている性分ね。私も見習いたいわ」
「私は〈トト〉のしとやかさを習いたいけどね」
〈トト〉とミカドは「くすくす」と笑う。
そして、漸く《長》が居るだろうのそびえ立つ建屋の目の前に辿り着いた。
***
《長》が来賓者を最初に招く応接間には誰もいなかった。
「《長》は、何処にいる」
ミカドは、建屋内の廊下に柱に吊るす行灯に明かりを灯す使いの“幻人”に尋ねた。
「晩餐の為に来賓の間に行かれましたよ。おや、そちらのお方は次期『称号』候補の〈トト〉様ですね。と、いうことは本日は《長》はいよいよ正式に次期『称号』を決められるのでしょうか」
使いの“幻人”が言うことに〈トト〉とミカドは驚きを隠せない顔を向け合う。
「話が食い違っている。私は《長》からそんな伝達事項は預かっていない」
ミカドは〈トト〉に首を横に振りながら言う。
「急遽に《長》が使いの方々に晩餐を執り行うようにとおっしゃったかもしれませんよ」
「『晩餐』ではなくて、次期『称号』の任命についてだっ!」
〈トト〉はミカドのいきりたった、荒々しい顔つきや態度に思わず後退りをした。
「ごめん〈トト〉」
ミカドは今にも涙を溢しそうな〈トト〉に頭を下げた。
「ミカドは《長》の一番使いですものね。動揺する気持ちは私も察してます。でも、私は《長》に会う目的は『称号』についてお話しをしたいのではないの。もっと別な……。いえ、基本的な事を私が伝えないといけないことだと、思ったの」
〈トト〉は、ミカドに一度背中を向けて、振り返りながら笑顔を見せた。
「乱闘騒ぎ……。を、したいところだけれど〈トト〉は嫌がるだろうから、なるべく和平交渉をしてみよう」
「穏便に、平常心を保ってをしてね。ミカド」
そして、ミカドは〈トト〉の手をひいて来賓の間へと板張りの長い廊下を駆けていったーー。
***
来賓の間では、侍女によって運ばれた皿に盛る豪華な食事が、檜の板床に敷かれる赤く染められている木綿の敷き布の上に次から次へと置かれていた。
「《長》わたしの突然の申し出に華やかな宴を、よくぞ賛同されたものですな」
「客をもてなす。手ぶらで帰すはあまりにも失礼だと、ワシの考えだ」
「本来ならば《長》が務めることは使いに代行をさせている。言い換えれは《長》は屋敷で『ご隠居』生活と言うのは、失礼なお言葉でしょうね」
蒼い装束を身に纏う《長》は髪も髭も長く垂らして、しかも真っ白だった。一方《長》が〈客〉としてもてなす者は、薄紅色の髪を肩まで垂らして瞳の色は深緑。身に纏う衣装は、一枚布を被るを彷彿させる朱色の装束の青年だった。
「今は、そなたと呑み食いを堪能しているのだ。さあ、大いに呑んで食ってを楽しみなされ」
《長》は青年が持つ酒の器へと徳利から酒を注ぎ込んだ。
青年は器に口をつけて中身を一気に飲み干す。
「《長》は酒が強いですな」
「いや、いや。もう、これ以上は呑めぬ。そなたがワシの分まで呑むのだ」
《長》は青年が差し出す徳利を右手で押し返した。
ーー《長》余興の準備が整いました。ご来賓のお方と是非、ご覧になって下さいませ。
《長》が声に振り向くと、朱色で染まる絹の反物を顔に覆う女性らしき姿が目に映った。
「……。演目は、何と言うのだ」
《長》は目蓋を綴じて訊く。
「『釣鐘草の灯』です。急遽な宴ということで即興ですが、最後までご覧になって下さいませと、申し上げます」
「余興をするには此処では狭いだろう。演舞の間を開放する、準備の間に予行をしとくのだ」
《長》は腰をあげて使いの男に合図をすると、女性を横切って来賓の間から出ていった。
場所に残る青年は「ふ」と、顔を厳つくして吹き出した。
「ノーム、おまえは酒に酔った《長》から『何か』を発言してほしかっただろうが、考えが浅はかだったな」
同じく残っている女性が、青年をノームと呼んで言う。
「わたしは《長》の芝居に付き合わされた。と、そなたは言いたいのであろう」
ノームは《長》が座っていた膳にある徳利を右手に掴んで口につけると、床に叩きつけて割る。
「おまえにとっては、最高に酔える酒を味わったのだ」
「『水』か……。ミカド、余興を披露するの何者だ」
「《癒しの女神》だ。私が《長》の立場だったら、彼女こそ次期『称号』だと、鶴の一声だけどな」
ノームにミカドと呼ばれた女性は、顔に被る反物を剥いで手を離す。そして、ノームの足元に落ちると同時に翻して去っていったーー。