(24) 氷原王の戦術<2>
・・・
俺は、その知らせを聞いて眉を顰めた。
「これって…。まるで攻め込んでくれ…って言ってるようなもんだよな?」
「それ以外に考えようがありません。レオノラント隊長。ご決断を!」
まじめを絵に描いたような副官が、背筋を正して言う。
俺より間違い無く有能な副官がそういうなら、それに従うべきなのだろうが…。
「ちょっと…だけ。ちょっとだけ考える時間をくれないかな?」
「分かりました。しかし、あまり時間はありませんよ。おそらく、氷原国側からの侵攻が始まるのは間も無くかと…」
「君が言うんなら…きっと、そうなんだろうけど。万が一それが間違いだったら、逆に氷原国に侵攻の口実を与えてしまうことになるんだよ?…ファーマス様がいらっしゃれば、正しい選択を簡単にお選びになるだろうけど…」
「お心がお決まりになりましたらお呼び下さい。あちらで控えておりますので」
副官は俺の言葉に、やはり真面目な顔で頷くと、胸の前で両手の平を下に向けて広げる敬礼をしてから俺に背を向けた。
俺は、走り去って行く副官の背中を見送りながら考えた。
「何で俺が…こんな目に?」
・・・
数日前から連合は、それまでの劣勢を一気に巻き返そうと猛攻をしかけてきていた。
だが、元々命令系統の違う複数の国の従者隊は、個々の能力は別としても、その連携が上手くとれておらず、良く訓練された我が碧色の森泉国の前にはさしたる脅威ではなかった。
特に基盤世界の中でも最小の白暮の石塔国の従者隊の動きは際だって悪かった。
単独の部隊としても精彩を欠いていたが、どうも他の国との信頼関係に問題が生じているらしく、完全に戦術上の穴となってしまっていた。
お陰で、連合側が一時我が森泉国軍を圧倒する猛攻を見せ、こちらが窮地に陥りそうな苦しい状況になっても、石塔国の良く目立つ白とグレーを基調とした鎧の部隊を突破口として突けば、容易に窮地を脱することが可能だった。
そのような戦況の中、ファーマス様のご帰還にダルガバス宰相の失脚劇が、呆気ないほどの短時間で幕を閉じる。
まさに電光石火という表現がピッタリの見事な襲撃で、ダルガバスたちを無力化したファーマス様とマルルィア様。
ダルガバスの失脚劇は、いつ幕が上がったのか分からないほど迅速に進行した。
、お陰で、本来なら役目上、ダルガバスを守って不本意ながらファーマス様やマルルィア様と戦わなければならなかったハズの俺が、その失脚劇の存在を知ったのは全てが終わった後だった。
・・・
きっとお優しいファーマス様のことだから、嫌々とダルガバスに従わされている多くの従者を傷つけずに済むように、最小の影響に収まるようご配慮くださったんだと思う。
そんなわけで、再び我が国に起こった政変…良い状況に戻ったとうことだが…については、まだ連合側は知らないと思う。
そもそも、ダルガバスが前王を弑逆したことや、ファーマス様やマルルィア様が幽閉されていたことは、我が森泉国でもほとんど知る者がないんだから。
しかし、不思議なことにそれと時を合わせるようにして、連合側の従者隊の動き…特に石塔国の従者隊の動きが、見違えるように良くなってきたんだ。
そのため、連合側に覚られないように引き時を図っていた戦況が、一気に劣勢へと傾いてしまうことになる。
そりゃそうだろ?…だって、ダルガバスが失脚した今、無意味に領土を獲得しようと頑張ったってしょうがないんだから、戦場にいる部隊はある意味、明確な目標を失った状態にある。そういう状態では、良い闘いなんか出来るワケがない。
単純に考えれば、戦う理由が無くなったんなら、「ごめん」と素直に詫びて、連合側に停戦を呼びかければ良いんだけれど…信じないよな。そんなコト、手の平を返したように突然、言ったってさ。
元々、俺たち自身でさえ理不尽に感じるような無理な侵攻を始めたのは紛れもなく森泉国側で、連合側としては自分たちの領土を守るために必死なだけなんだから。
俺たちが突然に停戦を持ちかけたって、罠か何かだって思うに決まってる。
・・・
実際、それなりのお土産付きで、休戦協定を持ちかけてみたんだけど…その後、逆に余計に頑なになっちゃって、戦線を維持するのに一苦労なんだから。
そうなってくると我が森泉国としても、さすがに敗北で終わる…ってわけにはいかないから、ある程度気合いを入れて勝ちの状況にまで持って行かなきゃならなくなる。
勝った方からなら、度量の広いところを見せて連合側にも少しは花を持たせてやったりとかして、できるだけ後々に禍根を残さないような配慮をしたりもできるけど…負けちゃったら、間違い無く辺境小国の領有権を連合に根こそぎ持って行かれちゃうからね。
そんなわけで、俺は才能も無いのに、そんな頭を使った駆け引きが必要な戦況に放り込まれた己の身の不幸を呪いながら、頭を掻き毟っていたんだけど…。
どうも連合側の動きにも、腑に落ちない点があるんだな。
勝ちの形で終わるために、今度はある程度積極的に連合側、具体的には石塔国へと繋がる第三象限第一内回廊方面へ、積極的に攻め入ったんだけど…あまりにも手応えが無く、気味が悪いほどどんどんと侵攻できてしまう。
確かに、一時は我が軍が占拠していた場所ではあるが…その後で当然のことながら必死の反撃に遭い、補給線の問題や狭い戦場での部隊展開の困難性から既に奪い返されていた場所なんだけど…
何故か今回は、するすると侵入できてしまう。
俺は、逆に慌ててしまったぐらいだ。
・・・
おいおい…これじゃ石塔国自体を占領できちまうじゃないか?…何やってんだよ、石塔国の従者隊は?…と、思わず口にしてしまい、副官にギロリっと睨まれてしまった。
自分の所の従者隊の活躍を褒めもせずに相手の心配をしたら、そりゃ…怒るよね。
俺は、素直に副官に詫びを言った上で、撤退の指示を出した。
当然、罠の恐れを疑ったからで、副官もそれには同意してくれた。
その判断が少しでも遅れてたらやばかったな。
だって、案の定紫煙の湖上国側の国境から、その直後に大攻勢を受けたんだから。
そのまま、湖上国に面した領域を連合側の自由にさせれば、第一内回廊に展開した前線部隊は孤立し、我が国側…つまり背後から連合に攻められてしまう。
つまり、狭い回廊内に閉じ込められて前後から挟撃されてしまうということだ。
もしそうなれば、仮に挟撃に耐えることができたとしても補給線を絶たれてるから、第一内回廊へ送り込んだ精鋭部隊が全滅するのは時間の問題だってことになってしまう。
じゃぁ、それを防ぐために俺たち森泉国軍はどうすれば良いか…といえば、別に難しい話ではなく、湖上国との国境での戦線を維持しつつ、第一内回廊へと繋がる森泉国側の一帯に今まで以上の部隊を送り込んで、いわゆる橋頭堡を確保すればいい。
臆病な俺が比較的早めに撤退の指示を出したことで、すんでのところで挟撃状態へと追い込まれるのを防ぎ、橋頭堡の確保にも成功した。
胸を撫で下ろす俺の横で、副官が「お見事です」と言ってくれたけど…ハラハラしたよ。
・・・
連合側がこっちを罠に嵌めたつもりだったとしても、さっき言った戦術上での橋頭堡を確保できてしまえば、その瞬間にこの状況は罠としては機能しなくなる。
さあ、連合側は、どう出るかな?…と思っていたら、湖上国からの猛攻はその後も止むことがない。
そして、石塔国の従者隊といえば、こちらも相変わらず動きが悪いままだ。
こうなると…我が森泉国としては、どうしても石塔国側へと攻め入らずにはいられない。
動きが悪いからといって石塔国の従者隊を放置し、湖上国との戦いに没頭すれば、今度は石塔国に背後を突かれ、やはり挟撃される危険があるからだ。
さすがに、頭の悪い俺でも…これは何かおかしい?…と感じてしまう。
これじゃ、まるで石塔国を攻め滅ぼしてくれって言われてるみたいじゃないか?
元々、国力も戦力も最小の弱小国だ。
連合からの援軍が期待できたとしても、その狭い国土が主戦場になってしまえば、占領されるのを防いだとしても…壊滅的な被害は免れようがない…だろ?
何か策略があるのかもしれないけれど、我が森泉国相手に必ずしもその策略が成功するとは限らない。そんな危険を冒してまで、成否の定かではない罠を仕掛けてくるなんて…ちょっと正気の沙汰とは思えないんだよな。
それで偵察従者隊に命令して、俺が「穴」と表現したくなるぐらい動きの悪かった石塔国の従者隊を観察させてみたんだけど…我が軍に押されて撤退を繰り返すときの様は、むしろ非常に見事な部隊運用が出来ているように思える…とのことだった。
だから、頭の悪い俺は、連合側の意図が読めなくて少し頭が混乱してしまった。
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あからさまに攻め込んで下さい…と言われているような状況だけど、政治を知らない俺に、そんな重要な判断ができるわけがない。
だって、そうだろ?
小国とはいえ、全部で7つしか国の存在しない…この基盤世界で、もしも俺が調子に乗って勝手に占領なんかしてしまったら…。
今は一応の中立状態を守っている氷原国も、さすがに黙ってはいないだろう。
今ある国土や国力の差が、ほぼ倍に広がってしまうということを意味するんだから。
湖上国に至っては、我が国にぐるっと包み込まれるような形になってしまうから、それこそ死にもの狂いで石塔国の領有権を奪取しようとしてくるだろう。
…あ。ひょっとしたら、これが湖上国の仕組んだ罠だとしたら…それが狙いか?
いや。でも、仮に石塔国が湖上国に組み込まれたとしたら…今度は石塔国の向こう側にある金蜜の砂礫国が黙っていないだろう。
石塔国の領土を併合した場合の湖上国の大きさは、氷原国を僅かながら超えることになり、つまりは基盤世界で第2番目の強国に踊り出るということだから、そんな大国と国境を接することになる砂礫国は、おちおち眠ってもいられなくなるに違い無い。
となると…当然、その向こう側にある赤熱の溶岩国は、砂礫国か又は氷原国側に国境を接する薄紅の桜花国との合併を考えざるをえなくなるだろう。
ファーマス様が不在な時に、こんな政治的な判断をしなきゃいけない局面を迎えてしまうなんて…。
・・・
再び「何で俺が…こんな目に?」と、不毛な逃避の思考に淵に嵌ってしまった俺。
でも何が切っ掛けなのかは分からないけど、それまで全然俺に懐いてくれてなかった双子の王が、急に俺に親しげに接してくれるようになって、幼いながらも自信に満ちあふれた口調で助言をしてくれたんだ。
『動かしたがってる相手には、動かないことだよ』…と。
全然意味がわからなかったが、取りあえず俺は双子の王の助言に従い、石塔国領内へのそれ以上の侵攻は止め、第一内回廊からも従者隊を退いて橋頭堡とした我が国領内の区域だけに戦力を増強した。
しかし、その後も性懲りもなく連合は激しく攻め込んでは来るものの、我々が反撃すると驚くほど簡単に撤退し、まるで攻め込んで来てくれと言わぬばかりに連合側のエリア内深くまで退いていく。
やはりどう見ても、それはあからさまに我が国の従者隊を連合側の奥深くへと誘い込もうとするかのような…俺から見ても下手くそな演技だった。
だが、さっきも考えたとおり、この戦いを仕掛けたダルガバスが失脚し逃亡してしまった今となっては、我が国の側に連合側へ侵攻しようという意志はもうない。
当然、連合側が想定した状況とは違って動かない我が国と彼らとの間で、戦況は見事に硬直してしまい、互いに無駄な消耗を繰り返しているような状態になってしまう。
不毛だ…とは思っても、俺には何をどうして良いのか全くお手上げだ。
・・・
そもそも、今回の連合側の猛攻は、我が国とは中立の約定を交わしていたはずの氷原国が連合に加入したことを受けてらしかった。
確かに、石塔国の従者隊に混じって1個中隊程度、氷原国の特徴的な銀の戦闘衣を被った従者隊が機敏に動き回っている…との知らせは受けている。
だが俺は、それは連合側の浅はかな嘘だと思っていた。
嘘というか、情報操作。
連合側は5国から成るとはいえ、敵であるところの我が国と直接的に国境を接するのは湖上国と石塔国の2国のみだ。今のところ、他の3国はその2国ほどの危機感は抱けていない状態だろう。
実質的には、湖上国と石塔国の2国を合わせた程度の戦力としてしか、連合軍は機能できていない。
だから湖上国や石塔国としては、このままこの戦いが長引けば非常に困った状況になると、さぞ危惧しているに違い無い。
知略で名高い氷原国王ほどではないが、湖上国の議会にも切れ者は居るらしい。
おそらく、彼らが我が森泉国に圧力をかけるために、氷原国がこの戦いへ関与してきたという情報を流しているんじゃないだろうか?
氷原国が本当に参戦してきたとしたら、いくら基盤世界最大の国力を誇る我が森泉国も安心してはいられなくなる。氷原国が国力で我が国に次ぐ2番目の勢力を誇るというだけでなく、位置的にも2正面作戦を強いられることになるからだ。
・・・
それを信じて動けばどうなるか?
実際には攻めて来ない氷原国を警戒して、俺たちは従者隊を氷原国側へと配置しなければならなくなる。
いや。もちろん今だってそれなりの人数は配置してあるけれど、本当に氷原国が干渉してくるようなら、むしろ連合なんかを相手にするより真剣な対応を迫られる。
結果として、連合側の戦線へ投入できる戦力は減らさざるを得ず、連合側…特に湖上国としては戦いを有利に進めやすくなる…ということになるだろう。
まぁ…今の7カ国間の情勢を考えた上での、なかなかの策略だよね。
だけど俺は、氷原国が介入してくるだなんて…とても信じる気にはなれなかった。
もし、本当に氷原国が森泉国と事を構えるつもりがあるなら、連合への加盟なんてせずに、いきなり攻め入った方が良いはずなんだから。
だから、これは湖上国が苦境を脱するために、少しでも我が森泉国の戦力を分散させたい…という苦肉の策だ。
…と、少し前までの俺は気楽に考えていた。
でも、不自然なほどの湖上国側からの連合の猛攻と、同じく正気の沙汰とは思えない石塔国側の深部にまで誘い込むような攻撃と撤退の繰り返しに、さすがの俺のも、もっと底の深い罠の存在を疑わざるを得なくなってきた。
もしかしたら…これは湖上国が考えた情報戦術なんかじゃなくって、本当に氷原国王の知略によって采配されていることじゃないのか?…って。
そんな俺の所に、それを確信させる情報がもたらされたのが、さっきのことだ。
・・・
連合側の負傷した従者を捕虜としたところ、その捕虜が連合側の情報として次のような内容のことを漏らしたとのことだった。
『氷原国は連合に組みしたのにあらず。石塔国との友好条約に従い、石塔国の指揮下に組み入れられた氷原国の一部隊が、あくまでも石塔国の一部隊としての地位において連合と行動を共にするものなり…』
氷原国が、石塔国と…友好条約?
二つの国を隔てる距離を考えても、二つの国の領土や国力の差を考えても、何とも奇妙な組み合わせだった。
どちらの国にとっても、あまり利益があるとは思えないんだが…
まぁ…考えられるとしたら、氷原国が我が国を本当に攻めようと思った時に、我が国に二正面作戦を強いることができるという位置関係ぐらいのものか?
でも、それじゃ氷原国には利益があっても、石塔国には利益がない。
見返りとしては、我が森泉国が石塔国へ攻め入った時に、我が森泉国の逆側から牽制して邪魔をする…というような約束が考えられるけど…
それって、今、まさに起きている事態だよな?…連合っていう形にはなっているけど、実際、我が国の前線部隊が食い込んでいるのは石塔国領である第三象限第一内回廊なんだから…。でも、今のところ、氷原国が我が国へと攻め込んでくる様子はない。
まぁ…戦力的に乏しい石塔国としては、1個中隊でも2個中隊でも…精鋭の部隊を氷原国から借りられれば、随分と助かっているのかもしれないけど…。
・・・
つまり、動きの悪かった石塔国の従者隊が、急に動きが良くなったのは…石塔国の一部隊として組み込まれた氷原国の従者隊の働きによるもの…ということだろう。
これって、中立を守っているって…言えるのかな?
俺は、考え込んでしまった。
連合側…つまり敵であるところの石塔国の一部隊に組み込まれている氷原国の従者隊だが、実際には我が森泉国の領土内に攻め入ってきているワケではない。
それどころか、どちらかと言えば、その誘い込むような撤退によって、我が森泉国は石塔国との国境で繰り広げられている戦線においては、むしろ有利な戦況となっている。
モヤモヤとしたものを抱えながらも、ファーマス様が不在の今、俺が勝手に氷原国に対する制裁行為を発動することなんかできない。
俺の頭じゃ、氷原国王に勝てるわけないし、中立の約束違反だと主張したって、友好条約に従って一部の戦力を貸しているだけで国としては中立を守っている…とかなんとか言いくるめられるのがオチだろう。
首を捻っていたところに、今度は別の報告が入った。
我が森泉国から氷原国へと繋がる第2象限第二外回廊に配置された従者隊からの知らせだった。
『第二象限小外回廊へ繋がる門から、氷原国の国境警備隊の姿が消えた』
・・・
その知らせは、普段ならそれほど気に掛けるような内容じゃない。
特に二国間の緊張が高まっていない時なら、普通に配置の転換などの理由で一時的に国境警備隊が手薄になることはある。
それは、我が森泉国だって事情は同じで、国境警備隊なんていうものは、どちらかと言えば戦術的な意味はなく、二国間を不法に行き来する犯罪者たちに対応するためにおかれた治安機構である。
だけど…。俺の胸に、嫌な予感が湧き起こる。
国境警備隊が姿を消すのには、もう一つ、別の理由が考えられた。
軍族ではなく、治安機構でしかない国境警備隊は、いざ領土の争奪戦が開始されようとするときには、ある意味邪魔でしかない。
これから戦場になる予定の場所で、素人にウロウロされては適わないからだ。
過去、実際に我が国と氷原国が第二象限小外回廊の争奪戦を行った際には、その戦端を開こうとする側は、宣戦布告の前に決まって国境警備隊を撤収させているのだ。
ということは…答えは一つ。
氷原国王は、連合側を上手く操り、我が森泉国軍がその戦力を湖上国と石塔国側に集結せざるを得ない状況に引きずり込み、その分だけ守りの薄くなった氷原国側の我が国の領土へ、一気に攻め込もうとしているのではないだろうか?
実際、氷原国が石塔国に加わって行った作戦によって、我が国軍の従者隊は大多数が、連合との戦線の維持に駆り出されてしまっている。
・・・
今頃、氷原国王としては、してやったり…とほくそ笑んでいるかもしれない。
そんなわけで、冒頭の副官との会話に戻るわけだ。
副官は、これは氷原国王が本気で攻め込もうとしている前兆だと主張した。
いつ氷原国側の国境警備隊が撤収したのか分からないが、それから結構時間が経っているとすると、状況はもう予断を許さない…って言って、俺に決断を迫ったんだ。
確かに、これが本当なら、相当に危険な状況だと言える。
わざわざ氷原国側の一帯の戦力を手薄な状態にさせてまで攻め入ろうとするぐらいだから、これまでの小規模な領土の切り取り合いとは違って、本気で攻めてくるつもりだということだと思われる。
そうでなければ、連合側へのこの時期になってからの加入なんてするわけがない。
きっと、連合との長引く戦況に我が森泉国が疲弊しつつあると見た氷原国王が、その機に乗じて我が国の領土を大きく切り取ろうという野心を抱いたのかもしれない。
ずっと基盤世界で第二の国という位置に甘んじてきた氷原国王は、ついに基盤世界第一の国力を持つ国家の王として歴史に名を刻もうとしているのだろうか?
知略の王として知られる氷原国王だ。その可能性は十分にある。
ファーマス様が不在の今、そんなことを許すわけにはいかないから、一刻も早く氷原国との国境付近に一定の戦力を配置して向こうからの侵攻に備えなければならない。
…のだけど…
・・・
「俺…。これも、なんとなくだけど…罠のような気がするんだよな」
独り言を言ったつもりだったけど、その呟きに答えが返ってきた。
「大侵攻なんて基盤世界の勢力の均衡を崩すようなコト、あの知略の王がするかな?」
『そんな危ないことするワケ無いよ。間違い無いよ。罠だよ!』
いつのまに現れたのか、俺の横に双子の王が立っていた。
慌てて臣下の礼をとろうとした俺を、双子の王は腕をとって止める。
「お前は、僕たちの友だちになったんじゃなかったかな?」
『お前は、僕たちの友だちだから一々頭を下げたりしなくていいよ!』
「…そ、そうですか。あ、ありがとうございます。でも…俺、罠だとは思うんですが、どんな罠なのかが…ちっとも分からないんですよ」
「どんな罠かなんてことを、レオノラントは気にしたりするんだ?」
『どんな罠かなんて気にしなくていいよ。動かしたい相手には動かないことだよ!』
「え、ええ…そのとおりなんだとは…思うんですが。あの知略の王が…罠として成立しないようなことを…するのが…ちょっと不可解で…」
自分でも何を言っているのか分からないが、俺はモヤモヤとしたものを吐き出す。
・・・
「どうしてレオノラントは、罠として成立しないなんて思うの?」
『罠だって言っておきながら、罠として成立しないなんて矛盾してるぞ!』
「いや。王が今、仰ったとおり、俺も氷原王が本気で我が国へ攻め入ろうとはしないと思うんですよ。だって、そんなコトをすれば歴史的に保たれてきた勢力的な均衡が崩れることになるから…桜花国や溶岩国…それに砂礫国だって黙ってはいないでしょう」
俺が考えを語り始めると、双子の王は黙ってそれに耳を傾ける。
「氷原国が最大国となる。しかも、強国の森泉国へ強引に攻め入ってまでして…。そんな状況を見れば、桜花国は次は自分が攻め込まれるという危機感を抱かざるを得ません。溶岩国や砂礫国としても、小国である桜花国が攻め滅ぼされれば次は我が身…」
「今度は、氷原国がうちの国と同じように挟撃されるって考えるんだね?」
『そうだよ。氷原国は逆側から桜花国に攻め込まれるけど、自業自得だよ!』
双子の王は、やはり頭が良い。俺は、頷いた。
「そんなこと、知略で知られる氷原国王に分からないハズがないんです。それなのに、今、我が国に対して氷原国王がやっているコトは、間違いなく我が国に攻め入るぞ…という意思表示です。つまり…氷原国王は…攻め入る気はなくて、何故かは分からないけど…逆に森泉国に攻め入って欲しいみたいな…。いや。馬鹿だな、俺。そんなコトあるわけないか…ははは。いや。でも…それしか…」
・・・
理屈にもなっていないようなコトを口走る俺を、双子の王は興味深そうな目でジッと見つめている。
そして、二人で互いの耳に何事か囁きあって、何かを相談するかのような仕草をした。
「レオノラントは、どうしたらいいか迷ってるんだね?」
『レオノラントが迷っているなら、また、僕たちが背中をおしてあげるよ』
「え?…背中を?」
「レオノラントは、氷原国王に恩を売りたくないかい?」
『レオノラントは、氷原国王に恩を売るといいよ。望みどおり動けばいいのさ』
「恩を売る…ですか?」
「動かしたいと思ってるってことは、氷原国王は困っているんじゃないかな?」
『困っている人間には、それを察してるって示した上で動けば、恩を売れるんだよ!』
双子の王は、互いに顔を向け合い…「ねぇ~っ!」と頷きあって、笑いながら王塔の奥へと走り去っていった。無邪気な笑い声を響かせながら。
俺はそれを呆然と見送り…しばらくして、はっと我に返った。
やはり幼くても、王は王だ。
俺は、双子の王に背中を押されて決断し、副官に氷原国への侵攻を告げた。
・・・
・・・
「よし。やっと森泉国は私の意図を察したようだな」
私は、石塔国方面を担当するイアスからの報告を受けて、立ち上がった。
ファーマスが不在と見えて、なかなか動かなかった森泉国だが、一旦動き始めれば、あの国の従者隊は良く訓練されているから迅速に目的地へと集結するに違いない。
「さて。どんな者が現在の総司令を務めているのか知らぬが、我が軍が侵攻準備を進めていると思って潜り抜けた門のこちら側に、まさかあの様な巨大な飛行艦船が待ち受けていて、しかも、自分たちの国から抜け出した元宰相を乗せているとは夢にも思わぬだろう。できれば、その驚く顔をこの目でみてやりたいものだな」
これで、後は特に複雑な策を弄せずとも、状況は我が氷原国にとって良い方向へと進むことだろう。
ダルガバスとかいう森泉国の元宰相は、予想外に早い森泉国からの追っ手にさぞ慌てることであろうし、森泉国の総司令は失脚させたはずの元宰相が、正体不明の飛行艦船を操り、しかも国王だなどと僭称しているのを知るのであるから。
「森泉国の嫌われ者は、森泉国の従者隊に退治してもらうのが一番だ。「狼」どもがデルタ村まで戻れば、取りあえず我が国の守りは鉄壁となる。あの飛行艦船への対応は、貴重な我が従者を損耗することなく、森泉国の従者隊に骨を折ってもらおうではないか」
私は、誰にともなく語りかける。これが、私の思考を進める時の癖なのだ。
・・・
「さて、森泉国はどのような手を打ってあの飛行艦船に当たるのかな?単純な火力では、いかな森泉国とはいえどもアレには敵うまい。だが、あの飛行艦船も、現状、完全に目覚めた状態ではないから、長時間の攻撃は行えない」
私は、デルタ村に2度もの慈悲無き攻撃をしかけたダルガバスを、決して赦さない。
そして、そのような思慮も、慈悲もない男を野放しにした森泉国も同罪だ。
ひょっとしたら、あの飛行艦船の存在と圧倒的な火力に恐れをなして、森泉国は即座に撤退しようとするかもしれない。
だが、そんなことは私が絶対に許さない。
もしも、無様に撤退をするようなことがあれば、即座にその背後からウェドゥスの氷翼竜部隊を森泉国に送り込み、第二象限第二外回廊ところか、その奥の第二現象第一外回廊までをも一気に我が国の領土として切り取ってやろう。
そうすれば、仮にダルガバスとやらにデルタ村とその属するところの第二象限中小外回廊をくれてやったとしても、十分に釣りはくるし、デルタ村の民に新たな土地を倍にして渡してやることもできる。
2つもの区域を奪うのは基盤世界の勢力図を塗り替え、他国に脅威を与える可能性もあるが、区域の規模としてはその2区域はさほど大きくないから、依然として森泉国が最大の国力を保ち続けることには変わりない。
私の弁舌を持ってすれば、他国の王たちを黙らせるのは簡単なことだ。
・・・
しかし、実は、この2つの区域を手中に収めることは、この状況にあっては戦略的に非常に大きな意味がある。
第一と第二の外回廊は森泉国の主生産区を側面の2方向から同時に攻めることができる位置にあるし、ダルガバスが欲しがっている小外回廊をも囲い込むことができる。
場合によっては、森泉国をこの2区域から追い出した後、ゆっくりとダルガバスという男と話をしてみても良いかもしれぬ。
デルタ村を炎に包んだことは絶対に赦さぬが、あの飛行艦船には利用価値がある。
どうせ、あの男1人では満足に動かすことはできぬだろうから、その辺りをジックリと説いて、一旦は手を組んでやっても良いだろう。
だが、その後、あの飛行艦船の主導権を握るのは当然に私だ。
私なら、アレをもっと有効に活用することができる…
それに…アレには、どうやらダルガバスの他に、私を愉しませてくれそうな、優秀な頭脳の持ち主が乗っているはずだ。
ダルガバスという男について色々と調べさせてもらったが、どう考えても今回のような大胆な行動を、ダルガバスという男が一人で考えることができるとは思えぬ。
クレメンスとかいうそこそこに優秀な侍従を傍に置いているらしいが、その侍従にもこのようなことを実行に移すだけの度量はないだろう。
あのような飛行艦船を実際に飛ばし、ダルガバスを傀儡として大胆な行動に出ることのできる才能。ぜひ、我が話し相手として傍に置きたいものだ。
・・・
まぁ、森泉国の総司令が必ずしも恐れをなして撤退するとは限らない。
だから、今、考えたようなことは、あくまでももしもの話だ。
森泉国としては隠して置きたいようだが、あのダルガバスという男は、宰相になるにあたり森泉国の前王を弑逆したらしい。
それが本当だとすれば、ダルガバスは生かしておくことなど許されない存在のはずだ。
行方をくらませていたから、森泉国としては手を出せなかったわけだが、所在が明らかになりさえすれば、国王の仇として誅殺すべき大罪人である。
どのような犠牲を払ってでも、ダルガバスを討とうとするはずである。
さて森泉国の総司令が、あの飛行艦船の中にいるダルガバスを、どうやって地に引きずり下ろして断罪するか。森泉国のお手並み拝見…というわけだ。
これにより…我々は労せずして森泉国の手の内を知ることができるというわけだ。
「ふはははははは。全ては我が掌の上にあり。多少、想定外のことが起ころうとも、その都度対応して、我が意図する方向へと操ってみせようぞ」
私が、機嫌良く宣言したところへ、国務大臣が私の前に跪き頭を垂れた。
何か、知らせるべき事項があるのだろう。
「何だ?…何か新たな状況の進展があったのか?…話せ」
「は。森泉国の宰相代行と名乗る者から、我が王に王族間通信の申し入れが入っております。いかが致しましょう?」
・・・
王族間通信とは、基盤世界の7カ国をそれぞれ統治する7王家だけが所有する幻影の窓という法具により、王と王を結ぶ直接の通信手段である。
「ほう。我が国領土に攻め入るにあたり、宣戦の布告でも行うつもりかな?…なかなかに誠実な男のようだ。その宰相代行とやらは…よし。話してみよう。繋げ」
私の指示と同時に、私の目の前に光りの板のようなものが現れ、そこに宰相代行にしては落ち着きのない若い男の像が結ばれる。
幻影の窓は、我が従者の銀の鏡の技よりも長距離の通信が可能であり、音声も同時に伝達することができる。
像が結ばれると同時に、その若い男は話かけてきた。
『や、やぁ。お、お初にお目にかかります。氷原王…ですよね?俺は、レオノラントと言います。森泉国軍第一従者隊の隊長をやっています。あ。今は、ファーマス様のご命令で、その、臨時で宰相代行もしてます。で、これはその宰相代行としての通信です』
「ふむ。こちらこそ、お初にお目にかかる。だが、突然に何の用かね?」
その男の話しぶりから得られる第一印象は、あまり頭が良さそうでは無い…というものだった。私は、あまり知的な問答などには期待せず、単刀直入に用件を聞く。
『えっと。お忙しいでしょうから…前置きなしで、お訊きしますね。氷原国王』
「うむ。何か?」
『貴方は、小外回廊で、我が森泉国に何をさせたいとお考えですか?』
・・・
む。私は、その軽率そうな男からの予想外の問いに困惑した。
この男は、どんな意図で、それを私に訊くのか?
『いや。あの…石塔国との協定とか、連合への荷担とか…色々とやられているようですが…その手の込んだ色んな布石は、連合とは逆の側から大規模な侵攻をするぞ…っていう、あからさまな意思表示ですよね?』
「…仮にそうだとして、私がその通りですと…答えると思うかね?」
『いえ。別に答えはいらないですけど…で、俺は、氷原国王のその誘いに乗って、その大侵攻を事前に阻止すべく、そちらの小外回廊に氷原国方面部隊の全軍を送り込むつもりなんですけど…』
「何と。では、これはやはり宣戦布告ということか。中立を約した我が国に対して…」
『あー。すいません。名調子を邪魔してすいませんけど…そういう芝居がかったのは、長く成りそうなんで勘弁してください。単刀直入に聞きますけど、貴方の期待に応えてあげますから、我々に何をさせようとお考えなのか、お伝えくださいませんか?』
「…な…んだと?」
『我が国軍を、敢えてそちらの小外回廊へ侵攻させたい…ってことは、そこに、我が国軍に対応させたい何かがあるんでしょ?…その仕事、引き受けますから、情報を開示してくださいよ。協力はしますけど…俺、できるだけ我が国軍の損耗を最小限に抑えたいんです。無駄に従者を消耗したりしたら、ファーマス様に怒られちゃいますから』
何なのだ…この若者は?
風采の上がらぬ見た目にそぐわず私の手の内を読み切っている?。
思わぬ伏兵の存在に私は戦慄を覚え、その男への認識を対等の知将へと改めた。
・・・
次回、「飛行世界(仮題)」へ続く。




