閑話:2人ぼっちのエルデリア(1)
閑話なので2話続けての投稿となります。
午後にサキュバス編(1)を投稿します。
5月の中旬、愛は紗良とともに昼夜となく、ゴブリン退治に明け暮れていた。連日の戦闘と睡眠不足により、朝起きるのがつらい日々が続いていたが、今朝は窓から差し込む朝の光を浴びて、爽やかな目覚めだ。
朝食を摂り、身支度を整える。
リビングでは両親が朝の情報番組を見ながら、朝食後のコーヒーを飲んでいた。
「太陽の表面で起きる爆発現象だってさ」
「携帯電話に影響ないなら、別に大丈夫じゃない?」
愛はリビングを覗き込んで、一声かけた。
「いってきま〜す」
「あっ、いってらっしゃい」
家族とのいつものやりとりの後、愛は自宅を後にした。
愛の自宅から私立せとうち青雲高校へは、今治駅までバスで移動し、そこからは徒歩10分である。
今朝のように晴れた日は、さわやかな朝の空気や活気を帯び始めた街の雰囲気を感じて通学するのが好きであった。駅構内にあるパン屋からは、焼き立てのパンの匂いが路上に漂っていた。お弁当のない日には母親にいくらかのお金を渡されてパンを買って昼食とすることもあった。
今治駅の西口側には学校が多い。小学生から高校生まで、多くの児童や生徒たちに混じって大通りを歩き、交差点で信号待ちをしていると、背後から陽気な声が聞こえてきた。
「おはよ〜、愛」
「おはよ〜、紗良」
幼馴染でクラスメートの紗良であった。信号待ちの生徒たちの視線が男女を問わず、美少女2人に自然に引き寄せられる。紗良とはいつのまにか、大通りの交差点で合流するのが2人のルーチンになっていた。
「パンのむっちゃいい匂いする。もうお腹へってきた」
「朝食べてないん?」
「食べたよ」
「食べたんかい」
2人はこうやって、とりとめのない楽しい会話をしながら今治駅から高校への道のりを歩くのが常であった。そうやって話していると、黒い日傘をさした女子生徒が信号待ちに加わった。
「おはよう、志津香!」
「あ、宝来さん、おはよう……」
紗良に声をかけられた女子生徒が小さな声で答え、愛の隣に並んだ。
信号が赤から青に変わり、児童と生徒たちは一斉に歩きだした。交差点からまっすぐ進み、途中で左に曲がってしばらく歩くと、せとうち青雲高校の正門があった。
*****
異変が起きたのは、6時間目の授業中だった。英語教師が黒板に板書する音だけが淡々と響くなか、2人の生徒が同時に椅子から崩れ落ち、床に倒れ込んだ。愛と紗良だった。教室中が静まりかえった。
「波方さん?波方さん!」
「紗良、ちょっと、大丈夫?」
女子生徒達が声をかけるが、愛も紗良も完全に意識を失っていた。
英語教師は携帯電話で連絡を取ろうとしていたが、タイミングの良くないことに大規模な通信障害が発生しているらしく、通話がいっさい繋がらなかった。
英語教師の指示で、女子生徒達が愛と紗良を保健室へと運んだ。女子生徒のなかには、登校中に一緒になった志津香の姿もあった。
保健室の養護教諭は2人をベッドに寝かせ、呼吸の有無や脈拍などを調べた後、この年齢の女性によくある貧血であろうということになり、しばらく安静にしておくことになった。
既に6時間目の授業は終わっていた。特に用事のなかった志津香は養護教諭にしばらく付き添いたいと申し出て、了承を得ると、愛の横たわるベッドの側にある椅子に腰を下ろした。
愛と紗良は隣り合った別々のベッドに横たわっていたが、いつの間にかお互いに腕を伸ばし、指先を感じあうとしっかりと手と手をつなぎ合っていた。
志津香はその様子をじっと見ていた。
*****
愛が意識を取り戻したのは、薄暗い屋根裏部屋であった。
愛はこの場所に見覚えがあった。ベッドから身を起こして室内を見渡すと、記憶の通り、階下に下りる階段があった。
慎重に階段を降りると、階下には食堂があった。これも記憶のとおりだった。しかし記憶とは異なり、食堂にも食堂に隣接する小部屋にも人影が見当たらなかった。
「誰か、いませんか?」
と声を上げるが、応える声は聞こえなかった。
木窓を開けて外を見ると薄暗かった。夕方か明け方かも知れないと思い待ってみたが、一向に暗くなる気配も明るくなる気配もなかった。
愛は屋外へと出た。外は昼というには暗かった。まるで世界全体が照度の低い電灯に照らされているようだった。
愛は中央広場へと向かった。町の中心へと近づくに連れて家屋が多く密集して見られるようになったが、人々の生活の証である竈門の煙が見渡す限り1つも立ち上ってはいなかった。家々ももぬけの殻のようであった。
愛が働いていた治癒院を覗いてみたが、やはり人影はなかった。
いつもは無数の屋台や大勢の買い物客で賑わう中央広場へと続く街道であったが、今は無機質な石畳が音もなく続いていた。
中央広場に着くと、そこには魔物はおろか人や生き物の姿もなかった。周囲の建物は整然としており、破壊行為や略奪の跡は見当たらなかった。
中央広場に面した冒険者ギルドの中にも誰もいなかった。
愛は何時間も周囲を探索したが、やがて町には魔物はおろか、人も動物も存在していないと結論せざると得なかった。
愛は肩を落とし、薄暮のなか、ふたたび孤児院へと戻った。
孤児院へと戻ると、眠りにつけば日本に戻れるのではないかと考えて、屋根裏部屋へと上がり、薄い布団にくるまった。不安のなか、愛はいつの間にか眠りに落ちていた。
目を覚ますと、そこは変わらず、屋根裏部屋の古びたベッドの上だった。
愛は永遠の薄暮のなかを、広場へと通う生活を続けた。不思議なことに空腹感を感じることはなかった。
何日もそのような生活を続けた。このまま永遠に、誰もいない世界で一人で生きてゆかなければならないのだろうか、と愛は思った。
その次の日も愛は広場へと向かった。人気のない広場への道を既に何往復したかも分からない。愛はパン屋の前を通りかかった。
「エルデリアのこの辺では、このパン屋が一番美味しいよね」
パン屋の入り口から陽気な声が聞こえてきた。
紗良だった。2人は駆け寄って、無言で抱きしめあった。




