第二十九話
信じるものは救われる
信じる人には信じているものしか見えなくて
見えないから自分に都合の悪いことなんて起こらないから
ー月華ー
スズが悠の顔をのぞきこんで呟くように言う。
「約束をしたの。明日、レイを連れて街を案内するって。」
痛そうに顔を歪め、そんな顔をするくらいなら言わなければいいと思うが、スズは俺にもアリスにも言っているわけではないようだった。ずっと悠の方を見ている。
「でもね、その約束は、果たせないだろうとは思っているけど、向こうにはあたしを待っていてくれる人がいるの。だから、帰るの。」
小さくも確かな声で発せられるそれは、間違いなく悠の耳にも届いているだろう。現に、さっきまで泣きそうになっていたその顔が余計に泣きそうになっているからな。
今更ながら、こいつは泣き上戸だったことを知った。そのまま堰が切れたのかスズに叫ぶように、叩きつけるように言った。
「じゃあ、俺は?お前の帰りを八年待っていたお前の兄は、どうすればいいんだ?」
おそらくあいつの心の叫びだったのだろう。でもそれをスズに言ってどうする。スズはお前のことなんて覚えていないとアリスが言っていただろうが。歯痒さに思わず舌打ちしてしまう。案の定、スズの返答は残酷なものだった。
◆◇◆◇◆◇◆
―スズー
今、神崎さんはなんと言った?
兄、と言ったのか。あたしに兄はいないはずで、あたしの家族は狭間に呑まれたお母さんと、そのお母さんを捨ててどこかへ行ってしまった父親しかいないまずで、だから神崎さんがあたしの兄を名のることはおかしいことなんだ。
「変なことを言わないでください。確かにあたしはここにいたときは『神崎』でしたけど、兄はいません。同じ苗字だからといってそんなことは言わないでください!!」
最後は叩きつけるようになってしまったけど、なんだか家族を侮辱された気がしてその思いがそうさせたのかもしれない。神崎さんの顔からは感情が消えていた。そこであたしはとてもひどいことを言ってしまったのだと気づいた。
◆◇◆◇◆◇◆
―悠ー
確かにアリスは言っていた。俺のことは覚えていないと。でも、そんな現実離れした話を信じきることができなくて、心のそこでは俺のことを忘れていないと信じていたのに。
涼が何かを言っている。謝っているようだが聞こえない。キコエナイ。涼の顔が目の前にあるはずなのに見えない。ミエナイ。
気を失っていたのだと理解したのは目が覚めてからだった。空はすっかり黒に染まっていて、その色が夜になっていることを俺に知らせてくれた。そう、夜。
「夜!?」
ソファーから起き上がって窓の外を確認する。間違いなく、夜だった。つまり。
「今さら起きたのか?スズならもうアリスといっしょに帰ったぞ。」
……俺は見送ることもできなかったのか。情けなすぎて逆に笑いがこみ上げてくる。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ。」
そんなに不気味だったのだろうか。若干引いているようだが水を渡してくれる。
「大丈夫。信じれば会えるんです。会えると言葉にすれば。だって言葉には力が宿っていますから。」
月華が急に敬語を使いだしたようです。なんか怖い。ていうかきめぇ。
「スズが帰り際に言っていた。アリスは会えないと言っていたけどだそうだ。」
「そうなのか。」
「アリスいわく言葉のエキスパートであるスズが言うんだから信じてみればいいんじゃないか?」
「ああ、そうだな。」
心が軽くなる。もう二度と会えないと思ってしまっていたから、そういわれてほっとした。
次の日、会社に行ったあと、俺は荷物をまとめて家まで月華に送ってもらった。
「今までありがとな。」
「なに、俺の都合に付き合わせただけだ。これをいい機会にして別に俺の家に来てもいいんだぞ。」
もちろん、家賃は払えよ。と言って紙袋を渡してきた。
「なんだこれ?」
「まぁ、見てみろ。」
「おう、ってちょっと待て。なんだこれは。」
中身は正真正銘お札の束。それがひーふーみー。三つも入っている。新聞紙をはさんであるというご丁寧ないたずらもない。
「なんだこれは。」
「迷惑料だそうだ。」
本当にあいつは昔から支払いがいいな。そう言って去っていった。
「お前は昔アリスとなにをしていたんだー!!」
俺の叫びに答えることができるやつはもうすでに俺の視界から消えていた。