迎撃戦、終了
「はぁ……はぁ……どこだ! サラちゃん! フロワ!」
イブリスは走る。息を切らしながら。
この街は表の路地は分かりやすいが、裏路地はそれなりに入り組んだ構造をしている。逃げ込んで敵を撒くのには最適だが、同時にそれが捜索を困難にしていた。
次々に現れる曲がり角をあちらこちらへと曲がりながら、イブリスは走り続ける。
「キシャァ!」
「邪魔だ! "removE"!」
目の前に現れた下級悪魔を魔法で消し去りつつ、足を進める。
表より数は少ないとはいえ、やはりこの周辺にも悪魔の手が伸びているようだ。サラたちも襲われてしまっているかもしれない。
その事実が、イブリスの焦燥感をますます掻き立てた。
「イブリス様!」
「!」
突如、背後から聞こえた自分を呼ぶ声に急ブレーキをかけ、振り返る。
「……フロワ」
そこには、凛とした佇まいで自分を見つめるフロワが居た。
何故か怪我をして、メイド服もぼろぼろになってしまっているが、かなり落ち着いている様子だ。
「こちらです」
フロワは自分についてくるよう促して、路地を進みはじめた。イブリスは素直にそれに従い、フロワについていく。
「もう大丈夫なのか?」
「増幅されたのは、あの悪魔に対する恐怖のみのようです。離れれば問題はありませんし、時間と共に効果も薄れています。お恥ずかしいところをお見せしました……」
「……ならいいんだが」
フロワはそう言って顔を少し赤らめた。
まあ、"恐怖"の増幅でもされないと、フロワがあそこまで怯える姿は見られないだろう。珍しいものではある。
しかし、感情の増幅も永続的なものではないようだ。距離を置いて一度休めば、どうにか戦うことができるか。あのダーツを喰らってしまってはすぐに上書きされてしまいそうだが。
「ところで、どうしてそんなにボロボロになってるんだ」
「……この路地に逃げ込んでから、なのですが」
フロワはイブリスに言われると、自分の服を気にしつつ、路地の角を曲がる。
どうやら曲がった先が目的地だったようだ。
「フロワちゃん――イブリスさん!」
そこには、少し元気を取り戻した様子のサラと、そして。
――一匹の悪魔の死骸が転がっていた。
「悪魔に襲われまして。盾を先程の場所に置いてきてしまったので、肉弾戦を少々」
「……やるじゃない」
予感は的中していたが、心配は杞憂だったらしい。イブリスは思わず苦笑いを浮かべた。
「逃げようって言ったのに……フロワちゃん、無茶しちゃうんだから」
「一匹でしたので、勝てると思いました」
「思っちゃったのかー、そうかー……」
サラがフロワに近づき、回復魔法で傷の治療を始める。恐らく治療の途中でイブリスの声に気がついて出てきたのだろう。
悪魔と素手で戦ったことには二人とも何も言わなかった。結果論にはなるが、ぼろぼろになりつつも実際に勝ってしまっているのだから、文句は言えない。
「イブリス様、あの悪魔は……どうなりましたか?」
フロワが回復魔法を受けながらイブリスに質問をした。イブリスは自分たちを逃がして悪魔と戦っていたのだ、それがここに来たのだから、イーグル・アイがどうなったのかは当然の疑問と言える。
「私たちを探しに来たって事は、倒せたんですよね? そう……なんですよね?」
フロワに続いて質問するサラの声は弱弱しいものだった。回復を施す手も、若干ながら震えている。
元から感情豊かなサラのことだ、"恐怖"が和らぐのに必要な時間も、フロワに比べて長く必要なのだろう。
こんな状態のサラに、"自分が狙われている"という事実を伝えて、大丈夫なのだろうか。それは、とても非情な行為ではないのか? イブリスの頭に不安がよぎる。
「……悪いが、まだ倒せちゃいない。二人を探しに来たのは、やつらの目的がわかったからだ」
「目的……ですか」
だが、これを伝えないわけにはいかない。イーグル・アイへの恐怖を抱く今のサラにはとても辛いものかもしれないが……それでもできるだけ早く、この事実を知る必要がある。
自分がターゲットであるという自覚。油断はできないということを理解して貰わなければならないのだ。
「イーグル・アイはじめ……『カルテット』が率いる悪魔たちの目的は、サラちゃんだ」
「……!?」
サラの回復魔法が止まった。
手の震えは大きく、呼吸は荒くなり、表情も恐怖に怯えたものに変貌する。やはり、イーグル・アイの仕掛けた感情増幅はまだまだ色濃く残っているようだ。
いや、それを差し引いても……恐怖するのには十分な事か。
「悪魔たちが、サラさんを……? 何故ですか、イブリス様?」
「詳しい理由まではわからん。俺も反応を見て判断しただけだ。だが、サラちゃんが特殊な魔力を持っていることを考えると、恐らくそれだろう。悪魔の息がかかっていたノゼルがサラちゃんの魔力に執着したことも……それで説明がつく」
「そ、そんな……私、何も……」
震えた声で、サラが呟いた。
サラは何も知らない。ただただ冒険者に憧れて、この街へやってきただけのどこにでもいる少女なのだ。
ほんの少し前まで、自分が特別な魔力を持っていることなんて知らなかったし、悪魔と接触した事だって、少し前の森での戦いくらいしかない。
それがまさか、悪魔に狙われているなんて夢にも思っていなかっただろう。
「落ち着け、サラちゃん。気持ちはわかるが……自分が狙われている自覚を持ってほしい」
イブリスはサラの手を握って、その瞳をしっかりと見つめる。
「いいか、奴らの好きにはさせない。俺も、フロワもいる。ラディスも、アトミスの連中も……事情を話せば協力してくれるはずだ、心配するな」
「そ、そうですね……」
イブリスが優しく宥めると、サラの手の震えも治まっていく。少しではあるが、"恐怖"自体は和らいでいるようだ。
サラは特別な魔力を持っているとはいえ、まだまだひよっ子だ。一人で襲ってくる悪魔への対処は不可能。となれば、周りの人間が協力する必要がある。
師匠は弟子を守るものだ。イブリスには、サラを守る義務がある。そして、悪魔を撃退するという冒険者の義務がある。悪魔たちの好きにさせるわけにはいかないのだ。
「私は一人じゃないです。皆が居れば、きっと……」
「安心だと思った?」
上空から声が聞こえたのは、サラの震えが止まった、ちょうどその時だった。
「――っ! 下がれ、サラちゃん!」
イブリスがサラを庇うように動く。
見つかった。見つかってしまった。イブリスたちの目の前には翼を携え、空に浮かぶイーグル・アイが現れている。
「ふふふ、こんな所に居たのね。助かったわぁ、わざわざ袋小路に逃げ込んでくれるなんて」
そう、都合の悪いことにここは行き止まりだ。唯一の退路はイーグル・アイが立ちはだかる方向だけ。
下級悪魔相手ならまだしも、イーグル・アイはそう簡単には通してくれないだろう。
「サラちゃんは渡さない。そこを通してもらおう」
「い、イブリス、さん……」
イブリスは銃を構え、臨戦態勢に入る。
やはりサラはまだ回復していないらしい。イーグル・アイの姿を目にした瞬間、再び手が震えだし、助けを求めるようにイブリスのマントを掴んでいる。
大丈夫だ、心配ない、という風に、イブリスはサラを見て頷いた。
一方フロワはイブリスの隣に立ち、戦う意思を見せた。まだ少し恐れが見えるが、少なくとも戦おうと思えるくらいには回復したようだ。
「素晴らしいわね、こんな短時間で"恐怖"から立ち直るなんて。でも、まだまだ"恐怖"が見えるわよ……」
イーグル・アイは余裕の表情を浮かべながら、ゆっくりと着地し、両手に数本ずつ、ダーツを出現させる。
「あの巨大な盾もないこの状況、果たしてどう切り抜けるのかしら? 見せて……もらうわっ!」
両手のダーツが放たれた。
左手のダーツはイブリスに、右手のダーツはフロワに。それぞれ3本ずつ。
このあまり広くない通路だ。どれを回避しても、必ずいずれかに当たってしまう。特にイブリスは後ろにサラが控えている以上、回避行動をとるのは危険。
そこで、イブリスは、銃でダーツを迎撃した。イーグル・アイが自分の銃弾をダーツで撃ち落としたように。
ダーツはそれなりに大きく、狙いやすい。落ち着いていれば、撃ち落とすのは容易だ。
その一方で、フロワは通常の回避行動をとった。
だが、先に述べた通りこの通路はあまり広くない。3本のうち2本は無事にかわせたようだが、残りの1本がどうあがいても回避できない角度でフロワに飛来する。
「……ふっ!」
そこでフロワは、素手でダーツを叩き落とした。
「っ!? おい、ダメだフロワ! それに触れると……!」
「わかっています」
「……なんともないのか?」
ダーツに触れてしまったフロワだが、至って冷静だ。感情増幅が発動していない。
「恐らく、感情増幅の発動条件はあの矢に刺されること。先ほど、私があの矢に傷をつけられた時に発動したことから、そうに違いないでしょう」
どうやら、フロワも感情増幅の仕掛けに気づいていたらしい。恐怖に支配された中でも、しっかりと敵の能力を見定めていたのは流石というべきか。
「確かに、あの矢に触れるのは危険ですが……傷さえつけられなければ、能力は封じられます」
フロワは、危険を承知でダーツに触れていたのだ。
飛来するダーツを、横方向から叩き落す。針に触れないことにより、能力発動のトリガーを引かせること無く迎撃できる。
「……驚いたわ。少しとはいえ"恐怖"は残っているのに、そこまで大胆な行動ができるのね……なら、もっと確実な方法をとろうかしら!」
イーグル・アイが勢いよく両手を広げる。
「――っ!?」
「これは……!」
すると、イブリスとフロワを、無数のダーツが取り囲んだ。
通路を埋め尽くすほどのダーツ。数は先程の比ではない。今は空中に固定されているが、これが一斉に動き出したとしたら、迎撃も、防御もできやしない。
一つ一つのダメージが少なくとも、全てまともに受けたら……その末路は想像に難くない。
「この通路はとても狭い……この一帯は全て私の射程内よ。最初からこうするべきだったわね」
ダーツはとても狭い間隔で並べられている。隙間を抜けることもできそうに無い。
逃げ場なし。時が止まったように空中に並べられたダーツが、虎視眈々と二人を狙っている。
「……イブリス様、この状況を打破できるような魔法は」
「悪いが心当たりがねぇな……全方位となると……」
「ふふふ……お手上げのようね? じゃあ……サヨナラよ!」
イーグル・アイが掲げていた両手を振り下ろした。空中のダーツが、イブリスたちめがけて動き出す。
せめてもの抵抗だ。イブリスが銃を構えた、その瞬間――
全てのダーツが、勢いを失って地に落ちた。
「……え?」
小さく驚きの声を上げたのは、他でもない、イーグル・アイである。
何が起こったのかわからない。今、自分は確かにイブリスたちを仕留めようとダーツを放ったはずなのだ。それがなぜか、例外なく全て地面に転がっている。ほとんどのダーツが、シャフトの部分をすっぱりと斬られているのが、目に付いた。
イブリスたちの仕業ではない。イブリスたちも、驚きの表情を浮かべているからだ。
……だが、誰の仕業なのかは、すぐに察しがついたらしい。
「この、斬撃は……」
「時空斬……か。はっ、うまいタイミングで出てくるもんだ」
「ええ、全く。僕もそう思います。危なかったですね、イブリス」
イーグル・アイの背後から、声と足音が聞こえた。
「……間に合ってよかった」
刀を携え、"機関"の制服に身を包んだ男。
ラディス・フェイカーが、今、この場に駆けつけたのだ。
後ろには戦闘部の部下を数人引き連れている。
「主様……!」
「……まさか、新手だなんて。運に見放されちゃったかしら」
「見たところこの襲撃のリーダー格のようですね。あなたには聞きたいことがたくさんあります。大人しく、連行されていただきますよ」
ラディスは糸目を細く、そして鋭く開いて、イーグル・アイを睨み付ける。
「これで形勢逆転、だな」
イブリスは銃を向け、言い放った。
イブリスたちとラディスたち。その二組が、イーグル・アイを挟み撃ちにしている。
先程までイブリスたちを袋小路に追い詰めていたイーグル・アイが、今度は逆に追い詰められたのだ。
「うーん、別にどうにかならないわけでもないんだけれど……ま、いいわ」
イーグル・アイはイブリスとラディスを交互に見ると、今一度、翼を広げて浮かび上がった。
「っ! 逃がすか! "chasE"!」
「"absorptioN"」
飛び上がるイーグル・アイにイブリスが魔法を放つが、黒い霧で吸収されてしまう。
「今日はちょっとした挨拶のつもりで来ただけ。そろそろ退くことにするわ。また、会いましょう?」
「行かせるか……!」
「あら、危ない。"miragE"」
ラディスが追撃を仕掛けるが、"miragE"で姿を隠された。
ラディスの攻撃は視界内に捉え、認識する必要がある。イーグル・アイに対する認識を消されては、もう攻撃はできない。
「……逃げられましたか」
少し落胆した声を出して、ラディスは刀の構えを解いた。
「すまん、ラディス。助かった」
「礼には及びません。むしろ、ギリギリになってしまって申し訳ありませんでした」
「死なずに済んだからそれで良い」
あそこでラディスが来ていなければ、間違いなくイブリスとフロワは殺されていただろう。そして、サラが悪魔たちの手に落ちる形になっていたはずだ。
ここで倒しておくのが一番ではあったが、イブリスたちが助かっているのだ。決して悪い結果ではない。
「ラディス様」
ラディスの後ろで伝達魔法で連絡を取っていた部下が、通信を終えてラディスに話しかけた。
「どうやら、他の場所でも悪魔たちが撤退しているようです」
「そうですか……"ちょっとした挨拶"はこれで終わりということでしょうね」
空を見てみると確かに、翼を持った下級悪魔が次々と街の外へ向かって飛んでいくのが見える。
「挨拶、ねぇ」
イブリスは煙草を咥えてその悪魔たちを眺めていた。
挨拶、などと可愛い言葉を使ってはいるものの、これは事実上の宣戦布告だ。
今までのようにはいかない。これから、人類と悪魔の軍勢の本格的な戦いが始まるということを予感させる。戦争と言ってもいいだろう。
「やれやれ、後処理が大変ですね……皆、手分けして状況の確認をお願いします」
ラディスは後ろに控える部下たちに命令を伝えた。部下たちは、敬礼を返すと、表通りの方向へ散り散りになって進んでいく。
「ふぅ、災難でしたね、イブリス。フロワとサラちゃんも。大丈夫でしたか?」
「問題ありません。少々ダメージは受けましたが……肉体的にも、精神的にも」
「精神的?」
「聞いてやるな」
少し顔を赤らめるフロワを見て、ラディスが不思議な顔をする。フロワからすればあの情けない姿を知られたくはないだろう。
「まあ、いいや。ところで、サラちゃんの様子がおかしいようですが、何か……?」
今度はサラを見て尋ねた。サラはまだ、イブリスにしがみついて震えている。その様子を見て、心配に思ったのだろう。
「ちょっと色々あってな……しばらくしたら落ち着くはずだ」
「そう……ですか」
イブリスはそれだけ返し、ラディスはあえてそれ以上の追及はしなかった。どちらにせよ、イーグル・アイの能力の事はいずれ知られることだ。
「……ラディス、奴らの目的はサラちゃんだ。奴らはサラちゃんを狙ってる」
それよりも、今はこちらのほうが大事な情報だろう。
「サラちゃんだって……? そんな馬鹿な……」
「……やつらは、サラちゃんの白属性を狙っている。恐らく、だが……」
ラディスは少しの間、あごに手を当てて考えこむ。
「……いや、確かに、可能性としてはありえないことじゃない……か」
そして、なにやらブツブツと呟き始めた。
「おい、ラディス? 何か気になる事でもあるのか?」
「いえ、何も」
「はっ……そうかよ」
ラディスの返事にイブリスがあからさまに不機嫌な様子を見せる。また、こいつは何かを隠しているのか。
だが、これ以上聞いても無駄なことはわかっているので、イブリスはそれ以上は何も言わなかった。
「僕らも移動しましょう、この場に居ても仕方がありません」
「ああ……そうするか。サラちゃん、歩けるか?」
イブリスはサラを支えながら歩き出す。
『まさか悪魔まで一緒に居るなんて思っていなかったわ』
ふと、イーグル・アイの言葉が頭をよぎった。
自分たちの中に悪魔が居る。と、イーグル・アイは言った。自分たちを動揺させるための虚言かもしれない。だが、本当だとしたら?
……自分は、悪魔なのか?
「……」
「……イブリス?」
「……なんでもねぇ」
心の中に暗雲を残しながら、イブリスは襲撃の爪痕が残る街中へ進んでいった。





