深き森を抜けて
日が傾きかけ、徐々に薄暗くなっていく森の中。落ちている枝を踏み折りながら進む人の姿があった。
サラ・ミディアムス、フロワ、そしてラディス・フェイカーの三人だ。
セレナとクロウによる馬車の襲撃から、かれこれ一時間ほど。三人は道標もない森の中をずっと彷徨い続けていた。
必死に走って来たせいで方角はとうに見失っており、地図も役に立たない。
「フロワちゃん、本当に大丈夫?」
「はい。サラさんのおかげでもうほとんど痛みもありません」
サラが足をとめ、フロワのことを気遣う。
フロワの肩にある、セレナの矢で貫かれた傷は、ある程度逃げてから治療した。サラの回復魔法だけでは完全に治すことは叶わなかったものの、こうして歩みを進めるだけであれば特に問題ないくらいには治癒できたらしい。
どうやら敵もこれ以上は追ってきていないようで、傷口に響くような走り方をする必要もないのが幸いだった。
「サラさんも、大事ありませんか?」
「私? 私は大丈夫だよ、特に怪我だってしてないし」
「いえ、そうではなく……」
フロワはそこから先を口に出すことを戸惑った。
フロワが最も心配していたのは、自分の傷でも、サラやラディスが怪我をしているかでもない。サラの精神面のことだ。
セレナという職員は、サラの友人でもある。あくまでも"機関"で仕事中に話をする程度ではあるものの、それでも随分と仲が良かったようだ。
彼女はサラにとっては冒険者になりたての頃に色々と世話になっている人物。その分の恩義もある。
そんなセレナが、クロウに操られて"機関"の裏切り者になっていた。この事実は、サラにとっては心にとてつもないダメージを負うもののはずだ。頭を整理する時間もほとんど得られていない今、そのことに言及するべきなのか、フロワにはわからなかった。
「セレナさんのことだね」
しかし意外にも、その話はサラ自らの口から出た。フロワは呆気にとられ、話を続けるべきか悩みながらもかすかな動きで首を縦に振った。
「心配してくれてありがとう……うん、凄く、傷ついてる」
サラの表情が曇っていく。やはり、相当に気にしているらしい。
「でも、大丈夫! 絶対に、絶対に、目を覚まさせてみせるから」
だが、その表情はすぐさま一転して、はつらつさを感じさせるいつもの表情に戻る。胸の前でぎっしりと握られた拳と、瞳の奥に見える強い意志が、サラの心情をよく表していた。
悪魔の手に落ちてしまった友人を取り戻すという決意と、クロウへの強い怒り。この短い会話だけでも、フロワにもそれを強く感じ取ることができた。
「サラさん……」
フロワは、ただ彼女の名を呼び、握り拳を両手で優しく包み込んだ。サラはそれを見ると、微笑みを浮かべて、もう片方の手でフロワの両手をふわりと握った。
――彼女は、年齢にそぐわないものを背負い過ぎている。
最初は正義感に駆られ、冒険者となっただけの少女だったはずなのだ。だというのに、慕っていた師は行方をくらまし、よく会話を交わしていた友人は悪魔の傀儡となり、なによりも、悪魔の軍勢との戦いの最前線に近い場所に居る。
自分と同い年のはずなのに、この試練に耐えきるだけの心の強さを持つ目の前の少女が、フロワにはとても眩しい光に見えた。
「しかし、あの様子だと相当深くまで花の影響を受けているように見える。彼女を取り戻すには、恐らく相当の労力が必要になると思うよ」
「それなら……実は、少しだけ考えがあるんです。自信があるわけじゃあないんですけど、もしかしたらっていう考え。それも、私にしかできない手段なんですけど……」
現実を突きつけるラディスの言葉に、サラはそう答える。言葉通りに自信無さげな口調ではあるものの、その考えとやらを試す価値はある、と確信している様子だった。
「そうか、わかったよ。それで、その考えっていうのは……いや、また今度改めて聞こう。まずはこの森を抜けてどこかの町や村へたどり着かないと」
「そうですね、日も落ちてきました。完全に光がなくなる前にせめて道へ抜けるくらいはしなければ」
「そうは言っても周りは木ばっかりだし、どっちへ進めばいいのか……あれ?」
一行が再び歩みを進めようとした時、サラが辺りの景色を見て首をかしげた。
かと思うと周囲をキョロキョロと見渡し、あちこちへと指をさしながら何やらぶつぶつとつぶやき始める。
「もしかして……あれがあの木で、そっちはそれがあって……うん、うん……うん! 間違いない!」
そして、そうしてしばらく経つと、大きな声とともにポンと手を叩いた。
「サラさん? 一体どうしたのですか?」
「フロワちゃん! 森から抜けられるよ!」
「えっ?」
「ち、ちょっと待ってくれサラちゃん。一体どういうことだ? 何か手がかりでも見つけたのか?」
未だに状況を把握しきれない二人は戸惑うばかり。
サラは自信満々に森を抜けられるというが、辺りを見渡してみても、やはり木や草ばかりだ。人の手が入ったような手がかりなど、見つけられそうにもない。
「えへへ、こっちです。こっち!」
それでも迷わずに歩き始めるサラに、二人はついて行くしかなかった。
そして歩くこと十数分。
サラの道案内は、驚くほどに正しかった。
歩みを進める度に段々と木々はまばらになっていき、生い茂る葉で遮られていた光がどんどんと解放されていく。そして一行は、やがて夕日の橙色の光に染まった、それなりに大きな道に出ることができた。
馬車の通った跡のある、間違いなく人の居る集落へと続く道だ。
「……驚いた。まさか本当に道に出られるなんて」
「凄いです、サラさん。この道をたどっていけば、どこかの町にたどり着ける。いえ、まだ夕方ですから、馬車が通りがかるのを待った方が安全でしょうか」
「それも大丈夫! こっちだよ!」
ラディスとフロワが道を発見できたことに感動するのも束の間、サラが今度は道に沿って歩き始める。
すると間もなく、人の気配のある家が何軒か現れはじめ、もう少し先まで進むと、今度は村が姿を現したではないか。
この時間であるためか、見たところ人の姿はない。しかし、村に点在する家々には確かに人が生活している痕跡がある。
今まで歩いてきた道に馬車跡があることからも、町との物流が確保された、それなりの規模のある村なのだろう。
得意げな顔をしているサラに対して、ふたりはもはや言葉を発することも忘れるほどに呆気に取られている。フロワは幻ではないか確かめるように辺りを見回し、ラディスは地図を確かめることも忘れて呆然と立ち尽くしている。
「この村は、いったい……?」
ようやく発せられたフロワからの疑問。
サラはその言葉に満面の笑みを浮かべると、身を翻してふたりへ向き合い、両手を広げて歓迎のポーズをとった。
「ようこそ! 私の故郷、ホーランドの村へ!」





