背信者の弧 その3
「次に向かうのって、どんな所なんでしょうか?」
森を駆ける馬車の中、私は質問をする。
過去の話を聞いた宿を出た後、私たちは特に何事もなくイーストヴェントの町を発つことができた。町の中は特にざわめいていると言う事もなく、どうやら悪魔が居た事すら気づかれていないみたいだった。
襲い掛かってきた悪魔を倒した、あの裏路地の様子も気になったけれど……私たちは特に確認することなく、馬車へと乗り込んだ。少しでも早くあの人に近づくことを優先したからだ。
「この馬車の目的地は……ここだね。リグナル・リバーサイド」
「その名の通り、リグナル川の川辺にある集落ですね。川魚が名物だとか」
「ああ。だけどここには"機関"の出張所が無いから、彼がここに留まったとは考えにくい。だから僕らが次に目指すは……ここ。エングリズという街だ」
地図上を指している指が滑り、リグナル・リバーサイドなる集落から北側へ向かった場所にある街を指す。
「ここなら“機関“の出張所もある。物価も比較的安いそうだから、今もここに留まっている可能性は十分あるだろう」
「なら、その……えっと、リグナル・リバーサイドっていうところで乗り換えってことですね? ラディスさん……あっ、コハクさん!」
「あはは! ラディスのままで構わないよ。随分長い間、その名前で生きてきたことだしね」
慌てて名前を訂正する私を見て、ラディスさんは大きく声をあげて笑う。今は私たち以外に乗客もいないから、声の大きさを遠慮する必要はないけれど……
「むぅ、そんなに笑わなくても良いじゃないですか」
「ごめんごめん。乗り換えについてはその通りだ。到着してからすぐに乗り換えになるだろうから、少しバタついてしまうけれど……」
「いえ、気にしないでください! 私も、今は時間が惜しくて仕方がないんです! わわっ!?」
私が言葉と共に勢い余って立ち上がると、ちょうど馬車が大きく揺れる。危うく転びかけてしまったけれど、間一髪でフロワちゃんが支えてくれた。
「危ないですよ、サラさん」
「えへへ、ありがとう。やっぱりフロワちゃんは力持ちだね」
フロワちゃんに支えられながら席に座り直した私は、改めて話を続ける。
「さっき、ラディスさんが次の街にイブリスさんが居るかもって話をしてたでしょ? それで、気持ちが昂っちゃって」
「それは……私にもわかりますが」
「そんな顔をしないでやってくれ、フロワ」
「主様……」
私を心配してくれてか、怪訝な顔をするフロワちゃんにラディスさんが声をかける。
「実際のところ、僕だって気持ちは焦っているんだ。こうしている間にもヴァイスの身体は瘴気に蝕まれ続けている。早くしないと僕らのことだって忘れてしまうかもしれないし、手遅れになると…… 統率者に完全に乗っ取られてしまってもおかしくない」
その言葉を聞いた私の脳裏に、アヴェント防衛戦で表出した統率者のことがよぎる。あの時、統率者に身体を奪われたイブリスさんが見せた、冷たい表情……たとえその中身がイブリスさんじゃなかったとしても、そんな顔をするイブリスさんなんて私は見たくない。
「……私!」
そんな、頭の中にこびりついた暗いモヤを振り払うように、私は声を張り上げる。
「私、決めました! イブリスさんに再会したら、一発ぶん殴ってやります! 『心配かけるな、馬鹿!』って!」
フロワちゃんも、ラディスさんも、拳を掲げてそう高々と宣言した私に目を丸くしている。けれど、それも一瞬。次の瞬間にはふたりとも顔を緩めて、私に向かって大きく頷いてくれた。
「……おや。主様、ルツァリ様から交信のようですが」
「あれ、本当だ。何かあったのかな」
フロワちゃんが言うので見てみると、ラディスさんの懐が不思議な音をたてながら光っている。伝達魔法の魔石が効力を発揮している合図だ。
ラディスさんは懐から魔石を取り出し、私たちにも声が届くように掲げてみせた。
「こちらラディス。ルツァリ、何か……」
『ああ、畜生! 出るのがおせぇぞこの優男!』
「!?」
聞こえてきたのは、あからさまに逼迫した様子のカイリさんの声だった。馬車の中を、大きな緊張感が支配する。
「カイリ? 一体どうした、何があったんだ?」
『“機関”の裏切り者がそっちに向かった! 襲撃に備えろ!』
「えっ!?」「!!」
魔石から聞こえてきた言葉に、私とフロワちゃんが思わず身構える。そんな私たちとは対照的に、ラディスさんは冷静に話を続けた。
「裏切り者が見つかったのか?」
『ああ、そうだ! あー、そこにサラちゃんも居るな?』
「は、はい!」
『いいか、落ち着いて聞くんだ。裏切り者は……』
カイリさんが、いやに神妙な声色で私に向けてその名を告げようとする。私が息を呑んで、言葉の続きを待っていたその時だった。
「――きゃっ!?」「うわっ!?」
突然、馬車が今まで以上に大きく揺れたのだ。
普通に座っているのすら困難なほどの揺れに、私とラディスさんはバランスを崩し、その拍子でラディスさんの手に持たれていた魔石が馬車の外に転がっていってしまう。
「っ! しまった……! すまない、今の揺れで荷物を落としてしまった! 少し止めてくれないか!」
ラディスさんが御者さんに向かって叫ぶけれど、馬車は速度を緩める様子がない。それどころか、揺れはどんどん激しくなっていく。
車輪が小石を弾く音、客車の木が軋む音、あらゆるものが今、異常な事態が起きていることを伝えてきた。
「ら、ラディスさん、様子がおかしいです……!」
「クッ……! 何かあったのか!」
「……主様、サラさん。構えてください」
揺れに耐えながら御者席へ向かって様子を見に行こうとするラディスさんと、床に座り込んでいる私に、いつの間にか盾を構えて戦闘態勢に入っていたフロワちゃんが呼びかける。
「既に来ています」
馬車が勢いよく横転したのは、その直後だった。
「きゃあっ!」
勢いよく宙を舞う私の身体を、ラディスさんが守るように支える。フロワちゃんの方は、ぐるりと回る視界の中にうまく受け身をとっている姿がチラリと見えた。
「ふたりとも、すぐに外へっ!」
息つく暇も無く、ラディスさんの声が響く。まずはフロワちゃんが横向きになった客車から外へ。次いで私もラディスさんに連れられて外へと飛び出した。
「これは……酷い有様だな……」
外には想像を圧倒するほどの惨状が広がっていた。
進んできた道には複雑に曲がりくねった車輪の跡、そして混乱が見て取れる馬の足跡と共に、幾つもの大きな穴が開いている。それに……これは、霜だろうか? ところどころに何か白い跡が残っている。
この光景だけで、十分馬車が横転するまでの光景が想像できた。恐らく、この穴から出てきた"何か"を避けようとした……そこを凍らされていた地面に馬が足を取られて転倒してしまったんだ。
「フロワちゃん! 御者さんは!?」
あまりにも酷い光景に呆気をとられてしまうけれども、すぐに意識を引き戻して御者さんの方へ向かっていたフロワちゃんに呼びかける。
横たわり、力なくぴくぴくと足を動かす一頭の馬、その手綱の先。御者席に居るはずの御者さんの姿はこちらからは見えないけれど……あたりに飛び散った赤黒い液体が、今の御者さんの様子を物語っていた。
私の呼びかけを聞いたフロワちゃんが御者席の様子を見ると、祈るように少しだけ目を閉じてから、私のほうに向きなおって首を横に振った。
「そんな……」
「せめて祈りを捧げたいところですが、残念ながら時間もありません。恐らく敵はすぐそばに身を潜めています」
「ああ、どこから襲ってくるかわからない。今はとにかく、この場をやり過ごすことを考えよう」
私たちは背中合わせになり、全方位に注意を払う。
これだけ派手な攻撃をしておきながら、敵の姿は未だに見えない。けれど、ここは鬱蒼たる森の中を走る道。とても視界が良いとは言えないから、敵が身を潜めるのに十分な環境だ。
「……! ふたりとも、あれ……!」
私の目が、道の奥からゆっくりと歩いてくる何者かの姿をとらえた。
まだ少し遠いせいでよく見えないけれど、どうやら女性のようだ。俯いているために表情は見えないけれど、その手に携えた大きな弓が、明らかな敵意を物語っている。この荒れ果てた道を迷いなくこちらへ向かって歩いてきている様子からも、彼女が私たちを襲った人物であることは容易に想像できた。
彼女こそが、"機関"の裏切り者だ。
「大弓……まさかあの時の……」
フロワちゃんが誰に向かって言うわけでもなく呟く。
イーストヴェントの町での出来事が思い出される。私たちを襲った悪魔の男を口封じしたのも、弓使いだった。
私は彼女がこちらに近づいてくるにつれて、鼓動が激しくなっていることに気づく。何か、嫌な予感がするからだ。こちらに近づいてくる姿に、見覚えがある気がして仕方がない。それに、魔石を手放す直前にカイリさんが言っていた、『落ち着いて聞くんだ』という言葉。
多分、私はあの裏切り者のことを、知っている。
私が覚悟を決めて、ゴクリと息をのんだその時。彼女が、弓を構えた。
「えっ……?」
俯いていた顔が上がる。感情のない表情がこちらを冷酷に見つめる。その顔は、予想通り私がよく知っている人物のものだった。
「セレナ、さん……」
カイリさんからの通信の時から、ある程度の覚悟はしていた。その時からずっと、私の知る人たちの顔が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。そして、当然その中には彼女の姿もあった。
覚悟はしていた、はずなのに。私のよく知るものとは違う、冷たい表情をしたセレナさんを目の前にして、私はどうしても戸惑いを隠せなかった。
「サラさんッ……!」
立ち尽くす私に向かって、青く輝く矢が放たれた。即座に私の前にフロワちゃんが割り込む。
見たところ魔力で作られた矢のようだけれど、威力自体が大きいわけではないらしい。自慢の大盾を構えると、特に苦にすることもなく軽々と防いで見せた。
けれど勿論、それだけで終わるはずがなくて。
「フロワッ! 手を放すんだ!」
響くラディスさんの声と、かすかに聞こえるピキピキという音。フロワちゃんが咄嗟に盾を手放すと、瞬く間に盾が凍り付き、大きな氷塊となった。
もし、フロワちゃんが手を放していなかったら、彼女ごと凍り付いてしまっていたのかもしれない。
そんな悲惨な光景を想像してしまったせいか、それとも目の前にそびえる氷塊のせいか、私は少し寒気を感じた。
「ふたりとも、ここは退くぞ!」
立て続けにあげられるラディスさんの叫び声とともに、盾を覆う氷塊が、幾重にも重なった金属音とともに砕けた。ラディスさんの斬撃だ。
「退くって言っても、どこへ!?」
「森の中へ。木の中に紛れるしかないでしょうね」
あくまでも冷静に盾を持ち直したフロワちゃんは、迷わず森の中へ駆け出していく。ラディスさんも私の方を向いて頷くと、フロワちゃんの後に続いた。
私もふたりを追って森へと足を踏み入れた瞬間、背後で地響きのような音が響く。振り返ってみると、地面に空いていた大穴から何本ものツタが飛び出してうねうねと蠢いている。
「あれは!」
「クロウまで来ているのか。ますます逃げの一手しかないな」
ラディスさんが苦虫を噛み潰したような顔で振り返る。彼も何もできずに逃げるしかないこの状況を相当悔しく感じているんだろう。
あのセレナさんの様子、明らかにクロウ・ロ・フォビアに操られている。私だって彼女を助けたいのに、こうして背中を見せるしかないなんて……
「サラさんっ!」
「きゃっ!?」
私が悔しさに拳を握りしめていると、突然フロワちゃんが私を突き飛ばした。
「っ!」
次の瞬間、フロワちゃんの肩に矢が突き刺さる。
どうやらあのツタで目くらましをして、セレナさんがその隙間を縫うように矢を放ってきたみたいだ。
「フロワちゃん!」
「問題、ありません……っ!」
フロワちゃんが受けた矢はやはり魔力の矢。突き刺さった矢はすぐに消え去り、傷口だけが残った。
幸いにも先ほどとは違って氷の魔術が組み込まれた矢ではなさそうで、フロワちゃんが凍り付いていくことは無さそうだった。傷はとても痛々しいものの、フロワちゃんはそんなことも気にせずに再び走り始める。一刻も早く治療をしたいところではあるけれど、今はとにかくこの場を離れるのが優先だ。
陽があまり差さない森の奥、私たち三人は右へ左へと、出来るだけかく乱するように走り去っていった。
* * *
「ン・ン・ン……逃げられましたか」
荒れ果てた道の中、クロウ・ロ・フォビアがすっと姿を現し、サラたちの消えた方向を見つめている。
「申し訳ありません、クロウ様」
「このとっておきの人形を見せれば? もう少し、戸惑ってくれるかと思ったのですがねェ。ま、いいでしょう」
クロウは無機質な言葉とともに頭を下げるセレナのことなど気にもせず、右手をひらりと掲げて見せた。するとその場の空間がみるみる歪みだし、少しばかり歪な映像を映し出す。そこに映っていたのは、森の中を走っていくサラたちの姿だった。
「"目"はしっかりと仕込みましタ。彼らにはまだ利用価値がある。ボクたちの代わりに……ミュオソティス君を、見つけ出してもらうと致しますかねェ。フフフフフ……」
そうして、仮面の下から響く、道化の不気味な笑い声が、鬱蒼とした森の中へ消えていくのであった。
恐ろしいことに、今年最初の更新です。
既に四半期が過ぎていますが、今年最初の更新です。
明けましておめでとうございます。
今年もゆったりと続けていきますので、どうか優しく見守ってあげてください。
ちゃんと書き続けます。よろしくお願いします。





