背信者の弧 その1
「セレナ・ロリエス。一介の受付嬢が……まさかな」
"機関"総務部門主任、ジェラルが資料に目を通し、頭を抱える。
「念のため聞いておくが、確かな情報だな?」
「ええ。牢獄に残っていた……」
「牢獄に残っていた魔力が彼女と一致したからね! 私の発明品が調べたんだから間違いない!」
「……」
答えようとしたルツァリに、研究部門主任のアリムが割り込んで誇らしげな顔をする。
ルツァリは小さなため息をつくものの、あえて彼女を咎めるようなことはしなかった。魔力分析の分野は彼女のほうが詳しいのは確かだし、その精度も信頼できる。自分の"作品"への愛が大きすぎるのは玉にキズだが、ここは任せたほうが良いだろう。
「私たちはノゼル・リケイドの牢獄に残っていた魔力の残滓を元に誰が悪魔を手引きしたのか調べてた。最初は牢獄への立ち入り記録に残っている人間を調べていたわけなんだけれど、これがからっきし……考えてみればそれも当然だった。なんせ向こうには花の匂いを嗅がせるだけでどんな思い込みも誘発できる化け物じみた能力があるんだ。人の手が入った記録は信用できない」
例えば、『目の前の人間は牢獄に入ることを許可された人間である』などという暗示を込めた花を内通者に持たせておけばそれを使って記録に残ることなく立ち入りができる。『今日は誰も牢獄に立ち入りをしていない』とか、そういった暗示も含めておけば完壁だ。
かつてヒュグロンギルドのマスター、ノゼル・リケイドがクロウの花を使っていたように、たとえクロウ・ロ・フォビア本体が居なくても、花さえ持ち込んでしまえば能力は行使できる。能力そのものも強力であるが、厄介な点はそこにつきるのだ。
「だから、“機関”に所属してる人間を全員洗い出す羽目になってね。悪魔の軍勢との接触の機会が多いであろう、戦闘部門のメンバーから順番に、しらみ潰しに……けどまさか、総務の人間だったとは思わなかったよ」
総務部門は事務仕事が中心の、非戦闘員の集まりである。そのため、前線に出ることのある戦闘部門とは比較にならないほど悪魔の軍勢との接触機会は少ない。
そのためアリムの調査の優先度は低く、発見までに随分と時間を取られたようだ。
「ちなみにその捜査に当たっては総務部門提供の名簿を大いに活用させてもらった。感謝するよジェラル」
「……どういたしまして。それで、そのセレナ・ロリエス本人は今どうなってる?」
「今朝もいつも通り出勤して、何食わぬ顔で仕事をこなしています。今頃戦闘部門のメンバーが確保に向かっているはずです」
「悪魔の軍勢と接触した経緯に関しては諜報部門を動かして調査中だ。だが有力な情報は本人から聞き出すのが1番かもしれないな」
ルツァリに次いで諜報部門のパイロが返答する。情報収集は諜報部門の専門分野だ。
「おそらくもうそろそろ、確保に向かった者らから連絡が……」
そう発せられたルツァリの声は、扉の開く音で遮られた。
「いやいやルっちん、そう悠長なことも言ってられないんじゃあないのー?」
開いた扉の元から聞こえる、軽くどこか気の抜けたような男性の声。
「かか、カイリ=コウナギか……悪いが、こ、ここは、か、関係者以外立ち入り禁止だ」
「お前……大人しくしておけと」
自分の注意を守らなかったカイリを叱責しようと、反射的に席を立ち、声をあげたルツァリ。しかし、カイリが背負っていたモノに気づいた瞬間、その声が押し止められた。
よいしょ、と声を漏らしながらカイリが背負っていたモノ……いや、『人』を地面に横たえる。
「向こうの廊下でのびてたぜ。こいつ含めてもう何人かな」
それは紛れもなく、ルツァリがセレナ確保を指示していた戦闘部門のメンバーのひとりであったのだ。
横たえられた人物は完全に気を失っているように見える。カイリの言う通り、同じようにもう数人が廊下で気を失っているというのなら、それは確保に向かわせた者が全滅しているということだ。
「カイリ。その場にセレナの姿は?」
絞り出すようなルツァリの問いに、カイリは静かに首を横に振った。
「……! ジェラル様、急を要する事態です。申し訳ありませんが私はこれで……!」
「うんにゃ、その必要もなさそうだよ。ほれ」
自分の話したいことが終わったからなのか脚と腕を組んで座り、すっかりくつろいでいたアリムが扉の奥、廊下の方向を指さす。
言葉だけはいつも通りの軽い口調だが、その声は警戒心を露わにした低い声だ。格好もくつろいでいるように見えるが、その実組まれた脚はすぐに立ち上がれるよう、少しだけ崩されている。
「奴さん、すっかりやる気だよ。元気だね」
アリムの鋭い視線の先には、廊下の奥から歩いてくる一人の女性。まだ遠目にしか見えないが、その正体はそこに居る全員がすぐに気づいた。
間違いなく、渦中の少女――セレナ・ロリエスだ。
顔は俯いていて、遠目であることを差し引いても表情は読み取れず。足取りはしっかりとこちらを目指していながらも、フラフラとしていてまるで意思を感じられない。
「非戦闘員の方々は退避を。ミリス様は援護をお願いします」
「りり、了解、した」
「へいよールッちん、ここにいる戦闘要員は無視?」
「………………ではカイリも頼む」
「うっわ凄い嫌そうな顔。癖になりそう」
ルツァリを筆頭に、声をかけられたミリス、そして新たな性癖を開こうとしているカイリが入口を塞ぐように扉の前に立つ。
初老のジェラルと情報収集専門のパイロは戦闘向きの人間ではない。アリムは先の防衛戦にも参加したほどの実力者だが、それは彼女の"子供たち"――即ち彼女が開発した兵器群――があったからこそであり、"子供たち"を持たない今は下手に前線に出すわけにはいかないだろう。
今すぐにでも逃げて欲しいのはやまやまだが、残念ながら入口は一か所のみ。三人が入口を守る……自然とこのような布陣になる。
「こ、殺してしまっても、構わんな?」
「いざという時は……致し方ありません」
「……」
ミリスはそれ以上何も言わなかった。
少しずつ迫ってくるセレナの様子は異常だ。明らかに"花"の影響を受けている。できる限り救うべきだというのは、質問をしたミリス自身もよくわかっていることだ。
「ありゃ重症だな。もしかすると……手遅れかもしれん」
しかし指をぽきぽきと鳴らしながらいつになく真剣な声を出すカイリの様子に、ルツァリも心中で覚悟を決した。
そうしている間にもセレナは歩を進め……部屋からある程度の距離まで来たところで、止まった。
「……?」
「来るぞ」
しばしその場で立ち止まっていたセレナはカイリの声を合図にしたように俯いていた顔を上げ。
――次の瞬間には、部屋の天井付近でルツァリたちへ向けて弓を引いていた。





