黒のエピローグ:Ⅰ
――アヴェント防衛戦は、悪魔たちの撤退という結果に終わった。
数多くの犠牲者を出したものの、奇跡的にも街そのものは無傷で済み、人々の暮らしが失われる結果は回避することができた。悪魔に狙われた街には戻りたくないと遠くへ越してゆく人々も居たが、次第に活気も戻りつつある。
冒険者たちの戦いは、ひとまず幕を下ろした。だがそれと共に違う戦いの始まった人々がいる。"機関"の医療班である。
余りにも激しい戦闘。更に突如として発生した大規模な謎の瘴気もあり、手当てや精神的なケアの必要な冒険者が大量に居たのだ。その医療現場が織りなす慌ただしさは、正に戦場。
特に謎の瘴気による影響は甚大であった。神経障害や記憶障害を訴える冒険者が多発……"機関"の病棟は瞬く間にパンクし、いくつかの宿を借り切って仮の病棟としている。
その仮病棟のひとつの廊下を、2人の少女が歩いていた。サラ・ミディアムスとフロワ。あの時、最前線にいた2人である。
サラは特に大きな怪我もない様子だが、多少足取りがふらついているように見える。一方でフロワは足取りは真っ直ぐであるが、体の至る所に包帯を巻き、いかにも痛々しい姿を晒していた。
2人はこの仮病棟で療養中。今は最初の検査を受けて帰宅したところであった。
「うわっとと……」
「……! サラさん、大丈夫ですか?」
サラが軽くバランスを崩し、転びそうになったところを間一髪でフロワが支える。
「あはは、だ、大丈夫……」
「本当に検査では異常なしだったのですよね? サラさんはあの瘴気の影響を一番受けやすい場所に居たのですから……」
「そこは綿密に検査して貰ったから大丈夫だよ。体が動かないとか、思い出せないことがあるとかもないし! 私のこれは単純に魔力の使い過ぎ!」
"Saint Region"は本来白属性の最上級に位置する魔法。多少実力がついてきたとはいえ、まだまだサラに扱える魔法ではない。それを感情に任せ、リミッターをかけずに発動させたのだ。今のサラの体にはほとんど魔力が残っていなかった。
「まだちょっと頭がくらくらするけど、一日ゆっくり過ごせばとりあえず大丈夫だって、っとと……きゃっ」
サラはフロワの手伝いを借りつつも姿勢を直そうとするが、フロワの手が離された瞬間に再び眩暈が襲い、よろけてしまう。
今度はフロワの支えも間に合わず、サラは近くを通りがかった男性にぶつかってしりもちをついてしまった。
「……」
「ご、ごめんなさい! ちょっと眩暈がしちゃって……!」
男はかなりの高身長で比較的がっしりとした体つきをしている。しかし身に着けている服はボロボロのマントであり、黒い髪も髭もぼさぼさでほとんど手入れされていないようだ。お世辞にもしっかりとした生活を送れているような印象ではなかった。
「……いや、俺もしっかりと前を見て歩くべきだった……大丈夫か?」
「あ、は、はい……!」
男性はしりもちをついたサラをしばらく物憂げに見つめた後、そう優しく彼女に手を差し伸べる。
サラは男性の手を借りて立ち上がり、今度はしっかりと姿勢を維持する。男性は軽くサラの様子を見た後、怪我が無くて良かった、と一言。
「じゃあ……体に気を付けてな」
更にそんな言葉を付け加えて、男はサラたちとは反対の方向へと去っていった。
「……親切な方で良かったですね」
「……」
「サラさん?」
サラはフロワの呼びかけに反応せず、呆然と去っていく男の後ろ姿を見つめている。
「あの人……どこかで……?」
「お知り合いでしたか?」
「ううん……なんだか、会ったことがあるような気がして」
フロワも男の歩いて行ったほうへ視線を向けるが、彼は既に角を曲がっていったあとであり、既にその姿は見えなかった。
「あの方も冒険者でしょうから、街ですれ違ったことがあるのでは? その、失礼ながら印象的な背格好をしていましたし……」
「うーん、そうかもね」
「早く部屋に行きましょう。横になってゆっくり休んでください」
「フロワちゃんもね。傷はフロワちゃんのほうが酷いんだから!」
街や大規模クエストの時に見たことがあるだけだろう。
少女2人は男の事を特にそれ以上考えることなく、自分たちへ割り当てられた部屋へと歩を進めていった。
* * *
「一体どうされたのですか?」
「……」
場所は移り、"機関"本部……議会終了後のラディスとルツァリ。何処か不機嫌そうに、かつどこか焦っているような様子で自室に向かうラディスの後ろから、ルツァリが心配そうに呼びかける。
なぜ彼がこのような様子を見せているのか、ルツァリにはわからなかった。こうなったのは議会の途中からだったが、その議会は特に問題なく進行していたように見える。
戦闘結果の報告、今後の方針……どれも普段のラディスが機嫌を損ねるような内容ではなかったはずだ。
「ルツァリ。君は……あの瘴気の事を覚えているかい?」
「瘴気……あの、謎の瘴気の事ですよね」
「……わかった。もういい」
「えっ!?」
ようやく始まった会話も、思ったよりも圧倒的に早く会話を切り上げられてしまった。
ラディスが懸念しているのはあの瘴気についてなのだろうか。思い返してみればラディスの様子がおかしくなり始めたのは、議会であの大規模な瘴気の話が出てからだったような気もする。
あの瘴気についてはアリム指導のもと、研究部門が調べている。最も発生源から原因まで、すべてが謎に包まれているのだが。
「少し出掛ける用事が出来た。僕への要件があったらあとで取り次いでくれ」
「あ、あの……!」
そしてそれだけを言い残して自分の執務室内にそそくさと入っていってしまった。
ルツァリは腕を組み、ため息をひとつつくと、仕方がないので仕事に戻るためにその場を去る。あの様子だと、恐らく部屋の中まで押しかけても意味がないだろう。ほとぼりが冷めるのを待つしかなさそうだ。
「……何をしてるんだ君は」
一方の室内。入室した瞬間目に入った思わぬ客に、ラディスは冷ややかな目線を投げかけていた。
「ふわぁ……なんだ剣聖サンか。おつかれ」
カイリが来客用のソファに横たわり、気持ちよさそうに昼寝をしていたのだ。無論、この場への侵入もソファを使った昼寝も無断である。
ラディスの入室に気づいて目を覚ましたカイリだが、軽い挨拶をして再び眠りにつこうと目を閉じた。
「おつかれ、じゃないよ」
だがそんな図々しい行いが許されるはずもなく、すぐにラディスが叩き起こす。
「寝かせてくれよ……今大仕事終わらせて徹夜明けなんだ」
「寝るにしたってどうしてわざわざ僕の部屋にまで来てるんだ」
「だって宿なんかほとんど空いてないし……一番寝心地が良さそうだったのがここでね」
カイリは自身が横たわるソファをぽんぽんと叩く。来客用に良いものを揃えているだけあって確かにかなり柔らかく、寝るには十分に見えた。
「はぁ……まあいい。街に出て君を探す手間が省けた」
「ん、なんだ剣聖サン。俺に用事?」
「君の言うその"大仕事"についてだ」
カイリの向かい側のソファへラディスが腰かけ、その視線を真っ直ぐにカイリの顔へ向ける。その瞳の中には、優しさは一切含まれていなかった。
「……怖い目してんじゃないの」
カイリはようやく上半身を起こし、体をひねって寝ていた姿勢を座る姿勢に変えた。その様子を見て、ラディスが話を切り出す。
「単刀直入に聞こうか」
「君、街の人たちからイブリスに関する記憶を消しただろ」





