awakE:3
「統……率者……」
サラが青ざめた顔で目の前に立つ男の顔を見る。そこには師匠としてサラを見守る仏頂面はなく、在るのはただ悪魔たちの統率者として君臨し、不気味な笑みだった。
「そ、そんな……イブリスさん、う……」
「"嘘ですよね?"なんてベタな言葉は吐かないでくれよ。仮に嘘だとしたらこの光景をどう説明するつもりだ?」
統率者に寄り添うイーグル・アイ。頭を垂れるルフ・ザ・ロック。そして彼らほどは距離感を縮めていないが、攻撃を仕掛ける様子のないクロウ・ロ・フォビア。
『カルテット』の面々がこのような行動を取るなど、今まで通りであればあり得ないことだ。
「たった今コハク・シラサギ……おっと、今はラディス・フェイカーと名乗っているんだったな。彼からも説明があっただろう? まさか彼の言葉すら信用できないとは言うまい?」
加えて、ラディスが"間違いない"と述べた事実。この男がもはや今までのイブリスとは違う存在であると言う事は、どれだけ疑おうとも間違いのないことだった。
サラは唖然として膝をつく。まるで糸の切られた操り人形のように、力なく。
「……この子には少し刺激が強すぎたか?」
「かなり感情が揺さぶられてるわね。多分この話し声もほとんど聞こえてないんじゃないかしら」
イーグル・アイはしゃがみこみ、サラの目の前で手を振って見せる。が、サラの目は虚空を見つめ、まるで気絶しているかのようにほとんど反応がない。
「――っ!」
「おや」
そんな2人のすぐ隣で、統率者を巨大な盾の攻撃が襲う。フロワだ。しかし彼女の攻撃は届かず、統率者はその盾を軽々と受け止めてみせた。
「不意打ちは良くないぞ、フロワ」
盾を防いだ統率者の腕には黒い魔力が纏わりついている。どうやら腕の力を何かしらの魔術で増強しているらしい。
元々悪くない体格をしていたイブリスだが、それでも結局は魔術師。その筋肉量は本来であればフロワの盾をこうも軽々しく受け止められるほどではないはずなのだが。
「お仕置きが必要だな」
「っ!?」
それなのに、統率者は受け止めるだけにとどまらず、フロワを盾ごと投げ飛ばして見せた。恐ろしいのは、黒の魔力による大幅な強化。とてつもない重量を持つ盾と少女ひとりがいとも簡単に宙を舞う。
それだけでは終わらない。統率者は落下したフロワへと一瞬で近づき、彼女の首元を掴んで持ち上げる。
「く……かはっ……!」
足をじたばたさせ、苦しそうにもがくフロワ。統率者はそんなフロワへと、黒い魔力を流し込み始めた。
「我慢しろ、すぐに終わる」
「ぬおおおおおおおおおおおお!!」
「……騒がしいのがやってきたな」
しかしその時突如として瘴気の奥から聞こえてきた雄叫びに、流し込まれていた魔力が止まる。
この環境下で籠りながらも、力強い声。そしてだんだんと近づいてくる大地を揺らすような足音。その正体は。
「ぬわぁぁぁにをしておるのだイブリィィィィス!!!」
アトミスギルドマスター、レオ=マスノだ。
「相変わらず五月蠅い奴だ、それにタイミングも悪い。空気を読め」
「俺の質問に答えろぉ!! 何をしていると聞いているぅ!!」
レオは怒りを隠そうともしない顔で統率者へと真っ直ぐに拳を突き出した。統率者はフロワを軽く放り投げ、その拳を受け止めて見せる。
全力で殴り掛かったはずなのに涼しい顔をしている統率者。あまりの手ごたえのなさにレオは一瞬驚いた顔をするものの、赤の魔力による自己強化を施してそのまま押し切ろうと拳を押し出し続ける。
「あら……誰かと思えば館でのしてあげた筋肉ダルマじゃない」
「む! 貴様は……!! 悪いが貴様に構っている暇はない!」
「そう。でも構ってもらわないと困るのよ。今はね」
「くっ……!」
その最中、レオに向けられる無数のダーツの矢。イーグル・アイが統率者を守るようにレオへの攻撃を仕掛ける。ラディスが援護に入ろうとするものの、疲弊と怪我により立ち上がることもままならないようだ。
イーグル・アイひとりだけで事足りると判断されたのか、他の『カルテット』の面々は手を出すことなく傍観を決め込んでいる。
「彼はまだ目覚めたばかりなんだから……遊ぶなら私と遊びましょう?」
回避する隙間もなく、空中に整列したダーツたち。それがレオへ向かって動き出した。……が、その瞬間。レオを中心として緑色の旋風が巻き起こり、レオを取り囲んでいたダーツを全て吹き飛ばした。
「そうか。ならば私が遊んでやろう」
「……あら、お邪魔虫が増えたわね」
デイム・ファーリス・ルツァリ。"機関"戦闘部門の副主任が、少し遅れて駆けつけてきたのだ。
とはいえ彼女も状況を把握できているわけではないようで、イブリスに殴り掛かっているレオを見て怪訝な表情を浮かべる。しかし流石に察しは早く、明らかに普段とは様子の違うイブリスの表情を見て、その目線には即座に敵意が現れ始めた。
「イブリス……悪魔たちに何をされたのか知らないが、サラを泣かせるとは君らしくない」
「わかったような口を聞いてくれるな、デイム・ファーリス・ルツァリ。残念だが君の知る俺と今の俺が同じだと思わないでもらおう」
今だ諦めずに顔面にねじ込まれようとしているレオの拳を受け止めつつ、統率者は不敵な笑みをルツァリへ向ける。
統率者と拳を交えるレオ。そしてイーグル・アイと対峙するルツァリ。流石に少しの危機感を感じたか、ルフとクロウも臨戦態勢をとりはじめる。
それを見届けた統率者はレオの拳を弾き、黒の魔力を纏った回し蹴りでレオの体を思い切り蹴り飛ばした。
「ぬおぉっ!?」
黒い魔力が周囲の瘴気とぶつかって共鳴反応の低い音を発し、筋肉で包まれた巨体が軽く吹き飛ぶ。
「さて、皆には苦労をかけたが……この場はとっとと制圧して本来の目的に戻るとしよう」
悪魔たちの本来の目的――即ち、この世界を飲み込み、自分たちの世界に統合すること。それはつまり、この世界の生命の一切を掃討することを意味する。
統率者は首を右に左にと傾けコキコキと音を鳴らし、軽くあたりを見回してみる。
「……と、思ったがそれはもう少し後になりそうだ」
そして視界に入った少女の様子を見て、怪訝な顔をしてそう言った。
「君もしつこいな。サラ・ミディアムス」
――統率者の視線の先では、サラが涙を流しながらもしっかりと立ち、くしゃくしゃの顔で統率者へと杖を向けていたのである。
「私が……私が目を覚まさせてあげます! 貴方はイブリスさんだ! 統率者なんかじゃない!」
「サラ……」
「サラちゃん……」
「……サラさん」
泣き叫びながらも統率者へ……いや、イブリスへと呼びかける彼女の姿を見て、ラディスとルツァリが心配するように、フロワはどこか信頼を込めながらサラの名を呼ぶ。
この状況でサラが何をしようとしているかくらい簡単にわかる。統率者は呆れた顔をしながらも片手をあげた。『カルテット』たちへの指示を出す合図だ。
「君たちは退避しろ。感情が爆発している……今の彼女の攻撃を喰らえば君たちも無事で済むかわからん」
「"君たちは"……まさか貴方は素直に攻撃を受けるつもりだとでも? 今の貴方が白の魔力を受けてしまえば……また眠ることになりますよ?」
クロウが不機嫌そうに統率者へと発言する。だが統率者は動くことなく、ただ首を横に振った。
「ヴァイス・ミュオソティスが既に目覚めようとしている。実を言うと既に体が自由に動かん……何、心配しないでもまたすぐに来るさ」
「……クフフ、ならば仕方ありません。この場は仰る通り退くこととしましょう。ごきげんよう、統率者」
「皆、耐えて! "Saint Region"!」
「――ッ!」
「なっ……サラっ!?」
逃がすまいと発動される聖なる魔法陣。ただでさえ扱いきれていない魔法だが、今は感情の爆発により更にコントロールが効かなくなっており、疲弊したラディスやフロワからも問答無用で生命力が吸われていく。ラディスとフロワは早々に気を失い、レオやルツァリも身動きの取れないまま体力を失っていくばかりだ。
しかし『カルテット』の面々は統率者を残して即座に次元の狭間に退避。"Saint Region"へ巻き込むことはかなわない。
「じゃあね……サラちゃん、また遊びましょう?」
退避する直前のイーグル・アイの一言に、サラは悔しさを募らせる。
しかし目的は『カルテット』ではなく、目の前の男だ。
「……成長したもんだ。この状況でも生命力を吸いつくさずに気絶した二人からの吸収をせき止めてる。無意識にこれをコントロールしてるなら……そろそろ、本格的な脅威に成り得るか」
この最中でも統率者は腕を組みながら、涼しい顔をしてサラの魔法を分析している。少しだけ、嬉しそうな笑みを浮かべながら。
「喜べヴァイス。お前の弟子は……十分前に進んで、いる……」
やがて、統率者も意識を失って地に伏した。
直後にサラの"Saint Region"も解除され、そして周囲に漂っていた濃い瘴気もだんだんと薄れていく。もう下級悪魔たちも撤退し、辺りには静けさが漂っていた。
明るい太陽の光が降り注ぐアヴェント前の広場。そこには倒れた冒険者たちが散らばり、壮大な戦のあとが残っていた。
「一体……何がどうなっているのだ……全くわからんぞ」
「……」
無理に魔法を使ったことでサラも気を失ってしまい、その場にはかろうじて"Saint Region"を耐え抜いたルツァリとレオだけが立っている。
「どうやらしっかりと……説明をしてもらわなきゃいけないみたいだね。ラディス様にも……イブリスにも」
ルツァリの目は、地に伏したイブリスをただ見つめていた。





