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魔術の師匠はフリーター  作者: 五木倉人
師弟、運命の分岐点
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決戦の日

「サラちゃん、心配かい?」


マルメールの宿からアヴェントの方角を見つめる私に、セルテさんが優しい声をかけてきた。


「少し」


「無理もないか。イブリスもフロワちゃんもラディス様も向こうだからね。心配するなってほうが酷ってものかな」


セルテさんも一緒になって窓の外を見つめる。


ここは避難先として用意された宿。私にはセルテさんと二人での部屋が割り当てられた。


セルテさん、そしてリアスさんと一緒に列車に乗ってマルメールの街に避難したのが昨日の事。そして今日は悪魔たちの襲撃があると予想されていた日。前に列車に乗った時にはとても気分が高揚したけれど、今回ばかりはそんな気にはなれなかった。


私が移動したことがばれるとまずいからと言われて渡されたローブで身を包み、ただただイブリスさんたちの無事を祈りながら列車に揺られて、そうしていたらいつの間にかこの街に到着していたんだから。


勿論、私は戦場に居ないほうが良いということは理解している。けれど、待つことしかできないというのはとっても……とても、息苦しい。


「セルテさんは心配じゃないんですか? レオさんやアトミスの仲間の事が……」


「そりゃ心配に決まってるじゃない」


「でも」


「やけに平然としてるって? そりゃそうだよ、信じてるからね」


セルテさんは胸に拳を当て、得意顔で私を見る。


「心配してるけど、それ以上に仲間の勝利を信じてる。だからこうして笑っていられるんだ。サラちゃんはイブリスたちが勝つって信じてない?」


「そ、そんなわけないじゃないですか!」


「じゃあそれを表情に表さないとね?」


「むぎゅ」


セルテさんの掌が私の顔を両側面からサンドイッチのように押さえつけ、ぐりぐりと動かして見せる。


「や、やめへくらはい……!」


「ふふ、ごめんごめん。でもほら、これで表情はほぐれた」


「むぅ….…!」


全く、この人はこういうところが強引なんだから。気持ちが軽くなったのは確かだけれど……


とにかくセルテさんの言うとおりだ。私が暗い顔をしたって仕方ないんだから、イブリスさんたちが無事に帰ってきたときに明るく迎えられるようにしておかないと。


「でもこのまま待つっていうのも退屈だね……おとぎ話の朗読でもしてあげようか?」


私の荷物から飛び出た本をちらりと見たセルテさんがそんなことを言い出した。


「朗読って……そんな小さい子じゃないですよ、私!」


「あはは、冗談冗談」


「もうっ!」


「許してよ、おねーさんくらいになると君みたいな可愛い子を見たらついいじり倒したくなっちゃうのさ」


「別に怒ったりしてないですよーだ」


私はそっぽを向いて、なんとなくその本を手に取ってみる。


「『白黒物語』かい」


「……はい、私の大好きなおとぎ話」


「その版、見たことあるよ。アヴェントで売ってたやつだよね?」


「前にイブリスさんが買ってくれたんです」


──あの人はそれを覚えてるかわからないけれど──


ふと、そんな言葉が頭をよぎったけれど、口には出さなかった。


忘れているかどうかなんて関係ない。いつの日か、今まで消えた記憶も全部取り戻せばいいんだから。私との、出会いの記憶だって。


「『白黒物語』……懐かしいな、昔私も小さい頃に散々読んだっけ。えーと、『昔々、まだ世界に色がなかった頃』……」


「『三人の、それはそれは仲のいい少年少女が居ました』……ふふっ」


「……『三人はとても平和に暮らしていましたが、ある時』……」


……ある時、世界征服を企む魔王が現れました。


ここまで来たらもう止まらない。そこから先は、私とセルテさんが一緒になって読み進めて行った。


魔王を倒すために三人の少年少女が立ち上がる。リーダー格のヴァイス、紅一点でヒロインのアルプス、気弱だけどやる時はやるコハク。


三人は魔王が放つ刺客を次々と倒して、遂に魔王の元へとたどり着く。


魔王はとても強くて、三人は苦戦するけど、ヴァイスと魔王の力のぶつかり合い、そしてアルプスの祈りが世界に"色"を生み出して、色の力を得たコハクが魔王を倒す。そして……


「『そして平和になった世界の空には、七色の虹がかかっていました。めでたしめでたし』……」


最後の一文を読み終えた私は、そっと本を閉じた。


「結局、最後まで読んじゃいましたね」


「あはは、おとぎ話をこんなに真剣に音読したのは何年ぶりだか……でも、無駄じゃなかったみたいだね」


セルテさんが私を見て微笑む。


きっと今の私の顔は、さっきよりもずっとリラックスした表情になっているんだろう。


この物語は、私の思い出の物語。冒険者になる決意と、勇気をくれた物語。


その物語が、今度は私に"待つ勇気"をくれた。


「皆……頑張って」


私にはただ信じて、待つことしか出来ないから。


だから大事な本を抱きしめて、あの街に、皆に、想いを馳せた。


* * *


――同刻、アヴェント。


街の門を前にして、多数の冒険者が戦闘準備を着々と進めていた。


気合を入れる者、ここに来て怖気づいてしまう者、冷静に時を待つ者。その中には無論、"黒の魔術師"イブリス・コントラクターの姿もあった。イブリスは辺りの冒険者達の様子を伺いながら、フロワと共に戦いに備えている。


様子を伺っているのはイブリスだけではない。周辺の冒険者もまた、イブリスの方へちらちらと視線を向けていた。黒属性を扱うイブリスの事を信頼できない者は未だ多い。無論、先の『悪魔の巣』攻略戦に参加した冒険者など、共に戦う仲間として軽い挨拶を投げかける者も居るのだが。


「やれやれ、この状況でも俺の扱いは変わらずか」


「気苦労が絶えませんね」


「いいさ、慣れっこだからな」


イブリスは弾丸を数えながら答えた。銀の弾丸は対悪魔戦では重要なダメージソースだ、残り弾数の確認は怠ってはいけない。


「しかし少々心配ではあります。大規模な戦闘で味方内の連携が不安定なのは重大なハンディキャップと成り得ますので」


「その分俺たちがしっかり働きゃいいだけの話さ」


自分たちに視線を向ける冒険者たちを一瞥しながら銃に弾丸を込めるイブリス。


「ははっ、あんたも大変だな?」


そのイブリスに、ある男が馴れ馴れしく肩を組んできた。


「……お前、何してる」


「あれまあ冷たい反応。何もクソも、俺も戦力として投入されたんだよ」


カイリ・コウナギ。『カルテット』の裏切者である。


「お前を戦力として? 嘘だろ……?」


「うわ、凄い引いてる。ホントホント、剣聖サンからの指示だって」


「私たちは貴方の事を信用しているわけではありません。そのような状態でこの場に居れば疑いの目を向けられるのも当然かと思いますが。それに他の冒険者の皆様は貴方を見れば混乱するでしょう」


「それに関してはほら、角、ちゃんと隠してるだろ?」


悪魔たちの象徴である歪んだ角だが、確かに今のカイリの角は認識しづらい(・・・・・・)状態になっている。注意深く見れば確かにあるのだが、少し見ただけでは気づけない状態だ。


認識阻害と言えば良いのだろうか。カイリを知っているイブリスたちならともかく、他の冒険者は乱戦の中では気づけないだろう。


「だからと言って……」


「ここに居たのか!」


未だに納得のいかないイブリスたちの会話に、凛とした女性の声が割り込んできた。


声の方角を皆が振り返ると、一人の女騎士が駆け寄ってくるのが視界に映る。その人物も、イブリスが良く知る人であった。


「ルツァリ」


"機関"戦闘部門副主任、デイム・ファーリス・ルツァリ。短い期間とはいえイブリスと行動を共にした女騎士である。


「イブリスにフロワ。そうか、お前たちも参加してくれているんだったな……すまない、今はのんびり挨拶をしている場合じゃないんだ」


「こいつか?」


「ぬんっ!?」


イブリスがカイリの背中を押してルツァリへと突き出した。ルツァリの用事が彼絡みであることは容易に予想できる。


「助かる。……カイリ・コウナギ、お前はこっちだ。監視を兼ねて私の元で行動してもらうと言ってあるだろう」


「いいじゃんよー、友達に挨拶するくらいよー」


「俺たちがいつ友達になった」


「酷いなぁ、俺たち友達だろ? ねーイブりん」


「その呼び方をやめろ。早いところ連れてってくれルツァリ……」


「言われなくても」


カイリは駄々をこねる子供のようにじたばたと手足を動かしながらルツァリに引きずられて連れ去られていく。イブリスはそれを見て、「ラディスによろしく」と一言だけ言葉を投げかけておいた。


嵐の前に来たつむじ風のような展開に、ため息を一つ。


「ラディスも何を考えてんだ、このタイミングであいつを戦場に放り込むなんざ……」


確かに戦力が少しでも欲しいのは理解できるが、未だに信用のおけないカイリが味方側に居るのは、いささか不安が残る。


"味方内の連携が不安定なのは重大なハンディキャップと成り得る"。先ほどフロワの言っていた言葉を痛感する。なぜ味方に対してまで警戒をしなければいけないのか。


「イブリス様。頭を抱えているところ申し訳ありませんが、すぐに態勢を整えてください」


ルツァリの去っていった方向を呆然と見つめていたイブリスに、フロワが声をかけた。


辺りの冒険者たちもざわめき、雄たけびをあげ、武器を構え、魔法の詠唱を開始している。


「……来たか」


振り向くと、遠方の景色は黒く。


空を、陸を、大量の悪魔が埋め尽くしていた。

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