-Quartet- Radis Faker その1
「ラディス……さん?」
私は震えた声でその名を呼んだ。
私とフロワちゃんの前で仮面を外したクロウ・ロ・フォビア。その下には、ラディスさんの顔があった。いや、顔だけじゃない。声だって、雰囲気だって、ピエロの格好をしていること以外全部が私がよく知るラディスさんだ。
「一体、どういうこと……?」
「……困惑するのも当然ですね。二人ともこちらへ。訳を話します」
クロウ、もといラディスさんは私たちを部屋の奥へと誘導した。その体が、部屋の奥の闇へ消えていく。
着いていっていいのかな――私はしばらく、その場から動けなかった。
こんな時、冷静な判断を下してくれるのはいつもフロワちゃんだ。だけれど、今は私以上のショックを受けていて虚空を見つめたまま立ち尽くしている。
……うん。
「行こう、フロワちゃん」
私がしっかりしないと。私はフロワちゃんの手を引いて、ラディスさんに続いた。
フロワちゃんの手はひどく震えている。こんなに不安げなフロワちゃんを見たのは初めてだ。
でも、その気持ちはよくわかる。あのラディスさんが、なぜピエロの格好をして『カルテット』に混ざっているのか。私だって心臓が大きな音を立てているんだ。小さい頃からラディスさんの元に居たフロワちゃんの不安は、きっと私の比じゃない。
「さ、座ってください」
進んだ先には椅子に座ったラディスさんと、その向かいに二つ並んで用意された空き椅子。私たちは素直にラディスさんの言葉に従って、用意された椅子に座った。ただし、手はしっかりとつないだまま。
「おっと、この格好は二人には馴染みが無いですよね。こうしましょう」
ラディスさんがピエロの衣装に手をかけると、服装が一瞬で変化した。
"機関"戦闘部門の制服。私たちと会う時に、ラディスさんがいつも着ていた服。目の前の人が、どんどん私たちの知るラディスさんに変わっていく。
「主、様……本当に主様なのですか……?」
……座ってから最初に口を開いたのはフロワちゃんだった。言葉を絞り出すように、かすかに聞こえるくらいの音量で恐る恐る質問をする。
「ええ。勿論ですよ、フロワ」
ラディスさんがフロワちゃんに微笑みかけた。
その瞬間、緊張に固まっていたフロワちゃんの顔が少しばかり緩んだ。握る手に入る力も少し抜けて、震えが止まる。
ああ……やっぱり、この人はラディスさんなんだ。
ただ優しく微笑みかけるだけでフロワちゃんの緊張を緩めたことが、ラディスさん本人であると証明している。偽物では、絶対にフロワちゃんは安心しない。それどころか、フロワちゃんなら一瞬で偽物であることを見抜いてしまうに決まってる。
「最も、君たちの知る剣聖ラディス・フェイカーとはあくまでも仮の姿……『カルテット』が一人、クロウ・ロ・フォビア。これが僕の本当の姿です」
「――!」「そんなっ!?」
ラディスさんが、『カルテット』の一人?
あまりにも信じがたい言葉に私は椅子を揺らし、フロワちゃんは声にならない悲鳴を上げる。
「嘘……嘘ですよね!? 悪魔たちを倒すために、潜り込んでるだけなんですよね!」
「……残念ですが、これが真実ですよ」
ラディスさんは私たちから目を逸らし、暗い表情でそう答える。
「僕の名はクロウ。ラディス・フェイカーなどという人間はそもそも存在しないんですよ。正に、偽物の英雄。それが君たちの知る僕です」
「……」
突きつけられた真実に、私たちは何も言うことができない。
私たちの知るラディスさんは、ラディスさんじゃなかった。ラディスさんなんて人は、最初から居なかった。あまりにも突飛で残酷なその真実は、私たちを沈黙させるのには十分すぎる。
特に……フロワちゃんには、自分の人生の大半を否定されるような宣告。
「今まで騙していたことは謝りましょう。しかしこれも……我々の目的のためには必要なことだったんです」
「……目的」
「君ですよ、サラちゃん」
ラディスさんが鋭い目つきで私を見る。
「"機関"議会の一人としてずっと過ごしてきて……ようやく見つけることができました。純粋な白を」
さっきまでの優し気な口調から一転して、獲物を狙うハンターのような、冷たい口調。でも、それすらも全て私の知ってるラディスさんと同じ。
「純粋な、白……」
「そうです。君は僕たちにとって必要不可欠な存在だ。僕らはその"白"が欲しいんです」
やっぱり、悪魔たちの狙いは私。正確には、私が持つ純粋な"白"なんだ。
「どうして……私が、純粋な白が必要なんですか……?」
「……すみませんが、それは言えません」
「私たちを、どうするつもりなんですか」
「そこです。そこが本題」
「……えっ?」
ラディスさんの声色がまた変わった。今度は普段から私たちと話していたような、明るい声色だ。
「僕も何も、考えなしで正体を明かしたわけじゃありません。僕だって……少なくない時間を共に過ごした君たちに手荒な真似はしたくないんです」
私たちを真っ直ぐに見て発せられた言葉。
嘘じゃない。それはすぐに分かった。ここまで真っ直ぐな目をしているんだ、嘘なはずがない。
「二人とも、交渉です。僕らの元へ来てください。そうすれば、あの街や君たちの知人には手を出しません。隣で戦っているアトミスの皆さんも解放しましょう。もちろん、ルツァリや……イブリスも」
……ラディスさんは、そう言って私に手を差し伸べた。
「――!」
――私が悪魔たちの元へ行けば、皆が助かる?
「勿論、二人も悪いようにはしません。サラちゃんも怖いとは思いますが、決して酷いことはしないと約束しますよ」
ラディスさんは尚も真っ直ぐに私たちを見て、優しく続ける。
フロワちゃんはおろおろと私とラディスさんを交互に見ている。きっと頭が真っ白になってマトモな判断が出来ていないんだろう。けれど、どこかラディスさんの方へ揺れているような、そんな様子が見て取れる。
――実際、これは魅力的な提案かもしれない。アヴェントの街が悪魔の手から逃れられるということは、皆が……ルツァリさんが、セレナさんが、ルベイルさんが、そして……イブリスさんが危険から遠ざかるということ。
それに、アトミスの皆。いくら今隣で戦っているレオさんたちが戦い慣れているからと言って、相手は感情を爆発させる『カルテット』の一人。その恐さは、私自身がよく知っている。
ラディスさんなら、一緒についていくフロワちゃんのことだって決して悪いようにはしないはず。私はどうなるかわからないけれど……でも、私が犠牲になれば、皆が助かるんだ。
私が、犠牲になれば。
「さあ、二人ともお願いです。この手をとってください」
ラディスさんの手が、視界の真ん中に固定される。
この手をとれば、後戻りはできない。私とフロワちゃんは悪魔たちの手にわたり、代わりに皆は助かる。代償に対して、十分すぎる対価。
ただ、私が犠牲になる。それだけ。
それだけ、だから――
「お断りします」
だから、私はその手を跳ねのけた。
「……!」
ラディスさんが、驚いた眼で私を見つめている。フロワちゃんの視線も私に向けられる。その瞳には、考えが纏まらない混沌とした心が宿っているけれど。
「……意外、ですね。君なら……自己犠牲の精神でこの手をとってくれるものだと思ったんですが」
「私が……私が犠牲になるのはいいんです。でも……」
私は胸に手を当てて、皆の顔を思い浮かべる。
「――私が居なくなることで、悲しむ人たちが居るんです」
皆、なにもできない私を守ってくれてる。
イブリスさんも、フロワちゃんも、ルツァリさんも、皆が私を守ってくれてる。なのに私が……私が自ら悪魔たちの手に落ちるなんて、許されるはずがない。そんなの、無責任すぎる。
「貴方は……貴方はやっぱりラディスさんじゃあない!」
私は立ち上がり、ラディスさん……いや、クロウを睨みつける。
「ラディスさんがそんなことを言うはずがありません! 確かにあなたは偽物です! ……フロワちゃん、戦うよ!」
「え、え……! さ、サラさん、でも……」
「大丈夫」
私は前を見たまま、弱々しい声を出すフロワちゃんの手を強く握る。
「私がついてる」
フロワちゃんの手はがくがくと震える。
でも、その震えは次第に収まっていって。
「……はい」
しばらくして、聞きなれた凛とした声が聞こえてきた。
「すみません、情けないところをお見せしてしまいました」
フロワちゃんも立ち上がり、盾を手に取る。
「貴方を倒して……私たちは、本物のラディスさんを取り戻す!」
「仮に貴方が主様だと言うのなら、私たちが目を覚まさせて差し上げます」
私も杖を構えて臨戦態勢に。
私たちにはもう、迷いはない。ラディスさんを必ず連れ帰る。そのためにここに来たんだから。
「……やれやれ、言っても聞かない子たちだ……ラディス・フェイカーなど存在しないと言っているのに……しかし、そっちのほうが君たちらしいかもしれませんね」
そう言ってクロウが自分の額をなでると、歪で、禍々しい角が姿を現した。悪魔であることの証だ。
そして……私たちに応えるように、椅子を立った。
「仕方ありません。手荒な真似は避けたかったですが……力尽くで、連れ去るしかないようですね!」
手にカタナを持ち、強烈な敵意を放ちながら。
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