小話─弌─
白を基調とした廊下に陽が差し込む。所々金が散りばめられたその空間は、華美ながらも微妙なバランスで繊細さが保たれており、見る物に豪華さ特有の嫌らしさを感じさせない。塵一つ落ちていない床は、まるで磨き上げられた水晶の様だ。
そんな城の一室で、ここイドリーンスの主───威狙・ラスティス・イドリーンスは部下の言葉に眉を寄せていた。
「何?もう一度言ってみろ」
「はっ!イオ様。『恩光の賢者』に続き、『凍結の賢者』の封印まで決壊した様に御座います」
マリアの声に資料を捲る音が重なっていく。告げられた内容に、イオは思わず舌打ちをしたい気分に駆られた。
(まさか、要の封印が壊れるとはな……)
あれが壊れる事によって起こる問題は、一国だけの物ではない。人類……いや、種族間のバランスをも崩してしまう可能性を意味している。
早急に対応を取らなければならない。
「封印はいつ壊れた?」
「はっ……おそらく、昨日の朝方だと思われます。氷の後は残されておりませんが……」
「あの氷は『凍結の賢者』の心威だ。賢者が目覚めたのであれば、役目を終えた事になり自然消失する」
だが
「マズイな……」
昨日の朝に封印が壊れたのであれば、賢者がその間移動していたという事になる。
国籍のない者は王都の門を通過できない所か、その場で門番に捕えられる決まりだ。……が、賢者の力は計り知れない。どのような手を使ってくるのかも分からない相手だ。
今の所門番からこれと言って報告はないが、いつ門が破られてもおかしくはないだろう。
「せっかく相手が見つかったかもしれないと浮かれていたのに、直ぐこれか」
「荒れそうですね……」
不安そうに呟くマリアの声に肯定を示す。執務室から見える空は澄み渡っており、のんきに鳥が滑空している。
(まるで、嵐の前の静けさだな……)
××
昔々ある所に、四人の人間がおりました。
どの子もごく普通に暮らす、謂わば一般人です。
この四人はお互い接点がなく、顔を合わせた事もない赤の他人でした。ただ、一つ共通点を除けば……。
それは、世界を救ったという事です。
この頃───環境破壊が続く中で、世界は衰退の一途を辿っておりました。それを引き起こした原因である人類はあまりに弱い種族であり、最早絶滅という選択肢しか残されておりませんでした。
ところがある日、そんな人類に転機が訪れます。
自分達の他に、大きく分けて『種族が三つ存在する』という事に気が付いたのです。また、その事実に秘められた可能性にも。
その三つの種族には、絶滅などという概念はありません。人類と違い、とても強く寿命すら持たない存在だからです。
そこで人間は、強い力を有する彼等に助けを求める事にしました。しかし人類には、彼等と会う術がありません。
彼等の存在を知っていながらも、為す術がない人類は諦め掛けていました。
……ここで、四人の人間へと話が戻ります。
実はこの四人。それぞれが、彼等と会う術を持ち合わせていたのです。だから四人は、彼等と一対一で対談する事を決めました。
ですが彼等三つの種族にとって、人類を救う事に理由も利益もありません。初めから何の価値もない話し合いだったのです。
ですが。
ずっとずっと。
存在を認識した時からずっと、彼等には欲しいモノがありました。
それはどう足掻いても、彼等には手の届かないモノ。そして人間だけが持ち得るモノでした。
人類は、彼等が欲しいモノを与えました。すると彼等は、感謝の意を込めて人類に手を貸してくれたのです。
あるいは共存関係を結び。
あるいは微妙なバランスを保ちながら。
あるいは……───
───このような歴史から、人類そして世界すらも、今の様に平和を保っていられるというわけです。人類はかつてと同じ過ちを犯さない様に、固く誓いました。
また後に人々はこの四人を敬い、『約束の四賢者』と呼ぶようになります。
今も尚、四人を崇めその眠りを守るために《賢者の地》が置かれているという事です。
「───だけど本当は……」
暗い地下。蝋燭の灯りだけを頼りに、イオはある手帳を手にしていた。とても古びた、埃くさい手帳だ。
それを大事そうに胸に抱き、溜息を吐く。
まるで自分を責める様に。その場に居ない誰かに、謝る様に。
「何故、人類は進化を選択したのか……」
古びた手帳には、手書きで『───プロジェクト』というタイトルが書かれている。
前半の文字は、擦り切れて読めなかった。