(35)『2本の平行線』
クリスティアース本家屋敷――。
「あれ? リィラさん、祖母さんはどっか出掛けてるんですか?」
――つまりは実家に入ってヴェスティアの姿が見えないのに気付き、台所で既に勝手知ったる様子で勝手に茶菓子を探しているリィラにそう訊ねる。
するとリィラは、棚から出した煎餅の小袋を口に咥えたまま「あぁ」と相槌を打って1人分のお茶の用意を始める。
そして薬缶を火にかけると唇に挟んでいた煎餅の小袋を手に取り、
「ヴェスティアさんなら急患の報せで出ている。何処だったか……鬼塚に訊いて――――いや、私は何を言っている。アイツが憶えているはずはないな。確かミリア皇国の皇族の娘だったか……?」
医術と薬術で現当主ヴェスティア=クリスティアースより秀でた者はおらず、世界中の貴族や皇族、王族の類はその殆どが主治医があの祖母さんだったりする。
今回も大方それの1人だろう。
「ミリア皇国じゃ、無事帰還の報告はできなさそうだし、最悪書き置きでいいかな」
会ったら会ったでこっちから一方的に気まずいし。才能云々はともかくとしても医薬学院を勝手に放り出した負い目は後々までずっと響いている。
と、そこでリィラの何処か真剣味を帯びた視線に気付いた。
「――もう発つのか」
普段より落ち着いた、少し低い声でリィラはそう呟くように言った。
「はい。1日置いて明後日には出ようかと」
「そうか……」
リィラはわずかに視線を落とすと、すぐに何処か寂しげな表情で天井を見上げた。
「そうだな、私は……仇を探していたんだ。危うくこの安穏で忘れるところだった。まったく平和と言うのは毒のようだな。喩え一滴でも――一時でも堕ちずにはいられない、甘い……甘い毒のようで……溺れてしまう」
「リィラさん……」
復讐――――それほどの激情を、平穏と時の流れは少しずつ和らげていく。
それは当然のように当たり前のことなのだけれど、この人はそれが許せないのだろう。元からリィラは、あの夜のことで自分を責め続けているような性格だ。それすら忘れてしまったと言うのなら、自分への落胆と絶望はどれほどのものだろう。
「ただ今は、今だけは……復讐よりも強い想いが私の心を占めている。それは確かだ。それだけは誰に恥じるものでもない」
リィラはそう言うとカタカタと鳴り始めた沸騰直前の薬缶の火を止め、両手をゆっくりと持ち上げつつ俺に歩み寄ってきた。
そして――――ふわっ。
「……っ!?」
抱きついてきた。
俺の首に腕を回すようにして、何処か弱々しい仕草で微かに震えながらも力だけは強く、確かめるように抱き締めてくる。
「お前が生きててくれて、本当に……良かったぁ……」
そんな涙声が耳元で聞こえる。
普段の姿こそ強靭で強硬で強毅なリィラはその実、勿論弱い一面も持っている。
当然と言えば当然だろう。
強いだけの人間なんていない。強いだけの存在があるとすれば、それは少なくとも人間ではないし少なからず人外だ。
本人は女としての自分を半ば否定している嫌いがあるが、こんな姿を見るとリィラだって普通の女性なのだと改めて思う。
一瞬躊躇ったものの俺はそっとリィラの髪に触れ、反応を確かめながらその身体を軽く抱き締めた。
「ありがとうございます、リィラさん」
リィラと俺は平行線だ。
互いにシャルルを探すという目的があるが、その裏にある理由を加味すれば決して交わることのない2本の平行線。
俺はシャルルを肯定するために。
彼女はシャルルを否定するために。
それぞれ正反対の思惑があって、リィラが復讐を心に刻む限りいずれ正面からぶつかり合い互いに傷つけ合うことが宿命付けられている。
普通ならそんな時――俺とリィラ以外の人間ならきっと、共に限りなく近い道を歩むことなどできないだろう。きっと仲違いし、遠ざけ合って、近づくことはない。
でも俺と彼女は離れることなくむしろ互いに認め合い、戦友として親友として仲を深め合ってさえいる。
ただそれでも、やっぱり不安だった。
彼女を傷付けていないか、重荷になっていないか、無理をさせてはいないか――――そもそも共にいること自体が間違っているのではないか。
当然だ。ヘカテーやルシフェルのような例外を除けば、人に人の本心なんてわかるわけがない。もしかしたらリィラは、シャルルを助けようとする俺を憎んですらいるのかもしれないからだ。
でも、これでわかった。
彼女は俺の本心がどうとかそんなことはまったく考えていない。ただ“いる”から、“いたい”から共に“いる”だけだと。
普段通りに振る舞っていても普段以上に心から心配してくれていた、それがわかっただけで嬉しかった。
気が済んだのかリィラは俺から身体を離すと、目元に浮かんだ涙を指先で拭い、
「やはりお前はもう少し鍛えなければ、危なっかしくて目が離せん」
何処か気恥ずかしさを誤魔化しているような調子でそう言ったリィラは、普段は見せないような柔らかな笑みを浮かべた。
連なる意外な一面に少し動揺していたのだろう――――色々と口が滑った。
「危なっかしくて、ですか。まあ今回もヘカテーがいなかったら5回ほど死んでたかもしれないですしねー……」
「アルヴァレイ、何か言ったか?」
「いえ、何でも」
危ない危ない。
余計な心配は無用だからな。結果的にはこうして無事だったわけだし。
「何だ、変なヤツだな」
「いや、変とかその辺はリィラさんに言われたくないですよ」
しまった、と思った時には時既に遅し。
「何か…………言ったな?」
口が滑りました。
「で、お前ら2人いつまで附いてくるつもりなんだ? いや、まぁ、これも何かの縁だし歓迎しないわけじゃないけど」
リィラさんの折檻から逃げて鬼塚以外が全員揃っている大客間にきた俺は、当然のような顔でその中に混ざっているアプリコットとチェリーに声をかける。
「うーん、と言われてもボクはチェリーさんに附いてきただけですからねぇ」
「私様はアプリコットの後を尾けてきただけなのです~」
「自主性の欠片もないな、お前ら!」
2人とも嘘を吐いているようには見えないせいでどっちが先に立って歩いてきたのかが迷宮入りしそうだ。
「いや、あれですよ。ボクもチェリーさんも一応とある組織から人探しの特務というか特別任務を受けてるわけですけど、ぶっちゃけターゲットが何処にいるのかさっぱりなので運が良ければ会えるかなって程度に任務放棄して絶賛放浪中です」
「おい」
「人探しって誰を探してるんですか?」
一息入れていたヴィルアリアが、気になったからかアプリコットにそう訊ねると、アプリコットはくふふっとその質問を待っていたとばかりの面白そうな笑みを浮かべ、
「えぇ、まあ気にしなくても構いませんよ。どうせ知るはずのない――いるはずのない人間ですから。元々はチェリーさんの過失ですしね」
誤魔化すように笑った。
「そもそもアレは私ではなく、あの変態の責任です~。当時の私に責任能力は皆無なのですからして~」
「まあそれはともかく一応ここにいる人にだけでも、この世界での痕跡を気にしておく体を取ってみましょうか」
体って……。
「ボクらが探してるのは十代男女2人、衣笠紙縒と狗坂康平です」
「その2人なら知ってますけど……」
アリアが名前を聞いた途端に、何の含みもなくすぐにそう返すと、同じく会ったことのある俺に加えてルーナとヘカテーがこくりと頷く。
「へ?」
アプリコットが面食らったように間の抜けた声を漏らす。
「首都ヴァニパルにあるギルド≪パラダイスミスト≫で働いてる方たちです」
後から考えればアプリコットたちがどんな目的であの2人を探しているのかを問い質してからにするべきだった返答を、アリアは疑う様子もなく素直にそう告げた。
「チェリーさん、どうします?」
アプリコットが苦笑いを浮かべながらチェリーにそう訊ねると、チェリーは少し悩むような表情を経てにぱっと微笑むと、
「聞かなかったことにするのです~」
「おい」




