(26)『レインの森』
ヴァニパル・ブラズヘル間国境、レインの森――――。
聞こえてくるのは爆音と悲鳴。
爆音は大気を震わせる。悲鳴は心を震えさせる。
現在、流れはドラゴン急襲部隊の壊滅的な打撃によりヴァニパル側に傾き、勢いに乗った戦線はヴァニパルの国内から国境付近に広がるレインの森に移っていた。時折起こる爆発や衝撃音は、ブラズヘルの魔法戦力部隊か竜騎兵団(小型竜種に騎乗した空爆部隊)によるものだろう。
15分前、アプリコットが森へ侵入するなり上空に届くほどに大きく広げた白銀色の翼を柱のように窄め、爆裂弾爆撃任務に就いていた竜騎兵の一個小隊が丸ごと薙ぎ払ったせいかこっちの動きは逐一捕捉される運びとなった。
「ま、いいじゃないですか、言ったって精々30メートルぐらいですし、下が森なら運悪くなきゃ死にはしませんよ。ねぇチェリーさ――待て」
「何なのです~?」
くるりと振り返った途端、金属質の何か黒い巨大な塊を取り出していたチェリーを、切羽詰った様子で制止するアプリコット。
「ブラズヘル戦力どころか森ごと消し飛ばす気ですか」
「それがどうかしたのですか~?」
「どうもこうも禁止です」
「ちぇ、つまらない~なのです~」
そう言いながらもチェリーに特に悔しがっている様子はなく、むしろアプリコットの注意すら想定内という感じで嬉々としてその黒い塊を何処かにしまい込んでいた。
何処か、と言ったのはよくわからなかったからだ。彼女の陰で段々と小さくなったかと思うと、いつのまにかなくなっている。まるでその瞬間だけ、視界がぼやけたようなそんな感覚だった。注視してよく見ていても、気がついたら消滅しているのだ。
見る限り、というかほぼ間違いなくアプリコットとチェリーは正規に召集された兵じゃない。
それはあの現実離れした能力を見てもわかる。召集されていたのならつまり、ヴァニパルあるいはエルクレスがこの2人のことを把握していたことになり、どういう形にせよこんな戦力を放っておくはずもない。あの2人なら従軍なんて誘いはにべもなく一蹴しそうだが。
しかし、あの2人と言えど物量戦になればローア城砦のように何もかも守れるわけじゃないだろう。既に考えたくもないぐらいの犠牲者――――もとい戦死者が出ているはずだ。敵も味方も。
そして今に至り、かく言う俺もヘカテーがいなければ3回ほど死んでいるだろう。
現実を冷静に淡々と捉えられているわけじゃない。冷静になれるわけがない。
事実焦っていた。
少し前から、思っていた以上に全体の戦況は芳しくないらしい。
俺たちがこの森に入ってすぐ、ヴァニパル軍もブラズヘルの追援の情報を入手したらしく、砦に最低限の残留戦力を残し、ヴァニパル軍も森に進軍してきていた。
しかし国境付近の街道は完全にブラズヘル軍が制圧し、更なる増員のための物資補給中継拠点となっている。戦場上空はブラズヘルの竜騎兵隊が制空権を掌握し、地上では魔導騎士団を中心とする部隊が激しい侵攻を続けている。ヴァニパル軍は森に隠れながら何とか後退するのが精一杯、というのがヘカテーの得た情報からもたらされた現状で、このまま何もなければ負けは確実だ。
俺は善人ではあっても聖人じゃない。
戦争中にまで敵兵の命を心配することはできない。
だが――
(俺……こんなんでいいのか。こんな卑怯な…………。いや、正々堂々やらなきゃなんてこと言うつもりはないけど……)
現状、俺が躊躇わなかったのはヘカテーに人を殺せといった内容のことを言っただけで、自身は誰1人手にかけていないからだ。
ヘカテーはそれでいい、そうじゃなくちゃダメとまで言っていたけど……。
まるで潔癖みたいで気持ち悪い。そう綺麗事のように表現していいかすらわからない。
敵も味方も誰も死なないように戦争を終わらせようなんて大それたことを考えるような器ではないし、そんな自意識過剰な生まれついての主人公でもない。そのぐらいの分別がつく程度の一般人である自覚は十分あるし、自分の限界を超えてやろうと躍起になっている現実逃避主義者じゃない。
ただ思い知らされるのだ。結局、自分は何もできないのだ、と。
「アルヴァレイさんっ……!」
ふと気づくと、ヘカテーに小声で呼ばれていた。
やたらと動きの派手なアプリコット・チェリーと二手に前後に開いて分かれ、ヘカテー・ルーナ・ヴィルアリアと共に前の2人の取りこぼした敵を戦闘不能に追い込む役割を果たしているのだった。
「何ボーッとしてるんですか! 変なこと考えてる暇なんてないんですから、しっかりしてください」
「あ、あぁ……ゴメン」
「そんなんじゃ約束守れませんよ!」
「約束……」
暗に必ず生きて帰って来いと言っていた婆さんとの約束のことだろうか。
「そうです。いいですか、アルヴァレイさん、よく覚えておいてください。約束をした人に課される義務は、約束を守ることじゃないんです。約束を守るための努力を怠らないこと、それがその人に課せられる義務であり責任なんですよ」
思わず言葉を失った。
「アルヴァレイさんは確かにここに来ていますが、生き残って帰ることだけを考えてください」
「でもそれじゃ、誰かを守るなんて――」
「安心してください、アルヴァレイさんの周りにいるのは、自分で自分が守れる人ばかりです。それに…………何があってもアルヴァレイさんの生まれ故郷は守ります。かっこよくなんてなくていいんですよ。こんな状況誰しも思うことは同じです。生きて帰りたい。生きて帰ってきて欲しい。それだけなんですよ。私は見ての通りこんな人外ですし、この程度の戦争では罷り間違っても死ぬことはありません」
言い切った……。
しかし、それもそうか。ヘカテーの、彼女の中にはあのルシフェルがいる。強力過ぎる戦闘能力を持つ上に、ヘカテー至上主義者みたいなアイツがむざむざヘカテーを死なせるはずがない。
そう思った瞬間、件の危険人物の声が頭の中に響いた――。
『どうでもいいこと悩むなよ、アルヴァレイ=クリスティアース♪』
「……ッ!?」
『向こうはお前らを殺す気で来てるんだから、殺しちまえばいいものを~。ほら、迷って惑って躊躇って、お前それして死んでから、いったい誰にキレる気だ?』
ガツン、と頭を殴られるような感覚を覚えた。
『ルシフェルッ!』
頭の中で、怒ったようなヘカテーの声が響く。
『いや、だってさ。やられる前にやり返せ、って実際実質事実だし、正真正銘真理だよ? まぁ、お前が死んでも後ろにいるあの2人は生き残るだろうけど。実際問題そういうところ、あのベルンヴァーユだけで正直逃げ足確保は十分だし……』
くるるるるるっ。
特徴的な鳴き声に後ろを振り返ると、少し離れたところから若干怯え気味のヴィルアリアを乗せたベルンヴァーユ状態のルーナが、不思議そうな表情でこっちを見ていた。
『……って、あれ? じゃあ別にお前、死んでもいいんじゃないの?』
『アルヴァレイさんが死ぬなんて死んでも嫌です』
『――って言ってる女がこんなに身近にいて死んでみろ。私がお前を地獄に叩き落してやるから』
ルシフェルの声は遊んでいるようにも、からかっているようにも――――そして本気にも聞こえた。
少なくともその声には、遊びか本気か、どちらにしろ彼女の殺意が混じっていた。
「行くぞ、ヘカテー」
「はい、私は最初からそのつもりです」
そこで茶化すような言い方……。
まぁ、今回は少し俺のせいで迷惑かけたし、甘んじて受けよう。余計なことを考えれば大事なものを失ってしまうような場所にいるのだ。俺とヘカテーは周りを警戒しつつ、そして後に続くルーナとヴィルアリアも気にかけつつ再び森を駆ける。
「うおぉおおおお!」
不意に聞こえた雄叫びに振り返ると、巨大な鈍く光る戦斧が視界に入った。
「ッ!?」
ガキィンッ。
とっさに突き出した左手の鉤爪が――左腕が斧の重圧で軋む。
しかし、一瞬止められれば十分だった。幸いなことに俺は1人じゃないのだから。
バキィッ。
斧を力任せに押し込もうとしていた男の眼に、不可解さに対する疑問の色が見てとれた。
当然だろう――――目の前で頑丈な斧が粉々に砕かれたのだから。
殺そうとしていた敵国の少年の隣に佇む少女の華奢な右手の、危なっかしさを覚えるほど小さい握り拳の一撃。それがその原因なのだからなおさらだ。
「すみません。邪魔ですから」
そう言った少女の微笑みに、男が恐怖を憶えるのがもう少し早かったなら何かが変わっていたのかもしれない。
ボキッ。
「っあああああああぁぁぁぁぁぁぁッ!」
ヘカテーがやったのは男の腕の間に入り、両腕を掴んだことだけだ。
しかしその腕はつけていた鎧ごとひしゃげ、残っていた斧の柄の部分すら取り落とし、その激痛は男から完全に戦意と意識を奪っていた。
「ありがとう、ヘカテー」
「どういたしまして」
ヘカテーの場合、殺さなかったのは殺す必要がないというだけで、男を助けたつもりはない。その男とヘカテーの力量差が歴然だったというだけだった。




