(22)『竜の優しい眼差し』(改稿済み)
ズンッ……!
砦の屋上に現れた大型の竜の足元が沈み込んだ。しっかりと組んであるとはいえ、石造りの建物ではあの竜の重さに耐えきれなかったのだ。
ガラガラッと堰を切ったように崩れ始める砦。その竜は崩れ始めた屋上からゆっくりと飛び上がり、ジッと俺とヘカテーを見下ろしてくる。
上から力がかからなくなったため砦の大部分は残り、大きく崩れたのは俺やヘカテーを鎌の長柄部分で引っ掛けて外に投げ飛ばしたチェリーと同時に翼を広げていたアプリコットのいる一角だけだった。
あの2人なら大丈夫だと直感的に確信できたのは何故だろうか。
「どうして……」
「ヘカテー、あのドラゴン見たことあるのか?」
手にした短剣を引き抜きつつ、目を見開いたままその竜と視線を合わせたままと少し様子のおかしいヘカテーに訊ねる。
武器の方は役に立つかどうかはわからないが、ないよりは多少マシだろう。竜族の火力から比べれば誤差の範囲の差しかないかもしれないが。
「昔……ラクスレルで見たことが、ううん戦ったことがあるんです……。まだルシフェルもいなかった頃のことです。その時は――」
ヘカテーの言葉が止まる。その視線は、やはりまだその竜の鳶色の目にまっすぐ向けられている。まるで逸らせないとでも言うかのように、釘づけにされていた。
そして、つられて俺がその竜の目を直視した時、ちらりとその竜が俺を見下ろした。
(な……!?)
ドクン……と何かの脈動が一拍聞こえた気がした。
そして目を――――逸らせなくなった。
その竜の目には、敵意や害意はまったく感じられなかった。どころか、その穏やかな眼差しに含まれているのは――――慈愛、優しさ。
少なくとも危険な感情はまったく含まれていなかった。まるで我が子に、母親が子供に向けるような視線だった。
まるで世界が静寂に包まれたかのような平穏な空気が周囲を支配する。無音の中、その脈動はだんだんと存在感を増してくる。
自分の中の霧が晴れていくように気分がいい。
その竜に心の中を覗かれているような感覚なのに、何故か悪い気がしない。呼吸の度に清浄と形容できるほど澄んだ空気が、まるで溶け込んでいくように身体に入ってくるのがわかる。
動けない、動きたくない、何故だかそう思ってしまう。
その時だった――――グギャアアアァッ!
騒ぎ立てるような竜の威嚇の鳴き声が響き、大きな翼を広げた竜の後ろから小型の翼竜(と言ってもその竜と比べるから小さいのであって中型竜種なのだが)が滑空して、空を塞ぐ大きな翼の下をくぐって、俺とヘカテーに突っ込んできた。
「下がっててくださいっ」
ヘカテーがそう叫んで、キュッと足を回してわずかに身体を沈める。
跳躍する気だ、と思ったその瞬間、
――下がりなさい――
「「ッ!?」」
不自然なほどの存在感を含む澄んだ声がその場を、そして滑空してきたその竜を抑えつけた。
穏やかな支配に瞬く間に屈した翼竜は撃墜されたかのように石畳の上に墜落し、ぐるんと回転して地面に強く叩きつけられた。
ギッと短く悲鳴を上げた翼竜は、ずるずると翼を引きずりながらのたうつ。
「まさか今の――」
「あのドラゴンです」
話せるのか。
高位の竜族は非常に賢く、人類の使う言葉を理解できる者もいるらしい、とは聞いたことあるが、どうやら本当だったのか。
「あの目……いつもあんな目を……」
ヘカテーはジッと砦の上空から見下ろしてくる竜を睨みつけて、ブツブツと何かを呟いている。その表情はその竜に対する怒りや苛立ちと、そしてその感情に対する戸惑いが含まれている気がした。
――帰りましょう、私にはもうここには手を出せない――
再び響いてくる声に、空中を飛び交う数頭の竜と喋る大きな竜、残っていた相手の戦力全てが翼を力強く羽ばたかせ、みるみる上空へ昇っていく。
「待ちなさいッ!」
竜の視線から外れてようやく『敵意のない金縛り』から解放されたらしいヘカテーが上空に向かって強い口調でそう叫ぶと、ぐぐぐっと首をもたげて再び俺たちを見下ろすと、
――さようなら、ヘカテー=ユ・レヴァンス。いずれまた相見えましょう。その時にはきっと……――
さっきと同じように聞こえる声で優しげにそう言うと、他の竜族と共に上空の雲の中に姿を消した。
同時にヘカテーよりも縛りが強かったのか、そこでようやく俺の金縛りも解けた。
そして、ガラッと音がしたかと思うと、崩れた瓦礫の下からアプリコットとチェリーがのそのそと這い出してきた。アプリコットは這い出すと言うより先に顔を出したチェリーに這い寄るという感じだったが。
「ぷっは~、あと少し薄くなってたら潰され死ぬかと思いましたね」
「厚さ3ミリ以下になっておいてそんな台詞を叩けるのはお前くらいなのですよ、アプリコット~」
チェリーは鎌を地面に突き立て、それを引くようにして這いずる。見ると、何があったのかチェリーは両足がなくなっていた。スカートの中から伸びているはずの部分がないのだ。本人は痛みを覚えている様子もなく、至って元気そうなのがコワいが。
その視線か考えに気づかれたのか、チェリーはくふふっと笑みを浮かべた。
「心配せずともこの程度すぐに自己修復できるのです~」
「文字通りチェリーさんには心配りしなくていいですよ? マジでこの人不死身なんですから」
「お前に言われるまでもない上、お前に言われたくもない故~」
「同じ台詞返しましょうか?」
またいがみ合っているのかじゃれあっているのかわからない空気の中で這いにらめっこを始めたアプリコットとチェリーを無視して砦の中に入ると――どんっ。
「あぅあぅあぅあぅあぅあぅ~~~~ッ」
「うぉっ!?」
涙で顔中ぐちゃぐちゃになったルーナが自慢の脚力で飛びかかるように抱きついてきた。
いや、本人にしてはそのつもりなのだろうが、俺の主観では全力全身でタックルされた感じだ。当然、踏ん張れるわけもなく吹き飛ばされた俺はルーナの下敷きになるように瓦礫の上に転がる。
背中にたくさんの鈍器で軽く叩かれたような衝撃が伝わるわけだ。
つまり悶絶。
「ど、どうした、ルーナっ。とりあえず自分の足が凶器だってことは思い出してくれ」
そう言ってしまってから、理由に思い当たった。
おそらく砦の崩れた部分の近くにいたルーナは、至近距離であの大きな竜を見てしまったのだ。いや、見ていなくてもあれほど近くにいたら嫌でも感じるのだろう。つまり、本能的な恐怖を。
「アルヴァレイさん、ミーナの能力を使ってみます」
幸福な記憶を思い出させて夢を見せ、人を落ち着かせるアレか。
ふわり、と穏やかな優しい風が吹き、ヘカテーの姿が黒髪の大人びた少女の姿に変わる。
ミーナは緩やかなウェーブを描く毛先を魅力的に揺らしながらゆっくりとルーナに歩み寄ると、俺もろともぎゅっとルーナを抱きしめた。
さすがに腕を外すのはまずいのかと思ったのかもしれないが、腕に胸が当たってるからちょっと待った。
腕を少しずらしてその柔らかな感覚から何とか離しつつ、ルーナをミーナに預ける。ただし、ルーナの肩には手を置いたままだ。少し離れただけで不安な顔をするんだよ、この子。
「僥倖懐古」
これで何とかなればいいけど、と思った瞬間、俺の意識は瞬く間に塗り潰され、穏やかな優しい腕によって夢の中に引きずり込まれた。
…………え゛。




