(11)『奇襲』(改稿済み)
目を覚ますと、眼前が真っ暗だった。否、真っ黒だった。
艶やかに煌き、わずかな光でも光沢を際立たせる漆黒の毛皮。
(ルーナ……?)
それにしても、何故彼女の毛皮が目の前にあるのだろうか。
そんな疑問を抱いた時、唐突に息苦しさを感じた。高山に登ったためでも狭い場所に閉じこめられたためでもなく、単純に胴体が圧迫されているためだ。
干された布団のような体勢の、その背中に感じるむっちりとした柔らかな重圧によって。
「あ、起きたみたいですね、アルヴァレイさん」
頭上から、正確には背中の上から優しく気遣うような声が聞こえてくる。身体を揺すると、わずかに金属鎖の擦れ合う音も重鳴る。十中八九上に乗っているのは、声の主、ヘカテーさんだろう。
黒い毛皮から視線をずらすと、ルーナのしなやかだが力強い脚と赤土の地面が映る。今更気づいたがなかなか起きない俺を荷物扱いで運ばれていたらしい。置いていかれなかっただけまだよかった。
ヘカテーが何とか身体をずらしてくれたため、何とか重心を崩して、ルーナの背から滑り降りる。
「よっ……と」
頭から落ちるところを腕を突っ張り、受身を取って立ち上がる。
本当なら普通に降りたいところだが、ヘカテーが上から降りない限りは不可能だ。身体を無理に浮かせるぐらいなら一度降りた方がヘカテーにとっても楽だったんじゃないかと思うのだが。
服に付いた少し湿り気のある土や砂を払い落としつつ、改めて状況を確認する。
ヘカテーとヴィルアリアは2人ともルーナの背に乗り、けして少なくはない荷物はヴィルアリアが抱えるように持っていた。
景色の細部はあまり変わっていない。昨晩の野営場所からそこまで離れてはいないだろう。
「おはよう、お兄ちゃん」
「ん、おはよう……っておい」
ヴィルアリアが片手を挙げてそう笑いかけてくる。
手を離した拍子に崩れかけた荷物を慌てて抱え直し、「あはは……ふぅ」と安堵している。
「アルヴァレイさん、よく寝れましたか?」
「痛みを感じる暇もなく昏倒させられるとは思ってもみなかったけどな。1発殴りたいからルシフェル出してもらっていいか?」
「ごめんなさい。何でかはわからないけど今ちょっと機嫌が悪いみたいで……」
「アイツは機嫌がいい時も危険だろ……」
朝っぱらから困ったような顔の美少女を見てしまったよ。人じゃないけど。
ちなみに眠れたかどうかで言えば、ずきずきと痛む首の不快感を除いた場合に限り、比較的まだ眠れた方だと思う。安眠とは程遠い寝付き方をしてしまったせいか、眠気は少し残っているが。
「お兄ちゃん、ローアまではあとどれぐらい?」
「寝起きの俺に頼むか、普通……」
「ヘカテーさん、地図が読めないらしいの!」
じゃあお前が読めばいいだろ、成績は主席なんだから。などと考えていると、丸められた地図が無回転で額に叩きつけられた。軽い紙製の地図だ。
アリア、お前どうやった。
「そっちじゃなくてローアはもっと上だよ、お兄ちゃん」
わかってるなら自分でやれよ。
「現在地がここだから……」
地図を見ながら地形を脳内に構成し、所要時間を概算していく。
最も移動時間が短くて済むのはルーナに俺とアリアが乗り、ヘカテーが人間離れした脚力をフル活用することなのだが、何故かヘカテーは自分の身体能力をあまり人に見せたくないらしい。
その辺りにも何か事情がありそうなのだが、まだそこまで話してくれてはいない。
件のヘカテーはさっきから俺とアリアの遣り取りを少しそわそわしながら横目で見ている様子だ。
少なくともそれを見る限り、昨日のアレはやはり夢ではないのだろう。
「あと、1、2時間ってトコ――」
「しっ……!」
突然、ピリッと痺れるような緊張がその場の空気を凍りつかせた。
ヘカテーの緊迫感に溢れた制止の声がアリアを一瞬震えさせ、寝起きでぼんやりとしていた俺の頭を覚醒させる。
「アルヴァレイさん、誰かが近づいてきています。これは複数人数の思考波……囲まれてますっ……!」
ヘカテーが無声音で突然そう呟いた。
その瞬間だった。突然周囲の木陰から視界に光塵が散った。
不規則に変化するオーロラのような光幕をなびかせながら、光弾が視界に迫る。
まるで、魔弾(攻撃魔法)のような――
「アルヴァレイさん!」
「ッ!」
パチンッと弾けるような音がして、向かってきた光弾がかき消えた。
「油断はダメですよ、アルヴァレイさん。少なくとも、いつどこが戦場になってもおかしくないのですから」
魔弾を叩き飛ばした張本人、ヘカテーがスタンッと姿勢を低くして着地した。それと同時に俺は袋から短剣を抜く。
しかし、魔力のみで構成され実体を持たない魔弾は、金属の通常の武器で受けることができない。そのため戦争では最も多く用いられる攻撃魔法だ。
俺は魔弾を避けつつ、ルーナに手で合図をして後ろに下がらせると、
「先に行け! すぐに追い付く!」
ルーナはその声に一瞬躊躇うような素振りで首を振ったが、改めて頷きつつ首を擦ってやると、すぐに地面を蹴って走りだした。強靭な脚はその1歩目から信じられない加速度を発揮し、瞬く間に戦線を離脱していく。
「アルヴァレイさん、ルーナちゃんに追い付けるんですか……?」
「追い付けるかな……」
今さらながらルーナの俊足を思い知らされ、困ったような笑みを浮かべるヘカテーと背中合わせになる。
森からの何者かからの攻撃、俺とヘカテーでどうにかしないとルーナたちにも危険が及ぶかもしれない。あるいはヘカテーだけでも何とかなったのかもしれないが、この状況で彼女1人置いていけるほど普段から打算で動いてはいない。
その時、ヘカテーは森の中をジッと見据え始めた。時に素手で魔弾を弾き飛ばし、時に軽快かつ合理的な運足で次々と森の奥から飛んでくる魔弾を躱していく。
しかし、その目線は常に一方向に向いていた。
そして、
「ブラズヘル第一師団所属第4小隊隊長、エルフリード=メルチェ! 普段騎士道を名乗っておいて子供1人に奇襲を使うなんて。こそこそ隠れてないで、出てきなさい! 名ばかりの騎士道女!」
唐突にそう叫んだ。




