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旧き理を背負う者‐エンシェントルーラー  作者: 立花詩歌
第5章『火喰鳥事変』
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(21)『魔女は逃げる、全てから目を背けて』

 翌朝――。


「ふあ……ぁっ」


 朝日が星見の丘(ルクラ・ルルラ)を照らし始めた頃、隣にいた康平が眠たげな欠伸を漏らして身体を起こした。


「やっぱ寝足りないか?」

「あはは……。さすがにこんなところじゃ不用心に寝るわけにもいかないからね」

「不用心……ね」


 仕方ないこととはいえ、友達(シャルル)を警戒しなきゃいけないというのは何も思わずにはいられない。女性陣の穏やかな眠りを確保するために人知れず見張りをかって出たものの、必然的にその空白の時間に色々と考えてしまうこととなった。


「結局何も現れなかったけど……やっぱりこの森にはいないのかな、シャルルさん」


 康平が辺りを見回して呟いた。

 何故かシャルルの事情を知っているらしい紙縒も康平には教えていなかったらしいが、どうせ時間はたっぷりあるからと今までの経緯を昨晩康平に説明した。裏シャルルのことなど自分でも理解できていない部分はどうしても上手く説明できなかったが、元々頭の回転は早いらしい康平は然程時間もかけず大まかには理解したらしい。


「さあな」


 根が臆病で優しいシャルルのこと。あの日以来さらに夜を恐れるようになっているだろうし、このシュヴァルツヴァルトですらあんな惨劇の舞台になってしまったのだ、余程のことがない限り人が入れるような場所は避けるだろう。もしシャルルがこの森にいたとしたら、おそらく最も()()が起こりにくいハクアクロアかその周辺で日暮れを迎えたはずだ。あるいは、少なくとも人を殺すことがないように最低限制御できるような方法を見つけているかもしれない。


「……さすがにそれは楽観しすぎか」


 そんなものがあるのなら、シャルルはもっと早くに救われていただろう。あんなに苦しむことはなかったはずだ。


「ぁ……ん……」


 康平が再び欠伸をした。


「もうすぐ皆起きてくるだろうし、今から寝てこいよ、康平。頃合いになったらちゃんと起こしてやるから」

「え、でも……」

「俺は平気だから気にすんな。お前とは鍛え方が違うからな」


 気を使うつもりでそう言ったのだが、言葉選びを間違えたことに気付いた時には康平は苦笑いを浮かべていた。


「えっと……すまん、そういうつもりじゃなくて――」

「わかってるから大丈夫だよ。それに色んな意味で弱いのは自覚してるから。お言葉に甘えて少し寝ることにするよ」

「あ、ああ……」


 康平はそのままそこに横になると、目を閉じてすぐに静かな寝息を立て始めた。よほど疲れていたのだろうが、本人が言っていた通りこんなところで気を張るなという方が土台無理な話なのだ。


「さて……朝食はどうするかな」


 俺はリィラや鬼塚との旅で慣れているから一食抜くくらい問題ないが、ここにいる大多数はそんなわけにもいかないだろう。食べられるものもなくはないが、最低限の保存食しかないため全員分には程遠い。この森には食用の木の実などが成るような樹はないため、選択肢は実質一択だろう。


「ルーナが起きたら、誰かと一緒にテオドールまで行ってもらうか」


 朝のテオドールは至るところで市が賑わう。ルーナなら全力を出せば短時間で往復できるのだし、買い物の時間を合わせても一時間で戻ってこられるはずだ。

 そんなことを考えていると、丘の中腹で雑魚寝している(たくま)しい女性陣の中で一人がパッと身体を起こした。


「ん……ぁっ」


 気持ち良さそうに伸びをしたその人物はきょろきょろと辺りを見回して、丘の上に――俺のいる方に視線を向けた。


「随分早いのね、アル」

「おはよう、紙縒」


 紙縒は周りを起こさないようにそっと立ち上がると、すたすたと歩み寄ってくる。しかし目の前に来た時、俺の右手を見て(にわか)に顔をしかめた。


「まさか“早い”んじゃなくて“遅い”んじゃないでしょうね?」

「紙縒なら……さすがに気付くか」

「当たり前でしょ」


 俺が降参するように右手の短剣を掲げると、紙縒はこめかみの辺りを押さえて深い溜め息を()いた。


「他の奴には言わないでくれると助かる」

「まさか全く寝てないの? でも昨日私たちと一緒に寝たじゃない」

「そうでもしないとヘカテーがずっと付き合って寝なかっただろうからな」

「あー、確かにあの子はそうかも」


 紙縒はベルンヴァーユ姿のルーナに身体を預けて眠るヘカテーを見遣ると、続けて足元で寝ている康平に視線を落とした。


「アルは女の子を守るために率先して見張りを務めてるってのに、それに比べてうちの康平は情けない限りね」

「まぁ、そう言ってやるなよ。康平も戦えないなりに頑張ってたんだから」

「え?」


 俺の言葉に理解が遅れたらしい紙縒はきょとんとした表情を浮かべた。


「紙縒が寝てしばらくしたら起き出してきて、ずっと俺と見張りをやってたんだよ。寝たのはホントについさっきだ」

「康平が……?」


 紙縒は驚いた反応を示すと、康平の寝顔が見えるような場所に腰を下ろした。


「でも私にそんな密かな頑張りバラしちゃってもいいの? こういうのって多分口止めされてると思うんだけど」

「康平はいい奴だからな。こういう奴の美徳や善行ってのは本人の預り知らないところで浸透するもんだろ。ま、告げ口が褒められたもんじゃないってのはわかるが、今回は得こそすれ誰も損はしないだろうし」

「……うん、教えてくれてありがと、お節介さん」


 紙縒は微笑みながら手を伸ばすと、康平の前髪を軽くつついて少し嬉しそうに「バカ……」と呟いた。

 一応どうするか迷っていたが、康平も特別箝口令は敷いていなかったし問題はないだろう。それこそお節介かもしれないが。


「う」


 不意に紙縒が妙な声を上げた。

 その視線は地面に――いや、どちらかと言うと紙縒本人の脚の太股辺りに向けられているような気がする。


「……こんなところにあるわけないし、やっぱり何処かでするしかないってことで……うぅ……こんなのママに知られたらお小言三時間コース確定モノね……」


 よく聞こえないが、何やら深刻な顔でぶつぶつと自問自答しているようだ。


「どうかしたのか?」


 一応そう訊ねてみると、その途端不意に紙縒は立ち上がった。


「……っちょ、ちょっと花を摘みに行ってくるわっ……!」

「花?」


 何故急に花――――もしかして昨日話に上ったルーナの花のことだろうか。


「俺も行くよ」

「え!?」


 紙縒が思った以上に驚いた表情を見せると、その頬はかーっと朱味を帯びた。


「二人でなんて行けるわけないでしょ!?」

「お、俺はただ手伝おうかと……」

「なッ……一人でできっ――死ねバカ! 無神経にもほどがあるわよ……」

「無神経!?」


 脈絡が掴めず、俺が混乱している間に紙縒は憤慨の様子で丘を駆け下り、森の中へ入っていってしまった。


「紙縒さん、どうかしたの……?」


 紙縒の姿が見えなくなった後、入れ違いでもぞもぞと起き出してきたヴィルアリアはすぐに紙縒がいないことに気付いて開口一番にそう訊ねてきた。


「おはよう、アリア」

「うん。おはよ……お兄ちゃん」


 ヴィルアリアは子供のように目を擦ると、ゆっくりと立ち上がり、ふらふらと俺の方に歩いてくる。


「大丈夫かよ、アリア」

「うん、大丈夫……」


 朝にそれほど強くないヴィルアリアは不安ばかりが募る挙動で歩み寄ってくると、俺の隣にぽてっと腰を下ろした。

 何処と無く覚束ない様子だし、これはまだ完全に起きたわけじゃなさそうだ。寝惚けている時のヴィルアリアは普段より子供っぽくなる。正確には、普段の性格がいい意味で猫被りということになるのだが。


「もう少し寝ててもいいぞ、アリア」

「うん、大丈夫……」

「可愛いぞ、アリア」

「うん、大丈夫……」


 あと五秒くらいで二度寝に入るな、これは。

 そんなことを思っていると、ヴィルアリアは俺に(もた)れるようにして眠ってしまった。これも昔からの癖のようなものだから慣れたものだが。

 がさ……。


「ん? もう戻ったのか、紙縒」


 不意に聞こえた草を踏む音に振り返ると、懐かしい匂いを含んだ風が吹き抜けた。


「「え……?」」


 丘と森の切れ目――ちょうど紙縒が入っていった辺りのそこに立っていた人影と俺の声が自然と重なる。そして、その人物の服装に俺は次いで息を呑んだ。

 耳まで隠す大きな帽子に白のローブ。

 見間違えようもない。ずっと探していたのだから。


「シャルル……!」


 俺に名前を呼ばれたからか、びくっと一瞬肩を跳ねさせたその人影――シャルルは(きびす)を返して森の中へ向かって走り出した。


「逃がすかよッ……!」


 不本意ながら凭れかかってくるヴィルアリアを寝ている康平に預けると、すぐにシャルルの背中を追いかけて薄暗い森の中に飛び込んだ。


「ちょっ、何こっち……!」


 今通り過ぎた足元の辺りで紙縒がしゃがみこんで何かをやっていたようだが、背後から聞こえてくる怒声から鑑みるに振り返ると危ない気がする。

 何より今は、何を差し置いてもシャルルを追うことが先決だ。


「来ないで下さいッ」


 前を行くシャルルが俺の方にちらと振り返って叫ぶ。


「お前が来ないならこっちから行くしかないだろうがッ。もう逃げるな、シャルル!」


 どうして、何故逃げようとするんだ。

 俺はまだあの時の返事をしていないし、シャルルもその返事を聞いていない。聞く前から逃げようとするなんて諦めに似た自己完結に過ぎない。

 それでもいい、という意見もあるだろう。だがそんなのがいいはずがない。

 特に人の感情なんてものは曖昧で不安定で、もしもその人が死んでしまえばそれでなくなってしまうものでしかない。だからこそ人は想いを言葉にして、その上で確かめ合わないといけないのだ。


「ちょっと、アル。どうなってるの、これ」


 背後から聞こえた声に振り返ると、いつもより目付きのキツい――何処か責めるような視線を向ける紙縒がすぐ後ろを走っていた。その相対位置はすぐに変化し、紙縒が前方にシャルルの姿を認めてからは位置関係が逆転して俺が紙縒の後ろを走るような形になっていた。


「シャルルは紙縒のいた方から現れた。あの時、気付かなかったのか?」

「そ、そんなこと気にしてなかったけど……。でも、さすがに気付かないっていうのは変ね。私、何時(いつ)どんな時でも大抵気を張ってるもの」

「ま、それは後だ。とにかく今はアイツを捕まえないと」

「それもそうね。それは私に任せて。こう見えて荒事専門なの」


 紙縒はさっきまでの不機嫌そうな雰囲気は何処へやら頼もしげに片瞬きすると、一瞬で加速してシャルルの背に肉薄した。


「――『縛式』式動、千陣鎖(せんじんさ)ッ――」


 紙縒の掲げた“縛”と書かれた式紙から出現した無数の鎖が木と木の間を縫うように自在に動き、四方八方からシャルルに迫る。

 しかし――――パチンッ。

 ちらと一目だけ振り返ったシャルルが指を鳴らすと、無数の鎖はボロボロと崩れるように消滅した。


「なっ……!」


 紙縒が驚きで怯んだその瞬間、直前の挙動が目視できないほどの速さで振り返ったシャルルの足が横薙ぎに振るわれ、紙縒の腹部に直撃した。


「きゃあっ……!」

「うぉっ!?」


 不意に姿勢を崩されて後ろに吹っ飛ばされるように転んだ紙縒を(かば)うと、勢いを殺しきれず俺と紙縒は(もつ)れるように地面を転がった。


「大丈夫か、紙縒」

「あ、う、うん……ありがと、大丈夫よ」


 紙縒は俺を助け起こしながら自分も立ち上がるという器用な挙動で体勢を立て直すが、その間にシャルルの姿は見えなくなっていた。

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