(10)『火喰鳥-ひくいどり-』
「そういえば、久遠。ちょっといいか?」
何故か無性に酒を欲していた様子のリィラが鬼塚を引き連れて――もとい引き摺って宿を出て行くと、俺は稲荷を寝かしつけて毛布をかけたところの久遠に声をかける。
すると、びっくぅッ! とまたも過剰反応を見せた久遠は慌ててこっちに振り返り、
「はっ、ひゃ、ひゃぃっ!」
噛み噛みの裏返った声でそう叫んだ。
直後寝ている稲荷以外の全員の視線が久遠に集中し、久遠は顔を真っ赤にしてしおしおと縮こまってしまう。その途端、今度は稲荷と久遠以外の全員の視線がずれ込むように俺に向けられる。
何故だ。
「おい、何だその目は……」
「ううん、お兄ちゃんが新しい女の子にいきなり手を出そうとしてるのかなって」
とヴィルアリアがジト目と共に意味不明な言葉をぶつけてくる。
「待て、何の話だ」
「アルヴァレイ=クリスティアースは婦女子の赤面している顔が好きという情報は最早常識なのです~」
とチェリーがケタケタ笑いながらベッドの端で足をぶらぶらさせる。
「それ何処からの情報だ!?」
むしろ何処の常識だ!
「アルヴァレイさん、だからルーナちゃんも気に入ってるんですか!?」
とヘカテーが座っていた寝台から立ち上がり、ルーナを守るように抱き締めた。しかし当のルーナの方は、ヘカテーに抱きつかれたからか今の言葉になのか、その頬を仄かに赤らめて顔を伏せた。
「それとこれとは話が別だよな!?」
「…………あれ? でもアルヴァレイ=クリスティアースって、もうシャルロット=D=グラーフアイゼンに子供産ませたりしてませんでしたっけ?」
と寝惚けたような表情のアプリコットが半開きの目を擦りながら「あれ?」と首を傾げた瞬間――――当然の如く空気が凍りついた。
俺はというと、アプリコットの言葉にもツッコミを入れようとした直前に、意味がわからないどころではなく言葉そのものがマトモに認識できていなかったような気がして、もう一度寝惚け顔のアプリコットが口走った言葉を斟酌し――――凍りついた。
「え゛」
気がつくと、恐ろしい殺気を放つ人外と妹に挟まれていた。
「アルヴァレイさん、今のホントですか……?」
「お兄ちゃん、アリア何にも聞いてないんだけど……?」
「二人とも目が死んでますが!?」
ヘカテーは口元を引き攣らせて無理な笑顔を浮かべたまま、俺の右側に陣取ってふるふると震える右の拳を左手で抑えるようにしている。非常に危険。
ヴィルアリアは人形のような薄ら笑いを浮かべたまま、俺の左側に陣取って感情がぶっ壊れたような目でぼんやりと俺を見つめてくる。非常に危険。
「お、落ち着け、二人とも。そもそも俺とシャルルはそんな関係にない……!」
「アリアちゃん……アルヴァレイさんが何か変なこと言ってますよ……?」
「そうですね、ヘカテーさん……。お兄ちゃん、本当に変ですねー……?」
ふ、二人がおかしくなった……。
ていうかさっきどうやって俺の左側に高速移動したんですか、アリアさん!?
「おい、アプリコット……! アホなデタラメ言ってないですぐに撤回しろ!」
俺が元凶の方を振り向きながら思わずそう怒鳴ると、
「まぁ、現時点ではシャルロット=D=グラーフアイゼンがアルヴァレイ=クリスティアースの子を身籠ったなんて事実はないでしょうね。現時点では」
「おい、なんで現時点を強調した?」
「やですね。未来なんて誰にもわかるわけないじゃないですか。ていうか未来がわかるなんて、そんなの未だ来ぬ未来から来た未来人ぐらいでしょうよ」
アプリコットがそう言った途端、何がツボに入ったのかチェリーが吹き出した。
「ぷっ、ぷくくっ……。相変わらずアプリコットのユーモアセンスは皆無なのです~。そもそも当てはまるのは時間移動機側なのですよ~」
何故か含み笑いを漏らし始めたアプリコットのチェリーの相手を諦めた俺は、アプリコットの証言でひとまず殺気は収めてくれたらしいヘカテーとヴィルアリアをチラッチラッと横目で確認する。
二人とも何処か腑に落ちないと言いたげな表情で唇を尖らせていた。百歩譲ってヘカテーの心中は何となく想像できるが、ヴィルアリアが何を怒っているのかがさっぱりわからない。
仕方なくアプリコットのせいで大幅に狂った話の方向性を元に戻すべく、俺は久遠に向き直った。
そして――
「「で――」」
あれ? と思った時には既に、俺の声に誰かの声が重なっていた。
「――火喰鳥がこんなところで何やってるんですか? あなたたちの住処は確か霧の森だったはずですよね?」
アプリコットだった。
直前までチェリーと二人で笑っていたのがまるで嘘のような鋭い表情で、今までに見たことのないような攻撃的な視線を久遠に向けてそう言った。
その射抜くような視線に晒された久遠は、びくっと震えて目を逸らした。
「いや怖がられても困るっちゃ困るんで――――いや困らないですね、別に」
「火喰鳥、って何ですか……?」
聞いても大丈夫かな――――と迷う様子で久遠に視線を遣ったヴィルアリアが、現役学生らしく手を挙げてアプリコットに訊ねる。途端、その視線を流すようにアプリコットは久遠に視線を送った。
しかし久遠はまた顔を真っ赤にして、喉の奥からはわわわわ……と妙な声を漏らしている。
「どうせここにいるのは一人を――もとい二人を除けば人外ですから問題ないと思いますよ」
アプリコットさん、なんで今言い間違えましたか。
ここにいるのは俺とアリアを除けば人外だけ、それは火を見るより明白なのに。人外の人数を数え間違えるのならともかく、非人外の人数を数え間違えるなんて。最初に俺かアリアのどちらかを人外扱いしてたってことになるけど……たぶんアリアだろうな。俺に優秀な部分はないし。
「えっ、えっと……!」
その時、久遠が目をぎゅ~っと瞑ったまま両手を胸の前で握り、注目を集めるため声を張り上げただけなのに、まるで何かをやりきった後のような空気を流している。
さっきから思ってたけど、今日あったこととか関係なしに他人が苦手だろ、この子。加えてドジだ。自分で大声を出したくせに脇で眠る稲荷が目を擦って起きそうになり、また慌てて寝かしつけてる。
直後、皆の目が自分に向いていることに気付いた久遠は、さらに顔を真っ赤に染めて慌て始める。
何がしたいんだ、この子――――と俺が思った瞬間、久遠は急にしゅんとした様子で目を伏せ、
「私たちの住んでいた霧の森は、滅ぼされました……」
か細い小さな声だったが、久遠は声を途切れさせることなくそう呟いた。
その言葉を聞いた瞬間、何故かルーナがびくっと震えたのが視界に映る。無理もない。ルーナも、かつてシャルルと共に住んでいた黒き森を滅ぼされた経験をしているのだから。
「滅ぼされたって誰にですか!?」
寝台に腰掛けていたヴィルアリアが、立ち上がって声をあげる。
「わからな、くて……あれが、なんなのか……」
「何で狙われたのか心当たりはないんですか?」
「たぶん……私たち、が……火喰鳥、だから……」
「そこがよくわからないな。結局その火喰鳥っていうのは何なんだ?」
俺がそう訊ねると、はっとしたように顔を上げた久遠はしばらく俺の顔をじっと見つめていたかと思うと、徐に着ていた着物の襟に手をかけた。
「え?」
誰かの声がした。途端に、久遠は顔を真っ赤にしたまま着物を着崩した。着物は久遠の二の腕の辺りにまで下ろされ、はだけられた胸元はかろうじて引っ掛かっているような状態になる。
服の上から見た時より大きいな――――と思ってしまったのは不覚にも仕方がない。
ヘカテーが読心能力を失っていることをありがたく思おう。
「何をやって――」
バサァッ
制止に入ろうとしたのか、一瞬で久遠に肉薄したヘカテーの言葉と動きが止まる。一瞬の内に、久遠の背後からそこそこ広い部屋の壁ぎりぎりまで広がった大きな黒い翼が出現していた。
その勢いで数本抜けたらしい黒羽根が宙を舞って床に落ちる。
「火喰鳥は、“神の翼”の末裔の成れの果て……」
何を考えて話し始めたのかはわからないが、何れにせよアプリコットに遮られた俺の質問は『久遠がどんな人外に当たるのか』という質問の答えでもあるようだから黙って聞いておくか。
「神の翼……?」
ヘカテーが、やや警戒気味に首を傾げる。
「旧き理を背負う者ですら記憶の届かない前界の境地……。それが私たち、火喰鳥。私たちは元々……神界における造物主――つまり神の一族……」
「神……!?」
ヘカテーが目を見開いた。
「でも今の私たちに……そんな力は、ありません……。この世界――新界に降りた時に、ほとんどの力を失っちゃいましたから……」
そう言った久遠は悲しげに目を伏せると、翼を何処かに畳んで着崩していた着物を正した。そして、傍で眠る稲荷の頭をそっと撫でた。
ヘカテーも唖然とした顔で絶句している。
「でも火喰鳥も……もう、私一人になっちゃいました」
明らかに無理をしている様子のその笑顔を見た時――――俺は気づいた。
何故か久遠が気になった理由に。
最初に見た時から、何となく思っていたのだ。彼女は、シャルルに似ている、と。
「霧の森が……そんなのありましたっけ……?」
「私の記憶にはないのです~。そもそもお前の記憶にないということは記録にないのと等価なのですからして~」
「だとすると歴変異常ですかね……? もしかしてチェリーさんが紙縒んたちを飛ばしたのがそんなトコまで影響してるってことですか?」
「何でもかんでも人のせいにするんじゃないのです~……! そもそもアレはグリモアールが私を操っていただけなのですからして~。当時の私に責任能力はないのです~……!」
「何にせよ、一応調査に回っといた方が良さそうですよね、うわ面倒くさい」
背後から謎の会話が聞こえて振り返ると、アプリコットとチェリーが顔を寄せ合って何かの話をしているようだった。声が小さくてほとんど聞き取れないようだが。
「アプリコット、チェリー、お前ら何か知ってるのか?」
と一応聞いてみると、
「いや、ボクらはそもそもヴァニパルから出てないですしね。この大陸では、ですが。何れにせよ、霧の森に行ったことはないんですよ。火喰鳥のことも人伝に聞いただけですし。それに何を知ってるも何も、様子から察するに滅びに居合わせたっぽい火喰鳥久遠以上のことは何も知りませんよ。まぁ、でも、火喰鳥という存在についてもう少し詳しく聞きたかったら、ボクが教えてもいいですけど、たぶん聞けばそこの火喰鳥久遠が教えてくれるんじゃないですか? 何せ一宿一飯の上に貞操の恩義があるわけですし」
「いや、そこまで恩着せがましく言うつもりはねえよ……。大体アレは――」
「ただの好意と言うなら随分とお人好しなのです~。下心があったのなら先に言ってしまった方が楽なのですよ、アルヴァレイ=クリスティアース~」
一瞬こめかみが引き攣る。
「……お前ら、本当性格悪いな」
「いやいや、ボクたちは性格が悪いんじゃなくて、性質が悪いんですよ♪ それじゃ、チェリーさん行きましょうか」
「私様に指図するななのです~。お前はあくまでも私の部下なのですからして~」
アプリコットが腰掛けていた寝台からスッと立ち上がると、チェリーもその上でくるんと一回転して宙返りするように勢いよく飛び降りた。
「お、おい、何処か行くのか?」
仮にも性格が悪い、なんてことを言ってしまったから思わず狼狽えてしまったが、アプリコットとチェリーはそんな俺の様子すらくすくすと笑い飛ばした。
そして何故か部屋の窓を開け放つ。
「何を言うかと思えば、ここはヴァニパル。元々こういう予定だったでしょうに。ボクたちも元の仕事に戻るんですよ♪」
「こんな時間にか……?」
「今さら昼だの夜だの関係ないんですよ。それじゃ、ばいにゃら♪」
アプリコットは相変わらずよくわからない言葉を残すと、窓枠に足を掛けて外に飛び下りた。
続いてチェリーも窓枠によじ登ると、最後に振り返って急にヘカテーを指差した。
「そこのお前~」
「私、ですか……?」
ヘカテーが戸惑いつつも自分を指差すと、チェリーはこくりと頷き、
「その男が誰を孕ませたか気にするくらいなら、お前もやってしまえばよいのですよ~?」
「お前、アホだろ!?」
と俺がツッコむのとほぼ同じタイミングで、チェリーは赤面するヘカテーや俺をケタケタと嘲笑しながら、しゅるんと窓から飛び降りて夜の闇に消えていった。
最後の最後でなんて言葉を残していきやがる、あの変人ども……!
直後、すさまじく気まずい空気から逃げ出すように、俺は部屋を後にした――
――というかせざるを得なかった。