第35話 魔石の山
『魔素:8,340』
視界の真ん中に浮かんだその数字を結人は三回読み直した。
「榊さん! 八千三百四十!」
「何がだ」
「魔素だよ! ランプモスの魔石を全部入れたら、八千三百四十になったの!」
六月の二週目の金曜の晩だった。空洞の床に座り込んだリーゼの姿の結人の隣で、榊が手斧の刃を拭く手を止める。
初めて群れを焼いた水曜から今夜で五回目の討伐の晩になる。二回目と三回目の晩も割れ目からは群れが溢れたが、数は晩ごとに減った。今夜這い出してきた蛾は三十匹ほどで、洞に溜まっていた分はひとまず出尽くしたらしい。
その代わりに結人のインベントリには魔石の山ができていた。
「単発が百で、十連が千でしょ。だから十連が八回と、単発が三回! 全部で八十三回も引けるんだよ!」
「春先は三回引けると大喜びしてたくせに、今度は八十三回か」
榊は呆れた顔を作ったが、口の端が上がっている。毎晩粉まみれで蛾を叩き落としてきた甲斐があったとでも言いたげな顔だった。
「十時まではまだ四十分ある。好きに引け。俺はここで見ててやる」
結人はまずDPショップで500DPを使ってインベントリの枠を広げた。八十三回分の品の行き場を作っておかなければならない。
「それでね、榊さん。あたし、二人目のキャラが来てくれたら嬉しいんだ」
「二人目?」
「うん。リーゼの他に変身して一緒に戦ってくれる人。リーゼに仲間ができたらいいなって」
榊は手斧を脇に置いて顎を撫でた。
「その仲間にも、お前は変身するんだぞ。リーゼじゃなくなってもいいのか」
「いいよ。どんな人が来ても大事にする」
即答だった。榊は一瞬だけ目を細めた。
「‥そうか。なら、いい奴が来るといいな」
「うん!」
* * *
まず単発を三回ならしのつもりでタップした。
『★3 行き先のない靴紐』 『★3 朝汲みの水差し』 『★3 鍋の蓋』
「また鍋の蓋!」
「何枚目だ」
「三枚目。リーゼが呆れてるのが分かる」
榊が腹を抱えて笑い出した。
「三枚もありゃ、施設の厨房に寄付してやれ。おばちゃんが喜ぶぞ」
「鍋の蓋だけあっても、鍋がないと困ると思う」
それから十連のボタンをタップすると、星空が一段暗くなった。
金色の天球儀が三重に膨らみ、夜空の十か所が同時に瞬いて十の星が一斉に尾を引く。春先には三回しか引けなかった召喚を今夜は夜空いっぱいの星が埋めていく。それが八回続くのだと思うと結人の胸は苦しいほど高鳴る。
一回目は九つが青で、一つだけが金だった。青い星からは『★3 出がけの靴べら』『★3 繕い糸の糸巻き』と役に立ちそうにない物が続き、金の星からは冷たい物を掴んでも指がかじかまない『★4 雪渡りの手袋』が出た。
結人が試しに嵌めて岩の床を叩くと、手のひらにはまったく冷たさが伝わってこない。
「ほんとだ、全然冷たくない!」
「六月にゃ要らねえがな。冬の見張りの晩には重宝しそうだ」
二回目の十連でも金の星が一つ落ちた。尾が金色に光った瞬間、結人の背筋が伸びる。キャラクターかもしれない。せり上がってきたカードがゆっくり表を返すと小さな銀の鈴が描かれていた。
『★4 番犬の鈴』 『効果:魔物の接近を音で知らせる。近くに居る所持者には、壁越しでも届く』 『眠る者の代わりに、目を開けていよう』
「キャラじゃなかった‥」
がっかりした声が出てから結人は効果の欄を読み返した。壁越しでも届く。施設の布団で寝ていても、聞こえるということだ。
「‥榊さん。これ、陽向たちが寝てる間も、あたしが気づけるってこと?」
榊の顔つきが変わった。
「そいつを割れ目の手前に吊るしときゃ、俺たちが居ない晩でも蛾が出てきたらお前に分かる。‥そりゃ助かる。お前らが寝てる間、気を揉まずに済む」
そこからは星が雨のように降った。
宿屋の硬い枕、風に飛ばされた帽子、またしても靴紐。十連のたびに金の星が一つか二つ混じり、中の水がいつまでもぬるくならない『★4 木漏れ日の水筒』や目盛りの擦り切れた『★4 帰り道の羅針盤』が出てくる。金が光るたびに結人は息を止め、キャラクターではないと分かるたびに肩を落とした。それでも手は止まらなかった。
「枕が出た。硬いやつ」
結人が見せた画面を榊が覗き込む。
「宿屋の枕か。どこの宿もあれが石みたいに硬くてな。探索者の頃は、寝た翌朝は決まって首が回らなかった」
「榊さんも、その枕で寝たの?」
「似たやつでな。首を痛めて、よく鷹野に笑われた」
五回目の十連では金の星が二つ続けて落ちた。
「二つ!? 榊さん、金が二つだよ!」
「おう、そいつはいいのか?」
「すごくいいの! 二つも来たら、どっちかはキャラかもしれない!」
結人は両手を握りしめてカードを待った。けれど表を返した二枚は、どちらも旅の道具だった。結人が地面に突っ伏すと、榊は笑いを噛み殺して肩を軽く叩いた。
「惜しかったな。次だ、次」
「何だか全部、どこかの旅人の荷物みたい」
「お前のガチャは、旅支度でもさせたいのかね?」
「寝袋はまだ出てないよ。枕は出たけど」
「出てるのかよ!」
榊がまた笑い、結人もつられて笑った。インベントリの広げたばかりの枠はあっという間に半分が埋まった。
「最後の十連だ」
八回目のボタンの上で結人は目を閉じた。リーゼの隣に誰かが来てくれたら。それだけでいい。
「お願い‥!」
* * *
八回目の天球儀が回り、十の星が落ち始めた。
三つ目の星が最初から金色の尾を引いていた。
「金だ!」
結人は思わず立ち上がった。金色の光の柱の中からカードがせり上がってくる。今度こそ。今度こそキャラクターであってほしい。
表を返したカードには刀身の芯に炭火の色の筋が通った片手剣が描かれていた。
『★4 残り火の剣』
「同じ、剣‥?」
声がかすれた。八十回以上も引いて最後の金がもう持っている剣だなんて。結人は立ったまま唇を結び、床を見つめた。涙が出そうになるのを、懸命にこらえる。
榊は何も言わずに隣へ来て、結人の頭に大きな手を載せた。
「二本あっても困らねえだろ。‥まあ、今は慰めにならねえか」
「‥ならない」
「だよな」
榊は苦笑して手を離した。
結人はカードをインベントリの枠に収め、右手に握った残り火の剣の情報を開いた。右下に『+0』と『所持数:2』が並び、その下で『強化』のボタンが灯っている。
強化の素材には同じ装備が使えるのか。ステラヒーローでは同じキャラを引くことを「重ねる」と呼んでいた。この剣もそんなふうに強くなるのだろうか。
震える親指で『強化』をタップすると確認の表示が開いた。
『残り火の剣×1を素材にして強化します。よろしいですか?』
『はい』と『いいえ』のボタンが並んでいる。結人は『はい』をタップした。
『残り火の剣を強化しました』
右下の『+0』が『+1』に変わった。
握った剣がふいに脈打った。
熱を流してもいないのに刀身の芯の赤い筋が内側から明るくなる。柄に巻かれた擦り減った革が手の中で形を変え、知らない誰かの手の形からリーゼの手の形へと馴染んでいった。
気づくと結人は剣を胸に抱え込んでいた。リーゼがそうさせていた。今までに感じたどんな喜びよりも大きなものが体の内側から溢れ、目の奥まで熱くなる。
「リーゼ、そんなに嬉しいの? ‥そっか。前の持ち主の剣じゃなくて、リーゼの剣になったんだね」
榊が手元を覗き込み、低く口笛を吹いた。
「おい。その剣、前より赤くなってねえか」
「なったの! 強化したら強くなったんだよ!」
その時割れ目の暗がりから乾いた翅の音がした。這い出してきた一匹の蛾が、ふらつきながら二人の方へ寄ってくる。
「試してみろよ、結人」
結人は頷いて剣に熱を流した。
刀身が燃え上がった。今までの炎より一段明るい炎が根元から切っ先まで迷いなく走る。軽く振っただけで炎の尾が蛾の翅を掠め、蛾は鱗粉ごと一瞬で燃え尽きた。
熱を流すのをやめても炎はなかなか消えない。心の中で数えると前は十も数えないうちに弱まっていた炎が二十を過ぎてもまだ燃えていた。
「すげえな。前はとっくに消えてたろ」
「うん。リーゼの剣だもん」
画面の隅で小さな数字が書き換わった。
『通算召喚回数:193』
二百回が近いのに二人目の仲間はまだ来ない。結人がその数字を見つめていると、榊が手斧を担いで立ち上がった。
「そう焦るな。今夜は剣だ。喜んどけ」
結人は燃え続ける剣を見下ろして思わず笑った。
「うん。すっごく喜んでる。あたしも、リーゼも」
* * *
帰り際、榊は割れ目の一番手前の岩の出っ張りに、細い紐で銀の鈴を結わえた。
「蛾がここまで這い出してきたら、こいつが鳴るんだな」
「うん。鳴ったらあたしに聞こえる」
「なら、その時は直ぐに俺に電話しろ。番号は持ってるな? 夜中でも構わねえ。一人で塀を越えたら承知しねえぞ」
「分かってる。榊さんに電話する。約束する」
「よし、約束だ」
鈴は割れ目の暗がりの前で静かに揺れているだけだった。
塀の扉をくぐる時、結人は施設の建物を見上げた。二階の窓はどれも暗い。四人部屋では翔が、廊下の反対側の端の部屋では陽向が眠っている。割れ目から溢れたものが塀を越えたら、最初に辿り着くのはあの窓だ。
「榊さん。鈴が鳴ったら、陽向たちのことも守れるよね」
「ああ。そのための鈴だろ。お前が先に気づいて、俺が走る。それで間に合わせる」
布団に入ってからも結人は耳を澄ませていた。聞こえるのは翔の寝息と窓を叩く雨の音だけだ。
その鈴が初めて鳴ったのは三日後の夜だった。
鈴はいつまでも鳴り止まなかった。




