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第1話

薄暗い修理工場の中には、換気扇の低い唸り声と、金属同士が擦れ合う乾いた音だけが響いていた。


宗一は作業台に向かい、手元のジャンク品を無心で解体している。油汚れが染み付いた作業着の袖で額の汗を拭い、精密ドライバーを握り直す。


手先は機械のように正確だった。ネジを外し、基板を引き抜き、使える部品とそうでないものを仕分けていく。頭の中を空っぽにして、ただ目の前の作業に没頭する。そうしていれば、余計なことを考えずに済んだ。


ふと、ドライバーの先が滑り、基板の端を引っ掻いた。


「……チッ」


舌打ちをして顔を上げた。


作業台の一番奥、工具箱の影にひっそりと置かれた小さな木箱。結衣が子供の頃に大切にしていた、壊れたオルゴールだ。


蓋には色褪せた花の彫刻が施され、角はすり減っている。ゼンマイを巻いても、もう二度とあの優しいメロディを奏でることはない。


宗一は無意識に手を伸ばしかけ、空中でピタリと止めた。


指先がわずかに震えている。これに触れれば、またあの冷たい現実が容赦なく押し寄せてくる。


娘はもういない。


宗一はゆっくりと手を下ろした。


虚ろな目で手元の基板を見つめる。どれだけ機械を直しても、自分の止まった時間は一秒たりとも動かない。


ため息を一つ吐き出し、宗一は作業台から立ち上がった。手持ちのコンデンサが底を尽きかけている。補充に行かなければ、この無意味な時間潰しすら続けられない。


工場を出て、灰色の空の下を歩く。


向かった先は、街の郊外に広がる


「廃棄区画」


技術の進歩に伴い、不要になった旧型のアンドロイドや電子機器が不法投棄される巨大なゴミ捨て場。酸っぱい錆の匂いと、腐敗したプラスチックの臭気が入り混じった空気が漂っている。


積み上げられたガラクタの山を縫うように進み、トタン屋根のバラック小屋に足を踏み入れた。


「おう、いらっしゃい。……って、またお前か、宗一」


奥から顔を出したのは、顔馴染みのジャンク屋・源蔵だった。白髪交じりの頭を掻きながら、油まみれの作業着姿で歩み寄ってくる。


「少しは休めって言ってるだろうが。顔色が死人みたいだぞ」


「部品さえあればいい。……高耐圧のコンデンサと、小型のサーボモーターはあるか」


宗一は源蔵の言葉を無視して、カウンターにクレジットチップを放り投げた。


源蔵は呆れたように息を吐き、チップを拾い上げる。


「あんたな、そうやって機械いじりばっかりしてても、腹は膨れねえぞ。たまにはまともな飯でも食いに行け」


「余計なお世話だ。あるのか、ないのか」


「あるよ。あるけどな……」


源蔵は奥の棚から埃を被ったパーツボックスを引っ張り出し、カウンターにドンと置いた。


「ほれ。お前さんが欲しがってた規格のやつだ。状態は悪くねえが、少し値が張るぜ」


「構わない。引いといてくれ」


宗一は部品を無造作にポケットへ突っ込み、背を向けた。


「おい、宗一!」


源蔵の声に立ち止まる。振り返ると、大柄な男が珍しく真剣な目をしていた。


「……あんまり無理すんなよ。お前が倒れたら、誰がその工場を畳むんだ」


「……」


宗一は何も答えず、バラック小屋を後にした。


誰が工場を畳もうが、どうでもよかった。自分にはもう、守るべきものなど何一つ残されていないのだから。


帰り道、廃棄区画のメインストリートから外れた細い路地を歩いていた時のことだ。


両脇には、原型を留めていない機械の残骸が山のように積まれている。宗一はうつむき加減で、足元のぬかるみを避けながら歩を進めていた。


ふと、視界の端で何かが鈍く光った。


立ち止まり、ゴミ山の斜面に目を向ける。


泥と油にまみれた、ひどく汚れた機体。10代半ばの少女の姿をした、旧型のアンドロイドだった。


外装のあちこちがひび割れ、右腕の関節からは断線したケーブルが覗いている。完全に機能停止しており、普通なら見過ごすただのガラクタだ。


だが、宗一はその場から動けなくなった。


泥にまみれたその顔立ちに、一瞬だけ結衣の面影を見たような気がしたのだ。


「……馬鹿な」


宗一は自嘲気味に呟き、頭を振った。気のせいだ。ただの量産型の旧式機に過ぎない。


そのまま通り過ぎようと足を踏み出した。しかし、靴底が地面に張り付いたように動かない。


見捨てておけなかった。目の前で壊れ、打ち捨てられている存在を、どうしても無視することができなかった。


「……チッ」


宗一は舌打ちをして、ゴミ山の斜面を登った。


泥だらけのアンドロイドの前にしゃがみ込み、その冷たい金属の頬に触れる。反応はない。動力源は完全に沈黙している。


宗一は機体の背中に腕を回し、力任せに引き起こした。


「重てえな……」


ずっしりとした金属の重みが、肩に食い込む。


ずり落ちそうになる機体の腕を引き寄せ、背中の重みを安定させる。


宗一は泥だらけのアンドロイドを背負い、無言で工場への道を歩き出した。


工場に戻ると、宗一は作業台の上の部品を乱暴に払い落とし、背負っていたアンドロイドを寝かせた。


まずは泥と油を拭き取る作業からだ。ウェスに洗浄液を含ませ、外装の汚れを丁寧に落としていく。


ひび割れた装甲の隙間から内部構造を覗き込む。メイン基板に致命的な損傷はないが、各所のケーブルが断線し、バッテリーは完全に死んでいた。


「……直せるか」


誰に問うでもなく呟き、宗一は工具箱からハンダごてとテスターを取り出した。


手先は勝手に動いた。断線したケーブルを繋ぎ直し、ショートしている回路をバイパスする。劣化したジョイント部分には潤滑油を差し、動きを滑らかにする。


作業を進めるうちに、宗一の目は職人のそれへと変わっていた。機械と向き合っている間だけは、自分が生きている意味を少しだけ感じることができる。


数時間の格闘の末、応急処置が完了した。


宗一は額の汗を拭い、外部電源のケーブルを機体のポートに接続した。


「……よし。通電するぞ」


スイッチを入れる。


低いモーター音が鳴り響き、機体の内部で冷却ファンが回り始めた。


数秒の沈黙。


やがて、アンドロイドのまぶたが微かにピクピクと動いた。


宗一は息を呑み、一歩後ずさった。


ゆっくりとまぶたが開き、光学センサーが淡い光を放つ。レンズの絞り音がチチッと鳴り、焦点が定まっていく。


アンドロイドはゆっくりと身を起こした。関節のモーターが、わずかにぎこちない音を立てる。


彼女は周囲をぐるりと見渡し、最後に宗一の顔を捉えた。


「……」


宗一は動けなかった。その瞳の奥に、何を読み取ればいいのかわからなかった。


次の瞬間、アンドロイドは作業台から滑り降りるようにして、宗一の胸に飛び込んできた。


「うおっ!?」


予期せぬ衝撃に、宗一はバランスを崩してよろめく。


アンドロイドは宗一の作業着を両手でしっかりと掴み、顔を上げて微笑んだ。


「お父さん」


その言葉が、静まり返った工場に響いた。


宗一の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。


「……は?」


「お父さん、ですね。わたしのお父さん」


彼女は一生懸命な、丁寧な敬語でそう繰り返した。


その


「お父さん」


という独特のイントネーション。


生前の結衣が呼んでいたそれとは、微妙に違う。違うはずなのに、なぜか宗一の胸の奥を激しく揺さぶった。


「お前……何を言って……」


宗一は混乱の極みにあった。


ただの廃棄された旧型機だ。メモリは初期化されているか、破損しているはずだ。


それなのに、なぜ自分を


「お父さん」


と呼ぶ?


なぜ、そんな風に自分を見つめる?


「お父さん、これからよろしくお願いします!」


アンドロイドは満面の笑みを浮かべ、さらに強く宗一に抱きついた。


その腕の力は、機械特有の硬さと、どこか不器用な温もりを持っていた。


宗一は彼女を引き剥がすこともできず、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。


換気扇の低い唸り声だけが、変わらず工場の中に響き続けている。


なぜ、この廃棄されたガラクタは、俺をそう呼ぶのか。


その問いに対する答えは、まだどこにもなかった。


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