呪われ王子と異国の姫⑫
その時、部屋の扉が叩かれた。
茶会の終わりを告げる者かと思われたが、扉が開くと、従者たちは一斉に頭を下げて退室していった。通訳までもが姿を消す。
不審に思い、オーティスが振り返ると──そこに立っていたのは、思いもしなかった人物だった。
彼は反射的に立ち上がっていた。
「レクラム国の若き太陽、王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「イザベル……どうして、君がここに……」
二度と会えぬと思っていた彼女が現れ、オーティスの心は激しく揺れた。
胸の奥に押し込めていた感情が、一瞬で溢れ出す。
近づこうと一歩を踏み出したとき、横からリオネルが割って入った。そんな親友の姿を見て、オーティスはようやく我に返る。
「オーティス、俺もいる」
「あ、ああ……リオネル、か。君もいたのか、すまない」
視界に入るまで、まったく気づかなかった。
イザベルはリオネルに付き添われ、蕾玲の元へ歩み寄る。彼女は朱の紐で綴じられた書物を、蕾玲に差し出した。
『蕾玲様、例の書物を持ってきました』
『ありがとうございます、公女様。王太子殿下と語らう機会まで設けてくださり、心より感謝申し上げます』
イザベルは驚くほど流暢にウ・ランカ語で話していた。
使節団が訪れたのはほんの数日前のはずだ。それにもかかわらず、二人の関係は長い友情にも似た信頼が感じられた。
何より、イザベルが他の女性とこれほど穏やかに言葉を交わす姿など、オーティスは一度として見たことがなかった。
その事実だけで、胸がざわついた。
「イザベル、いつウ・ランカ語を……?」
「……つい最近のことです。ウ・ランカ国の商人を通じて、蕾玲王女殿下と親しくなりました」
イザベルの声は落ち着いていた。
かつての彼女なら、オーティスが他の女性と話しているだけで、嫉妬を隠さず割って入ってきただろう。
だが今は、蕾玲の背に控え、静かな微笑を浮かべている。そこに嫉妬も、悔恨も見えなかった。
「王太子殿下。王女殿下が王宮に招かれたのは、使節団とは別件です。──蕾玲殿下は、呪いを受けた殿下を治療するために、こちらへお越しになりました」
「待ってくれ……。私が、呪われていると……そう言いたいのかい?」
オーティスは唇を震わせながら、イザベルを見た。
謹慎中、気が触れた王太子として囁かれていたことは知っている。親友を刺し殺そうとし、何度も突き放してきた女性に告白したのだから、正気を疑われるのは当然だ。
だが、あれはすべて自分の意思だった。
誰にも操られず、命じられず、ただ心のままに選んだ結果だった。
彼女を愛する気持ちに、嘘など一つもなかった。
それなのに、「呪い」だと。
その言葉が、心を突き刺す。
まるで、自分のすべてを否定されたかのようで、オーティスは力なく笑った。
「……はい。ですから、どうか治療をお受けください。……私に関する記憶を封印すれば、殿下は元のご自分を取り戻せます。国王陛下からも、すでに許可を──」
「はは、馬鹿な……。イザベル、君がそれを望むと?」
オーティスは信じられない表情を浮かべ、イザベルに尋ねた。胸の奥底から、怒りとも悲しみともつかぬ感情が込み上げる。
記憶を封じれば、罪も後悔も消えるだろう。
だが、同時に──彼女を愛した記憶も、消えてしまう。
最初からなかったことになるということだ。
しかし、国王が許可を出している以上、自分に選ぶ権利などあるだろうか。
イザベルは他国の王女を味方につけ、かつて自分に向けられた想いを、自らの手で葬ろうとしている。
その姿を見て、オーティスは悟った。
長い片想いを断ち切り、ようやく呪縛から解き放たれたイザベルは、もう自らの道を歩き始めていた。
「イザベル……」
目の前に立つ彼女は、もうかつてのオーティスが愛したイザベルではなかった。
そこにいたのは、己への愛をすべて葬り去った、ひとりの高貴な女性だった。
★★
『正直に申し上げれば、殿下には異常な執着が見受けられます。我々の部族では、それを一種の呪いと呼びます。……ですから、もし王太子殿下が望まれるなら、彼女への想いを封印することができます』
私は蕾玲の言葉を、一語一句、慎重に訳した。間違った通訳をするわけにはいかないが、曖昧な表現も誤解を生みかねない。
しかし、彼女の言葉を伝えると、オーティスはソファーに座り直してうな垂れた。
久方ぶりに目にした彼の顔は、やつれきっていた。頬はこけ、堂々としていた威厳のある王太子殿下の姿からは程遠かった。
「私は、……」
「殿下の症状を、詳しくお聞かせください」
私は淡々と通訳の役目を果たすふりをしながらも、苛立ちに似た感情を抑えきれなかった。
──何が、彼をここまで追い詰めてしまったのか。
自らイザベルを突き放し、死へと追いやったのは貴方ではないか。
できる限り平常心を保って通訳に徹するも、オーティスの目が訴えかけるように私を見つめてきた。
「……あの日から悪夢が続いていて、眠れないんだ。この手で親友を殺しかけ、愛する人を傷つけ、多くの者たちの期待を裏切ってしまった……」
オーティスは震える両手を持ち上げながら、自分ではどうすることもできない状況を告白してきた。
どんなに後悔しても、彼自身が招いたことだ。グラント公爵がイザベルの肖像画の前で嘆いた時と同じく、彼らに対して同情する気持ちはない。
「……この苦痛から解放されるなら、君の力で封印してほしい」
本当は、生きている限り苦しんで、後悔してほしい──。
彼らが心から愛していたイザベルは、その愛を教えられぬまま死んでいったのだから。
たった一言、「愛している」と伝えるだけでよかったのに。
私は唇を噛み、滲んだ血の味で意識を引き戻した。
そして、何事もなかったように顔を上げ、蕾玲へと通訳を続けた。
『……分かりました。決心が揺らがない内に始めましょう』
翌朝になれば、迷いが生まれるかもしれない。
それを危惧して、蕾玲は慎重に、禁書を縛っていた朱の紐をほどいた。
オーティスは落ち着かない様子で、両手を組んでは離すのを繰り返している。
「……治療を受けている間、彼女に手を握ってもらうことは問題ないだろうか?」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がわずかに張り詰めた。
「オーティス、お前っ! 触れる必要はねぇだろ!?」
真っ先に怒声を上げたのはリオネルだった。
彼が怒るのは無理もない。
——自分の婚約者を、かつての恋敵に触れさせる。
誰だって、そんなことを平静で受け止められるはずがない。
それでも、私は通訳として冷静を装うしかなかった。
『王女殿下、対象への接触は問題ありませんか?』
『ええ。むしろ触れることで、公女様に関する記憶を確実に封じることができるでしょう』
呪術の効率が上がると言われてしまっては、悩んでいる場合ではなかった。
どうやらリオネルを説得する必要があるようだ。
けれど、私が口を開くより先に昊然が動いていた。
『つーわけだ、お前がいると集中できねぇってさ。外で待ってようぜ、な?』
「待っ……てめぇ、放せ!」
昊然はリオネルの首に腕を回し、半ば強引に部屋の外へ押し出した。
扉が閉まる音が響くと、部屋に残ったのは私と蕾玲、そしてオーティスだけになった。
私は静かに彼の隣に座り、差し出された掌に自分の手を重ねた。どちらも緊張しているのか、指先まで冷たくなっている。
「ありがとう、イザベル」
「いいえ、王太子殿下」
……この瞬間を、私は決して忘れないだろう。
それでも彼の記憶からは、この出来事すら消えてなくなる。
愛も、後悔も、痛みも──。
私は蕾玲と目を合わせ、覚悟を決めるように頷いた。
『では、始めます——』
コミカライズ・講談社マンガアプリPalcy▼
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