呪われ王子と異国の姫⑩
ウ・ランカ国の使節団を迎え入れる日まで、三ヶ月の歳月を要した。
計画通りに運ばないことも多かったが──この日、王宮の至るところでレクラム国とウ・ランカ国、二国の旗が並びはためく光景を目にした瞬間、胸の奥が熱くなった。
まだ何も始まっていないのに、涙をこらえていたはずが、ウ・ランカ国の王女として堂々と歩いてくる彼女の姿に、感極まってしまった。
隣にいたリオネルから「我慢してくれ」と耳元で囁かれたが、その言葉が余計に涙腺を刺激し、慌ててハンカチで目元を押さえた。
使節団が到着して国王陛下が一歩踏み出すと、私もその後に続いた。
「遠路はるばる、よくぞ参られた。ウ・ランカ国の客人よ、レクラム王国は貴殿らの来訪を心より歓迎する。滞在の間は我が国の如く思い、ごゆるりと過ごされよ」
小国からの使節団にもかかわらず、国王は意外にも上機嫌で彼らを出迎えた。両公爵家からの資金援助が、王室の国庫を潤したのは間違いない。
髪色、肌色、装いも違うウ・ランカ国の者たちに、一部の貴族は眉根をひそめたが、国王が歓迎の意を示したことで押し黙っていた。
国王の挨拶が終わると、私は蕾玲の前に進み出て、ためらわずにその手を取った。
『ようこそお越しくださいました、王女殿下。心より感謝申し上げます』
『お久しぶりですね、公女様。またお会いできて嬉しいです』
互いに抱き合って再会を喜ぶ私たちを、両国の人々が静かに見守っていた。
英雄と呼ばれる公爵令嬢と、ウ・ランカ国の王女が、友人のように抱き合う──その光景だけで、言葉以上の意味を伝えられたと思う。
蕾玲から離れるとき、彼女は『ありがとうございます、公女様』とお礼を言ってきた。
頬をほんのりと赤らめたその笑顔が、眩しいほど愛らしかった。
両国の通訳は王室付きの外交官が務めていたが、私はできるかぎり多くの貴族が交流の機会を得られるよう、会場を巡りながら通訳の補助に徹していた。
やはり、異国の衣装や装飾品には興味をそそられるようで、交易に前向きな者も多い。
蕾玲は国王陛下をはじめ、上位貴族たちに囲まれながらも気品を保ち、堂々と応対していた。
その姿に刺激を受け、私も気を引き締めて会場内の様子を見て回る。
言葉の壁があると意思疎通ができず、不便も多い。物ひとつ取ってもらうだけでも大変だ。
その時、ふと耳にした囁き声に私は足を止めた。
我が国の令嬢が数人、グラスを手に集まってひそひそと話している。
その視線の先には、用意された料理を次々と皿に取るウ・ランカ国の使者たちの姿があった。
中でも、人一倍豪快に食べているのは、昊然である。
……まったく、王女殿下の護衛はどうしたのだろう。
「まぁ、ご覧になって」
「なんて野蛮な……礼儀というものを知らないのかしら」
「ウ・ランカ国は、ならず者の国だと聞いたわ」
……否定はできない。
知り合いでなければ、私も同じことを思っていたかもしれない。けれど、彼らに対して無礼を働くのは得策ではない。彼らは、国を代表してやって来た「客人」なのだから。
「礼を欠いているのは、果たしてどちらかしら」
私は心の中で(イザベルのようにやるのよ、イザベルのように)と唱えながら、扇を開いて彼女たちを鋭く睨みつけた。
「グ、グラント公爵令嬢様……」
「口を慎みなさい。彼らは国賓としてお迎えしている方々よ。貴女方の無礼は、陛下への侮辱として扱われることになるわ。そのとき困るのは、果たして誰でしょうね?」
言葉を終えるころには、彼女たちの顔は青ざめていた。
「もっ、申し訳ありません!」
「失礼いたします!」
令嬢たちは一斉に身を翻し、逃げるようにその場を去っていく。
見事撃退できた私は、ホッと安堵して扇を閉じた。
そこへ、大皿に食べ物を盛りに盛った昊然が近づいてきた。
『別にいいのに。どーせ何言ってるか分かんねーし』
『いいわけないじゃない! 貴方は今、我が国の大切な客人なのよ。見過ごすことなんかできないわ』
言葉が通じなくても、視線や笑みの陰にある意図は伝わるものだ。
だからこそ、放っておけなかった。彼らを招いた責任は、私にあるのだから。
昊然は『そういうもんかねぇ』と他人事のように呟いて、皿からロースポークを摘まんで口に運んでいた。
その態度に思わず眉を寄せ、私は彼の鼻先に指を突きつけた。
『この際だから言っておくけど! 護衛である貴方の態度次第で、王女殿下の評価も変わってくるのよ。敬意を欠いた護衛を従える王女に、誰が耳を傾けると思って?』
ウ・ランカ国では宝珠を持っている者が権力者でも、レクラム国では王族は敬う存在だ。その王族が、護衛からも軽んじられていれば、誰も彼女の話に耳を傾けなくなってしまう。
気になっていたことを言えてスッキリした私は、鼻を鳴らした。けれど、昊然は不思議そうな顔で首を傾げ、口を開いた。
『そういうアンタは? 俺がこういう態度だと、周りから軽く見られたりすんの?』
『なんで私なの。今は王女殿下の話を……』
そもそも護衛のくせに、守るべき対象から離れていてどうする。昊然という男は、やや常識外れなところがあって扱いが難しい。
すると、彼は持っていた皿を近くのテーブルに置くと、いきなり右拳を左手で包み込み、私に向かって深々と頭を下げた。
攻撃の意思を封じ、敬意を示すウ・ランカの最高礼。
その所作に、周囲の貴族たちは息を呑んだ。
「ちょっ、昊然……!」
私にしてほしかったわけではなかったのに。
どうして問題行動ばかり起こしてくれるのか。
『そうだ、ベル──……って呼んでいいよな? イザベルって呼びにくいし』
『わ、分かったから! いいから、こっちに来て』
場がざわつく前に、私は彼の腕を取り、そっと会場の外へ導いた。
テラスに出ると、彼の片手にはしっかり皿が握られていた。
呆れたようにため息をつくと、彼は笑いながら言った。
『そうだ、ベル。米、持ってきてやったぞ。食べたがってただろ?』
けれど、昊然の無遠慮な態度は、階級社会がなかった日本を思い出して、逆に話しやすかった。
『うそ、本当に!? わざわざ運んできてくれたの!?』
『そんなに感動するものか?』
『私とリオネルにとっては、主食にも等しい食べ物なのよ』
友好が結ばれ、交易の準備が整わなければ手に入れられないと思っていたのに、まさか持ってきてくれるとは思わなかった。意外と、優しいところもあるものだ。
私は怒っていたことも忘れ、この世界でも米が食べられる喜びを抑えきれなかった。
『それなら、今度は俺たちの国に来いよ。米を使った料理なら、いくらでもある』
昊然の言う通りだ。ウ・ランカ国は東洋の文化と通じるところがある。実際に足を運んでみれば、懐かしさと驚きを味わえるかもしれない。
『ええ。その時はぜひ案内をお願いね、昊然。次の使節団には、通訳として同行することになると思うから』
『──ああ、いつでも歓迎だ』
私は昊然の頼もしい返事に自然と顔を綻ばせ、『先に戻るわね』と言ってホール内に戻った。
一人テラスに残した昊然が『あれが男を惑わす悪女か』と漏らし、しばらく皿に盛った食べ物に見向きもしなかったことなど、知る由もなかった。
ウ・ランカ国からの使節団を迎えてからというもの、顔合わせから公式の交流まで滞りなく進み、その間にいくつかの交渉も行われた。
双方とも国交に前向きであり、今後の友好関係の構築に向けて同意がなされた。
もっとも、中立国家であるレクラム国としては、隣国との均衡を保つ立場上、一度の来訪で国交樹立を表明することは避けたようだった。
慎重な判断ではあったが、ウ・ランカ側の使者たちは失望よりもむしろ安堵の色を見せた。
「国として認められた」とまではいかずとも、複雑な国の成り立ちと孤立を越えて、新たな一歩を踏み出せたことを、彼らは心から喜んでいた。
『公女様と公子様のおかげです。心から感謝いたします』
『いいえ、私たちは……。望むような結果ではなかったので、お力になれたのかどうか』
使節団の宿泊先は、王室が貸し切った王都の宿泊施設だった。
ただ、個人的に交流のある王女である蕾玲と、護衛の昊然は、グラント公爵邸へ招き入れていた。元より蕾玲には侍女や他の護衛はおらず、ウ・ランカ国での彼女の立場を考えてしまう。
『そんなことはありません。私たちの国と交易をしたいと、本気で考えてくださったのはお二人だけです。陛下に、レクラム国から使者が訪れると申し上げた時、どれほど驚かれたことか……。いつも飄々としているお姿が、まるで別人のようで。皆さんにもお見せしたかったです』
その光景を思い出してクスクスと笑う蕾玲は、癖のように触れていた首元の宝珠に手をやることはなかった。
本来の彼女は、よく笑う明るい女性なのだ。
将来に悲観し、奪われてしまった感情を取り戻しつつあるのかもしれない。
『ですから、今度は私が約束を果たす番です』
先程まで笑っていた蕾玲は、急に真面目な顔になって手にしていた封筒を掲げた。
それは王宮から届いた、正式な招待状。
『呪われた王子様の元へ、参りましょう──』
ようやく、この日が来たのだ。
蕾玲の瞳には、迷いも恐れもなく、静かな決意が宿っていた。
私は深く頷き、約束に応じてくれた彼女の勇気へ、心からの感謝を込めて微笑んだ。
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