何が起こっているのかわからない
タイラーはにこりと笑った。少し冷たい印象が和らいだ。
「どうしてここに?」
驚きのあまり、そんなありふれた言葉しか出てこない。
「理由は色々あるけれど、それは後で説明してあげるよ」
リゼットはタイラーがここで説明しないと理解すると、後ろに控えていたミラを横に引っ張った。
「ミラよ。わたし付きの侍女なの」
「ミラ、よろしく。僕はタイラー。リゼットとデニスの又従……」
最後まで説明できなかった。突然、リゼットが大きな体に抱きしめられたからだ。リゼットはすっぽりと包み込んだ逞しい両腕に笑みがこぼれる。
「レオナルド様!」
「リゼット、良かった間に合った」
レオナルドは一度きついぐらいに抱きしめてから、リゼットを解放した。解放されたリゼットは嬉しさに頬を染めている。その様子を見ていたタイラーが目を丸くした。
「話には聞いていたけど、リゼット、恋しているんだ」
「え?! 何故それを!」
わたわたと慌てていると、タイラーがレオナルドの方をじっと見た。
「初めまして。タイラー・アディソンです。リゼットとデニスの又従兄妹になります」
「レオナルドだ。よろしく頼む」
なんとなく居心地の悪い空気を感じながら、リゼットは身じろぎした。タイラーは感情を隠して、微笑む。
「それではリゼットを連れて帰りますので」
「その必要はない」
レオナルドはきっぱりとタイラーを拒絶した。リゼットは訳が分からず、二人を交互に見る。
「……認めてもらえるという事でしょうか?」
「ああ」
男たちの短いやり取りも理解できず、リゼットは不安になってきた。何か二人の間にあるようなのだが、それがわからない。困ったようにミラの方を見た。ミラはじっと様子を伺っていたが、すぐにリゼットの不安そうな表情に笑みを浮かべる。
「心配いりません。いい方に向かっていますよ」
「なんで?」
「勘です。長年、侍女としてやってきていますからね。こういう何とも言えない雰囲気でも、いい方向か悪い方向かはわかります」
全くわからない説明だったが、ミラの言葉を信じることにした。リゼットとしても悪い方向を考えて落ち込むのは後でいいと思っていた。
「ミラ、でよかったかな。僕と一緒にカートライト家に帰るよ」
「わかりました」
「ちょっと! 説明は?」
ミラを連れてさっさと帰ろうとするタイラーに、リゼットは慌てて声を上げる。タイラーはそれこそ困ったような顔になった。
「説明は殿下にしてもらうといい。僕は先にミラと帰るから」
そんなあっさりとした説明だけで、リゼットは置いていかれた。レオナルドと一緒に二人を見送っていたが、レオナルドが肩を抱き寄せた。
「さて、こちらも移動しようか?」
「どこに?」
また騎士団に戻るのかと簡単に考えて、レオナルドに手を引かれて歩いていく。たどり着いた場所には馬車が用意されていた。馬車を見てリゼットは目を瞬いた。少しだけ不安そうに彼を見上げる。
「レオナルド様?」
「心配いらない。一緒にカートライト家に行くだけだ」
驚きに固まっていると、横抱きにされ軽々と馬車に乗せられた。恥ずかしさと戸惑いに心臓がバクバクする。馬車に乗り込むと、そのままレオナルドの膝の上に降ろされた。
いつも以上の距離の近さに、顔が熱くなる。リゼットは冷静になることはできず、手のひらにじわりと汗がにじんだ。べたつく手のひらをどうにかしたくて、とりあえず距離を取ろうと訴えてみた。
「あの、下ろしてもらってもいいですか? 重いですし」
「重さは感じないな」
「そうかもしれませんが、わたしがこのままだと恥ずかしいです」
「誰も見ていないから、恥ずかしがることはない」
噛み合っているような合っていない会話をしたが、膝の上から降ろしてくれそうにないので、リゼットが諦めた。
「レオナルド様、タイラーを知っているようですけどどうして?」
「リゼットを嫁にするには色々と解決しないといけないだろう?」
嫁、と聞いてリゼットは不安が広がった。それについても聞きたいと思っていたのだ。
「どうして結婚なんて……」
「うん?」
レオナルドはリゼットの様子がおかしいことに気がついた。膝の上にいる彼女の顔を覗き込む。リゼットの瞳は不安そうに揺れていた。
「レオナルド様は私のこと、妹のように思っていたのではないのですか」
「……この間、キスしただろう?」
リゼットはキス、と言われて大人のキスを思い出した。ぼんと顔が熱くなる。
「それはレオナルド様が仮初でも恋人として付き合ってくれて。レオナルド様はわたしのこと、ちゃんと女性として見ていないですよね?」
「どうしてそうなる?」
「だって、一度も好きって言ってもらっていないし」
「……」
顔を赤くして必死に訴えるリゼットを唖然とした顔でしばらく見つめていたが、リゼットの言葉が途切れると大きく息を吐いた。
「いや、言っている」
「え?!」
「そもそもあんなにも女として扱ったのに、どうしてそんな勘違いを……」
ぼそぼそと自信なさげにレオナルドが呟く。リゼットは慌ててキスした時を思い出した。あの日はいつもと違ってリゼットはずっとドキドキしていた。優しいキスをされて、大人のキスをされて、うっとりして。
「……わたし、大人のキスが初めてでレオナルド様が言った言葉を全く覚えていないです」
「……なるほど」
レオナルドが大きく肩を落とした。どうやらリゼットはすでに結婚の申し込みに頷いていたようだった。覚えていないことに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。レオナルドが黙り込んだのでリゼットは呆れてしまって嫌われてしまったのではないかと涙が出てきた。
「泣くほど嫌なら、結婚は……」
「違います! 結婚は嬉しいです。私もレオナルド様が大好きです。ずっと一緒にいたい。でも、わたし、伯爵家の跡取りで」
「もう一度言ってほしい」
レオナルドに言葉を遮られて、リゼットは目を瞬いた。
「伯爵家の跡取りで」
「その前の部分だ」
「レオナルド様が大好きで、ずっと一緒にいたい、です」
もう一度言わされて、照れくさくて言葉がぎこちなくなる。レオナルドは嬉しそうに破顔した。
「俺もお前を好きだ。ずっと側にいてほしいと思っている」
「でも結婚は難しいです。わたし、伯爵家を、お父さまを捨てられない」
涙がジワリと滲んだ。跡取りの問題は簡単に解決できないことなのだ。レオナルドが好きだと自覚した後もずっと悩んでいた。どちらも手に入れたいとは思っていたが、リゼットは上手な解決方法を見つけられずにいた。
「ああ、リゼット。その件に関しては解決している。お前は何も心配することはない」
「え?」
驚きに涙が止まった。まじまじと下からレオナルドを見つめた。レオナルドはにやりと笑う。
「お前に結婚を申し込んだ後、いろいろ手を打った」
「……レオナルド様が婿に入ってくれるのですか?」
「それはない」
はっきりしたことを教えてくれないことにリゼットはむくれた。
「そんな顔をしても可愛いだけだ。すぐにわかる」
レオナルドはリゼットの唇に触れるだけのキスをした。
「キスで誤魔化すなんて」
その後の言葉は彼のキスに飲み込まれた。詳しく教えてくれない不満はあったが、レオナルドが手を打ったと言ったのだ。心配することはないんだ、と心の中にすとんと落ち着いた。




