第二十六話 恐怖の底と絶望の表面
薄暗い空間で目が覚めた。
ヒンヤリとした冷気が漂い、ピチャリ・・・ピチャリ・・・と水滴が落ちる音が聞こえる。
辺りを見回そうと顔を動かす。何も見えない。
微かに目の前に壁があることが分かる。木ではない。レンガでもない。
岩だ。くり抜かれた岩の中にセトはいた。
「・・・ここ、は」
喋った瞬間に音が反響していった。密閉された空間。
確実に開けた場所ではなかった。
少しずつここに来るまでのことを思い出していく。
そうエウクレイデスが潜む町に潜入して、彼を発見した。
だが、彼の配下に包囲されてしまいアズラが何とかしようとして。
そこから意識が途切れていた。
「アズ姉・・・」
セトはアズラがあの後無事に逃げ切れたのかが心配だった。
自分は捕まったのだろう。手足を縄か何かで縛られている。
動こうとしてもビクともしない。
この状況は非常にまずい。セトの命が敵に握られている。
「助けて・・・アズ姉・・・」
セトはアズラの名を呟く。彼の支えとなっている大事な姉の名を。
足元からゾワゾワと何かが這い上がってくる感覚が襲う。身震いをし呼吸が荒くなる。
孤独による不安が、先の見えない恐怖がセトを蝕み始めた。
カツッ、カツッと足音が聞こえてくる。セトは音の聞こえる方向を凝視して警戒する。
ガサガサと周りから人の動く音がし出した。セトの他にもいたようだ。
みな足音から逃れようと必死にもがいている。
荒い息が聞こえ始め、すすり泣く声も聞こえてきた。
次第にガタゴトと椅子か何かを無理矢理動かしている音が響き出す。
恐怖があるいは絶望が近づいてきたのがセトにも理解できた。
足音が止まる。セトの場所より少し手前だ。ギィィと金属が鳴る音が響く。ここでは嫌というほど響き渡る。
金属製の扉が開き、誰かが中に入っていく。
「い、嫌だ・・・。嫌だ。嫌だ・・嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」
「!?!?」
セトの耳に恐怖という狂気に落ちた者の声が怨嗟が流れ込んできた。
それは嫌だ。耐えられない。そう、そうするぐらいなら、殺してくれと。
「ああぁぁあああぁああぁああ!! 嫌だ!! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌ぎゃああああああああああああああああああ!!!!」
セトは目をギュッと瞑って見ないようにそれを認識しないようにする。
分かりたくない。ここが何なのかを理解したくない。
脳が認識するのを拒否している。その現実はあってはならないとそれは死を意味していると。
フゥ、フゥと息を吐き、襲い掛かる恐怖に必死に耐えようとする。
「がああぁあああっっぁあ!! が、あ、っぁ、ぁ」
叫んでいた男の声がしなくなった。荒い息が聞こえる。まだ生きているようだ。
ギィィと金属が鳴る音が響く。
カツッ、カツッと足音がまた聞こえてきた。
また、止まった。今度はセトの手前。
順番が分かった瞬間にセトから汗が噴き出てきた。
心臓の鼓動がドドドドドと走ってもいないのに速くなっていく。
ギィィと金属が鳴る音が響く。
「やめてくれぇええ。お願いだぁぁああ!」
ガチャリと何かを持つ音がした。
「ああ・・・」
そして、ガシャンッ!! と金属を叩き付ける音が割れるように鳴って。
ビチャッと何かが撒き散らされる音がする。
ギィィと金属が鳴る音が響く。
カツッ、カツッと足音が聞こえる。
隣からは何の音も気配もしなくなった。
カツッ、カツッと足音は響き。
セトの前を。
通り過ぎていった。
「ヒュー、ヒュー・・・」
もうセトはまともに呼吸ができていなかった。
目の前から、恐怖と絶望を連れた足音が遠ざかる。
少し、離れた所でまた、ギィィと金属が鳴る音が響く。
聞こえてくるのは悲鳴だった。
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エウクレイデスを取り逃がしたアズラとヴェヒターは、今後どうするかを話し合っていた。
いや、正確にはセトの救出をアズラがヴェヒターに頼み込んでいた。
「お願いします! 私の弟をセトを助けてください。セトに何か遭ったら私は・・・」
その声は震えていた。セトを守れなかったと、自分が守るとあれだけ大口を叩いておきながらこの結果。
アズラは悔しさと心配で押しつぶされそうだった。
誰でも構わない助けてほしい。
大事なセトが。手元から離れてしまった。
「落ち着いてください。アズラ、君の気持ちは理解できます。しかし、セトの連れ去らわれた場所が分からないのです。まずは情報を集めましょう」
「そんな時間は!!」
「エウクレイデスたちは聖女を、君の妹を狙っているのですね? なら妹の居場所を吐かせようとするはず。まだ猶予は残されているでしょう」
「・・・」
ヴェヒターの説得で次第に落ち着きを取り戻すアズラ。
だが、セトの居場所が分からないのも事実だ。彼に持たせた通信用魔晶石には何の反応もない。
通信範囲外に連れていかれたのか、奪われたのか。
どちらにしても、今、セトの状態を知る術は皆無ということだ。
「連れ去らわれた方角は分かりますか? まずはそこから調べてみましょう」
「連れ去らわれたのは、こっち、南東よ」
まずは南東から、セトが尋問に耐えている間は命はある。
問題は耐えきれなくて全てを吐いてしまった時だ。
セトに生かす価値がなくなり、リーベの居場所が敵にバレる。
そうなってはもう手遅れになってしまう。
セトの精神の強さが頼りだ。
(お願いセト、無事でいて・・・)
馬繋場に止めてあった馬車を回収し乗り込む。
町を出て、南東へ。一秒も無駄にできない。
焦る気持ちを抑えて奴らの痕跡を探す。
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暗い岩の部屋は再び静寂に包まれていた。
隣の部屋から鼻を突く鉄臭い臭いがしてくる。
それが何なのかを考えたくもなかった。
今も、耳にあの潰される音がこべりついている。
ガシャンッ!!と潰されて、ビチャッと撒き散らされる音が。
セトの目にはまだ光が意思の力が灯っている。
ここから逃げ出そうと、思考していく。
まずは、自分の状態の確認だ。
手足は縛られ、装備も取り上げられている。武器、防具、道具やお金もすべてだ。
感触で分かるがセトは衣類を纏っていない。裸だ。
これでは、使えそうな物を見つけることもできない。
次に場所。
セトは暗闇に目が慣れてきて、ここがどういう部屋なのか分かってきた。
岩をくり抜いて作った牢獄。鉄の牢で蓋をされている。
かなり頑丈で鍵がなければ開かないだろう。
何にしても、手足を縛る縄をどうにかしないと始まらない。
セトは縄抜けを試みようと手首をクイクイと動かしてみる。
体の姿勢を変えてみたり、いろいろ試してみるが解けそうにない。
「・・・、どうしよう。みんな心配してるな・・・」
「・・・お前さん。今日ここに来たのか?」
セトに話しかける声が聞こえた。セトのいる牢獄の真ん前、そこの牢に入っている人物がセトに声をかけた。
「う、うん」
「そうか・・・。エウクレイデスに逆らったんだな。吾輩もそうだ」
そう答えた。男は亜人だった。トカゲの顔をしたツァーヴ族の男。
全身が傷だらけでガリガリにやせ細っていた。
「お前さんが、アズ姉と呼ぶ者は助けに来てくれるのか?」
「分からない。無事でいてほしいけど」
「いらぬことを聞いたな。許せ」
しばらく静寂が流れる。
すると、セトの顔に何かが投げつけられた。
「!? これは・・・?」
「吾輩の鱗だ。それで縄を斬れ。こんな感じにな」
そういって、ツァーヴ族の男は自由になった手を見せた。
セトは鱗をくわえて背中に落とそうとする。鱗から彼の血の味がした。
プッと飛ばした鱗をパシッと手でつかみ取る。
「ありがとうございます」
「あまり声を出すな。バレたら殺される。次、尋問が始まるのが・・・そうだな4時間後ぐらいか。もし隙があるなら逃げ出すんだ。無理ならどんなに苦しくても絶対に喋っちゃいかんぞ。黙秘を貫くんだ」
時計も光もない牢の中で頼りになる時間の基準は腹の空腹具合だ。
昼時と夕方が近づいたら飢えが襲ってくる。それを基準に時間を算出していた。
彼はもう一週間近く牢に閉じ込められているのだろう。
ここでの生き残り方を知っている。
「僕、セト、セトっていいます」
「吾輩はルフタ。セト、必ず助かる諦めるんじゃないぞ」
互いに名乗ってからは、再び静寂が広がった。
セトがいる牢から少し離れた所にいる男の息がか細くなってきている。
彼がどういう状態か理解できてしまう。
ルフタは目を瞑り、瞑想をしているようだ。
こんな場所に長時間閉じ込められても、他人の心配が出来るのは精神の状態を管理出来ているからだろう。
どんな地獄でも思いやりを忘れない。ルフタは尊敬に値する人物だ。
セトも目を瞑り瞑想をしてみる。見様見真似だが何もしないよりマシだ。
手にルフタの鱗を握り締めチャンスを待った。
おおよそ、4時間後。
再び、その時が訪れた。
カツッ、カツッと足音が聞こえる。
牢に閉じ込められた者たちがもがき始めた。
前回で一人死んだ。
今回は、か細い息をしている男は助からないだろう。
ギィィと金属が鳴る音が響く。
セトの目の前に、黒い神官服を着た男が入ってきた。
「ッーッッー! ッッッッッーッッッーーー!!」
恐怖を通り越して、混乱がセトを支配する。
落ち着けていた心が一瞬にして決壊した。
殺される。
殺される。
殺される。
殺される。
セトの心はもう絶望に落ちようとしていた。
「セト・ルサンチマン・アプフェル。貴様にはいくつか喋ってもらうことがある。素直に喋ればよし、喋らなければ・・・」
ザスッ! と鈍い音がした。感触も。
異物が体内に侵入し、居座っている状態。
セトが視線を落とす。太ももに釘が撃ち込まれていた。
「ぎゃあああああぁあぁああぁあああっっっ」
セトが出したとは考えられない絶叫が響きわたる。
「さあ、喋ってもらおう。聖女の居場所をリーベの居所を」
太ももからおびただしい血が溢れてくる。足に血の感触が広がる。
セトは過呼吸を繰り返し、恐怖による発狂から撃ち込まれた釘の激痛で意識が繋ぎ止められる。
意識を精神を放棄したくてもできない。
させてくれない。
「ぎぃいぃいいいいぃぃぃぃいぃぃ!!」
声を上げ激痛に耐える。
「どこにいる? どこに隠した。我らの聖女はどこだ!」
ドスッ! と勢いよく二本目の釘がまた太ももに刺される。
「あああああぁあああぁぁぁあぁッッ!!」
激痛がセトから正常な判断を奪っていく。
この痛みから地獄から逃れることしか考えられなくなる。
(どんなに苦しくても絶対に喋っちゃいかんぞ。黙秘を貫くんだ)
ルフタの声が聞こえた気がした。セトは自分の意思を意地を繋いでいく。
「っ!!」
黒い神官服の男を睨み付ける。
「そうか」
縄で太ももを縛る。止血だ。死なないように、喋るまで嬲るために。
男はペンチのようなものを取り出した。
指ぐらい切り落とせそうな。
「フー!フーッ!」
「早めに喋った方がいいと思うぞ?」
グチッ! と押しつぶす音が聞こえた。
セトの足の親指を中途半端に切り込む。
肉を切り、骨までは達しない傷。
「ッーーーーーーー!!」
もはや痛みではない。衝撃が、決して耐えられない衝撃がセトを襲う。
泡を吹き痙攣が出始める。
ルフタはその光景を、唇をかみ切らんばかりに食いしばり耐えながら見ていた。
彼はこの尋問の続きを知っている。
体の限界が来たら、治癒の神術を施し傷を治してまた一から繰り返すのだ。
永遠に。
対象を決して休ませることなく、淡々と同じことを繰り返す。
この尋問は、彼らが欲しい情報を手に入れるときに用いる方法だ。
これを受けた者は必ず心が壊れる。
壊れたら思考誘導の神術で簡単に聞き出せるから、対象の状態など考えられていない。
釘が引き抜かれ、セトに治癒の神術が施される。また、一から繰り返される。
「吾輩はエウクレイデスなど恐れない!! あのような卑劣漢はクソにも劣る下種野郎である!!」
ルフタが声を張り上げた。牢獄内がザワザワとざわつく。
エウクレイデスの非難を聞いた黒い神官服の手が止まる。
ゆっくりと振り向き、ルフタの牢獄に入ってきた。
「縛り付け、脅さねば、何も出来ぬ腰抜けめ!! それでよく主の使者を名乗れるもの・・・」
警告も脅しも何もなく、暴力は開始された。
もうそれはただ殴るだけの尋問とも呼べない、醜い、醜い所業。
バシッ! ドゴッ! と鈍い肉を打ち付ける音が響く。
ルフタはただ耐えるしかなかった。
まだ、その時ではない。
殴られながら、すでに解放されている手をバレないように懐に忍び込ませた。
牢の鍵を一つ掠め取る。
男が立ち去ってからが勝負だ。




