第九十五話 陰謀からの通達
目の前を覆いつくす大きな崖が見えてきた。
一つの岩が二つに割れたことで出来た崖で、そこにある亀裂に森があることから、亀裂の森と呼んでいる。
鉱山国であるヒギエア公国は巨大な岩と山に四方を囲まれた国であるため、岩の亀裂がそのまま近道となって利用されているのだ。
地形的に入国し辛い国だが、たどり着くための道は決まっているため迷うこともない。
この亀裂の森はベスタ公国からヒギエア公国に向かうために必ず通る道。
その道にセトたちの馬車がようやく到着だ。
「ランツェさん、亀裂の森見えて来たよ」
「ああ」
崖の隙間から緑の木々が顔を覗かせている。
ここからでは木が数本しか見えないが、奥に進めば深い森が広がっているはずだ。
「このまま進もう。リーちゃんがいるかもしれない」
「セト、あれは」
ランツェが崖の前にいるあるものに気付いた。
赤くて長い髪をなびかせ、白いワンピースを着たお転婆娘。
「お~い! 早くー!」
リーベが手を振りながらセトたちを出迎えた。
その嬉しそうな様子はセトたちがどれだけ心配したかも全く知らないといった感じだ。
セトたちは胸を撫で下ろし、リーベを迎えに行く。
「良かった。リーちゃん見つけられた」
「とんだイタズラっ子ニャ」
馬車をリーベの真横に着けると、すぐに乗り込んできた。
向かう先はセトの所。その胸に一直線だ。
セトに抱き着き、顔をギューッと胸に押し付ける。
「セト来たよー!」
「もう! リーちゃん心配したんだよ」
「えへへ」
早速、お叱りを受けているがリーベはとても嬉しそうだ。
怒られていようが一緒にいれるのが嬉しいのだろう。
セトもそんなリーベを見て、怒る気が無くなってしまった。
「リーちゃん、もうしたらダメだからね」
「うん」
口では、うんと言うものの本当に分かっているのか怪しいものだ。
セトはやれやれと思いつつも無事リーベと合流できたことを喜ぶことにする。
「ランツェさん、魔晶石での連絡はまだ届くかな?」
「まだ、大丈夫だ」
「リーちゃんをこのまま連れていくって伝えて」
「分かった」
まだアズラたちのいる首都ウェスタにギリギリ通信用魔晶石の通信が届く範囲。
恐らく、森を抜けたら通信は出来なかっただろう。
転移した場所が幸運だった。アズラにちゃんと連絡できるのだから。
「いいの!」
「今回だけだよ。言うこと聞かなかったらイェホバさんに頼んでアズ姉の所に帰ってもらうから」
「う、うん。分かった」
リーベは今になってアズラが滅茶苦茶怒っているのではと思い始めた。
お尻百叩きぐらいされるかもしれない。
セトと離れ離れになるのが嫌でここまで来たが、来た後のことは考えていなかったのだ。
できれば帰りたくないと思うが、仕事が終われば帰ることになる。
リーベが急に大人しくなったため、セトは言うことを聞いてくれたと思っているが。
残念ながらアズラの威厳のおかげなのだ。
「よし、じゃあ、改めてヒギエア公国に出発!」
リーベを新たな同行者に加えて馬車は走り出す。
今から入る亀裂の森はリーベが魔獣と追いかけっこをした後だが大丈夫だろうか?
入れば分かるか。
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日はもう傾き、夕方になってきている。
本店の準備もほとんど終わり、後は商売に必要な人員やお金の準備が残るだけ。
そんな本店の商品売り場で右へ左へと行ったり来たり。
そんなソワソワしているアズラをリーリエは見守りながら、通信用魔晶石からの連絡を待っていた。
リーベが転移したのは昼過ぎ、今はもう夕方だ。
ちゃんとセトたちはリーベを保護できたのだろうか?
自分が行った方が良かったかとアズラは落ち着きなく歩き回る。
「アズラさん。少し落ち着きましょう」
「! 連絡が来たの!?」
「まだです・・・。あの、椅子に座られたらいいかなって」
「そうね。突っ立ってても仕方ないし」
そう言いながらまたウロウロと歩き回るアズラ。
もう心配で心配で堪らないのだろう。
少し心配性な気もするが、今回はリーベが転移してしまうという一大事だ。
主アイン・ソフの眷属セフィラが付いているのなら、万が一はないと思うが。
それでもやっぱり心配だ。
「あ、あはは・・・」
リーリエは苦笑いをしながら早く連絡が来ることを祈るしかない。
(リーちゃん怒られるだろうなぁ)
心配が大きいほど気持ちも大きくなってしまいがちなもの。
とっても心配したからとっても怒るんだろうなと、リーリエは心配しているアズラを見る。
すると、アズラの通信用魔晶石に反応が来た。
シュバッ! と音速で動き魔晶石を取り出して連絡内容を確認する。
内容は、”リーベを保護、このまま同行させる”
その連絡を確認したアズラは力が抜けペタリと床に座り込んでしまった。
「よかった~・・・」
通信用魔晶石より、無事にリーベを保護したと連絡が来て一安心するアズラ。
もう力が入らない感じだが彼女にはまだやってもらわなければならないことがある。
「さっ、アズラさん。リーちゃんの無事も分かりましたし、ピントさんへのお願いを」
「そうだったわ! すっかり忘れてた」
リーベのことですっかり忘れてた、ピントから資金を借りることを思い出したアズラは、急いで支度の準備をして本店を飛び出していく。
「お、お気をつけてー」
リーリエに見送られ彼女の声が後ろに響くが振り返ることなくピント商会へと走っていく。
夕方に来ると言っておいて来ないなど失礼なことだ。
一回ぐらいなら許してくれそうだが、アズラはその一回も迷惑を掛けたくない。
リーベが転移したというトラブルがあったがそれはこちらの事情。
商売に自分の事情を挟んでの商談など出来るはずもないのだ。
第三城壁区画の町を走り抜け、ピントの屋敷が見えてきた。
同じ第三城壁区画にあったおかげで間に合いそうだ。
アズラは失礼の内容に息を整え、身だしなみを確認し門をたたく。
ガチャリと扉が開くと屋敷に戻っていたピントが直々に出迎えてくれた。
「アズラ様。お待ちしておりました。話は聞いておりますので、ささ、中へどうぞ」
「失礼するわ」
ピントに招かれ屋敷の中に入り、奥へと案内されていく。
何度も会っているが屋敷に入るのはこれで二度目。
一度目はピント商会から初めて仕事を取った時だ。
あの仕事がきっかけでここまでの関係になったのが信じられないぐらいだが。
何事も最初の一回目が重要とよく言われるものだ。
そして、アズラはある部屋の前まで案内された。
その扉は客間というよりは、倉庫の扉のようだ。
何か見せてくれるのだろうかと思っていると。
その扉が開かれて、部屋の奥には王国金貨と銀貨が山のように用意されていた。
どこで一山当てたのかというぐらいの量が積み上げられている。
もう一つ、お店が開けるほどの量だ。
「できれば、本店の方にお持ちしたかったのでございますが、準備中にお持ちするのは邪魔になると思い、お待ちさせていただいたのでございます」
「これを私たちに? 私まだ何も・・・」
「今、アズラ様に足りないのは資金力。それぐらいはこの私も分かるのでございます。それと、この資金は貸付ではございません。アズラ様に投資致します」
そう告げたピントの目は商人ではなく一人の男として、告げていた。
「あの時のお礼を、まだしていないのでございます。アズラ様が苦しんでいる時に力になれなかった私ども。今、力にならずしていつ力になるか。これは、私、いえ、ピント商会からのお礼の気持ちでもあるのでございます」
「でもこんなに」
「騎士アズラ様は、誰よりも大胆なお考えをお持ちでございます。遠慮なさることはございません」
自分は商人で特別な力はない。剣術や術式で一緒に戦えない。権力もない。
だけど自分は商人だ。金ならある。物もある。
今なら、人手も貸してあげられる。
彼女に、アズラに恩返しが出来るとピントはその用意した資金をアズラに渡す。
これは、商談ではない。
ただの一人の男としてお礼をしたのだ。
その気持ちにアズラは。
「ありがとうピントさん」
お礼の言葉を。
とても純粋なお礼の言葉を送った。
飾る言葉はいらない。これで十分に伝わる。
それがアズラだ。
「明日にはアプフェル商会の本店を開業されるのでございましょう? 私どもも楽しみにしておりますので」
「ええ、楽しみに待ってて。ビックリするぐらいお客さんを呼んじゃうから」
ピントの気持ちを受け取り、開業に必要な物は整った。
明日からアプフェル商会のお披露目だ。
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城下町で新たな流れが生まれる中、城よりそれを見下ろす青い瞳の目は寂しげに空を見る。
今の日常は、平和そのものだ。
みんなそれが当たり前に続くと思っている。
自分もそう思うと、高貴な雰囲気を漂わせ背中まである金髪の髪を持つ彼女は。
フローラ・ウィリアルナ・ベスタは思いたい。
一国を束ねる者の娘として、民に平和を約束したい。
だが、宗主国であるカラグヴァナ王国よりある通達が来たのだ。
それを見た父、ウィリアム公爵は血相を変えて昨日からずっと大臣たちと対策を協議している。
まだどんな内容が書かれた通達なのか、フローラは見ていないが、父のあの表情でだいたいの想像はつく。
平和が終わる内容だ。
カラグヴァナ王国からの無茶な要求には慣れっこの父が困った顔をすることはあっても、青ざめることは無かった。
その父を青ざめさせたのだ。
カラグヴァナ王国の王宮に逆族が侵入したとの情報もある。
確実に今を終わらせる何かが蠢いているとしか考えられない。
「わたくしたちはどこに向かっているのかしら」
呟く様に、明日の不透明な未来に疑問を投げかけるが、それに答えてくれる者はいない。
代わりに静寂がフローラを包んでいく。
「姫、日も落ちてきていますね。そろそろ中へ」
「ええ、そうですわね」
付き人のマルクがフローラを部屋に案内しようとすると、対策を協議していたウィリアム公爵が部屋から出てきた。
青と白のスーツを着こなし、ライオンのような髪型をしてその蓄えたひげをピンッと整えている大柄のウィリアムだが。
顔に疲労の色を浮かべて、かなり疲れているようだ。
フローラはハンカチを手に取り、父の汗を拭っていく。
「父上、お休みになられては? もう二日も・・・」
「気持ちだけ受け取ろう。だが、まだ答えが出ていなくてな。ガハハッ! 困ったものだ、まったく」
「・・・内容をお聞きしても?」
「うむ・・・、そうだな。いいだろう、フローラよく聞きなさい」
父の目は、何かを決意した目だ。
それが何を決意した目なのかフローラには分からない。
分からないからなのかフローラは父の言葉を胸に刻み込むように聞いていく。
「通達内容は騎士団統一戦を開くそうだ。騎士たちが己の力を試し、そして王に示す大会だ。が、問題はそれを開く理由と参加者だ。長引く反乱に終止符を打つ最強の騎士団を決めるための統一戦。そう飾っているが、フローラ、お前はこれをどう受け取る?」
父の問にフローラは冷静に思考し考える。
書かれていた言葉の裏にある意味を読み取っていく。
言葉の裏には必ずそれを考えた者の意志が隠れている。
それを見つけ出す。
「・・・わたくしたち属国や臣民の鼓舞、そして、臣民に称えられながら生まれた新たな戦力を戦場に送るための詭弁」
「そう、その通り。だが、まだ足りないな。足りない部分は参加者を聞けば分かるだろう。参加者は、四公国の四大公爵家とそれを守る騎士団だ。エウノミアは抜きにして、わしらと、ヒギエア、そして、王都に避難しているケレスの御息女だ」
「!? それは、つまり・・・!」
「ああ、そうだ。四大公爵家を全員呼んでおいて、ケレスのカール卿だけ来なくていいはあり得ない。来れないほど首都に攻め込まれているか、すでに陥落したか。どちらにしても、カール卿はもう無事ではないだろう」
自分たちが負けていた。
それも最悪な方向に向かって。
カデシュ大陸を二分する大国、カラグヴァナ勢力の一国がただの反乱国に陥落させられていたのだ。
王国はそれを隠しながら、新たな戦力を集めている。
この状況を覆すために。
だが、そのやり方にフローラは疑問を感じた。
「このようなコソコソと隠れること、シュピーゲル陛下がおやりになるはずが」
シュピーゲル王がこんな回りくどい、味方に隠し事をするような作戦を立てるだろうかと。
これでは、上層部も情報を共有できない。
それは、致命的なミスに繋がることはカラグヴァナも分かっているはずなのに。
もしくは、それすら作戦の内なのか。
その疑問にウィリアム公爵が答える。
「この筋書きを描いているのはタウラス第一王子だろう。ここ数年であの青二才が異常なまでに力を付けている。何を考えているか知らんが、王国の決定ならわしはいかねばならない」
「父上、こんな茶番をしている暇はありませんわ。今すぐにでもケレスに援軍を!」
「それをさせたくないのだろう。ケレスが陥落しわしらが一堂に会する場があの青二才に必要な盤上と言った所か」
ウィリアムもバカではない。タウラス第一王子が何を企んでいるかは分からないが、その全てが王になるための手段なのは分かっている。
四公国を束ね、王位を継承するつもりなのか。本当にただ戦力を求めているだけなのか。
何を企んでいるにしても、行くしかないのなら最大限の備えをして向かうしかない。
「フローラ、2ヵ月後には王都に向けて出発しなければならない。2ヵ月でお前の騎士たちを育て上げれるか?」
「2ヵ月・・・、分かりましたわ。2ヵ月でわたくしの騎士団を鍛え上げて見せますの!」
自国の運命を決めるかもしれない、戦いが王都で始まろうとしている。
その戦いの名は。
四公国騎士団統一戦。