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とある補佐官曰く

 ――くしょんっ。


 ……うーん、最近涼しくなってきたとは思ってたけど、日が沈むと余計に肌寒いなあ。

 アリカちゃん、不精してないで上着を着てれば良いんだけど。彼女が風邪を引いたら困るし、今夜は毛布を一枚余計に出しておくよう指示した方がいいかな。


 ねえ、貴方もそう思いませんか?


 ……どうでも良い、ですか。まあそうでしょうね。すみません、埒のない質問でした。

 でも、貴方だって悪いんですよ? こんな時間まで僕を拘束するんですから。全く、こんな風に退屈な仕事に掛かり切っていれば、世間話の一つもしたくなるというものですよ。

 ……どうせなら世間話よりアリカちゃんのことを話せ、ですか?

 うーん……まあ良いですよ、話してあげても。

 あはは、別に罠じゃありませんよ。ただの気紛れです。貴方は僕に色々なことを教えてくれましたから、僕もその分、貴方の知りたがっていたことを少しだけ話してあげても良いかなあ、と。


 ……失礼ですね、僕は結構甘い人間のつもりですよ。神殿でも礼儀正しくて真面目な好青年で通ってます。人に頼られるタイプなんですから。


 ……いやいや、外面なんて立派な処世術や礼儀の範囲内じゃないですか。僕は責任ある社会人として良識を弁えているだけですよ。


 それで、アリカちゃんの話でしたっけ。彼女は僕が補佐する直属上司で、僕の五年来の友達です。


 あ、やっぱり僕らが友達だってことまでは知らなかったんですね。

 まあ彼女、人前では極端に表情が固まるし、口数も少なくなりますからねぇ。二人でいる時みたいな呑気で子供っぽい態度、他人が見るわけもないか。


 ええ、子供っぽいですよ、アリカちゃん。

 コーヒーよりココアが好きで、苦いものが嫌い。お酒も駄目みたいですね、味が嫌いなんだとか。以前悪戯でカクテルを飲ませてみたんですが、すっごい渋い顔しながら、それでも「勿体ないから」って、ちょびちょび飲み切ってくれました。


 あと、恋物語よりも冒険活劇の方が好きです。この前も一緒に変装して、劇場まで観に行ったんですよ。知ってます?「ロード・オブ・ザ・リンゴ」。結構面白かったんですけど。

 リンゴ農家の復興を題材にした、努力と友情と冒険と復讐の物語でしたよ。血沸き肉躍る経済戦争、綱渡りの駆け引きに、裏商業四天王の暗躍。ちなみにアリカちゃんは、ディックが資金集めのために、メンバーの反対を押し切って、死の山の頂点にいる先物取引の仲介屋を探しに行くシーンが好きだと言っていました。小説版ではその仲介屋が、チームリーダーの蒸発した父親なんだとか……あ、すみません、ネタバレしました。……どうでも良い? そうですか。


 それからアリカちゃん、自分があんまり頭良くないことでも悩んでるみたいです。いつも僕が出すノルマをヒイヒイ言いながらこなしてますからね。

 これくらいの課題を、同じ年頃の王立学院生なら半日でやってくるよ、なんて嘘言ってみたら、明らかに量がおかしいのに、まるっと信じちゃうんです。いやあ、涙目で徹夜して片付けてくるんですから、律儀ですよねぇ。


 ……なに引きつった顔してるんです。仕方ないじゃないですか、半泣きで机に齧り付くアリカちゃん、凄く可愛いんだもの。僕が意地悪で押し付けたものを素直に信じ込んで必死で食いついてくる辺りとか、全面的に信頼されてる感が嬉しくて、ついついからかっちゃうんですよねぇ。

 アリカちゃんって下町生まれで学校にも行ってなかったし、確かに覚えは良くないけど、その分努力するから進みは早いんですよ。早く神子らしくならないと、僕にまで迷惑がかかるからって。僕のことなんて心配する必要、全然ないのにね。そんな健気でアホ可愛いアリカちゃん、僕大好きです。


 ……世間に出回ってる神子様のイメージと違う? そりゃそうですよ。


 あのね、大勢の人の前に出た時のアリカちゃんってね、実はあれ、大体盛大にテンパってるんです。

 そ。極度の人見知りなんですよ、上流階級限定の。

 そのせいで霊力の制御が微妙に狂って、身体に閉じ込めておけなくなるから、周りにいる人たちには威圧感だのカリスマだのに間違われるけど。

 僕がフォロー入れた時の一安心した顔とか、凄く可愛いですよ。根が真面目な良い子だから、何だかんだ周りには良い方向に取られてるんですけど、当人そのことには気付かないで、いつも失敗しないかオロオロしてます。


 ――まあ、僕はそんなこと、わざわざ教えてあげるつもりはありませんけどね。


 だって、下手に指摘するとアリカちゃんはより一層固まりそうだし、何より神子である彼女は、少々過大評価されているくらいで丁度良いんです。ほら、神子として相応しくない、なんて突き上げ食らったら、うるさいお偉方に干渉させる絶好の機会を与えるようなものですからね。

 まあ、少なくとも僕が傍に付いて適宜フォローしてる限りは、そうそう面倒なことにはならないでしょう。お人好しな彼女が、誰かを困らせることなんてできるとは思えませんしね。……運やタイミングが異様に良いのは、神子特典のスペックなんでしょうか……。


 ……そうですか? でも、実際そうですよ。寄付金のこともブランドのことも、誰かの入れ知恵じゃなくて、彼女が自分で考えてやったことです。

 アリカちゃんは甘い人ですよ。それが根本にあるからこそ、「誠実で思慮深い神子様」なんて誤解が生じる余地が生まれるんですから。

 彼女の本質は昔と変わらず、ただの一般庶民です。ビビリで臆病で弱虫で、諦めと切り替えが早くてお人好しで他人に甘くて、馬鹿で呑気で楽観的で、軟弱で貧弱で時々強い。そんな、どっちかと言えばヘタレ寄りの不器用な人間です。


 ……そこまで分かっている僕が、何故好き好んでアリカちゃんの傍にいるのか不思議ですか?

 そんなもの単純です。僕はアリカちゃんが好きなんですよ。ビビリで臆病で弱虫で、諦めと切り替えが早くてお人好しで他人に甘くて、馬鹿で呑気で楽観的で、軟弱で貧弱で時々強い、そんなヘタレで不器用な彼女が心底愛しくて仕方ないんです。


 ……ふふ、酷い言い様、ですか?

 でも事実ですよ。僕は馬鹿で弱くて流されやすい癖に、それでもいざとなったら国なんか捨てて、僕を担いで逃げると言い切ってくれた彼女に恋をしたんです。

 そんなことを言ってくれるの、世界中探したって彼女くらいのものだと思いません?


 ……面白いこと教えてあげましょうか。実は僕ね、テフルレネ子爵家の血なんか入っていないんです。一般庶民よりももっともっと下の――北の方にある街の、ゴミ溜めみたいな底辺の家に生まれたんですよ。


 あはは! 吃驚しました? でも本当ですよ。

 碌でなしの両親は、僕に名前も与えてくれませんでした。僕が三歳の時に、僅かな酒代と引き換えに僕を売り飛ばしたんです。

 その僕が売られた研究所がやっていることというのが、魔力のない子供を人工的に魔術師に作り替えるというものでしてね。


 そう、お察しの通り僕は、生まれた時には魔力を持っていなかったんです。今持っている「紫の魔力」は、研究所で手に入れたものですよ。


 ――僕はあの研究所の、唯一の成功例でした。


 信じられませんか? でも事実です。知りませんか、十年前、北の街で大規模な魔力の暴発が疑われる騒ぎがあったのを。

 あれ、僕ですよ。

 あの地獄みたいな施設で、被験者として捕まっていた子供たちが僕以外全員死に絶えた時、研究員たちは国に捕捉されかけていた拠点の移動を決めました。成功させるつもりもない最後の実験で、不要な僕を処分するつもりだったんです。

 ――まさかその最後の一度が、起こしてはならない「成功」を生み出してしまうとも思わずにね。


 ――殺しましたよ。当たり前じゃないですか。

 膨大な魔力が手に入ったと分かった時、それが万能に最も近い「紫」だと分かると同時に、僕はその魔力を敢えて暴発させることを選びました。当時は魔力を魔術として組み直す手順なんて知りませんでしたからね、その方法しか思いつかなかったのは仕方がありません。

 ――結果があれですよ。施設一つ吹き飛ばしたんです。


 良い気味だ、なんて、嘲笑う余裕すらありませんでしたよ。

 一人生き延びた僕は研究所から逃げ出して――そうして、アリカちゃんに出会いました。


 ――あの時、僕はボロボロで。研究所の生き残りが追ってくるから、そいつらから逃げながら、スラム街の更に裏から裏へと走り回っていました。

 助けなんて求められませんでしたよ。周りは皆敵だと思ってましたからね。

 何日経ったか、疲れ切って座り込んでいた時に現れたのが、当時八歳だったアリカちゃんだったんです。


 ――冗談言わないでください。救いのヒーローなんて、そんな格好いいもんじゃありませんでしたよ。家族で親戚を訪ねてきた折り、間抜けにも一人で遊びに出かけて、スラムに迷い込んだんですから。

 全く、誘拐されなかったのが奇跡です。そりゃもう情けない顔でべそべそ泣いてましたからね。

 ズタボロの上着でドロドロに汚れて、ゴミ袋と見間違えられても仕方がないような姿でうずくまっていた僕と彼女の目が合ったのはその時ですよ。

 彼女は悲鳴こそ上げなかったけど、吃驚した猫みたいに無言で飛び上がりました。それからしばらくおろおろした後、発育の悪い僕を自分より幼い子供だと思ったのか、そろそろと近付いてきたんです。


 いやあ、正直鬱陶しいと思いましたね。だって、人間ってだけで嫌悪の対象なのに、如何にも甘ったれそうな血色の良いガキがノコノコ寄ってくるなんて、苛立っても当然でしょう?

 とっとと失せろという意味を込めて、僕は彼女の手を振り払いました。遠慮なく爪を立てたので、傷も付いたと思います。

 我ながら、あの時の睨みには殺意が籠もっていたと思うんですけど――でもね、彼女、引っ叩かれた子猫みたいにびくついたのに、逃げようとはしなかったんですよ。

 一度小さく拳を握り締めて、それから彼女はもう一度、僕に手を伸ばしてきました。


 ――怪我してるの、って。


 ――痛いの、って。


 情けなく歪んだ紅茶色の瞳に僕の姿が映って、まるで水鏡を覗き込んでいるような気分になりましたよ。あんなに透き通った目で僕を見た人間は初めてで、柄にもなく動揺したのを覚えています。


 ――道の向こうから、追っ手の声が聞こえてきたのはその時でした。

 舌打ちしてふらふら立ち上がった僕と、声の聞こえてきた方を、彼女はおろおろ見比べて。

 怯えた顔でぐいぐい上着を引っ張ってくる彼女を、僕は「あいつらは僕を捕まえようとしてるんだから、お前はどっか行け」と言って突き飛ばしました。

 だってそうでしょう? 追っ手の目的は僕一人です。彼女だけなら、見つかっても手は出されませんからね。


 けど、何を思ったのか彼女は、いきなり僕の手を引っ掴んで、声の反対方向に駆け出したんです。

 ――ええ、驚きました。どうして彼女が言うことを聞かなかったのか、僕には分かりませんでしたから。


 怖くなかったはずがないんです。

 がくがく震える足で、真っ青な顔で、ぼたぼた涙を流して、それでも彼女は歯を食いしばって僕の手を引きました。何度もふらついて足を引っ張る僕を決して置いて行こうとはせずに、怖い怖いと泣きながら、けれどその恐怖の元凶たる僕を見捨てて逃げようとはしないんです。


 ――茫然としていた僕は疲労と混乱でほとんど頭が働かず、ただ彼女に手を引かれるがまま走り続けました。

 思考が朦朧として、まるで夢の中にいるようで。

 けれどそんな中で、彼女に握り締められた手のひらの熱さだけが、僕にとっての確かな現実でした。あの温もりだけが、既に限界に来ていた僕をまだ動かし続けていた。


 ……多分、ね。誰かの背中を見ながら涙が零れたのは、あれが生まれて初めてだったと思います。


 ……いいえ、逃げ切れませんでしたよ。疲れ切った子供の足です。僕らはじきに追いつかれました。

 道に立ち塞がった追っ手の前で、僕は彼女に突き飛ばされました――ええ、彼女の背後へと。

 ボロボロ泣いて、ガタガタ震えて、歯の根も合わない怯えようで。

 それでも彼女は、出会って三十分も経っていない、僕の前に立ったんです。


 ……端的に言うとその後は、連中の自爆で終わりました。

 ええ、連中が僕に使おうとしていた魔力封印具が誤作動を起こしたんですよ。

 まさか連中も、取るに足らない子供だと思っていた相手が、よりにもよって朱金の霊力持ちだとは思わなかったんでしょう。

 魔術攻撃を食らった彼女は、それが引き金になって、眠っていた霊力を弾けさせてしまいました。咄嗟に封印具で防ごうとしても、あれは魔力対応であって霊力には無力でしたからね。術の形すら取っていない霊力に喰われて、連中は呆れるほどあっさりと戦闘不能に陥りました。


 いいえ、彼女も無事では済みませんでしたよ。

 何せ幼い子供の身で、曲がりなりにも一撃食らって、霊力の暴走まで起こしたんです。彼女の息が荒くなって、熱が上がり始めているのが分かりました。

 そりゃあ焦りましたよ。僕はやっと我に返って、彼女を引きずるように移動を始めました。

 何とか表通りに出てまともな診療所を見つけて放り込むまで、いつ息が止まるかと気が気じゃありませんでした。診療所から警邏隊に連絡が行って、彼女の両親がやって来るまで、路地裏に隠れてうろうろ様子を見ていたものです。

 ……仕方ないですよ。下手に僕との関わりを示唆すれば、僕の追っ手が彼女にまで手を出すかも知れない。近付くことはできませんでした。


 幸い彼女は意識を取り戻し、倒れたのは原因不明の高熱ということで片付けられたようでした。

 後は彼女が連れ戻されるのを見届けて、僕もその場を立ち去ったというわけです。


 ……恩返し、ですか。ちょっと違いますね。

 多分、これは恋であり、刷り込みであり、執着なんです。


 ――あのね。僕はあの頃、世界の全てが嫌いだったんですよ。


 強い奴が嫌いでした。僕を踏み躙る力を持っているから。

 弱い奴が嫌いでした。踏み躙られるのを待つだけの弱者だから。

 賢い奴が嫌いでした。僕の弱さを補うための、必死の策の上を行くから。

 馬鹿な奴が嫌いでした。今まさに陥れられようとしていることにも気付かないような愚者だから。

 優しい奴が嫌いでした。そういう人ほど、骨の髄まで利用されて無惨に殺されてしまうから。

 冷たい奴が嫌いでした。まるで物を見るような、感情のない目で僕を見るから。


 もしも彼女がただ強かったなら、僕は彼女を嫌悪したでしょう。

 もしも彼女がただ弱かったなら、僕は彼女を疎んだでしょう。


 ――でも、彼女はそのどれとも違った。

 泣いて、怯えて、震えて、怖がって、それでも僕の手を離さなかった。弱いのに強くて、馬鹿なのにやり遂げて、優しいのに死ななかった。

 ぐしゃぐしゃの顔で泣きながら、それでも歯を食いしばって僕の前に立ち塞がったあの小さな背中を――僕は決して忘れない。


 だから、ねえ、これは恩返しなんかじゃないんです。そんな綺麗で純粋なものと、一緒にして欲しくない。


 彼女と別れたあの日、僕は決めました。

 もしも僕が全ての追っ手を始末して、後顧の憂いを無くせたなら、僕は彼女を探しに行こう。

 名前も知らない彼女のことを、もしも見つけられたなら、僕は彼女に会いに行こう。

 たとえ彼女が僕を忘れていたとしても、再び出会った彼女が、もしも笑ってくれたなら――僕は生涯、彼女と共に生きていこう。


 ……ふふ、可笑しいですか? そうかも知れませんね。

 ええ、そうですよ。全部全部、彼女の傍にいるためです。だって、朱金の霊力を持つ彼女がいつか神殿に見つかれば、神子として祭り上げられることは確実でしたからね。ただの身元不明な子供じゃいられなかったんですよ。


 全部計算尽くでした。

 財政難で家を傾けているテフルレネ子爵に「発見」されて、養子になったのも。

 紫の魔力を持つ僕を碌でもないことに利用しようとしていることに気付きながら、より気に入られるために媚を売って高度な教育を受けたのも。

 子爵家の権力を使い、愛想を振り撒いて顔を広めて、色んな場所に潜り込んできたのも。

 ――かつて養父と養母が陥れた連中に手を貸して、二人を始末させたのも。


 ……嫌だなあ、なんて顔してるんですか。僕はちゃんと、踏み潰しても誰も困らないような相手を選びましたよ? 彼らのやってきたことを知れば、拷問吏だって気分が悪くなるに違いありません。お陰で、手に入れた子爵家を立て直すのには随分苦労させられましたけどね。


 そうして、ようやく全ての用意が終わって彼女に会いに行けたのは、僕と彼女が十三歳の時です。

 当時の高熱がもとで記憶を混乱させてしまっていたアリカちゃんは、やっぱり僕のことを覚えていませんでしたが……ともあれ、後は知られている通り。僕は地位を隠して彼女と友達になり、着実にコネと手札を増やしながら、彼女の神殿入りを待って自分も補佐官に就任したというわけです。


 ……そうですか? 僕は結構単純な人間ですよ。

 要するに、僕はただ彼女の傍にいたいんです。

 僕が彼女に抱いているものは、恋であり愛であり崇敬であり依存であり執着であり狂気です。だからこそ僕は彼女の傍に在り、彼女を全てとしながらも、彼女と周囲との隔絶を埋めない。


 ……ふふ、その程度の自覚はありますよ。

 だけど、彼女は僕の光で、僕の世界で、僕の神で、僕の全てなんです。彼女は僕にとって、世界でたった一つの「綺麗なもの」だ。そうまで想う人を独占したいと思うことの、一体何がおかしいんです?


 誰もが敬称を付けて呼ぶ彼女が、僕が「アリカちゃん」と呼びかけるたびどんなに嬉しそうな顔をするか知っていますか?

 偉大な神子として称えられる彼女の戸惑いを共に背負う僕が、彼女の中でどれだけ支柱になっていると思いますか?

 誰もが神子たれと求める彼女に、彼女の個を認め、友達として対等に扱う僕が、彼女の中でどれだけ救いになっていると思いますか?


 彼女の信頼を裏切りたくない気持ちは本当ですよ。

 彼女のために生き、いつか彼女のために死ぬ。その覚悟は、彼女と再会したあの日から変わらず僕の中にあります。


 ……でも、つけ込んで奪えと本能が囁くのも本当で。

 慈しみ守れと、理性が訴えるのも本当なんです。


 だから、嗚呼――アリカちゃん、アリカちゃん、アリカちゃん。

 ――早く彼女が、僕に依存してくれれば良いのに。

 もっと僕を必要として、こんな距離じゃ足りなくなって、友達よりずっと深みに嵌まって、僕がいなければ生きていけなくなれば良い。僕を解放するなんて思わないで、いつか来る別れになんて怯えないで、僕に僕だけに執着して、僕と一緒に生きて死ねば良い。

 僕が我慢できなくなる前に。彼女を傷付けてしまう前に。彼女を取り巻く全てのものを、許せなくなってしまう前に。


 ――……だから、狂人を見るような目をやめてくださいってば。

 大丈夫ですよ、心配しなくても、アリカちゃんに僕の本性を見せる気は更々ありません。アリカちゃんには、僕を絶対の味方だと認識してもらわなければいけないんですからね。本当にその時が来たなら、きちんと巧くやってみせますよ。


 ……そんなことありませんよ、ほら、僕って尽くすタイプですし。

 子爵家の力をフルに使って人脈と情報を集め、神殿関係者を取り込んで書類の内容から部署の内情を把握して。情報操作に人心掌握、近隣国家の権力状況を調べて、補佐官の仕事にも手を抜かない。これだけ出来る将来有望な補佐官なんて、王宮まで見渡したって滅多にいないと思いますけど。


 ええ、そうです。お陰で補佐官を増やそうなんて言われたこと、一度もありませんよ。僕がそんなこと許すわけないでしょう? 世話役の巫女たちだって外したいくらいなのに。


 ――アリカちゃんを解する人間なんて、僕一人で良いんです。彼女の傍にいるのは、僕だけであって欲しいんです。

 周囲の誤解が深まれば深まるほど、アリカちゃんは立ち竦む。

「素晴らしい神子様」が広まれば広まるほど、「アリカちゃん」を見る人間はいなくなる。

 そうして、唯一真っ直ぐに「アリカちゃん」を見る僕だけが傍に残ったなら――それは、とても幸せな世界だとは思いませんか?


 本当は、あの守護獣だって許したくないんですよ。

 でも仮にも守護獣だし、アリカちゃんはあの虎を気に入っているし、虎の方も僕の本性を知っていながら面白がって口を噤んでいるようなので、どうにもこちらからは手を出しにくくて。……ああ、子虎姿を利用してアリカちゃんに可愛がられてるあのネコモドキ、毎回毎回腹が立つなあ……。いつかあのモフモフを刈り上げてプードルみたいにしてやる……。


 ――え、国?

 そんなものはどうでも良いですよ。僕が興味あるのはアリカちゃんだけです。たとえ世界が滅びようが、荒野になった世界の真ん中で無傷のアリカちゃんが笑っているなら、僕はそれだけで満足なんですから。


 今回だって、例えば貴方が殺そうとしたのが王様や大神官だったのなら、僕は動きませんでしたよ。

 でも、貴方が狙ったのはアリカちゃんだったから。僕の大切な、絶対で、唯一無二で、代えのきかない、最愛の女の子だったから。


 ――だから、貴方は僕に殺されるんです。こんな薄暗い地下室で、虫けらみたいに惨めに殺されていくんです。


 ……喋り過ぎたかな? いやあ、二度と生きて会うことのない相手だと思うと、口って軽くなるんですねぇ。アリカちゃん以外の人間とこんなに私的な話をしたの、三年振りくらいですよ。


 ……まあ、それもどうでも良いことか。

 じゃあ、そろそろアリカちゃんの夕食の時間なので、僕はこれで失礼しますね。

 尤もその前に、僕の貴重な時間を奪ったつまらない用事は、きちんと片付けさせて頂きますけど。





「――なので、あなたはそのままそこで、情けなくみっともなく無惨に凄惨に、悲惨に無様にゴミみたいに死んでください」


 朽葉色の髪を靡かせてこちらに背を向けた青年の空気は、どこまでも穏和で柔らかく。

 だからこそそれを見る男の背中に、怖気の走るような狂気と寒気を感じさせる。


「――――狂犬め」


 吐血と疲労で枯れ切った喉から男が吐き捨てたその言葉に、青年は形の良い唇を吊り上げてうっそりと笑った。


「――褒め言葉ですよ」


 ザシュッ、と。


 鈍い音と共に視界が反転して、後は、闇。

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