1話 しらゆきひめのムダバナシ
白々雪桜子は、俺の親友だ。
男女のあいだに友情が成り立つか否か。
そういった疑問をたまに耳にする。肯定的な意見も否定的な意見もあるだろう。人間一概には言えないからたぶん答えはないのだろうけど、答えを出そうとすること自体が人間の尊厳であり、進化の礎なのだろう。
きっと白々雪ならそう言うに違いない。
俺はというと、答えはイエスだ。
友情の定義も、判断も、すべてはそれぞれの認識の問題だろうから。
……ああ、なんてこった。
この長いようで短い物語のなかで、俺は記号論者になってしまったみたいだ。なりたくてなったわけじゃない。詐欺師とおしゃべり姫の影響だってことはわかってる。あいつらと喋ってると、記号論でも持ちださないと身がもたないんだ。
そう、おしゃべり姫のことを話そう。
「ツムギがそこまで言うのならしかたないッスね。ウチの心は、反対ッスけど」
俺のことを最後まで客観的に眺め、そしてどんな俺だろうと受け入れてくれた大事な友人だ。
どうにもおしゃべりで、ついつい俺も冗談が弾む。
車と人生には遊びが必要だ、とはいうけれど、俺の人生の遊びはほとんどこいつで浪費されてるだろう。
そんな白々雪だから、俺は安心して最後まで頼りにできた。
かつて恋し、離れ、取り戻すためにぶち壊した相手。
そんな白々雪は、これ以上なく深く頭を下げた俺に微笑んでいうのだ。
まるで小人たちをいつくしむ森の姫君のような優しさで。
「誰に嫌われても、非難されても構わないッスよ。最愛の友人のためッスから」
口 口 口 口 口
秋雨が降っていた。
騒がしかった文化祭も終わり、前期の期末テストも過ぎ、数日間の秋休みに俺はうつつをぬかしていた。
とくにやることもなかったから家で漫然と過ごす日々。
安寧、平穏、素晴らしい。ちょうど湿った空気が流れ込んできて雨の日が続いてたので、外に出る気にもならなかったのだ。
歌音はいつもどおり学校。母さんは仕事。
リビングのソファでぼうっと漫画を読んでたら、窓を叩く雨音が強くなっていることに気づいた。風も出てき始めたようだ。
「……あ、窓」
ベッドの横の窓を換気のためにあけたままにしていたことを思い出して、すぐさま自分の部屋に戻る。
窓枠が濡れていたけど、ベッドまでは届いてなかった。
ほっと息をついて窓を閉めようとしたとき、家の外に誰かがいることに気づいた。
不審者かと思った。
ビニール傘を斜めに差して、玄関のところで佇んでいる影。
誰かはすぐにわかった。
あのデカイ胸は知り合いにひとりしかいないからな。
「おい」
声をかけるとすぐにこっちを見た。
あの白々雪桜子が珍しく眉間にしわを寄せていた。片腕で傘を差し、もう片方の腕で胸元あたりを押さえている。
なにか大事な用事だろうか。
すこし身構える。
「どうしたそんなとこで?」
「いきなりで悪いんスけど、家に入れてくれますか?」
「なんでだ?」
即答はしない。俺の家の敷居はそんなに低くないのだ。
「ええと……」
白々雪は俺の問いかけに数秒間沈黙。
神妙な面持ちのまま、ゆっくりと口を開いた。
「いい雨だなと思って散歩してたら……いきなりそこでブラの紐が切れたんで、裁縫道具を貸してほしいッス」
「よし、入れ」
だが俺の敷居は、ときどきものすごく低い。
「助かりました。ありがとうッス」
リビングでコーヒーを飲みながら、白々雪はあっけらかんと笑った。
器用なもんで、白々雪はニット生地のシャツの下からもぞもぞと恥ずかしげもなくブラジャーを取り出し、裁縫道具を手に取るとものの一分足らずで紐の部分を修復してまた服の中に突っ込んで装着していた。男で例えるなら、ズボンを脱がずにパンツを履きかえるようなもんだろう。感心する。
まあとにかく。
「こちらこそありがとう」
「なにがッスか!?」
礼を言ったら驚かれた。素直な気持ちを表しただけなのになぜだろう。
「てゆーかブラの紐が切れるとかあるのか」
「ツムギにはわからないと思いますけど、最近また大きくなったッスからね。ブラぜんぶ買い直さないとダメかもしれないッスよ」
「たしかに1.5センチでかくなったもんな」
「わからないでください!?」
もちろん冗談だ。
……冗談だぞ?
「ツムギはなんでそんなに胸が好きなんスか? あとぶっちゃけ貧乳と巨乳どっちが好きなんスか?」
「男の性欲を解析しようとするなよ。身を滅ぼすぞ」
「でもほら、気になるッスから」
「じゃあ聞くが、デカくて苦いメロン、小さくて苦いメロン、デカくて甘いメロン、小さくて甘いメロン。どれが好きだ」
「そりゃあデカくて甘いメロンッスね」
「つまりそういうことだ」
「でもたまには小さいのでもいいかもッスね」
「つまりそういうことだ」
「なるほど。ツムギは甘いメロンが好きってことなんスね」
「つまりそういうことだ」
「わかりやすくて助かります」
男は単純なのだ。
「ただ『胸は尻を模倣して形成される』って生物学上の理論があるんスよね。ってことはツムギも尻は好きなんスか?」
「そりゃあ肉付きがいい尻はそれなりに嗜みたいぞ」
「ウチの尻はどうッスか? 魅力あるんスか?」
おもむろに立ち上がって尻を突きだす白々雪。わりとタイトなパンツを履いてるおかげか、意外と引き締まったウエストからふっくらとした尻のラインがくっくりと浮かぶ。触ればいい弾力が跳ねかえってきそうだ。理性が弱いおとこならむしゃぶりついているだろう。
しかし、しかししかし。
俺はソファに座ったまま動じない。
つとめて冷静に答える。
「安産型だな。まあ良い尻なんじゃないか? 形もいいし」
「そうッスか? ツムギの尻には勝てないッスけどね」
「俺の尻はそんなでもないだろう」
「なに言ってんスか。ほら、ちょっと立ってみてください」
「……こうか?」
言われるがまま立つ。
「それから突きだしてみてください」
「……こうか?」
言われるがまま突きだす。
「うっひょお!」
撫でまわされた。
ゴツン!
つい拳骨が出た。
「い……痛いッス」
「治らねえなおまえのソレも」
「ツムギの尻が美しいからダメなんスよ……くっそぅ」
涙ぐんで上目遣いされたけど、ここまで心が動かない上目遣いは初めてだった。
悪いが微塵も理解できない。
「てゆーか美しさはつまるところ平行線じゃなかったのか」
「それは理屈であってウチの好みの話じゃないッス。造形美と性癖を同列に考えるなんて浅はかッスね?」
「……すまん。どうやら尻に対して思考のアプローチが甘かったみたいだ」
「そんな真面目に捉えなくてもいいッスよ」
「いやいや俺が悪かった。これからはもっと尻に対して真摯に考え、前向きに捉え、実直に対応するよ」
「落ち着いてツムギ」
「そうと決まれば白々雪、さあ俺にそのふくよかな尻をしっかり見せてくれ」
「目が本気だ!? ウチが悪かったッスすみません!」
土下座された。
女子に土下座されて興奮するようなタチでもないから、すぐに白々雪の肩を叩く。
「うら若き乙女が土下座なんてする姿は見たくない。顔を上げてくれ」
「ありがとうッス」
「気にすんなよ。友達だろ」
「で、本音は?」
「土下座したら胸が見えなくなるだろバカ」
「最低だ!」
しまった。素直な俺がうらめしい。
「なんでそんな胸がいいんスか。もしウチの胸が貧乳だったらどうしたんスか」
「なに言ってるんだそんなことあるわけないだろう。ところでおまえ誰?」
「白々雪桜子とすら認めてくれない!?」
「胸はな、顔なんだよ」
「じゃあウチの胸は顔よりも顔ッスね」
「さすが白々雪よくわかってるじゃねえか」
理解されてもピクリとも嬉しくなかったけど。
ひととおり満足したのか、白々雪は土下座からひょいと起き上ってまたソファに座る。
コップに入れた麦茶をゴクリと飲み干して、
「ツムギの性癖を暴露したところで、こんどはウチの性癖について相談してみようと思うんスけど」
「世紀末でも襲来するのか帰れ」
「まあまあ聞いてくださいよ。このまえの文化祭、ウチ水着コンテストで優勝したじゃないッスか?」
そういやそんなもんに出てたみたいだな。
「そのときに性癖聞かれたんスよね。だから匂いフェチだって答えたおいたんスよ」
「匂いは匂いでも、おまえ書物の匂いだろうが」
「まあそれはドン引きされるからあえて言わなかったんスけどね」
「俺に言ってんじゃねえか」
「ツムギはツムギッスからいいんです。それより、ウチが匂いフェチだってことがまあ公然の事実になったわけなんスよ」
いまさらな感じはあるが。
「そうしたら次の日から男子どもが香水つけてくるようになったんスよね」
「あの教室の臭さはおまえのせいだったのか!」
どおりで文化祭以後、クラスに変な匂いが満ちてたわけだ。
てっきり女子たちが色気づいたとばかり思ってたんだが、まさか男どもだったとは。
いやあ、まったく気づかなかったぞ。
俺、男友達いないから。
「……っく」
「なにわけのわからないタイミングでダメージ受けてんスか」
「俺にも色々あるんだよ。とても難しい事情があるんだ」
「そうッスか。てっきり友達いないことに気づいて落ち込んでるのかと思ったッス」
「ようし決めたぞ。休みがあけたら校内放送でおまえの性癖の真実をみんなにバラそう」
「悪魔ッスか!?」
いまなら魔王にでもなれそうだ。
白々雪は唇を尖らせ仏頂面。
「好事魔多しッス」
「おまえの性癖のどこが好事だ」
「高次すぎて理解できないんスよきっと」
「脳みそ工事してもらえ」
きっとどんな業者も匙を投げるだろうけどな。
そうこうしてるうちに雨が止んだようで、窓から日差しが射しこんできた。家の外で鳥が鳴く声が響き、学校帰りの小学生たちの笑い声も聞こえてきた。
白々雪は空になったコップをキッチンまで持って行って手早く洗うと、「それじゃあお邪魔したッス」と玄関までそのまま歩いていく。勝手知ったるなんとやら、俺もとくに見送りすることなくリビングで手を振っておく。
「……あ、そうそう」
ひょこっと廊下から顔を出した白々雪。
「もしこのあと澪ちゃんがここに来ても、ウチが来たこと内緒にしててほしいッス」
「いいけど……なんで?」
「澪ちゃんからの遊びの誘い、断ったんスよね」
「なんでだよ。ヒマだったんだろ」
「だって、」
苦笑を浮かべて、軽く一言。
「澪ちゃんとプロレスなんて、良い思い出がないッスから」
白々雪の言葉通り、この数十分後に澪がプロレスの誘いに来たのは言うまでもない。




