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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
5巻 おおうそつきの、ホラバナシ

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12話 化

  

「ふふふ……あはははは! 役者がそろったね!」


 渇いた笑いが夜空に響いた。

 なにがそんなにおかしいんだ。


 南戸を縛りつけ、俺を痛めつけ、助けに来た梔子と対峙する征士郎。

 こんな状況で笑ってられるなんて、頭のネジが狂ってるとしか思えない。あるいはネジとか歯車とか、そんなもんが存在してないのかもしれない。


「……征士郎」

「わかってるよ姉さん。その子には傷ひとつつけないさ。ただ、」


 また目視するのがやっとの動き。

 瞬く間に梔子の死界に回り込む。


「眠っててもらうよ」


 浴衣の袖から取り出したのは、香水のような液体が入った小瓶。

 それをシュッと梔子にめがけて吹きかける。

 振り向いた梔子は、なすすべなく顔に浴びる――はずだった。


「俺を忘れんな」


 梔子の背後を取るってことは、俺の目前だ。

 俺が蹴り上げた足は征士郎の手を直撃する。小瓶は宙を舞い池に落ちた。


「忘れてないよ。すこし油断しただけさ」

「梔子」


 口元を押さえた梔子が、征士郎に足払いをかける。

 征士郎はとっさに跳んでかわすが、そこは空中だ。

 空中じゃ身動きはとれない。すぐに俺が征士郎の胴体を蹴り飛ばそうと動いた。しかし、一筋縄ではいかないのはどちらも同じ。


 蹴りだした俺の足に手をついて(・・・・・)、空を舞うようにとびあがる。


 どこの拳法使いだこのやろう。

 俺が悪態をついたときには、征士郎はまた南戸のそばに戻っていた。


「さてさて、どうしたものかなあ」


 こちとら動きについていくのもひと苦労なのに、昼飯のメニューに悩むOLみたいな気楽さで言いやがる。

 とはいえ、制約があるのは向こう側だ。南戸の手前うかつに梔子に手を出せないはず。

 なら当然、先に狙ってくるのは――俺のほう。

 征士郎は予想通り、低い姿勢で俺にタックルをしかけてきた。


 さすがに三度目になると目が慣れてくれた。

 横っ跳びに避けると、征士郎は門を蹴ってそのまままたこっちに突進。俺はまた横に跳んでかわす。征士郎は中庭の岩を蹴って、また突進。かろうじて避ける俺に、背後の壁を蹴ってまた突進する征士郎。減速ってものを知らないのか、慣性の法則を無視しやがる。

 闘牛でも休む暇くらいあるだろうに。


 回避が間に合わない。

 焦ったその四度目の突進を止めたのは、梔子の手にある古典だった。

 とりかへばや物語の一撃。

 梔子が振りぬいた古典作品を、征士郎は門の上まで跳びあがってよける。


 そこまで大袈裟に回避しなくてもいいと思うが……。


「……そうか」

 

 梔子はなんの迷いもなく征士郎の顔面を狙った。効率を考えれば当然だが、いくらなんでも征士郎の顔は美の結晶みたいなもんだ。ふつうもったいなくて狙わない。

 だからこそだ。

 征士郎は自分の美しさを自負している。利用している。

 顔は、あいつにとっては一番大事な部分のはずだ。かすり傷ひとつ負わないよう慎重になるのもうなずける。


「なら攻略の糸口はあるな。いけるか、梔子?」


 こっちから攻めることも可能だろう。

 そう思って声をかけたが、意外にも梔子はうなずかなかった。


「……梔子?」


 そりゃあ人形じゃないんだ。いつでも俺の考え通りに動いてくれるなんてことはない。

 だがいつもの梔子とは明らかに様子が違っていた。

 梔子は俺と並んで立っているだけだった。あくまで俺を守るため、と言わんばかりにすぐそばに寄り添っている。一歩踏み出すこともなければ、いままでのように時々感じる無言の迫力もない。


 ……ああ、そうか。

 俺は、そんな梔子の横顔を見て気づいた。

 いまの梔子には、動く理由がないんだ。南戸にとって自分は厄介者でしかない、と思い込んでいる。悲しんで傷ついたままなんだ。


 それでも征士郎に立ち向かっているのは、ただ俺が征士郎と敵対してるからだろう。俺がピンチになったから駆けつけた。ただそれだけなんだろう。


「あくまで俺のため、か?」


 その気持ちは嬉しいし頼りになる。

 でも、それはいま必要ないんだ。

 南戸を行かせないために、征士郎を止めるためには梔子の協力が必要だ。南戸と梔子のあいだにある嘘を取りのぞき、梔子の迷いを断ち切ることが必要だ。


 まあ、そんな余裕をくれるような相手じゃないのはわかってるけどな。

 征士郎はどう攻めようか楽しんでいるように見えて、そのじつ蛇のようにねっとりと隙を伺っている。獰猛な毒を隠す美しい蛇だ。

 それが征士郎。


 俺はその蛇の一枚上手をとらなきゃならない。

 能力はほとんど負けている。だがそれでも、俺は勝たなきゃならない。

 そのために利用できるものは、なんでも利用しなきゃならねえ。

 ……そう。俺の大嫌いな詐欺師のように。


「梔子、一瞬だけ頼む!」


 身をひるがえして、俺は駆けた。

 とっさの動きに征士郎は一瞬ひるんだが、すぐに俺を追おうと門を蹴る。だがその跳躍先に梔子が回り込み、大判の古典を見舞おうと振りかぶった。


 征士郎は進路を変えざるを得ない。

 その隙に、俺は南戸の横に辿り着く。手足を縛られて身動きが取れなくなっている詐欺師。いつものやかましい口を、皮肉にも一番注目されるときに閉じてやがる。

 その詐欺師の体を、俺は抱えた。

 意外に軽かった。


「……どうするつもりなのかな?」


 征士郎が警戒する。

 どうするもなにも、俺にできることは少ない。手足を頑丈に縛っているワイヤーを素手で切ることなんてできないし、征士郎を脅すこともできないだろう。

 なにより、いま大事なのは梔子のほうだ。

 だから俺は、こうするしかない。


「すまんな南戸。蛇に喰われないように注意しろよ」

「ほほう。なかなか、頭が回るようになったな久栗クン」


 さすが、俺がやろうとしてることを一瞬で理解したらしい。なぜかすこし嬉しそうに笑っていた。


「……マゾなのかおまえ」

「知らなかったか? なら覚えておくといいさ」

「知りたくなかったよ」


 俺は迷わず南戸を投げた。

 ドボン、と池に落ちる。


「なっ!?」


 征士郎が目を見開いた。

 手足を縛られた南戸は、抵抗することもできずに池の底に沈んだ。

 運動不足の詐欺師では数十秒で溺死するだろう。


「姉さん!」


 しかし案の定、征士郎がすぐさま池に飛び込んだ。

 すこしばかり心が痛むが、これで大きな隙ができた。

 どうすればいいのかわからずに立ちすくむ梔子に、俺は語りかける。


「……共依存って知ってるか?」


 池をじっと見つめる梔子。

 まだふたりはあがってこない。


「依存し合うことに世間じゃいろいろ言われてるけど、俺は悪いとは思わない。人間誰かに依存してそこに安らぎとか平穏を求めるなんてこと、よくあることだろ」


 俺と歌音がそうだったように。

 梔子と南戸がそうだったように。


「俺は南戸のことが好きじゃないし、信用できるとは思わない。散々振り回されたあげくに、ただ騙されてたってだけってことも何回も経験したしな」


 小さな水しぶきを上げて、征士郎と南戸が水面に顔をだした。

 梔子はやっとこっちを見上げる。

 すこし潤んだ瞳と、目が合う。


「だけど、あいつには恩がある。一生かけても返せねえくらいの恩があるんだ。だから、俺は南戸を行かせたくない。どうしようもなく最低で嘘吐きなやつだけど、梔子のためならなんでも犠牲にしてしまうからな。それがたとえ自分の感情でさえも」


 詐欺師だと割り切ってしまえば、見ないフリをできる。

 だけど俺にとって南戸はただの詐欺師じゃない。

 いま、ようやくわかった。


「だから梔子。おまえにはわかってほしいんだ。あいつの痛みを、あいつの嘘を……きっといつかおまえも気づくだろうけど、そんなの意味がないんだ。失ってからじゃ意味がない。俺たちが気づいてやらなきゃ、あいつはどうやって報われたらいいんだ?」


 俺は梔子の前髪をずらす。

 大きな瞳が、じっとこっちを見つめている。

 その目に浮かぶのは涙。

 悲しみの証、涙だ。


「……もしかしたら、薄々勘付いてるんじゃないのか? 俺よりずっと長く、ずっと近く南戸のそばにいたのはおまえだ。本当はわかってるんじゃないのか?」


 梔子の視線が揺らぐ。

 その視線の先には池から這い上がってきた征士郎と、息も絶え絶えの征士郎に抱えられた南戸の姿があった。

 水をすこし飲んだのか、咳き込む南戸の横顔があった。


「いまのおまえには、あいつの嘘を信じる(・・・・・・・・・)のは怖くて難しいかもしれない。もし裏切られたら悲しいからな。傷つきたくなくて悲しみたくなくて、目の前に期待せずに今を悲しむだけなら誰にでもできる。だけど、そんな停滞主義なんてクソ食らえだ(・・・・・・)。かりそめの平和じゃ誰も救えない。そうは思わないか?」


 それは梔子に言ったのか、自分に言ったのか、俺にもよくわからなかった。

 だけどまぎれもない本心だった。

 梔子の悲しんでいる顔を見たら、自然とでてきた言葉だった。


『私は、』


 梔子の手はかすかに震えていた。

 取り戻した数少ない感情を振り絞って、メモに文字を残す。


『私はあの人のことが嫌いじゃない』

「そうか」


『私が邪魔と言われても、それは変わらなかった』

「そうか」


『だから胸が痛かった』

「そうか」


『もうこんな気持ちはいや』

「……なら、どうしたいんだ?」

『近くにいたい』


 それは梔子にとって、どれほどの価値を持つ言葉だろうか。



『私は、あの人の近くにいたい』



 それは声に出せない梔子の叫び。

 神を怖がって俺に助けを求めてきたときと同じ。

 梔子詞の言葉だった。


「……だ、そうだぞ詐欺師」


 振り返る。

 水も滴るいい女というが、なるほどその理屈はよくわかる。

 銀色の月明かりに照らされた南戸は、たしかに美しすぎた。

 その横にいる征士郎もたしかに美しい。だが、南戸にくらべればたいしたことはない。完全無欠な美の化身。


「……時折、キミには驚かされる」


 はあ、とため息をついたその姿はどんな絵画よりも美麗で、どんな彫刻よりも繊細で、どんな景色よりも圧巻だった。

 油断すれば目を奪われ、言葉を奪われ、心を奪われそうになる。


「アタシが予見できない動きをしてくれるなよ」

「……なにもかも思い通りになると思うな。そんなに人間は万能じゃねえよ」

「知ってるさ。だからこそひとは嘘と欺瞞と詐術を駆使して努力するのさ。せっかく梔子クンとの関係をフラットに戻せたと思ったのに」

「フラットに? ふざけんな」


 たとえ関係に依存していたとしても。

 たとえ利用し合っていたとしても。


「嘘で壊した関係が平坦になるわけねえよ。おまえはただそうすることで自己満足にひたろうとしてただけだろ。本当に梔子のためを思うならいままでみたいに自分以外を犠牲(・・・・・・・)にする覚悟くらい(・・・・・・・・)してみろよ。詐欺師らしく、な」

「……それをキミに言われるとは世も末だな」

「俺もそう思うけどな、そう言わせてるのはおまえだ」


 詐欺師に説教するなんて思いもしなかった。

 ただ、これで南戸がここから大人しく去る理由をぶち壊せたはずだ。

 あとの障害は――


「かっこいいね少年。惚れちゃいそうだよ」


 俺と南戸のあいだに立ちふさがる享楽主義者だけだ。


「だけど忘れてないかい? 政治家がいくら抗弁を垂れようが、圧倒的な力を持った王には逆らえないのが世の常だよ」

「だったら王を倒すまでだ」


 睨み合う。

 梔子も今度はやる気だ。大判の本を握りしめるその手に、ぎゅっと力を込めた。

 その一触即発の空気を破ったのは、俺でも梔子でも、征士郎でもなかった。


「もういい」


 それは、あきらめの言葉に聞こえた。


「もういい征士郎」

「なにがだい、姉さん?」


 征士郎が振り返ると、南戸が膝をついていた。

 手足を縛られ身動きもろくにとれない状態で、膝をついて征士郎を見上げていた。

 一瞬、俺にはそれが処刑を待つ囚人のように見えた。


「貴様がアタシを恐れるように、アタシは貴様に一目を置いている。貴様が完全に悦楽に身を任せてしまえば、すべてを棄ててアタシのモノを蹂躙して壊してしまえることも、幼い頃に学んで知っている。だからこそアタシはここを離れてしまおうと思った」


 弱々しい態度。

 南戸が怖がっていたのは征士郎の力そのものじゃなかった。享楽主義者のの征士郎が、梔子を壊してしまうことだったのか。

 なるほど詐欺師にとって怖いのは、価値の天秤を投げ捨ててしまう存在だろう。

 唯一の分身でありながら、唯一の天敵。

 それが征士郎だったってことだ。


「そんなこと、ボクがわからないとでも思ったのかい?」

「いいや、知ってたさ。アタシが貴様を理解できるように、貴様もアタシを理解できるだろう。だからこれは取引だよ征士郎。脅しや恫喝は一切ない」

「取引?」


 だが俺は知っている。


 南戸は臆してなにもできないような女じゃない。

 狡猾で、周到で、計略こそが生き様なやつだ。

 だからこそ南戸はここでニヤリと笑う。


 大胆不敵な笑みを浮かべる。


「大人しく帰れ征士郎。それで手を打ってやる」

「随分と強気だね姉さん。状況がわかってないのかい? ボクにメリットがない提案なんて受ける気はないよ?」

「わからないのか?」


 南戸はじっと征士郎の目を見つめる。


「いままでアタシが貴様に取引をしたことがあったか? 貴様に条件を求めることがあったか?」

「う~ん……いや、そんなことなかったかな。いつも姉さんは騙して利用して命令して、そしてボクの手の届かないところで笑うんだ」

「なら今回の価値に気づけ征士郎。アタシは貴様と取引がしたいんだ」

「……つまり?」

結婚で手を打とう(・・・・・・・・)


 南戸のつぶやきが、夜空に響く。

 それがどういうことか俺にはピンとこなかった。

 しかし征士郎はわずかに表情を硬直させた後、高らかに笑い始めた。まるでこの世のすべてが面白くなったと言わんばかりの、これ以上ない大声で雄叫びをあげた。


「あはははは! そのセリフを信じろと!? 詐欺師の姉さんの口約束を!?」

「まさか」


 そんなバカバカしいこと、誰だって無理だろう。

 南戸が言いたかったことはそこじゃなかった。


「アタシは取引だと言ったぜ? いままでのことは兎も角、これからアタシと貴様の人生を対等で平等な化かし合いで彩ろうじゃねえか征士郎? 掛け金(オッズ)はアタシの将来と貴様の時間……さあ、仕合の舞台は整えてやったんだ。この勝負、下りるかのるかは貴様次第さ」

「――最高だ(マーヴェラス)ッ!」


 そりゃあ俺もバカじゃない。多少は気づいていた。

 征士郎のソレは歌音によく似ている。完璧な姉を見ていたからこそ、それ以外にはほとんど価値を見いだせなくなってしまったのだろう。だからこそ姉を求め、姉に近い存在を求める。

 そして征士郎には、歌音と違ってそれを自制する心がない。

 だから、南戸のその言葉は、絶大な威力を発揮するんだろう。


勝負(とりひき)成立だよ姉さん! ならボクはあらゆる手を使って、姉さんの嘘を真実にしてみせようじゃないか!」


 そのときの征士郎はとても無邪気で、間違いなく俺が今まで見たどんな表情よりも純真だった。

見てるこっちが清々しくなるくらいだった。

 無垢な笑顔を振りまいて、歓喜の声を木霊させる。


「この世界は面白い!」


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