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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
1巻 くちなしさんの、コトバナシ 〈上〉
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6話 まよわない

 春休み最後の日は、とくにやることがなかった。


「きょうは歌音(うたお)の友達が来るから、兄ちゃんは夕方までどっかいっててね」

 

 だからそんな無茶な頼みでも聞いてしまう。

 妹に甘いのは自覚している。

 俺が「わかったよ」とうなずいて家を出ようとすると、歌音は玄関まで駆けてきて、念を押した。


「いい? いくところがなくっても、白々雪さんのところだけはいっちゃダメだからね」

「なんでだよ」

「ほらやっぱり行くつもりだった。知ってるんだよ、兄ちゃんってば白々雪さんのおっぱいが好きで一緒にいるんでしょ。どうせいつも見てるんでしょ。穴があくまで見てるんでしょ」

「そんなことしねえよ」

「ほんと?」

「……チラ見くらいがちょうどいいんだ」


  胸に穴があいたら楽しみがなくなる。


「見てるじゃん!」

「見てないとは言ってないだろ。俺はな、常識の範囲内で見てるんだよ」

「良識の範囲内でしかダメ!」

「触らなければ男子高校生の良識内だ」

「その発言がもう非常識だよ!」


 歌音は嘆いていた。

 男子高校生のリビドーの程度を知らないようだ。


「……おっぱいじゃなくてさ、ちゃんと相手の顔みて話しなよ」

「だから見てるじゃねえか」

「おっぱいは顔じゃないよ」

「ある意味では顔だろ。顔よりも顔だ」

「じゃあなんで歌音と話すときはちゃんと目を見るの?」

「そりゃあ、おまえのおっぱいは顔じゃないからだ」

「……意味分かんないよ……」


 視線が冷たかった。

 とにかく。


「まあわかった。白々雪の家にはいかない。これを守ればいいんだな?」

「そうだよ。あと女のひとと会話するのも禁止ね。知らない女のひとのおっぱいを犠牲にはできない」

「……おまえ、俺を殺す気か?」

「そんなので男が死んだら世界はみんなアマゾネスだよ」

「アマゾネスか。それはそれで……」

「新しい趣味を見つけないでっ!」


 歌音は必死だった。

 とにかく。


「なら行ってくる。ちなみにおまえの友達って誰がくんの? まさか男か? 男が来たならそいつの名前と電話番号と住所と急所と刃物を売ってる場所を教えろっ!」

「男は来ないし急所はみんな同じだよ人間だもの。……来るのはみっちゃんと、ちーちゃんと、ゆゆ。ほら知ってるでしょ? このまえまで一緒にダンスしてた子たち」

「ああ。あの子たちか。ならよかった」

「歌音もよかったよ。兄ちゃんが殺人鬼になるところだった」

「あやういところだったぜ」

「うん。その言動がすでにあやういよね」

「安心しろ。妹を守るのは兄のつとめだ」

「それ、刃物の場所のあとに言ってもただのヤンデレシスコン兄貴だよ」

「はっはっはっ。冗談だって」

「ならいいんだけど……で、みんな中学はバラバラだから、集まろうってことになったの」

「そうか。豪華な中学に行くんだなあ」

「薔薇薔薇じゃないよ! わかりにくいボケしないで!」

「いや、おまえはちゃんと漢字で発音してくれたんだろ? 読者にはわかりやすい」

「漢字で発音ってなに!? 読者ってなに!?」


 戸惑う歌音だった。

 まあ、ほんとうに、とにかく。


「じゃあ行ってくるからな。貸しひとつだぞ」

「うん。いってらっしゃい」


 俺は家を出たのだった。





 先日、歌音と行った遊園地のよこには公園がある。

 遊園地の四分の一ほどの大きさで、中央に紫陽花(あじさい)が咲き乱れている花壇がある。

 紫陽花の花壇は迷路状になっており、小さなこどもなら迷うかもしれない。もっとも高校生くらいになれば花壇よりも頭が上になるので、迷うことはない。


 行く場所にあてがなく、自転車でさまよった挙句にたどり着いたのは、そこだった。

 まだ季節じゃないので葉だけが茂っている。


「……ふう。暑いな」


 自転車を公園の入口に止め、紫陽花迷路に入った俺は、その一番奥の行き止まりまで迷路を進む。

 ここの奥は、誰も近づかないから好きだった。とくに休日はみんな遊園地のほうに行くから、ひとりでぼうっとしたいときはここに限る。

 最奥まで辿りついた俺は、花壇の縁に腰かけて顔を上げると――


 ――梔子が横に立っていた。


「うおっ!?」


 驚いて立ちあがってしまった。

 小さくて見えなかった。

 梔子は小柄すぎて紫陽花の垣根よりも背が低い。この位置にくるまで気付かなかったのは自然だが、存在感がなさすぎるとはいえ花壇に座るまでまったくわからなかったのは俺の不注意だった。


「お、おまえ……いたならいたって言えよ」


 梔子は無表情のまま、首をひねった。

 白いレースのワンピースに、赤い花の装飾がついたパンプス。首からなにか宝石のようなネックレスを下げている以外は、まるで小学生のように質素な私服だった。


「いや……まあいいけどさ」


 俺はまた花壇に座った。

 風が紫陽花の葉たちを揺らし、ざわざわと騒がしくなる。

 遊園地のジェットコースターから悲鳴が聞こえる。

 上空を飛ぶ飛行機の音までも聞こえる。


「…………。」


 なぜか梔子は立ったままだ。

 微動だにしない直立である。

 もう、見事な直立だった。

 体のくびれも見当たらないくらい直立だった。


「……すまん。失礼なことを思ってしまった」


 もちろん梔子は首をかしげた。


「気にするな。たしかに白々雪みたいなのも魅力的だと思うが、年よりも幼く見えるっていうのは将来で得をするはずだ。一部の男性の趣味にはロリババアなんて奇特なものもあるらしいが、それはともかく童顔でプリティフェイスでミニサイズっていうのは、無条件に男に好かれる要素になるはずだからな。いまは高校生であまり目立たないけど、二十歳を超えると一気にくるぞ。梔子の時代が来るぞ。それはもうゴールドラッシュばりにズザザザザと」


 やっぱり梔子は首をひねるだけだったが。

 まあわかってもらおうとは思わない。これは俺の個人的な予測だから。

 直立したままの梔子は、なんだか無垢な小鳥のようだった。

 

「梔子、おまえも座るか?」


 喋らないとわかっていれば、対処のしようもある。

 俺が花壇の縁をぽんと叩くと、梔子はさっと腰をおろした。

 おろしたというか、飛び乗った感じだったけど。


「…………。」


 梔子は座って、じっと俺を見つめてきた。

 顔を半分隠した前髪の隙間から、井戸のように深い色の黒眼がのぞく。

 その視線に意味を見いだせない俺。


「なあ、なんでここにいたんだ?」


 興味本位で聞いてみる。

 もちろん返事はない。


「おまえも家族に追い出されたのか?」


 まあ、無視されるとわかっていれば、つらくもない。

 それに梔子は俺を無視してるわけじゃない。


「兄弟とかいるのか?」


 俺の疑問を無視しているだけだ。

 俺の質問を無視しているだけだ。


「俺は妹がいるんだけどさ」


 俺の言葉には反応してくれるし。

 俺の口調には賛同してくれる。


「それがまた厄介なお喋りなんだよ」


 じっと視線は外さずに。

 ずっと口は閉じている。


「おまえって家では喋るのか?」


 それはいつもの梔子だから。

 べつに不自然ではなくて。


「そもそも家ってどこにあるんだ?」


 不自然でも不可解でもなく。

 不完全でも不明慮でもない。


「というか、梔子ってどこの中学だっけ」


 むしろ無口なほうが有体ありていで。

 むしろ無言のほうが自然だ。


「俺は南中だったんだけどさ」


 相槌もほとんど打たない梔子。

 首をかしげるだけの梔子。


「中学はほとんど友達いなくてよ」


 彼女には表情なんてものはなくて。

 感情なんてものも見当たらなかった。


「白々雪だけ、最後にちょっと仲良くなったんだ。きっかけは――」


 それから俺は、しばらく自分の中学のことを喋り続けた。

 ただじっと座って聞くだけの梔子だったが、つまらなさそうな表情をしなかった。

 嘘みたいなことを話しても、鼻で笑うこともなく。

 冗談みたいなことを言っても、失笑することもない。

 それはどこか居心地がよかった。


 だけど、それはどこか、切なかった。






 気付けば夕日が沈みかけていた。

 昼過ぎからずっと梔子に向って、俺は喋り続けていた。

 なにを喋ったのかあまり覚えていない。

 梔子は文句をいうわけでもなく、かといって喜ぶわけでもなかった。笑わそうとしても首をかしげるし、なにか質問しても首をかしげる。その反応以外のなにかを見たくて、ずっと話し続けていた。

 まあ、効果はなかったけど。


 それでも楽しかったことは事実で、俺も以外に喋り好きなんだなと再発見した気になった。いつもは白々雪や歌音とばかりと会話しているから、自分が一方的に喋りたてるなんてことはなかったのだ。


「……よし。そろそろ帰るか」


 梔子は、ここでようやく、コクンとうなずいた。

 やはり最後までひとことも発さなかった彼女は、立ちあがるとすぐに紫陽花迷路を歩きだした。

 迷わずに、出口まで迷路を進む梔子。

 慣れてるようだ。何度も来ているのだろう。

 俺はそのうしろをついて進んだ。


「……なあ梔子」


 出口のすぐ手前で、速度を変えない梔子の小さな背中に言う。

 すこし気になっていたこと。


「おまえは……」


 ――なにがしたいんだ?

 ――楽しいのか?


「……いや……やっぱいい」


 口から出かかった言葉を呑み込んだ。

 それは、言ってはいけないような気がした。

 あるいは怖かったのかもしれない。


 なにがしたいんだ?

 楽しいのか?


 そう聞かれた梔子が無表情のまま首をかしげる。

 その姿を想像すると、胸のあたりが苦しくなるような気がした。


 そのまま、梔子とは会話することなく、帰った。





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