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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
1巻 くちなしさんの、コトバナシ 〈上〉
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5話 ちがいない


 ホラーハウスの後半は、ほとんど走りっぱなしだった。


 ぜぇぜぇと息を吐きながら外に出た。

 太陽が降り注ぐ健康な大地だった。

 かなり走ったはずなのに、背中に流れているのは冷たい汗だった。

 息を整えていると、


「ツムギにーちゃああん!」


 ドスン、と後ろから腰に飛び付いてきた歌音。


「よかったぁ! 遅いから、ツムギ兄ちゃんが食べられたと思ったよ……」


 安心したようにぎゅっと腰に手を回してくる。頬には涙の跡がまだ残っていた。

 俺は歌音の頭を撫でる。


「お化けは人間喰わねえよ」

「ゾンビは食べるよ!」


 なるほど。歌音にはゾンビメイクに見えたらしい。


「ツムギ兄ちゃんがゾンビになって出てきたらどうしようかと思ったんだよ! もし兄ちゃんが人間じゃなくなってたらって考えて、歌音、ずっと悶々してたんだよ」

「そうか。これから俺がゾンビだなんて嫌だもんな」

「そうだよ。だってツムギ兄ちゃんがゾンビになったら、歌音が殺さなきゃだもんね!」

「…………は?」


 俺の訊き間違いだろうか。なんか乱暴な言葉が聴こえた気がする。

 しかし歌音はもう一度言った。


「だからね、ツムギ兄ちゃんがゾンビになったら、歌音が殺さなきゃならないからね。だってゾンビは人間を殺しちゃうもの。そんなものにツムギ兄ちゃんがなっちゃったら、歌音の将来はゾンビバスターで決定だもんね。……ああ、運命はなんて過酷なの……愛する兄ちゃんと殺し合わなければならないなんて! 歌音は、たとえゾンビだろうと兄ちゃんを殺したくない! でもね、それは許されないさだめなの。歌音はゾンビバスターで、ツムギ兄ちゃんはゾンビの王様になってしまったから。歌音は、ほかのゾンビをぜんぶ殺したあと、ゾンビ城でツムギ兄ちゃんと一騎打ちしなければならないの。それは宿命なの。でもねツムギ兄ちゃん。せめて苦しまないようにしてあげるからね。一瞬で消し炭にしてあげるからおとなしく殺されてね。まったくもって寂しくなんかないよ。すぐに歌音も後を追うからね。いっしょに死ぬんだよ。……でもこれは悲劇なんかじゃないの。歌音と兄ちゃんの絆は『死がふたりを分かつまで』なんてありふれた絆じゃないんだよ。死んでからもきっと天国でいっしょになれるから……っ!」


 歌音は恍惚とした表情でトリップしていた。よだれも垂らしている。

 つねづね変なやつだと思っていたが、まさかここまでとは。

 俺は歌音の肩をゆさぶる。


「おい。現実に戻ってこい」

「……ツムギ兄ちゃんと殺し合い殺し合い……うへっ。うへへへへ」

「なんてことだ俺の妹がこんなにキモいわけがない。……すまんっ!」


 バチン!

 俺は歌音の頬をひっぱたいた。

 ようやく歌音は目をぱちぱちさせ、我に返った。


「……あれ? 歌音、なんでいま叩かれたの……?」

「いやなに。蚊がいたんだ。気にするな」

「そっか。ありがとうツムギ兄ちゃん!」


 微塵も疑わずに、はにかむように笑った歌音だった。


 ……閑話休題。


 いつまでもホラーハウスの前にいるのはどうかと思い、俺と歌音は歩き出す。

「やっぱりツムギ兄ちゃんはすごいなぁ。歌音はすぐダメになったのに、兄ちゃんは平気な顔してたもん。いちども叫ばなかったし。かっこいいなぁ」

「…………。」


 声が出ないほどビビってた、なんて言えない。


「それにさ、ゾンビのひとと睨み合ってたでしょ? ゾンビに喧嘩売るとかすごいね! さすがツムギ兄ちゃん! 怖いものなんてないんだよね。歌音はまったく誤解してたよ!」


 知り合いだった、とは言えない。


「それに最後も出てきたときも涼しい顔してたし。すごいよツムギ兄ちゃん。カッコいいよツムギ兄ちゃん。ヒーローみたいだよツムギ兄ちゃんっ」


 怖すぎて寒気がしてた、とも言えない。

 もとよりぜんぶ誤解だと言えるはずもない。


「……ああ」


 俺はそんな曖昧にうなずいただけだった。


「それで、つぎはなに乗りたいんだ?」

「あれ!」


 指をさしたのは、かなり大きな観覧車。この遊園地の目玉でもある。


「観覧車か……まあ、俺も嫌いじゃないな」


 平和だから。

 歌音は目を爛々と輝かせる。


「観覧車っていうのはね、ロマンチックの代名詞でもあるんだよ。漫画じゃデートプランで遊園地になれば高確率で観覧車でデートをしめくくるんだよ。ドラマでも小説でもゲームでもそうなの。……だって観覧車がいちばんムードが出るもんね。歌音もそれくらいわかってる」

「たしかに夕方とかに乗るといいムードになるからな。でも、いちおうロマンチックな気分を味わいたいんなら、あとで乗ったほうがいいんじゃないか? まあ俺相手じゃ意味もないけど」

「ちっちっち」


 と歌音は指を振る。


「甘いねツムギ兄ちゃん。たしかに黄昏どきや夜景は綺麗だよ。でもね、じつはもっとドキドキする観覧車の乗り方っていうのがあるんだよ!」


 歌音は小走りで観覧車の入り口まで駆ける。やはり太陽も傾かないうちから乗っているひとはあまりいなかった。

 俺と歌音はほとんど待たずに観覧車に乗りこむ。

 なんの浮遊感もなく、ただゆっくり上昇していく丸い小部屋。

 歌音は俺の正面にちょこんと腰かけ、景色に一瞥もくれずに語る。


「なんで夕方や夜のほうがドキドキするか。それはね、景色の色や光が気持ちに影響するからなんだよ」

「……色が影響?」


 俺がいぶかしむと、歌音はポケットからごそごそとなにやら取り出した。

 真っ黒な布だった。


「そう。色だよ。夕暮れ時は赤色だし、夜は暗い。どっちもドキドキさせる色なのは間違いないでしょ? 昼間は青空とか曇り空とか、とにかくドキドキする色はどこにも見えないの。せいぜい透明な観覧車に乗らないと吊り橋効果も期待できないしね。だから歌音は、あえてこの時間にドキドキしようと思うんだ!」


 なぜかそう言って、歌音はぐるぐると、黒い布を巻き始めた。

 ……自分の顔に。


「こうやってね、目隠しするの。するとあらふしぎ、歌音にはなにも見えなくなっちゃった! 夜よりも暗い世界だよ。ドキドキするのは道理だよね!」

「まあ、そりゃ見えないと怖いだろうしな」

「でもそれだけじゃないの! 歌音は気付いたんだよ。あと十分は地面に戻れないこの密室で目隠しするっていうことがいかに特殊な状態か、をね! 歌音にはなにも見えないし、しかも誰も邪魔しない! ああ、なんていうドキドキ!」

「密室だとなにされても逃げられないからだろ」

「さらにここがポイントね! 夕方でも夜でもなく、あかるいうちからこれをすることにより、歌音にはなにも見えないけど、ツムギ兄ちゃんにははっきりと歌音の姿が見えるっていう倒錯的な環境の差異が生まれるんだよ! なにも見れないのにぜんぶ見られちゃうううっ! っていうね! ここがいちばんのドキドキポイントなのっ!」

「そりゃおまえの趣味だろッ!」


 変態がここにいた。


「もっとドキドキしたいときは、ロープやさるぐつわを持ってくると良いと思うの! ざんねんなことに歌音はまだ小学生だし、ママ厳しいから買ってくれないけどね。いまは想像するしかないもんね。……視界だけじゃなくて動きも言葉も封じられて、歌音は抵抗もできずに観覧車のなかで……ぐへへ……ぐふへへほひょひょ」

「……おまえのドキドキは、一般的ではないからな?」


 目隠しをしてよだれを垂らして身悶える妹に、俺は忠告しておいた。ぜひ中学までに自覚しておいてほしいものだ。理知的なのか、本能的なのかよくわからない妹だった。

 歌音は俺の言葉なんて微塵も聴いちゃいないようだが。


「にゅふふ……歌音の隅々まで見られちゃうっ! やだぁっ!」


 またもや妄想の世界に浸ってしまった歌音を放置して、視線を外に向ける。

 あそこに自宅の屋根が見える。学校はそのすこし先。学校の横にはいきつけの定食屋がある。雲の影もいっさいなく、ただゆっくりと景色が動いていく、そんな昼下がりだった。頭を働かせるのも面倒になるほど倦怠な風景だった。

 遊園地のとなりの紫陽花公園では、多くの家族連れがピクニックをしていた。


 うん。今日も平和だ。





「……濡れてきちゃった……ツムギ兄ちゃんのせいだよ。あんまり激しくするから」

「…………。」


 もちろん、急流すべりのときに俺が防水シートを激しく引っ張ったせいで隙間が生まれて歌音の背中が濡れたってだけ、って話だが。

 しかし想像力とはえてして凄まじいもので、そんな歌音の色めいた口調のせいで、周囲の男が数人、機敏に振り向いた。チビの歌音を見て「おっと聴き違いだったか」と自分の感性を恥じらう男どもには同情を禁じ得ないが、歌音は妄想癖があり人一倍想像力がどんなものかを知っている少女だ。自分の発言で、誰がどんな想像をするかくらい理解しているから「聴き違い」ということにはならない。その反応は、見事、歌音のややこしい発言に釣られただけのことなのだ。男なら恥じることはない。

 シューティングゲームのアトラクションの列で笑う歌音は機嫌がいい。


「でもねでもね、歌音はね、ツムギ兄ちゃんがわざと歌音にお水をかけるためにシートを引っ張ったっていう下心くらい理解してるよ。お水は冷たかったけど、歌音、兄ちゃんのしたいことならなんだってかまわないよ。でもその代わり風邪引いたら看病してね。あ、そういえば下心ってうまい言い回しだよね。だって下心って下半身の心なんでしょ? 男のひとの」

「んなわけあるか。たしかにその意味も含んでるけどな。……にしても、なんで俺がおまえに水かける必要あるんだよ」

「え? だってツムギ兄ちゃんって、水びたし着衣プレイが好きなんでしょ?」

「おまえが俺のエロ本を熟読したのはよおくわかった」


 俺は帰ったらエロ本の隠し場所を変えることを誓った。


「でも、女の子がこんなところでプレイとか言っちゃいけません」

「それは誰に対する優しさなの? もちろん歌音の将来を心配してくれてるんだよね? そうだよね? てへへ、嬉しいな。でも女の子はちょっとくらいエッチなほうが喜ばれるんでしょ? お兄ちゃんの持ってる雑誌に書いてあったよ?」

「一般的にはそうかもしれないけど、これまた一般的に、ちょっとエッチな妹を喜ぶ兄はいねえよ」

「あ、そっか。それは盲点だったよ。じゃあやーめた。歌音、エッチな子やめる」

「そりゃ安心だ」


 歌音のワガママはなるべく聴いてやるが、環境や周囲に対する節操を守らないとなると話は別だ。公共の場でなんでも言って良いわけじゃないし、そもそも過保護となんでも許すのは別腹だ。怒るときは怒る。そうしないと、歌音はいつか道を踏み外すだろう。

 だって変態だから。


「……でも、そんなに歌音って変かな?」


 歌音は首をかしげる。


「まさかおまえ、自覚ないのか? おそろしいな」

「ちょっと妄想とかするの好きなのは自覚してるんだよ? でもそれってみんな同じようなものじゃないかな? 女の子はシンデレラに憧れるし、男の子はヒーローに憧れるのと同じじゃないかな。ツムギ兄ちゃんだって、自分がカッコイイところを見せたときの想像とかするでしょ? 歌音はそういう想像を、妄想に変えてるだけだよ。それに歌音の妄想はただの妄想じゃないし」

「ただの妄想じゃないて、なんだ? 妄想なんてせいぜい自己満だろ」


 すると歌音はやれやれと首を振った。


「兄ちゃんはわかってないなぁ。そもそも妄想っていうのはね、間違った想像とか理屈を捻じ曲げた信念とか情念をいうんだよ。歌音がやってる妄想はそういう自己完結なだけじゃないの。なんで歌音が妄想を声に出すかわかる? 歌音はね、妄想を現実に言葉にして伝えることでね、現実を妄想の影響下においてしまおうって考えてるの。現実があって妄想があるのは前提条件だけど、妄想があって現実がある状況をつくることができたら、それはすっごく楽しいことだと思うの。だって、それって世界征服みたいでしょ? 世界征服はいつでも夢にするべきだよね。だから歌音は妄想で世界を変化させてみたいの」

「おまえ、なんか難しいこと考えてるよな。ようは妄想の言語化して、それを聴いた人間の認識を変えさせたいってことだろ?」

「そうだね。でも、そうじゃない。歌音の理想は、いうなれば株とお金の関係に近いかなぁ。みんなの価値観を変えるんじゃなくて、歌音への認識だけを変えたいの。仮想価値でしかない株を現実のお金で買う。それと同じふうにしたい。歌音の妄想が仮想価値を持ってほしい。それはまぎれもなく空虚だけど、いつか現実に影響力を持つようになりたいの。違う言い方をするとね、歌音の妄想が目に見えない価値――信頼性をもてば、歌音の妄想も信頼されるようになると思うの。信頼性。良い響きだよね。薄い紙でできてるはずの一万円札を、もっとも価値のあるお金に変えてるのと原理は同じだよ。いつか、歌音の妄想に価値が生まれる。そうすれば、歌音の妄想は現実に及ぼすところがでてくるはずなの。仮想価値をもてば、それはもはや妄想の域を超えるってことだね。つまりね、妄想するのも楽しいけど、歌音の妄想が誰かを驚かせたり、困らせたり、楽しませたりすることが、もっと楽しいってことなの」

「言いたいことはわかったけど……おまえ、ほんとに厄介な性格してんな」

「ふつうだよ。これくらい」


 どうってことない風に言う歌音に、念をおしておく。


「でもいいか? 妄想は自由だし妄言も勝手だけどな、あんまり恥ずかしい真似すんなよ? 俺は平和に生きたいんだ。夢見る少女風に吹かれて妄言吐いてるうちはまだ可愛いけど、電波ちゃんとか呼ばれるようにはなるなよ。さすがの俺も、電波的な妹を大事にできる自信はない」

「……そっか。じゃあ、ギリギリを維持するね。ツムギ兄ちゃんに愛されて、歌音も満足する天秤の傾きを模索するよ」


 歌音はすこし残念そうだった。近々そうなる予定でもあったのだろうか。


「でも兄ちゃんにも、これだけはわかってほしいな。妄想ってすごい力を持つんだよ」

「まあ、妄想だけでトリップするやつとかいるしな」

「そういう意味じゃないよ!」


 歌音は頬を膨らませる。


「妄想っていうのは、ひとつの世界の創造なの。妄想好きなひとは誰でもそういう世界を持ってるんだよ。たとえば、おとなしい文学少女だっていろいろ考えてるってこと。兄ちゃん図書委員なんだったらひとりくらい知ってるでしょ、そういうひと。もしかすればそのひとの頭のなかでは、いつも宇宙戦争が勃発してるかもしれないよ」

「いや、そこまではないだろ」


 しかし俺の脳裡には、無口な少女の姿が浮かんでいた。

 もしかすれば、なにも話さない梔子は言葉以外の方法でなにかを主張しているのかもしれない。そういう世界をもっているのかもしれない。


 梔子の世界。


 そういえば白々雪も言ってたっけ。梔子があの入学式の日、わざわざ壇上に登ってまで無言をつらぬいたのは、自分のキャラをわからせるためだ――って。

 俺は、さっきお化け屋敷で見た梔子の姿を想い出した。

 あいつは俺の気持ちを理解しているようだった。決して、他人のことに無関心なわけではないのだろう。しかしクラスでは誰も話しかけず、空気のような存在になる自分。選びとった孤独。孤高の存在ではなく、ただの孤立。ただの双方無視。相互理解という名目の、沈黙。


 なぜ梔子は喋らないのか。

 俺はそのとき、ふと、梔子のことを理解したいと思った。


「……いやいや、なにを考えてるんだ俺」


 女の子を理解したいなんて、まやかしのような感情に違いない。

 ……好奇心。


 なるほど、厄介なものかもしれない。



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