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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
3巻 ゆうとうせいの、コイバナシ

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6話 立てば芍薬座れば牡丹



 今夜は熱帯夜らしい。



 別荘を出るとき、テレビの天気予報でキャスターがそう言っていた。昼間めちゃくちゃ暑かったのだ。言われるまでもないことだと思ったが、天気予報ではそうはいかないらしい。わざわざ「寝るときは水分補給をしっかりしてから寝てくださいね」と念を押す若いお天気お姉さんを見て、俺は石橋どころか鉄橋を叩いて渡る老後の俺を思い浮かべた。……ありそうだった。


 とにかく出発したのは夜も深まってから。

 歌音には内密にするため、寝静まってからだ。

 それが俺たち全員の認識だった。俺が頼んだってのもある。あいつだけはこんな不可思議なことに巻き込まれる必要はない。同類相求むというのは、俺が十七年間生きてきたなかで学んだことわざだ。れっきとした経験則。これは白々雪に教えられたことじゃない。


 こっそり別荘を抜けた俺と澪は、こんどは海とは逆側の、林のほうへと歩いて行く。林を抜けると田舎町が続くのだが、そこまでいかずに、途中で立ち止まった。


「たしかこのあたりだったが……ああ、あれか」


 俺が見つけたのは、林の途中にある横道だ。

 もともと舗装されてない林道だが、そこはさらに獣道だった。ただ草がすこし踏みしめられているだけの小道。月の明かりすら一片も通さず、懐中電灯を切ると暗澹とした闇が立ちこめる木々の洞窟となる。

 俺の肩の上に座るちいさな澪が、俺の髪をぎゅっと引っ張った。


「……ここ、行くの?」

「ああ。この先にちいさな祠があってな。昨日行った洞窟が精霊を祀るところだとすれば、こっちは精霊を鎮めるための人身御供となった若い娘たちのための場所らしい」

「……怨霊とかあるから?」

「そ、そうだな。まあ弔いのためらしいが」

「言い方が伝聞だね。なんだか声震えてるし」

「いっかいも行った事ねえからな。べ、べつに怖かったからじゃねえぞ?」


 自分で言いながら説得力ないなと思った。

 しかし夏にしか来ない場所、しかもひと気のない林のなかだ。わざわざ行こうと思う方がおかしいだろう。精霊に捧げられた娘たちと面識があったわけでも、精霊信仰に興味があったわけでもないし。


「まあそれはそうとして、梔子さん、もう来ていいって?」

「ああ。準備できたって」


 むろん、お化け役だ。

 メイク道具はそれなりに持っていたらしい。お化け屋敷のときとまではいわないまでも、それなりに怖いメイクをして途中でスタンバってるらしい。いくら肝試しにうってつけな場所だとはいえ、なにもないのでは澪を満足できないかもしれない――とニヤニヤしながら提案したのは白々雪だった。

 俺が怖がりなの知ってて言いやがった。あいつは家で待機なのに。くそう。

 とにかく、俺と澪は獣道へと足を踏み出した。草の感覚がやけに生々しい。


「すっごい暗いね。ぜんぜん前見えない」

「まあな」

「怖くなったら叫んでいいでしょ?」

「耳の横だってことを配慮してくれりゃあ助かる」

「わかったわ。まかせて」

「わかってないことがわかった」

「わかってるわよ。押すなと言われたら押せ……日本の常識でしょ?」

「オーストリアには時と場合って言葉がないのか?」

「日本にはダチョークラブって言葉はないのね?」

「……すまん俺が悪かった」


 やはりなかなか日本通。

 文化理解度は日本人にも負けてない。


「にしてもおまえ、意外と平気なのか?」

「怖いよ。ツムギくんの肩の上だし、なんだか落ち着かない」

「落ちないように歩いてるだろ?」

「そうじゃなくて、なにか別のものがずっしり乗りかかってるから」

「えっ!?」

「冗談だよ」

「な、なんだ驚かすなよ」

「なにかじゃなくて、女の人の手だから」

「…………帰るか」

「冗談だって。だから前向いたまま後ろに歩かないで」

 

 だって怖いんだもの。

 にしても、梔子といい澪といい、よく怖い場所で平然としていられるな。「お前もお化け役するか?」って昼間に聞いたときの白々雪の「むりむりむりむりむりむりむりむりむりむり――むりッス! 泳いでくるッス!」が可愛く思えてくる。ちなみにこのとき白々雪が怖いの得意だっていう嘘は澪にバレた。


「それにしても、なにもない道だよね……虫の声すら聞こえてこない」

「暑すぎるんだ。虫たちも夏バテしてんだろ」

「波の音も聞こえないし」

「木が密集してるからだな」

「変なうめき声は聞こえるのに」

「……気のせいだな」

「あえぎ声も――」

「気のせいだ」


 気のせいであってくれ。いやたしかに、心なしかどこからか聞こえてくるけど。

 まあ夏だ。発情した猫かもしれない。まあ今夜は熱帯夜とニュースキャスターも言っていたし、目をつむってやろう。いや、この場合は耳を閉じるというべきか。

 そのあとなぜかお互い無言になり、しばらく単調に進む。決して気まずくなったわけじゃないことを先に言っておくぞ。俺も澪も、それくらいじゃ気にしないタイプだ。

 懐中電灯の明かりを頼りに草を踏み進む。ときおり木の枝が地面に交じり、パキリ、と無機質な音が鳴る。

 五分は歩いただろうかと思ったとき、前方に鬱蒼と茂っていた木々がすこし開けた。


「あれ? 着いちゃった?」

「……着いちまったな」


 開けた場所には小さな祠があった。祭殿も拝殿もなく、ただ祠があるだけの小さな殿舎だった。宗教にはそれほど詳しくないが、小規模なものに違いない。

 途中で梔子がいるはずだったが、見なかったな。


「梔子さん、どうしたんだろ」

「さあな……ま、あいつのことだ。声で脅かそうとして声が出ないことに気付いたとかだろ。心配するほどでもないと思うが」

「そっかな? 転んで怪我してたりしないかな?」

「……さあな。それより澪、肝試しの仕上げ、やってこいよ」

「わかった」


 澪を俺の肩の上から降ろして、ポケットから小さな握り飯を取り出して渡す。澪はそれを持って地面を歩いて、祠の前に置いて手を合わせた。

 お供え物は儀礼の常識だ。礼を欠いて祟られることになれば本末転倒。澪が望んだ肝試しだ。これは澪にやってもらう。

 俺はそのあいだに携帯電話を取り出して、素早く梔子にメールを打っておいた。『大丈夫か?』くらいでいいだろう。


「よしオッケーだよ。……じゃあ、もどる?」

「そうだな。長居する理由はない」


 携帯電話をポケットにしまい、澪を再び肩の上に乗せる。

 また暗がりを戻るのはいささか億劫だ。怖さもそうだが、肩を揺らさないように草の上を歩くのは神経を使う。

 無意識に気合いを入れたのがわかったのか、澪が俺の髪をつかみながら、


「わたし、自分で歩こうか?」

「やめておけ。密林の長距離散歩気分を味わいたいなら別だけどな」


 細かい心遣いは嬉しいが、澪のサイズのペースに合わせていては意味がない。

 さて今度こそどこかで梔子が出てくるかな――と思い足を進めたときだった。


 とん


 と。

 音が聞こえた。

 なにかを地面に落したような音だった。

 それが、後ろから聞こえてきた。

 つい足を止める。すると、


 とん、とん


 と、今度は二度聞こえた。


「……なあ澪。ひとつ聞いていいか?」

「な、なに?」

「おまえ、おにぎりはちゃんと置いたか?」

「お、置いたよ」


 澪の声も震えていた。

 むろん、おにぎりが落ちてこんな音がするとは思わないが。

 だが、背後は誰もいない祠のはず。

 まさか梔子か――と思ったのと、携帯電話が震えたのは同時だった。

 すぐに取り出してメールを確認する。澪も覗きこむ。


『ごめん。道に迷って別荘まで戻ってきた』


「…………。」

「…………。」


 とん、とん、とん


 背後からは三度目の音。

 振り返るべきか、否か。

 答えは考えるまでもなく出ていた。


「……おい、澪」

「な、なあに……?」

「振り落とされるなよ」

「わ、わかってる」


 俺は脚に全力を込め、走り出した。







「はぁ……はぁ……」

「ふぅ、つ、疲れた……」


 息も絶え絶えで別荘の前まで戻ってきた俺。

 肩の澪も、俺の髪に両手で掴まって息を荒げていた。

 ふらふらと俺はドアを開け、家の中に入る。

 なにがあったのか、わからない。だが後悔はしていない。

 あそこで振り返るのは、勇者のすることだ。真実を知りたい探偵役がすることで、ことなかれ主義の俺には無理に決まっていた。

 リビングのソファに座りこむ。澪も俺の肩の上で、耳にぐだっともたれかかった。


「こ、これが肝試しなのね……予想以上だった」

「これがほんとの吊り橋効果だ」

「うん。実感した。まだ胸がドキドキしてるよ……これって恋かな?」

「動悸だ。しばらくすればおさまる」

「そりゃそうだけど。でも、おさまらなければ?」

「病院へ行け」


 耳元で「もうっ」と澪が頬をふくらませた。

 とにかくいろいろ疲れた。おとなしく寝たい。


「あれ? もう帰ってきたんスか? まあ梔子さんのほうがかなり早かったッスけどね」


 ぐったりしていると、リビングに入ってきた白々雪。

 簡素な浴衣を着ている。風呂に入ったのだろう、髪が濡れていた。浴衣なんてどこにあったのだろうか……昨日は見なかったのに。


「ああ、コレっすか? 梔子さんがみんなのぶん持ってきてくれたんスよ。いま彼女お風呂入ってますから、澪ちゃんもあとで借りてくださいね。それよりツムギ、似合ってます?」

「まあ、馬子にも衣装だな」

「褒め言葉として受け取っておくッスよ。どうもです」

「はいはい」


 まあ胸のあたりは文句はない。

 和服ってけっこう好き。


「あ、ちなみに下着はつけてないッスよ?」

「なんだと!? さすが白々雪様、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花だ!」

「豹変しないでください。おだててもなにも見せないッスよ?」

「……おい豚に真珠。俺は疲れた麦茶が飲みたい」

「ほんとわかりやすいダメ男ッスね」


 そう言いつつ冷蔵庫からお茶を出してくれる白々雪。


「まあ、ふつうに似合ってるぞ」

「そうッスか? 嬉しいッス」

「さすがなにを着ても似合う体だ」

「そろそろセクハラで訴えて良いッスかね」

「やめろ。そんなことすれば図書委員をクビにするからな」

「パワハラも追加ッスね」

「俺が神様になったら無理やり見てやる」

「ヴァルハラは追放ッスね」

「ちっ、まったくけちなやつだな。減るわけでもなし」

「見せてもいいけどツムギの眼球が減ります(物理)」

「それで死ぬなら本望だ(摂理)」

「自然現象にしないでください」

「生理現象だ気にしないでください」


 しばらく白々雪と睨み合う。

 じいっと睨み合う。

 まだ睨む。

 ……まあ、俺が睨んでるのは胸だが。


「ツムギくん最低」


 耳を引っ張られた。


「い痛痛痛っ! なんで澪が怒る!?」

「そんなに胸が大きなひとがいいの? それって差別かカモフラージュ? 貧乳の本しか増えてないからカモフラージュなんでしょ?」

「だからなんで知ってんだよ!」


 おかしい。エロ本を買うときは細心の注意を払い、尾行に気をつけ、部屋の床下の金庫に三重ロックでしまっているはずなのに。

 これはいよいよ澪が超能力者だという可能性もありえてくる。


「まあ無駄話は終わりにしてッス」


 と白々雪が澪をひょいと掴むと、ソファの上に置いた。


「澪ちゃん、肝試しはどうだったッスか? なにかどこかに変化はなかったッスか? 体でも気持ちでもいいから、なにか変わったことはありませんでしたか?」

「うん、特にはないよ。肝試しは怖かったけど……楽しかったかな」

「ふうん」

「でも」


 澪はちらっと俺を見上げた。

 さっきよりも、どこか期待した視線で。


「わがままを言っていいなら、もうひとつしたいことがあるの」

「……なにをッスか?」


 白々雪が若干、警戒したように声を低くする。

 自分の願いをかなえてくれることに味をしめたのだろうか。

 それとも、俺たちがなにをしているのか、澪も理解しているのかもしれない。

 澪は胸に手をあてながら、言った。


「……ツムギくんと一緒に、海で泳ぎたいかな?」


 ああ、そうだった忘れてた。

 夏の別荘に女の子たちと来てるのだ。



 水着姿を描写しないなんてこと、あるはずがなかった。


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