3話 地獄の沙汰も金次第
おとぎ話。
それらをフェアリーテールと呼ぶことくらいは知っている。
妖精なんて誰も見たことがない。捕まえてみたらただの虫だったって話は昔からよくあることだ。妖精の噂をどれだけ囁こうが、尻尾すら掴めない。正体不明の詳細不明。奇々怪々の物語。それこそがおとぎ話。
とはいえ、おとぎ話そのものに妖精が出てくるものは、わりと少ない。
最も有名なところで言えば白雪姫のドワーフだろう。しかし、白雪姫のドワーフ族たちには華がない。目立っていない。妖精なのに妖精として受け入れられていない。もちろん背中から透明な羽でも生えていればわからないが、少なくとも白雪姫の話で妖精を使う必要性がない。
妖精に羽がある必要は、ほとんどないのだ。
妖精の代名詞が羽であるにも関わらず。
背中から生えた半透明。
ガラスのように滑らかで、被膜のように柔らかいこの羽を。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!」
さしずめ羽の結晶のようで。
さしずめ結晶の羽のようなこの羽は、必要性を感じさせない。
「だから動かないでって言ってるじゃないッスか」
「だから痛いって言ってるでしょっ!」
ところで。さしずめってなんでさしずめって言うのだろう。
爪を刺すのか? たしかにそれは痛そうだ。すしづめなら持ち帰りたいところなんだけど、まあ、あとで白々雪にでも聞いておこう。
「動くから痛いんスよ」
「痛いから動くのよ!」
「動くのが先ッス」
「痛いのが先! おしゃべりなニワトリね!」
「ニワトリだって卵がなければ生まれないッスよ。腐った卵ちゃん」
「卵だってニワトリがいないと生まれないわ!」
そんなたとえ話まで持ち出して、いつものように喧嘩する澪と白々雪。
――林を抜けた先、海辺の丘に建つ一軒家。
改築してログハウスのような造りにして、久栗家が別荘として使っている。
リビングにはソファが二つあり、そのひとつに澪と白々雪が座っていた。
いや、座っているのは白々雪だけだ。それもソファに座っているのではなくて、ソファにうつぶせになっている澪の背中に座っているんだが。
白々雪が好奇心を抑えられずに、澪をソファに押し倒したのが数分前の出来事だった。
目を輝かせて「その羽見せるッス!」と迫る白々雪に、しぶしぶ澪が背中を向けた。半透明な羽を引っ張って伸ばしたり眺めたり舐めたり嗅いだり噛んだり捻じったり挙句のはてに燃やそうとしたり、白々雪は触りまくっていた。
澪が悔やんでも、後の祭りだった。
マウントポジションをとられたまま背中を向けるなんて、やってはならない愚行。
白々雪に尻尾を捕まれてしまえば、いくら妖精でも逃げられない。
白雪姫に見染められたドワーフたちが、決して裏切らなかったように。
「ツ、ツムギくん助けて!」
いいように背中の羽を弄ばれ、半泣きでこちらに助けを求める澪。
正面のソファに座る俺は、テーブルに置いた携帯電話をじっと見つめていた。
着信はまだ……ない。
ぎゃーぎゃーと喚く澪を横目に、俺はテーブルを見つめ続ける。
女の子ふたりがソファの上で絡んでるのを横目で見て楽しんでるなんて思わないでくれ。俺はそんな変質的な愛情を持ってない。ただ、澪に逃げられる可能性を考慮してのことだ。
すまんな、澪。平和の犠牲となれ。
澪の悲痛な声をBGMに、視線を移す。
すぐ横にそなえつけられているキッチンでは、梔子と歌音が料理をつくっていた。ふたりの喧騒なんて我関せず、包丁やフライパンや鍋をせわしなく動かしている。
「決してこの建物から出ないこと。カーテンも閉めるんだ。いいか、誰が来てもこのことは秘密だ」
平和のため平穏のため、ここについてすぐ、全員に外出禁止令を出した俺。
クラスメイトに羽が生えたなんて珍事件、万が一公に露見したら俺の平和が潰れる。いつだって一番脅威なのは、目に見える不可解なのだ。
俺がそう言ったとき、白々雪は外出どうこうよりも澪の背中を見てそわそわしていた。澪は戸惑いながらうなずいた。歌音はなにやら妄想を開始して気持ち悪い笑みを浮かべていたので耐えられずビンタしたら我に返った。
そして梔子は梨色のメモ帳をかかげ――
『晩御飯、なにか作る?』
ひとりだけ平然として、夕食の準備にとりかかった。
澪の背中には興味もなさそうだった。
料理上手な梔子と歌音に夕食作りを頼み、俺たちはリビングで作戦会議――ということだったが、こいつらふたりに作戦も会議もあったもんじゃない。
作戦は詮索となり、会議は機会となる。
白々雪の猫のような好奇心は、猫じゃらしのような透明な羽に惹きつけられた。
「ちょ、やぁ、引っ張っちゃダメだってば! 皮膚が! 皮膚がっ!」
「お~伸びるッスねえ。悪魔の実でも食ったんスか?」
「そんなに伸びない!」
怒る澪に、笑う白々雪。
ふたりは頼りにならない。
そうなったとき、頼れるのはやはりアイツ。
不遜に傲慢に鼻高々に、すべてを見通したような態度のアイツ。
頼れるけど頼りたくはない、美女詐欺師。
ピリリリリ、と着信があった。
すぐに携帯をとって部屋を出る。
玄関を開けると、青々と煌めく海面が視界いっぱいに広がるが、そんなもん気にもとめずに電話の通話ボタンを押した。
「――もしもし」
『やあやあ、待たせたな久栗クン』
軽快な声に、俺は息を吐く。
「ああ、待ったぞ。すげえ待った。夢の国のアトラクションくらい待ち遠しかった」
『ほうほう。ちなみにキミは夢の国に行ったことがあるのかい?』
「あると思うか」
『だろうね』
南戸はクツクツと笑った。
夢の国なら現実主義者の俺には行く資格がないからな。
「それより南戸、調べてくれたか?」
『だから本題を急ぐのはキミの悪い癖だぜ? 世間話に興じてくれてもいいじゃねえか』
「そんな時間はないんだ」
『悲しい嘘を吐かないでくれよ少年。することがなくて幸せな気分にすぐにでも浸りたい……それだけだろ?』
「……ちっ」
『アタシを騙そうとするのは感心しないな。今回の依頼料は二倍にしておくぜ』
「二倍だと? アホなのか?」
ぼったくりにもほどがある。
「せめて二割にしてくれ」
『そうだな、二倍でどうだ』
「おいおい、話を聞いてるのか? 二割五分……これでどうだ」
『わかった。二倍にしてやる』
「俺の耳がおかしいのか~? それとも電波が悪いのかな~?」
『聞こえなかったか? 仕方ない……二倍、これでどうだ!』
「ちっとは歩み寄れ!」
交渉にならないだろ。
「三割だ。三割増しで手を打とうじゃないか」
『三割ならマシだって? ははは、じゃあ二倍だ』
「聞き間違いに悪意を感じるぜ。四割……これで許してくれ」
『わかったよ。そこまで言うなら二倍にしておいてやる』
「…………泣くぞ?」
『男の泣き声なんて騒音だ。わかったわかった。わかったから、おおまけにまけて二倍で――』
「二倍でいいよもう! はやく次に進んでくれ!」
俺、泣いた。
『久栗くんはチョロいなぁ」
「……てめえ、地獄に落ちるぞ」
『金が有れば沙汰も平気さ。まいどあり』
閻魔大王すら騙くらかすだろうな、こいつは。
電話口の向こうで、にやにやと笑う南戸の姿が想像できた。
「……とにかくだ。俺は早いとこ澪の異変を解明したい。そんでから治したいんだよ。頼む、協力してくれよ」
『劇的変化をすべて異常だと捕らえるのは、停滞主義の久栗クンらしい見解だな。もしかしたら澪=ウィトゲンシュタインの飛躍的進化だとは思わねえのか?』
「こんな進化があるか。羽が生えてるんだぞ、人間の背中に」
『六十三億人にひとりくらい羽も生えるだろうさ』
「暴論だ。生物学的にな」
『正論だぜ。統計学的には』
たしかにひとりくらいいてもおかしくはないかもしれないが……。
しかしそれはそれで困る。
『ま、ソレが進化だと都合が悪いのはアタシも同じだ。クラスメイトがそんなことになれば、梔子クンにも迷惑が及ぶかもしれねえ。っつうわけで久栗クン、キミにはひとまずミッションを与える。原因究明の大仕事だ』
「……どうするんだ?」
『まず、観察しろ。よおく観察しろ。羽が動くならその動き。羽が変化するならその法則。進化じゃなけりゃあ一見理不尽な奇々怪々かもしれねえが、じつをいうと〝妖精の羽が生える〟ってのはそれほど稀なことじゃねえんだ』
「珍しくねえってのか?」
つい声が裏返る。
そんな話、生まれてこのかた聞いたことがないのだが。
『そりゃあ聞く機会がなけりゃあねえだろう。だが、妖精や精霊や妖怪の類ってのはどこにでもいるから、神様なんかよりもよっぽど目にする機会は多いはずだ。人間の形をしてるやつらだけでも何種類いると思う? エルフ、ドワーフ、トロール、ピクシ、コロポックル……数えればキリがない。世界にはそれだけの希少種が存在する。それぞれを見れば希少だが、全体を見渡せば出会っても不思議はねえ。キミの悪友の表現を借りれば、天地転覆の欠片もねえってことだ。そいつらに憑かれたら羽が生えるのはデフォルトだ。べつに異変ってほど特異じゃねえ』
「そうか……それで、妖精が澪に憑いてるとすれば、どんなのだ?」
『さあな。だが、大事なのは憑いていることじゃねえ。憑いていることで起こる変化、だ。過程より結果を重んじろ。仮定より成果を重んじろ。不可思議なことには必ず変化がある。それが原因に直結しているはずだ。久栗クンにはそれがなにか調べてきてもらう』
調査。
そういえば、これだけ妙なことに関わっているのに、一度もした覚えがない。
俺は少し唸ってから、
「……いいけど、まずは、どうすればいい? 見当もつかねえんだが」
『見当がつかなくとも検討はついている』
「なんだって?」
『大切なのは法則性だよ久栗クン。キミは頭のめぐりが悪い。キミがいくら考えても理解できないだろうし、把握もできないだろう。だからいまから言うことに従って行動しろ』
と。
南戸が、すらすらと言葉を紡ぐ。
準備されていた演説原稿のように、その長文はよどみなく頭に入ってくる。
俺の平凡な記憶力でも一回で理解できる内容だった。
とはいえ。
「……それ、うまくいのか?」
『納得いかなけりゃ全額返金してやるぜ?』
「どこの通販だよ」
『ジャパネット南戸』
「邪パネェ、と?」
『おいおい。アタシほど純粋な女はいねえぞ。全部嘘だけど』
「俺はなにを信じればいいんだ」
『キミが信じるアタシを信じろ』
「どこにもねえよ」
『失敬だな』
詐欺師を信じるやつがいるか。
とは言うが、まあ、それもそうだ。
確かにいままでの経験上、騙されるのは目に見えてる。
俺に都合のいいことなんてないだろう。結局は南戸の手のひらのうえで踊らされるかもしれないが……。
ただ、こいつが俺を騙すとき、そこには理由がある。
梔子詞という、大きな理由が。
「……いいぜ、南戸。どうせ俺は馬鹿なんだろ? なら、詐欺師のお前を信じるのも馬鹿の役目だ」
『ハッハッハッ! 言うようになったね、少年!』
「もうなんだかんだ言って、数か月の付き合いだ。そろそろおまえも俺の純粋さが目に染みてきたころじゃないか?」
『そうだな。レモン果汁のように酸っぱいぜ、少年』
南戸は高らかに笑った。
「ちょっとこっち来てくれ澪、話がある」
「え? うん……」
電話を終えるとリビングに戻った。
まだ戯れている澪の腕をとって、立ち上がらせた。白々雪が唇を尖らせる。
「ちょっとツムギ、その子とらないでくださいよ」
「はいはい。ルビ遊びは電車のなかでやったんだよ」
「ツムギのくせに生意気ッスね」
「うっせ」
軽く白々雪をあしらって、廊下に出る。
リビングの扉を閉めると、むこうからは包丁使いの音しか聞こえなくなる。
クーラーは建物全体に効いているので、木張りの床が心地いい。
「それでツムギくん、こんな誰も見てないところに連れてきて、なにか用事?」
にこりとほほ笑む澪。
その視線をまっすぐ見ないように、目をそらす。そらした先には、当然のように半透明の羽があった。
わずかに、四枚一対の羽がパタパタ揺れていた。
「おまえに頼みたいことがあってな」
「なあに?」
「今日の夜、ちょいと星でも見に行こうかと思って……それで、なんだ……よかったら一緒についてきてくれないか? 下の海岸まで」
「え?」
澪は驚いた表情を見せた。
「……それ、わたしでいいの……?」
「ああ。おまえがいいんだ」
「ほんとっ!?」
パタパタパタパタ。
羽が跳ねた。
「夜のデートってこと?」
「そうだな。そう思ってくれ」
「うん……わかった。これ、みんなには内緒でいいんだよね?」
「ああ。頼む」
俺がうなずくと、澪はニコニコ顔をさらに緩めた。
リビングに戻ると白々雪が澪を睨んだ。
「なんの話だったんスか……?」
「うふふ、禁則事項です☆」
「うわウザいッスねその笑顔」
澪は軽く流して、ソファに戻っていく。
これで伏線は張れた。
あとはどう反応が返ってくるか、だが……。
俺に背を向けた澪。
心なしか、半透明の羽が、さっきよりクリアになっていた。




