11話 ミニマム
「アタシがバトル展開だなんて似合わないって顔だな?」
すぐそばで、南戸がにやりとする。
俺はうなずいた。
白々雪母はようやく我に返ったようで、南戸をとても興味深そうに眺めていた。その両手には手術のメスが復活している。
俺の体は痺れたままで動かない。
……後遺症とか残らなかったらいいけど。
「……あなたみたいな奇怪な人間、初めてみたわね。魅了の魔法でも使ってるのかしら」
「惚れやすい体質なんじゃねえか? 初めましてアタシは南戸だ」
好奇どころか皮肉もスルーし、嘲笑で返す南戸。
その浮世じみた態度に、白々雪母は嫌悪を向ける。
「正直、あなたのオカルチックはとてもとても気になるけれど……どうしてかしらね、気になる以上に殺したくなってくるわ」
「おいおい、そこに疑問を挟む余地はねえだろ? 女が美しすぎるものを見たとき、生まれるのは崇拝か嫉妬そのどちらかだぜ。キミの場合は後者だった、ただそれだけだ。――だが恥じることはねえ、嫉妬を覚えるってことは諦観してねえってことだぜ? その年齢でアタシに嫉妬を覚えるキミは、まだまだ美しく進化できる」
「口がお上手ね」
「そりゃあ職業詐欺師だからな」
「あらあら。悪い子ね」
「育児放棄するオカルト狂いの親には及ばんけどな」
「ふふふ、黙りなさい」
ブン、と躊躇なく腕を振った白々雪母。
南戸の眉間にめがけてまっすぐに飛んでいくメス。
南戸は余裕の笑みを浮かべ、避け――なかった。
サクッ
「へ?」
白々雪母も避けるとばかり思っていたのだろう。ついまぬけな声を漏らす。
いまの場面は避ける流れだ。
ふつうに刺さったらそりゃビビる。
南戸は偉そうに立ったまま、眉間にメスを食い込ませて、
「……ひとつ言っておくぜ。アタシは二年以上も家から出なかった引き籠りだ! そんなアタシがまともにバトル展開なんてできるわけがねえ!」
「なにかっこつけて言ってんだ!」
「ここまで来ただけで、アタシのライフは瀕死だ!」
訂正する。
頼りになるけど、ならないときもある悪女だった。
「ああ、血が……ただでさえ貧血気味なのに参ったぜこりゃ」
タラタラと額から血を流して、ソファに――というか俺にしなだれかかってくる南戸。
重い。
俺の体も動かない。
「あらあら。さっきの威勢はどこに行ったのかしら」
「……三丁目の田中さんのところだ。疲れたから寝ていいかいいだろう、おやすみなさい」
「田中さんを連れてこないとね」
くすくす笑う白々雪母。
手にはメス。
支配できる標的がふたりに増え、その目の獰猛さは増している。
くそ、頼りの南戸もこの調子じゃどうしようも……ん?
といつのまにか、手足の痺れが薄れていた。
よし、少し動く。
すぐにでも全身が動かそうとして――
「待て」
と。南戸の低い声がかすかに届く。
俺の筋肉のわずかな動きに気付き、とっさに腕を抑えてくる。
もたれかかった俺にだけ聞こえるように、小声。
「あと十秒待つんだ、久栗クン」
どこか狙い澄ました声だった。
……ああ、そうだ。
「演出するんだ久栗クン。アタシたちはやられ役。希望も抵抗も可能性も一切排除し、ただ惨めにやられ役を演じるんだ。勝てそうな戦いにウルトラマンが出てくるか? 仮面ライダーは出てくるか? 魔法少女は出てくるか? ……答えは否、それは無」
ぐったりと、俺にもたれかかる南戸。
その体は、汗すらかかずに冷えていた。
……俺はまた忘れるところだった。
こいつは南戸。
生粋の詐欺師。
利用できるものはなんでも利用する。
最初から、白々雪母の狙いが俺だってことくらい、わかっていたのだろう。わかっていなかったとしても考慮していたのだろう。
だからこそ相談に乗るフリをしてこの状況を仕立てあげた。だからこそこの状況で、ここに来ることができた。
そんな南戸が、この場面を利用しないわけがない。
自分が血を流すのも厭わない。
危険でさえも利用する。
それが南戸。
――すべては、梔子の感情を取り戻すために。
「さあ、あなたたたちの中身を……見せて頂戴ッ!」
白々雪母の再度、振り降ろしたメスは、
ザクッ
分厚い本に受け止められた。
それはもう、南戸が現れた時点で予定調和で。
小柄な後ろ姿が、俺たちの前にあった。
肩で息をして、汗で髪が顔に張り付いている。
走ってここまできたのだろう。この夏の季節に。
「……梔子……」
俺の声に反応するように、ちらりとこちらを振り返る彼女の目には、いままで一度も見たことがない色が浮かんでいた。
白々雪母に対するその色は。
敵意、殺意、害意。
威嚇、威圧、威喝。
そこに現れた感情は――
「――憤怒だな!」
南戸が嬉々として叫んだ。
許さない。
このふたりを傷つけたあなたを、ぜったいに、許さない。
白々雪母に向き合った梔子の背中が、そう語っていた。
「また変なのが来たわねっ!」
じゃるらっ、と白々雪母は、両手の指の間に八本ものメスを取り出す。
それを梔子に投擲しようと振りかぶ――
「がっ!」
一瞬で間合いを詰めた梔子の本に、殴り飛ばされた。
「ぐ……痛いじゃないのよっ!」
メスを振り回す。
梔子には当たらない。
怒りを爆発させ――それでも冷静に身をかわす梔子には、そんな抵抗は意味がない。
そもそも、気概が違う。気合いが違う。
「ちっ、すばしっこいわねっ!」
「――――。」
どんなにメスを振り回しても、叩きつけても梔子にはかすりもしない。
最小限に、俊敏に、そして大胆に。
それが梔子詞の生き様。
――感情を失った梔子詞の、処世術――
白々雪母の懐にもぐりこんだ梔子は、その手を下から上に振り抜く。
重い本を、振り抜く。
「――っ!」
ゴキンッ
顎を撃ち抜かれ、あっさりと白目を向いて、ドサリと倒れる白々雪母。
……そうだ。
バトル展開は、南戸には似合わない。
あいつの仕事は、口を動かすことだ。
ふんぞり返って理屈と論理をこねまわし、俺を騙してケラケラと笑っているくらいがちょうどいい。
詐欺師が戦うなんて状況は、ぜんぜんスマートじゃない。
俺を助けるのは、そんなかっこいい役回りを担うのは、正反対の無口な少女だけでいい。
――梔子詞だけでいい。
「……やっぱおまえはカッコよくて、可愛いよ」
梔子は肩で息をしたまま、こちらに駆け寄ってくる。
その手には分厚い、分厚い本。
『新古今和歌集』
はたまた、渋い趣味だった。




