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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
1巻 くちなしさんの、コトバナシ 〈上〉
3/86

プロローグ


これらは、うちのクラスでは常識だ。


扉のたてつけが悪い。


教卓上の電気だけが点かない。


掃除用具のロッカーは開けてはならない。


担任には決して、年齢と彼氏の話をしてはならない。


出席番号十四番、梔子(くちなし)(ことば)は無口。


口 口 口


時は(さかのぼ)る。


入学式当日は春らしい陽気だった。

じんわりと熱をもった陽光は、急いで流れていく雲の隙間から顔を出したり姿を消したりと忙しい。中途半端にぬるい空気に包まれた体育館のなかはブレザーを着ているにはすこしばかり暑かった。厳粛な式だからか窓を閉め切っていたので、ほこりくさい熱気が籠もっていた。


パイプ椅子にもたれかかる。俺はまだ、高校生になった実感が湧かないでいた。


中学からの顔見知りが少しで、知らないやつも多いが、それほど窮屈じゃなかった。数週間前に中学を卒業したとはいえ、こうやってじっさいに入学式が始まってもどこか中学と似たような雰囲気を感じていた。既視感のようなものだ。


 それはたぶん、錯覚じゃない。


 緊張感を持っているやつのほうが少ないだろう。校長が話しているのにもかかわらず、周囲から話し声が聞こえていた。俺の耳に届くだけでけっこう聴こえるので、体育館じゅうで考えてみるとなかなかな数だろう。校長は悦に入って高校生とはなにかを語っているが、残念ながら俺の耳には後ろのやつの声がうるさくて届かない。


 せめて最初の校長の話くらい、大人しく聞いてやればいいのに。


 常識的に考えて注意しようと思ったが、やめておいた。

 その後ろのやつの声にとくに不満もない俺も、じっさいは似たようなものだろうし。

 それになにより、誰かに注意するなんておこがましくてできるはずもないのだ。


 ……平和が一番。


 なにも自分から、誰かに疎まれるようなことをしようなんて思わない。

 波風立たない風景が好きだし、絵にかいたような平凡な環境が気に入っている。群衆のなかのひとりでいい。プロレタリアな精神は自覚していた。


『――であるからして、富士吉校生たるもの、挨拶と笑顔を忘れずに――』


 校長の話はいよいよ佳境にはいったようだ。俺たちの横側に座っている教師陣が居住まいを正したのが見えたから、たぶんそうだろう。

 それほど長くは感じなかったが、やはり、校長の話というだけで聴くのが億劫になるものだ。俺もほっと息をついて校長を見据える。

 頭の頂点が肌色になっている小太りの校長は、温和な表情で言った。


『では新入生のみなさん。まずは、となりのひとと挨拶しましょう。なんでもいい。自己紹介でも、世間話でもいい。これから同じクラスになる者同士、まずは挨拶をしましょう』


 いきなりそんなことを言いだした。

 たしかに挨拶は重要だ。

 けど、それとこれとは話はべつだ。周囲のやつらもぴたりと会話を止めて横を見る。

 もちろん俺も体を固めた。


『さあ。遠慮しないで、挨拶をしましょう』


 校長の楽しげな声。そこでようやく、ちらほらと挨拶する声が聞こえ始める。後ろのやつはまったく躊躇ためらわずに自己紹介を始めていた。

 俺は仕方なく隣の女子――小柄で黒髪の女子と目を合わせた。

 ……いや。それは間違いだ。

 

 目は合わなかった。

 

 その女子は漆のような艶のある黒髪を、目元の下(、、、、)で切り揃えていたのだ。俺は少女の前髪を見ていただけだった。

 お互い、なにも言わない。

 それほど沈黙とか静寂は嫌いじゃないが、さすがにこれは気まずい。とはいえ視線を逸らすのも悪い気がして、じっと少女がなにか言うのを待っていた。

 しばらく無言でいると。


『はい。これで私の話は終わりです』


 校長が降壇した。まばらな拍手が起こる。

 ようやく少女から視線を逸らした。


 ……こいつとは、この先も話すことはなさそうだ。


 そんな予感を浮かべ、舞台袖に立っている司会の若い女性教師に視線を向ける。

 その女子大生みたいな風貌の女性教師は『つぎは新入生代表の挨拶です』と述べた。


 新入生代表か。

 たしか、入学試験のときに最上位の成績のやつが選ばれているらしい。この富士吉高校への期待と意気込みを熱く語れと指示されるらしいが、俺にはまったく縁のない役回りだ。

 ……さて。どんなやつが代表なんだろうか。


 なかば興味本位で周囲を見回したとき。


『では、一年一組、梔子(くちなし)(ことば)さん。お願いします』


 カタリ、とすぐ近くで椅子が鳴った。

 むしろ隣だった。

 俺の隣の小柄な少女が、すくっと立ちあがる。


 梔子詞。


 そう呼ばれた少女は、すたすたと歩いていく。

 緊張感なく、堂々とした足取りで壇上へと登った。


 彼女はマイクの胴体をひねって、ずずず、と高さを合わせる。おおよそ校長の話していた位置から頭三つ分低いだろう。それくらい小柄だった。


 梔子が口元にマイクを固定する。


 俺は手に汗を握った。


 ……べつになにがあるわけでもない。


 こういうときにすぐ緊張してしまうだけだ。校長や上級生の挨拶なんてどうでもいい。だが、同じ立場のやつが注目を浴びていると、なぜかハラハラしてしまう。失敗しても俺にはまったく関係ないのに失敗しないことを祈ってしまう。

 臆病なんだろう。肝が細いのだ。

 だからこのときも、俺は緊張して見ていた。


 とはいえ梔子が失敗しそうな気配などない。

 ぱっと見た感じだと、梔子は表情を変えることなく壇上から俺たちを見回した。すこし前髪が揺れて、隙間から梔子の大きな瞳が覗いた。

 すぅ、と息を吸う。

 そして――。


「………………………………。」


 なにも言わなかった。

「…………。」


 梔子は直立不動のままマイクと睨み合っている。

 ずっと無言だった。

 緊張して言うべきことを忘れた、と初めは誰もが思っただろう。だが一分たっても二分たっても、微動だにしない梔子の様子を見て、すこしずつ体育館の中がざわめいていく。


『えっと……梔子さん?』


 教師が促すが、梔子はひとことも話さなかった。


 なにがしたいのか。

 なぜ話さないのか。


 入学式の壇上で、すべての新入生と教師、そして保護者に注目された梔子は、あまりに不遜な態度で無言をつらぬいた。まるで本当は話しているんじゃないかと錯覚してしまうほどに、一歩もその場から動かずに。

 それが梔子だった。

 

 だから、この瞬間から、それは常識になった。



〝梔子さんはしゃべらない〟




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