8話 アクティヴィズム
『拝啓、久栗紡様
めっきり暑くなってきましたね。
こちらは初夏の果実がたわわに実を結び
島のどこにいてもフルーツの香りがしてきます。
さて、こうしてあなたに直接お手紙を差し上げたのは他でもありません。
先日、この島に大量の怪奇文が送付されてきました。
もちろん私が書いた文章が怪奇なのではなく
あなたの行為そのものが怪奇であるということです。
どういうおつもりかは理解に苦しみますが
あなたが娘に手紙を渡していないことは承知しました。
そして私たちが住んでいた家に彼女はいないのですね。
私たちが娘に迷惑をかけたことは忘れておりません。
あなたが私たちに嫌悪感を抱くと同じように
私たちも自分自身に呆れ、また反省しております。
二年前、あなたが娘を救わなければ、彼女はあのまま死んでいたでしょう。
あなたは私たちにとっての恩人でもあります。
つまり、あなたが理解に苦しむ行動をとって
その結果として私たち夫婦がなんらかの不利益を被っても
私たちに文句をいう筋合いはございません。
とはいえ、私たちにも譲れないことがございます。
娘に会わせてください。
もちろん、会いに行こうと思えばいつでもできます。
私たちがそれをしないのは、あなたの手前だからです。
あのときあなたが苦心して行った〝ネクロフィ様殺し〟は
見事に達成され、そしてネクロフィ様は消えました。
なのに桜子を苦しめたもう片方――つまり私たちが
平然とした顔であなたと桜子のまえに姿を現すのは
お世話になったあなたにとってとても失礼であると判断しています。
しかし、手紙を渡さずに
なおかつこういう嫌がらせをしてくるのなら
私たちは強行手段に出るでしょう。
桜子を連れ戻すだけではありません。
あなたの両親は歌手だそうですね。
そして妹さんは、まだ純粋な中学一年生……。
では、賢明なご判断をお祈りしております。
桜子の両親より 敬具』
「……ほほう」
南戸はその手紙を見て、にやりと笑った。
「脅しで返してくるとは予想外だな。意外と白々雪の親は肝っ玉が据わっているらしい。まあ、脅し方が幼稚なところはまだまだだが、一通目の手紙からまったく躊躇わねえのは及第点だな。悪人の才能があるぜ」
「そんなこと言ってんじゃねえよ」
「ただ詐欺師のアタシから言わせてもらうと、もう少し言葉遣いに含みを持たせなきゃいけねえな。ストレートに意見を書くのはコミュニケーションとしては大事だが、恐喝や強請においては常套手段とはいえねえし、なんていったってこの文章が証拠になってしまう。アタシならここは『あなたの両親は本当に良い声を持った歌手ですね。妹さんもご両親に似ていらっしゃるようで……』という程度にしておくぜ。日本人はとりわけ行間を読む作業が好きだからな、空白に書かれていることを一生懸命に解読しようとしやがるしな。ほんらい文章の隙間なんてルビを振るためだけのスペースだってのにな。……ま、そういうことで想像力にささやきかけてやれば一発だ」
「だから、そうじゃなくてだな」
「警告だけでなく利益まで狙う姿勢がねえのは、まだまだ甘いってことだ。アタシなら『島での生活はなにかと物入りで』と序文に書きつつ、『娘はきっと私たちが残した財で学生生活を満喫しているのでしょうね』などと文末を締めておけば楽だな。相手がビビりで優しすぎる馬鹿なら、次の手紙で現金を送ってくる可能性もないわけじゃねえ。『これをやるから手を引け』なんて言われた日にゃあ、諸手を叩いて喜ぶね。それからはずるずると搾取の日が始まるってわけだ。久栗クン、キミがそういうタイプだと白々雪桜子の両親が知っていなくて助かったな」
「……あのな、南戸。まず言っておくけど、なんでかってに読んでるんだよ」
俺は嘆息する。
たしかに読ませるつもりで持ってきた。この手紙は白々雪に充てたものではなく、俺への手紙だ。しかしまさかトイレに行った隙に読まれるとは思わなかった。
南戸は手をひらひらと振って、
「おいおい、目の前に情報が転がっていてそれを拾わないのは愚行だぜ? きょうび現代社会の情報戦線は苛烈を極めてるんだ。些細な情報に貪欲になれないサラリーマンは淘汰され、駆逐されていく。そういうふうにして社会ができあがってるのにもかかわらず、キミはアタシに情報を手に入れる機会を見逃せと言ってるのか? それは崖から飛び降りろと言っているのと同等、聴くに値しない意見だぜ。そもそも久栗クンは情報の重要性と万能性を認識していない。情報は武器にもなり、防具にもなり、脳にもなる。 核ミサイルが脳になるか? AIチップが防具になるか? 排他的経済水域が武器になるか? ならねえだろ。だが、情報はすべてを網羅するんだぜ。ペンは剣よりも強く、知識がペンを動かすのがこの世界ってやつだ」
「……どんな理屈だよ」
どうせ見せるつもりだったから、それ以上は言わないでおく。
それよりも、だ。
俺はこの手紙の真意をつかみあぐねていた。
白々雪の両親はオカルトから脱却したのか否か。
白々雪を欲しがる理由は、ただ娘への愛ゆえなのか。
それとも、また利用する術を思いついたからなのか。
もしくはその両方なのか……。
「どこに悩む要素がある」
南戸が笑う。
「キミはむこうの事情関係なく、娘のことを諦めさせてやりたいんだろう? ならば頑として跳ねのけるか、もしくは潰しにかかるかだ」
「それはそうだけどな……」
「決意が鈍ってるぜ。意思が弱いねえ」
「うるせえ」
正直、ここまでストレートに娘に会いたいと言われると迷ってしまう。
「……それで、どうしたらいいと思う?」
「高校生にもなって年上におんぶに抱っこか? 随分と甘い思考だな」
「ああ、甘いものは好きだ」
「嗜好の話じゃねえ。とはいえ、たしかに判断に迷うのは違いねえ。キミごときが考えて理解できることじゃねえってこったな」
「……そうだよ。だからおまえに相談してるんだ南戸」
「つってもあたしは万能じゃねえぞ? ただ他人より騙すことがうまいってだけだ」
「なら、騙しでどうにかしてくれ。礼なら弾む」
「その言葉、梔子クンに誓えるか?」
「ああ、誓おう」
よしきた、と南戸は立ちあがった。
それと同時だった。
ピリリリリ、と俺の携帯が着信する。
電話だ。
しかも白々雪からの。
俺はすぐに反応する。
「……もしもし」
『ツムギ! 大変ッスよ!』
珍しく白々雪が慌てていた。
『いま、知らない番号から着信があったッス! 出てみたらなんとママだったんスよ! なんでも来週、こっちに来るみたいなんスよね!』
「え」
先を越された。コンタクトを取られた。
白々雪の番号をどこかで調べたのだろう。
文明の利器を利用しているのはお互い様だったのか。
『なんかウチに大事な話があるって言うんッスよ! いやあどうすればいいッスかね? ママなんて二年ぶりッスよ』
「ちょっとまてしらゆ――」
『ってことで報告したッスからね。ツムギはできればママが来るときは隠れててくださいね~。実質ウチを助けてこの街からママとパパを追い出したの、ツムギっすからね。ママだって犯罪者みたいな目で見られるから、たぶんこっそり来るってことッスしね。もし背後からブスっと刺されたら話にならないッスから。……ってことでそれじゃ、またあしたッス』
ぶつり、と電話が切られる。
一瞬、放心してしまった。
くそっ。
行動の速度で負けていた。
不甲斐ない。
「行動主義者じゃねえか」
「……わかっちゃいたんだ。そういうやつらだって。じゃなきゃ神様を見るために娘を利用なんてしねえよ」
「神様を見るために娘を産んだ、だろ?」
「まあそうともいうが」
「そこまでやるようなオカルト狂い相手なら、そりゃあうまく立ち回れるとは限らねえ。不測の事態に対処するのも詐欺師の才覚だ」
俺は詐欺師じゃねえけどな。
しかし南戸は、いつもの不敵な表情を浮かべる。
あまり頼りたいとは思えないが……
今回は、こいつだけが頼りだ。
「……まあ、そんなことをしてきてもやることはかわりないがな」
「えらく自信満々だな」
「そりゃあこっちには一撃必殺アイテムが存在するからな」
「なんだそりゃ」
「これさ」
と、南戸は懐のなかから一枚の紙を取り出した。
「……って婚姻届っ!?」
まさにそれだった。
婚姻届。
結婚するための届け。
愛を誓う紙。
愛を押印する紙。
愛に縛られるための紙。
「……それを、どう使うんだよ」
「無論、婚姻関係を届け出るために使うんだぜ」
「そうじゃねえよ」
その利用方法。
まさか使えってことじゃないだろうな。
南戸の考えていることが見えない。
「わからないって顔してやがるな。おっと、これは梔子クンもか」
南戸が振りかえると、梔子もうなずいていた。
「もともとこの婚姻届は久栗クンが十八歳になる誕生日のときのため、梔子クンにプレゼントしようと思って用意していたものだが」
「なんだと。おまえ正気か」
「まあいま婚姻届を渡したとしても無意味だな。結婚が梔子クンの感情を動かすにはまだ段階を踏む必要がある」
「おい無視すんな」
「だからこれはキミにやろう、久栗クン」
「だからこれでどうしろって――」
「実に単純だよ」
と。
南戸はあっさりと言ってのけた。
「キミが白々雪桜子と婚姻する。それだけで、すべてうまくいくんだぜ?」
「…………は?」
……いや、意味がわからない。
ひらひらとその呪縛の紙を振る南戸は、すべてが解決したかのような顔をしていた。
まったく理解が追いつかない。
俺と梔子は、限界まで首をひねるのだった。




