16話 のろわれない
――あの日、梔子詞は見た。
不吉な陰に包まれた少年の姿。
神を殺し、平穏を取り戻した彼の姿。
その話をあのひとに聴いたときは、梔子は彼に会いたいと思った。
友達のために神を殺す――そんなすごいひとがいるなんて、会ってみたい。喋ってみたい。
神という存在を創り上げ、それゆえ神にとり憑かれた自分のことをどう思うだろう。哀れむだろうか、それとも怒るだろうか。
……怒るだろう。生活のためとはいえ、他人を騙しているのだ。
でも、会ってみたい。
だからあのとき、入学式の日、彼の周囲をうごめくものたちをみたとき、梔子は言葉を失った。
彼の周りにいた、無数の崇り神を見た瞬間、梔子は絶句した。
神殺しは大罪だった。
……なんとかしないと。自分にはほかの神がとり憑いているから大丈夫だし、彼は男のひとだから神の呪いは受け付けないはずだ。
けど、このままにしていて彼の周囲に影響がないとは思えない。
梔子詞は、自分の隣に座る彼を盗み見た。
もしこの彼が……たったひとりの友達を助けることで神を殺し、そのせいでほかの誰かに影響を与えてしまったと知れば、どう考えるだろうか。たぶん自分を責めるだろう。
梔子詞は、そう考えた瞬間、決めた。
心の中ですぐ近くにいるはずの神に語りかける。
名前のない、虚構で創られた個性のない、金を得るためだけに作り出した、からっぽの神に。
なにを犠牲にしてもいい。
なにを代償にしてもいい。
神を殺してまで罪を背負い、友達を助けたこの少年を。
優しい少年を。
おねがいだから。
助けてあげて。
顔も名前もない神は、ニヤリと笑った。
――そして梔子詞は、梔子詞としての個性を奪われた。
図書室で読書をしていたとき、饒舌な図書委員の女の子が、神という存在の脆さを指摘した。
それはまさにそのとおりで、反論のしようもない事実だった。
だからこそ神は怒った。
ほかでもない、梔子に憑いている神が怒った。
梔子の個性を――感情を――手に入れた神は怒ることができたのだ。
だからこそわざわざ彼女に警告を与えようとした。神罰というわかりやすい警告の仕方だった。
自分に神が憑いているせいで、彼女が怪我をする。
そんなことはさせない。
……なぜ、自分に神が憑いているのかは思い出せないけど。
梔子は自分にしか見えない神を止めるために、立ち上がった。
お化け屋敷は嫌いじゃない。
怖いものを見るのは、むかしから好きだった。
感情を失ったときに恐怖だけが残ったのは、なぜか。
それはおそらく『忘れられないほどに強く感じた感情』だったからだ。
契約のことは覚えてない。でもあのとき、梔子は怖かった。
ただ、怖かった。
だからこそ、恐怖だけは強く残ったのだろう。
ならば。
と考える。
ほかにも強く感じる感情があれば、それはまた自分のなかに戻ってくるのではないか。
ドイツの精霊を見て、ただ可哀想だと感じた。
報われない恋。
叶わない想い。
そんなものは、世界のどこにでもある。
そう本に書いてあった。その空虚さは理解できる。
だが、梔子には記憶がほとんどない。
梔子詞として手に入れた個人的な記憶は奪われてしまったから。
それに、もともと恋というものを知っていたとは――到底思えなかった。
それもまた空虚だった。
あの精霊が感じているものと、私が感じているものは、似ているのかもしれない。
呪われた。
それに気付いたとき、まず浮かんだのはある少年のことだった。
記憶にはないが、知識としては知っている。あの少年はかつて神を殺したこともある。
「なら梔子クン、あの少年に神を殺してもらおうぜ」
……そんなことは受け入れられなかった。
なぜかわからない。わからないが、もう二度と彼に神を殺させてはならない。
そんな気がする。
「ならどうやって、アタシたちにふりかかったこの災難を乗り切るんだ」
そこで梔子は思いついた。
神の加護や呪いを受けることができてしまう、あるひとつの条件。
そして呪われないための、ある対策。
それは――――




