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頼むからあの娘のべしゃりを止めてくれ!  作者: 裏山おもて
1巻 くちなしさんの、コトバナシ 〈上〉
1/86

1話 めだたない

 この日常、言えないことが多すぎる。





「ツムギはどーして図書委員になったんスか?」


 それは俺――久栗(くくり)ツムギが高校に入学してすこし経った、梅雨の頃だった。


 改築されたばかりのモダンで綺麗な校舎と対照的に、明治時代に建てられたという噂の体育館がやたら古びていることだけが特徴の、ごくふつうの高校だった。

 

 中学時代に平均点をとりつづけてきた俺にとっては、標準以外の何物でもないこの公立高校に通うことが当然だとすら思っていたし、じっさい当然という顔で通っている。


 平和を愛し、平均をつらぬく。それが俺のための俺によるプライバシーポリシー。

 そんな俺が日常に波紋を起こさないように過ごすため、必ず入るところがある。



 図書委員だ。



 本が好きなわけではない。

 しかし静かに過ごす場所と役割を、学校がわざわざ与えてくれるのだ。

 なんて太っ腹な教育システムなんだろう! この国に生まれて感謝している。


 まあ半分は冗談。


「ねえ、どうしてッスか?」


 夕暮れどきの図書室で、返却された本を棚に戻している俺に、貸出カウンターの中から放蕩とした声が届いた。

 茶色がかった癖のある髪の、すこし垂れ目がちな少女だ。特徴はその力の抜けた目つきと艶めかしいほど芳醇な唇だ。飾り気のない整った表情でぼんやりとこっちを眺めている。

 化粧をすればすぐに美人と認められるだろう。地味な顔つきとは言い難く、薄暗い図書室が似合わないことこのうえない。

 彼女が図書委員であることを否定しないのは、おそらく校則を遵守するかのようにきっちりと膝上五センチで揃えられたスカートくらいだ。


 白々雪(しらゆき)桜子(さくらこ)という。


 なんとも清浄な名前だが、俺は、それが罠だと知っている。


「中学のときから見てましたけどね、ツムギにとっての図書室は、ただの逃げ場所にしか見えないんスよ。なにを怖がってるんスか? それとも怯えてるんスか? ウチにはツムギの図書愛が感じられないッス。本への愛情が見えないッス。なのにむかしからいつもいつも図書委員になるツムギのその姿勢、ウチにとって謎だったんスよね」


 白々雪(しらゆき)は大判の漫画本をカウンターの上に広げていた。

 しかし本は開かず、作業をする俺を眺めている。本を読む気がないなら手伝ってほしいものだが、今日の書架整理は俺の当番で、白々雪は受付だった。

 体を弛緩させてダラケきった白々雪は、頼んでも貸出カウンターから動かないだろう。椅子にへばりついて座っていた。


「ねえ、なんで図書委員なんスか?」


 俺は本を書架に戻しつつ、答える。


「白々雪こそどうなんだよ。中学は水泳部だっただろ? なんで高校でいきなり図書委員になったんだ? 読書に目覚めたか?」

「いえいえウチはむかしから本は好きッスよ? 水泳部が読書が好きじゃないっていうのは、ツムギの偏見ッスよ」

「……なるほど。それはすまなかった」

「その素直に謝るところはツムギのいいところッス。ウチ、そこだけは好きッスよ」

「そこだけか。ならけっこう嫌われてるな」

「あと臀部(でんぶ)の形も好きッスよ。付け根の曲線美あたり、セクシーな形してますよね。クラスで一番良い美尻の持ち主です」

「ぜんぜん嬉しくねえな」

「きっとほかの女子も思ってます。久栗くんのお尻おいしそうだな……って」


 そんな視線は浴びたくない。


「ヤだよそんな殺伐としたクラス。無事に卒業できる気しねえし」

「大丈夫ッスよ。ツムギの尻はウチが守りますから」

「ほんとか?」

「当然ッス」

「ほんとのほんとだな?」

「信じられないッスか? いいでしょう、神に誓いますよ。ウチは指一本たりともツムギの尻には触れないッス」

「そうか。じゃあこんなことしても大丈夫だな」


 カウンターにむかって尻を突き出してみた。


「うっひょお美尻きたーっ!」


 撫でまわされた。

 ゴツン。

 とっさに拳骨がでた。


「い、いたいッス……」

「おまえいま舐めようとしただろ」

「そりゃあね! そこに尻あれば舐めますよ!」

「堂々と変態なことを言うな!」


 と、しばらく睨み合っていたが、すぐに白々雪は飽きたようだった。


「……ま、話を戻しますけど、ウチ本当に本は好きッスよ。すくなくとも眺めてて飽きないところなんかは電子書籍には真似できないところッスよね」

「本は眺めるもんじゃないと思うけど」


 白雪はやれやれと首を振る。


「ツムギは見地が狭いッスね。パンは食べるためのものッスけど、キャンバスの隣に置いてあるパンに限っては違うでしょ? それと同義なんスよ。ウチの前に置いてる本は読むためのものじゃない、鑑賞用ッス。重厚で濃密な装丁ほどウチの心は揺さぶられる。ルネサンスな気持ちになるッス!」

「それもそれで個人の趣味嗜好だけどさ……でも内容にも目を向けてやらないと本の作者が泣いて哀しむぞ」

「ところが装丁師は泣いて喜ぶッスよ」


 白々雪は脱力した顔でへらへらと笑い、


「それこそ、文章を希求するだけなら電子書籍でもいいんスよ。でもウチにとって大事なのは本という媒体ッス。内容の好尚よりも、紙書籍そのものが好きなんス。本萌えなんスよ。とくに、カチカチになった革の背表紙萌えッス! 背表紙最高ッスよ! うほっ!」

「……まあ、個人の趣味嗜好だしな……」

「あれ? なんでドン引きなんスか? むしろ褒めて欲しいッスね。ウチほど図書委員にふさわしい性癖の持ち主なんていないッスよ」

「図書委員に性癖はいらん」

「そんなことないッスよ。性癖は三大欲のひとつから派生しためっちゃ重要な欲望ッスよ? 物語好きのそこらの図書委員たちより、よっぽど深い愛情ッス」

「不快愛情の間違いじゃないのか?」


 もしくは腐塊愛情。


「失礼ッスね。ウチは自分の性癖を誇りに思ってるんスからね」

「じゃあ、逆に訊いてやる。……もし、俺が、じつは本のインクの匂いが大好きで、あらゆる本の匂いをくんかくんかと嗅ぐために図書委員になり、毎日興奮しながら図書委員の務めを果たしているとすれば、おまえはどう思うんだ?」

「うわキモいッスね! ドン引きッス!」

「おいおまえさっきなんて言った? 性癖がなんだって?」

「ウチの誇りはそんな変態的なもんじゃないッス。もっと至純です。カチカチ背表紙萌えは、磨き抜かれた純度の高いエロスです。そんじょそこらのピンクな感情と一緒にしてもらっちゃ困るッスよ。カチカチ背表紙ナメたらダメッスよ!」

「舐めねえよ。どの意味でも」

「でもインクの匂いは嗅ぐんスよね?」

「……おまえなんか勘違いしてないか。いまのはたとえだぞ」

「でも、ウチは認めるッスよ。だって趣味嗜好はそれぞれなんスよね……ツムギが変態でもいまさら気にしないッス。がんばって受けとめるッス!」

「なんで目を逸らすんだよ。だから、さっきのはたとえ話だからな?」

「火のないところに煙は立たぬってことわざ、ウチは知ってますから。いやはや、ツムギにインクの匂い萌えなんていう特殊性癖があったなんて。びっくりッスよ」

「……根も葉もない疑いだ」

「なのに話の花だけ咲いたッスね。……けどねツムギ、じつは根も葉もない疑いなんてーのは存在しないッスよ。思考にも行動にも原因があるッス。すべての現象には因果があるッス。または要因とも言いますが、この場合はどちらかといえば原因ッスね。とにかくいまのところ因果律と相対性理論は、この時代では揺るがないッスよ?」


 と薄い笑みを浮かべる白々雪だった。


「ちくいち揚げ足を取るなよ。俺がなにか言うたびにさ、おまえは論破しようとしてくるよな? 俺になんか恨みでもあんのか?」

「まさか。ツムギに恨みだなんて、天地がひっくり返るほどあり得えないッスよ」

「……まあ天地がひっくり返ればあり得るわな……」

「いえいえ、絶対にあり得ないってことッス。だって天地がひっくり返る事態なんてーのがまず不能な事象ッスから。天地がひっくり返ってもあり得ない、って表現の矛盾をただ小馬鹿にしただけッス」

「ならふつうにあり得ないって言えよ」

「言葉遊びと記憶力くらいしかウチの得意なものってないッスからね」

「それに、おまえが俺を恨まないのがあり得ないなんて、それこそ勘違いだ」

「いえいえ、ウチがツムギに感謝するこそすれ恨むだなんて天地転覆ッスよ」

 

 白々雪は満足そうにうなずいた。


「うん。これが正しい用法ッスね。天地転覆(ありえない)。いいレトリックじゃないッスか」

「言葉をかってに作るな」


 俺はカウンターのなかに戻り、パイプ椅子に並んで座る。

 白々雪はちょこんと顔をかたむけて俺の顔を覗きこんできた。


「まあそれはどうでもいいッス。冒頭に戻るッスよ。……ウチの図書愛はちゃんと説明できたと思うんスけど、ツムギの図書愛は本物ッスか? ウチにはツムギの図書室は、ただ現実から逃げてるだけに見えるんスけど。現実の、なにから逃げてるんですか?」


 そういえばその話だったか。俺は自分で話を逸らしたことすら忘れてたのに。


「……『白々雪はなにも忘れない』って中学のときの噂は、嘘じゃないらしいな」

「忘れないんじゃなくて、ぜんぶ覚えてるだけッス」


 白々雪は否定する。


「そもそも、すこし前の話題が記憶に残っていないのは、それは忘れたんじゃなくて、覚えられなかったっていうんッス。短期記憶はものを覚えてるわけじゃなくて、忘れるまでの時間を延ばしてるだけッスからね。そこで忘れずに側頭葉に保存されれば、晴れて長期記憶になるッスよ。ウチはただ、情報を厳選することなく、無作為に覚えるだけッス。無駄が多いってことッスけどね」


 あっさりとそんなことを言ってのける白々雪。

 その飄々とした態度はおそろしい。

 時代が時代なら、まず間違いなく神童とでも呼ばれていただろう。いまは人間を凌ぐ記憶容量のコンピュータがそこらじゅうにあるから、実際それほどの記憶力があろうが持て余すだけだが。


 それでも脅威であることには変わりない。他人の不都合を記憶し、自己の失敗を記憶し、いつでも情報を利用できる。……それなのに白々雪は中学の頃から、天才ではなく秀才でもなく、ただ記憶力が良い少女という扱いを受けてきたのだ。学校というシステムに飼い殺し――否、殺し飼いされているのだ。教科書の丸暗記しかする機会がないなんて勿体ないことこのうえない才能の浪費だった。


「……んで、じっさいツムギの図書愛はあるんスか?」

「さあな。でも、それは白々雪に言わなきゃいけないことじゃないだろ?」

「そうなんスけど……気持ち悪いんスよ。知らないことがあると知りたくなるのは、どうしようもない欲望ッス。渇望ッス。それこそウチの自慢の記憶力や性癖なんかより、よっぽど精神を支配してるものッスよ」

「好奇心は猫をも殺すって言葉、知らないのか?」

「そうですけど、好奇心は人をも殺す、とは言わないッスからね。それでも殺されるというのなら、さあ、ウチを殺すが良いッス好奇心!」

「……たしかにそりゃそうだけどさ」

「でしょ?」


 納得はできる。へりくつだけど。


「でもなんで、そんなに俺の図書愛なんかが気になるんだ?」

「独一した理由はないッスよ。いくらか細々したのならありますけどね」

「曖昧だな」

「明確な理由が必要っすか? まあしいて挙げるとすれば、ウチは普通じゃないことが好きだからッスよ。オカルトだったり、ホラーだったり、ファンタジーだったり。ウチはそういうの大好きなんスよ。だからッスね」

「……どういうことだ? 意味がわからん」

「好奇心っていうのは、奇を好む心ッスよ。ふつうじゃなさそうなこと、自分で考えるだけじゃ理解ができないことを知りたい。それが好奇心ってものなんス。ただ気になることを気にするってのは、好奇心レベルとしては浅いッス」


 好奇心。

 たしかに掘り下げていけば、そこに辿り着く言葉か。


「たとえばッスね、ツムギは女子と付き合ったことはまだないッスよね?」

「…………まあな」

 いきなりなにを言いだすんだ。

 そんな痛いところを突かれて嬉しい顔をできるわけもない。目を逸らした。

 すると白々雪は「じゃあ……」となぜか嬉しそうな顔つきになって俺の手を握った。


 その手を、白々雪はなんと、自分のスカートのなかへと滑り込ませた!!


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